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 ひみつの花園 

1997年作品 。83分。製作YES。監督=矢口史靖。脚本=矢口史靖、鈴木卓爾。撮影=岸本正広。照明=蝶谷幸士。録音=池田昇。鈴木咲子=西田尚美、江戸川=利重剛、伊丹弥生=加藤貴子、鈴木美香=田中規子、森田教授=内藤武敏

 矢口史靖監督の「裸足のピクニック」は、不運に不運が重なり不幸のどん底につき落とされていく女子高生の姿を、既存のセオリーなど蹴散らし、スラプスティックな感覚で追い続けた傑作だった。しかし、「ひみつの花園」には、あのハチャメチャなパワーが不足している。

 お金を数えるのがなによりも好きな主人公が、銀行強盗の人質となりながら奇蹟の生還を遂げた後、デレーッとした姿で過ごす日常シーンは、とても新鮮だった。樹海に沈んだ5億円を見つけ出すために地質学の勉強から車の運転、スキューバダイビング、ロッククライミングと目的のために次々とマスターしていく姿もいい。

 しかし、賞金目当てで参加した水泳大会やロッククライミングコンペに次々と優勝するという展開は、あまりにも調子が良すぎる。ラストに至っては、お金への執着からも解放されてしまう。こんな良い子の映画にしてしまっては、元も子もない。ただ、西田尚美は予想以上の熱演で、この映画の意図した嘘っぽさを際立たせていた。


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 ゆうばり映画祭97 

 ゆうばり国際冒険・ファンタスティック映画祭97に参加し、ヤング・ファンタスティック・グランプリ候補のうち、3作品を観た。

 「LITTLE SISTER」(ロバート・ヤン・ウエストダイク監督)は、ビデオ映像を巧みに使いながら兄弟の危険な愛を突き詰めていく。そのスリリングさは、たまらない魅力だ。作品自体を名もない無数のプライベートビデオの中に位置付けようとするラストシーンには、冷静な距離感とともに監督の作品に対する揺るぎない自信を感じた。

 「LOVE AND OTER CATASTROPHES」(エマ・ケイト・クローガン監督)は、心地よいテンポで若者たちの日常を追う。全編に映画への愛がつまった作品だが、ややテクニックに走り過ぎた。「インデペンデントの精神を忘れずに作品をつくりたい」という監督の今後に期待したい。

 「KILLER TONGUE」(アルベルト・シアマ監督)は、独創的なアイデアではあるが、コミック・スプラッターの枠にはまりすぎている。耽美、ポップ、パンク、クイアなどが溶け合うハイブリッドな感性を、図式で整理しすぎたのではないか。安易な結末などにとらわれず、もっと奔放であってほしい。この監督なら可能なはずだ。


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 誘惑のアフロディーテ 

1995年作品 。95分。配給松竹。監督・脚本ウディ・アレン。製作ロバート・グリーンハット。撮影監督カルロ・ディ・パルマ、A.I.C.。編集スーザン・E・モース。衣装デザイン=ジェフリー・カーランド。コロスのリーダー=F・マーレー・エイブラハム、レニー=ウディ・アレン、アマンダの母=クレア・ブルーム、アマンダ=ヘレナ・ボナム・カーター、イオカステ=オリンピア・デュカキス、ケヴィン=マイケル・ラパポート、リンダ・アッシュ=ミラ・ソルヴィーノ

 ウディ・アレンの監督26作目。久しぶりに自らが主演し、しかも新しい顔ぶれ。最近の作品はシリアスなまま終ったり、じめじめしていてウディ・アレンの迷いが表われていた。しかし、今回は自分の養子騒動を逆手に取った養子と里親をテーマに、完全に突き抜けた新しいコメディの世界を開いている。 

 ミラ・ソルヴィーノの起用は見事に当たった。彼女の演じるリンダのキュートさとコケテッシュな魅力が、ウディ・アレン扮する中年レニーの頼りなさと出会い、絶妙な雰囲気を醸し出す。 苦いハッピーエンドも、なかなかに意味深だった。

 ギリシャ悲劇のコロスにジャズナンバーを歌わせる自在さも特筆すべき点だ。「ウディ・アレンのバナナ」のような圧倒的なパワーで、人類の文化すべてをウディ・アレン風にアレンジし、未踏の境地を突き進んでほしいものだ。


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 パラサイト・イヴ 

1997年作品 。監督=落合正幸。原作=瀬名秀明。製作=村上光一、桃原用昇。脚本=君原良一。音楽=久石譲。撮影=柴崎幸三。美術=柳川和央。ビジュアル・イフェクツプロデューサー=倉澤幹隆。永島利明=三上博史、永島聖美=葉月里緒菜、吉住貴嗣=別所哲也、浅倉佐知子=中島朋子、小田切悦子=萬田久子

 この原作が忠実に映画化されれば、記念碑的な傑作になる。この作品を読んだとき私はそう痛感した。小説「パラサイト・イヴ」は、映画化を挑発する場面に満ちている。ハリウッドなら、実現できるだけの予算と時間が可能だが、日本の場合は現状でははなはだ困難だ。フジテレビジョンと角川書店製作の「パラサイト・イヴ」は、予想通り残念な作品となった。

 三上博史、葉月里緒菜、別所哲也、中島朋子といった配役は悪くない。ミトコンドリアの言葉を話す中島朋子は超絶していたし、葉月里緒菜は難しい2役をよくこなしていた。映像のテンポ、色彩感覚、音楽との調和も水準以上だ。しかし、見せ場はなんといってもミトコンドリアの培養液から生まれたEVEのメタモルファーゼのはずだ。

 最初に再生するシーンは本当に素晴しい。「アビス」(ジェームス・キャメロン監督)の水のテクノロジーのシーンよりも数段美しかった。しかし、限られた予算と2か月半という時間では、このシーンしか製作できないだろう。映画では、原作のスリリングな展開が切り捨てられ、湿っぽい安直な結末が用意された。10億年待っていてあのラストではミトコンドリアが怒るのではないか。


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 ある貴婦人の肖像 

1996年作品 。 イギリス映画。145分。監督ジェーン・カンピオン。原作ヘンリー・ジェームス。脚本ローラ・ジョーンズ。撮影スチュアート・ドライバラ。美術・衣装ジャネット・パターソン。音楽ヴォイチェフ・キラール。編集ヴェロニカ・ジネット。イザベル・アーチャー=ニコール・キッドマン、ギルバート・オズモンド=ジョン・マルコヴィッチ、マダム・セリーナ・マール=バーバラ・ハーシー、ヘンリエッタ・スタックポール=メアリー・ルイーズ・パーカー、ラルフ・タチェット=マーティン・ドノヴァン、タチェット婦人=シェリー・ウィンタース、ウォーバトン卿=リチャード・E・グラント、ジェミニ伯爵婦人=シェリー・デュヴァル、エドワード・ロジエ=クリスチャン・ベイル、ギルバートの娘パンジー=ヴァレンティナ・チェルヴィ、タチェット氏=サー・ジョン・ギールグッド

  30億円を投じたヘンリー・ジェームスの文芸大作。19世紀の英国貴族社会をベースに、自由と抑圧、愛と憎しみのドラマが展開される。『ピアノ・レッスン』までのマイナー志向ではないが、随所にカンピオンらしいねっとりとした情念が顔をのぞかせている。

 多くの求婚を拒絶しながら、イザヘルが簡単にオズモンドと結婚した理由が分からなければ、この作品は心にしみてこないだろう。突出した自由を求めることが過度の服従に結び付くという皮肉は、個人的にも歴史的にも繰り返されてきたことだ。世間から孤絶している魅力的な耽美家が、しばしば極めて独善的であるという事実も。自分と似た傾向を持つ人を不幸に陥れようとする不幸な人の屈折した悪意も。この映画は一筋縄では解けない深みを、華麗な映像で覆っている。


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