山の雑記帳5

 新幹線の割引サービス  1998.06.05 記

 遠足の行き先  1998.06.10 記

 日本武尊の足跡再訪  1998.06.17 記

 登山開始10周年  1998.06.25 記

 寸暇を惜しんで登山(?)  1998.07.07 記

 夏休み前のプレ登山  1998.07.20 記


夏休み前のプレ登山  1998.7.20 記   最新

ここのところ仕事で帰宅が遅くなったり、サッカーのワールドカップや参議院選挙の開票結果を見るために夜更かしや早起きをしたりで 生活が不規則になり、 加えて天候も暑くなったり寒くなったりと 不順であったことから、 どうも体調が良くない。

先日も、夜の9時頃にホンの少々のつもりで横になったら、そのまま朝まで寝てしまったし、この前の日曜日も 3時間ほど昼寝をしてしまうなど、 身体が休養を要求しているようである(但し、 食欲は落ちていない)

こんな調子だから、近づく夏休みに本当に長い縦走ができるのか心配であり、なかなか梅雨明けにならない天候と相まって、 近頃少々落ち着かない気分にさせられている。

そのためこうした状況を打破すべく(大袈裟)、久々の上天気が期待できそうであった昨日の土曜日、夏休み前のプレ登山と称して、 八ヶ岳に登ってきた。

当初は、体調を整えるのが目的だということで、私の信条に反するものの標高2,000m近い観音平まで車で行き、 そこから八ヶ岳連峰の南端にある権現岳・編笠山 を登ろうと思ったのだが、 8年前に登った 八ヶ岳連峰の盟主赤岳がガスでほとんど展望を得られなかったことを思い出し、 それなら8年前と同じコースをたどって再び 赤岳−横岳−硫黄岳に登ってみようと、 登山の前々日に計画変更したのであった。

詳細は、いずれ登山記録としてアップするが、肝心の赤岳山頂では再びガスに取り囲まれてしまったものの、 総じて素晴らしい天候に恵まれ、 なかなか充実した登山を味うことができた。

また、このごろ体力に自信を失いかけていただけに、八ヶ岳を8年前に負けないペースで、しかも日帰り縦走できたことは 何よりも嬉しいことであった。

それにしても今回八ヶ岳に登って、人の多いことにはビックリさせられた。
赤岳への登り、 横岳−硫黄岳への縦走中はそれほど人が多いとは感じなかったのだが、 硫黄岳の頂上ではまるでピクニック場のように多くの人たちが憩っているのにビックリさせられ、 さらにもっと驚かされたのは 硫黄岳から美濃戸口までの下山の際であった。

硫黄岳を午後2時過ぎに出発して、赤岳鉱泉−美濃戸−美濃戸口まで下ったのだが、2時、3時になっても 下から人がドンドン登ってきており、 すれ違った人の数は100人近かったのではないだろうか。

お陰で、登り優先の原則を守って道を譲ることしきりで、これだけでも総計15分位は下る時間をロスしたのではないかと思う。

そして例の如く、道を譲っている者に対して挨拶もしない人たちが半数近くはいて、ムッとさせられることが多くあり、 折角気持ちの良い登山だったのに、 最後は気分が些か悪くなったのは残念であった。

また、このように大勢の人たちを見て、登山の人気がこれほどあったのか、登山ブームは本物だなと感じさせられるとともに、 今夜の山小屋のすし詰め状態を想像してゾッとさせられた。

そういえば、赤岳直下で追いついた人は、頂上小屋でのアルバイトのために登ってきたとのことであったが、今夜は200人以上 が小屋に泊まる見込みだと言っていた。

そして今回八ヶ岳を再訪して思ったことがもう一つある。
それは8年前初めて登った時に感じた 「アルプスと並ぶもの凄い山に登ったんだ」という誇らしさが、 今回はあまり感じられなかったことである。

これは私自身が山に慣れてきたこともあるとは思うが、それよりもむしろ当時感じたことは私の幻想に過ぎなくて、 世間はこの山を 人を近づけない峻険な山といったようには見ておらず、 少々キツ目ではあるが楽しむ対象の山の一つと見ているようだからである。

最初に八ヶ岳に登った時に、ガイドブックで散々脅かされた赤岳−横岳−硫黄岳の縦走路も、今回は小学生低学年の女の子が平気で歩いていたし、 赤岳頂上直下では多くの中学生がワイワイ、 キャーキャーと喧(カマビス)しい声を上げながら楽しんでおり、 そして鎖場ではいつものように立ち往生しているとはいえ、 オバサンたちも皆この山を楽しんでいて、 この季節における八ヶ岳は一握りの技術的に優れた登山家のものではなく、 皆の物だということを強く感じさせられたからである。

子供の頃によく新聞を賑わしていた、谷川岳などでの冬山の遭難事故のことが私の頭の中にこびりついていて、 私はアルプスや八ヶ岳 谷川岳をすごい山と思い過ぎていたのかもしれない。

無論、厳冬期や悪天候の時はそうはいかないが、今回のような夏の晴天においては、どんな高い山でも、交通の便と山小屋の便がよければ、 楽しむ対象としてドンドン登られることになるのだろう。

それはそれで大変良いことなのだが、私は少々寂しさを感じるのはなぜだろう。

百名山を登る、山を楽しむといった気持ちとともに、私の心の中のどこかに、「何か他の人とは違っていたい」 という気持ちがあるようで、 それを満たすこととしては「人より早く登る」 「人が1泊2日かかるところを日帰りする」といった、 当該の山に登ったという事実だけが残るだけで 何の特にもならない事柄に 現在はかろうじて活路を見い出しているような気がする。

本来は、「人の登れない山に登る」、「人の登ったことのないルートから登る」ということをやれば大いに満足するのだろうが、 もはやそれは気持ちだけで、 体力的にも技術的にも、そして今の自分に関わっている色々な柵(シガラミ)からいっても 到底無理な状況で、 もう20年若く、 そしてもっと早くから山を始めていれば きっと自分はそういう冒険を好んで試みたであろうと思う。

単に登っているという過程を通り過ぎると、「山に挑む」、「山登りで自分のアイデンティティを確立したい」と思うようになるのであろうし、 多くの登山者が色々な条件下での登山を競った昭和30年代、 40年代はそのピークであったのかもしれず、 私も本当に遅蒔きながらそういう心境になりつつあるのかもしれない。

まあ、百名山という目的も達しておらず、またそれ程の頻度で山に行っているわけでもないので何をかいわんやであるが、 何となくそういった気持ちを抱かされた八ヶ岳登山であった。

なお、話は変わるが、 八ヶ岳の登山中ずうっとヘリコプターが上空を飛んでおり、 また横岳縦走中には 杣添尾根付近上空で長い間ホバリングしているヘリコプターを見かけたが、 翌日の新聞を読むとそれはグライダー墜落事故の現場だったようで、 操縦者はお亡くなりになったとのことである。
ホバリングしているヘリを見たときにイヤな予感がしたのだが、 やはり最悪の事態であった。
お亡くなりになった方のご冥福をお祈りするとともに、 登山においても事故に遭わないように細心の注意を払わねばと、 心を引き締めた次第である。


寸暇を惜しんで登山(?)  1998.7.07 記   最新

ここのところ帰宅が遅くなっているため、さすがに遅い夕食の後に睡眠時間まで削ってパソコンに向かい、「山の雑記帳」「徒然パソコン記」 を書くほどのエネルギーは湧いてこず、 更新が滞っている。
せっかく我がホームページを訪れて頂いた方には申し訳ない限りである。

そしてまた、せっかくこの7月4日、5日と晴れた日が続いたにもかかわらず家庭の事情で山に行くことができず、 かといってあまりの暑さの中、 パソコンに向かう気にもなれなくて、 無為な2日間を過ごしてしまっており、 大いに反省している次第である。

そんな中、6日の月曜日、出勤前にテレビを見ていたら(フジテレビだと思うが)白馬岳からの中継をやっており、曇り空の中、懐かしい風景が目に飛び込んできた。

白馬岳の頂(イタダキ)はもとより、鑓ヶ岳や、杓子岳、そして白馬岳の周囲の山々を画面に映し出しており、中でもピラミダルな剱岳が一際印象的であった。

家を出る間際の時間帯だったので、じっくり眺めていることはできなかったのだが、もはや雪もほとんどなく、完全に夏山という感じであり、休み明けのブルーマンデーにもかかわらず、 何となくシャキッとさせてくれる嬉しい映像であった。

そして駅への道すがら、「今まで7月下旬の長期夏休み(9日間)だけを登山する時期と決めつけすぎていたのではないか、 北アルプスの焼岳乗鞍岳なら金曜日の夜行を利用して登ってこれるではないか」 などという考えが浮かび始めたのである。

確かに、私の中でいつの間にかアルプスは夏休みに登るという固定観念を作ってしまっていたようで、昨年はそれ故、夏休みに台風がきたお陰で山行計画が全てパーになってしまい、 結局昨年1年間で登った新規の百名山は たった3つという体たらくに終わったのであった(大台ヶ原 仙丈岳浅間山)。

少し前なら、金とヒマがあれば山に登ることしか考えていなかったのに、この頃は下山後、次の日が休養日となるような日程を組むことが多くなり、 また晴れが確実である天候の時しか選ばなくなってきたようでもあるし、 さらに山までの行程の長さに些かヒルミを見せ始めているのが 自分でも気にはなってはいたのだが、 この日の白馬岳の中継を見て、 「寸暇を惜しんで登山しよう(?)」などと思い直した次第である。

昔は土日をもっと有効に使っていたはずで、現在も、肉体的・体力的にはそれほど歳をとったとは思っていないのだが、こうしてみると精神的にはかなり 老化が進んでいるのかもしれない。

梅雨も明けたかのような天候が続くこの頃、7月下旬の夏休みにこだわることなく、土日を大いに利用して思い切った遠出を考えてもよいはずで、 先に述べた焼岳、乗鞍岳の他、 御嶽、至仏山、燧ヶ岳、会津駒ヶ岳など狙い目はたくさんあるのだから、 もう少し積極的に山に行こうと反省させられた次第である。

久々に会社を休んで山に行って来るのもよいかもしれない。


ここまで書いてきて思い出したのだが、 この土日の間に山の映像を他に2つほど見たのだった。

一つは谷川岳の山開きの模様で、今は一般の人でも参加できるようにと、陽が昇ってから神事を行っているとのこと(ということだったような気がする)で、 この画像にも登山意欲を刺激されたことは間違いない。

そしてもう一つは、岩手山の映像である。
これは残念ながら、 岩手山が火山活動活発化の恐れがあるため登山禁止になったとのニュースであり、 人が感じない地震の回数がここ2ヶ月ほどで急激に増えてきており、 水蒸気爆発の可能性が高いというものである。

私が岩手山に登った時は雨に降られ、頂上は全くの霧で、お鉢巡りもやったにはやったが、全くの手探り状態の中、最後は道に迷いかけたということで、 あまりよい印象は残っておらず、 そのため密かに八幡平登山と組み合わせて再度登ろうと考えていたので、 少々ショックである。

早く入山禁止が解けるように願うものであるが、そういえば、ここ5年位でも新燃岳を中心とした霧島山の一部、また阿蘇山九重山などにも登山禁止や登山規制が敷かれたりしたことがあり、 また痛ましい事故で 安達太良山沼ノ平 が立入禁止になったことは記憶に新しく、 日本が火山国であることを改めて認識する次第である。

雲仙普賢岳のようなこともあり、いつ火山活動が活発化するか分からず、私が残す百名山もいつまでも安全に登れるという保証はないのであるから(例えば御嶽も昭和54年に噴火しており、 焼岳も昭和37年に噴火 等々) 先に述べたように 「寸暇を惜しんで登山する(?)」 必要があるのかもしれない。


登山開始10周年  1998.6.25 記

慌ただしさの中、6月も下旬にさしかかったが、よく考えてみるとこの5月、6月というのは私にとって記念すべき月にあたっている。

まずこの5月で、私がまじめに山に取り組むようになって丁度10年経つことになるし、また初めてのパソコンである富士通のFMV DESKPOWER D5133D5(SP)を購入して2周年を迎えたことになった(但し、 今はほとんど跡形もない)

そして6月はと言えば、そのFMVから自作機への転換を図って丁度1年経つわけで、全くの個人的なこととは言え、 それぞれめでたいことであると思っている。

しかし、この登山歴10年と言えば聞こえはよいが、登っている山々は中級以下の山が多いため、技術的にも精神面でもまだまだ初心者の域を出ないと思っているし、 また一方で体力の衰えも気になってきており、 今後の百名山踏破に向けてもう一頑張りせねばと思っている。

また、この10年間、私のわがままを許してくれた妻を初め、家族には本当に感謝したいし、今後もこれまでと同様に私の山行を寛容に見てもらいたいと願う次第である。

さて、こうして登山開始10周年を迎えたことから、これを機に過去10年を簡単に総括してみたい。

最初に登った山はいろいろな所で触れたように丹沢山塊である。
これは会社の友人達2人との山行で、 戸沢出合に車を止めてそこから大倉尾根を目指して登り、 大倉尾根からは花立、金冷ノ頭、 塔ノ岳へと進み、 塔ノ岳から丹沢山を往復した後、 表尾根を下って新大日ノ頭を越えた所から戸沢出合に戻るものであった。

この時、あまりに単調な杉林の中の登りに「ただ登るだけではないか。何が楽しいのか。」などという暴言を吐いたのを 今でも覚えているが、 その後大倉尾根に出て岩場から見た富士山の美しさに感激し、 また塔ノ岳山頂にある尊仏山荘にて食べたカップラーメンと持参のおにぎりの美味さにこれまた驚き、 そして丹沢山を往復する過程で見たガスの中のブナ林に「幽 玄」という言葉を連想させられ、 先ほどの暴言を撤回してすっかり登山の魅力に取りつかれてしまったのである。

ここから暫くは丹沢通いが始まったのであるが、体力、気力が充実していたのであろう、いきなり2回目の登山で丹沢主脈縦走 (大倉−塔ノ岳−丹沢山−蛭ヶ岳−姫次−焼山−登山口)を1人で行い、 その後丹沢表尾根(大倉−塔ノ岳−三ノ塔−二ノ塔−ヤビツ峠−蓑毛) 丹沢主稜縦走(大倉−塔ノ岳−丹沢山−蛭ヶ岳−檜洞丸−箒沢) とかなり長い距離を日帰りで歩き、 併せて地図に記載の所要時間よりどれだけ早く歩けたかが楽しみの一つであった。

この頃を振り返ると、毎日ヒマさえあれば丹沢山塊の地図を眺め、こういうルートの組み合わせができるのではなどと、 山行に思いを巡らせていたのであるが、 その1つの例が、 大倉から大倉尾根にて塔ノ岳に登り、 そこから一旦尊仏ノ土平へ下って林道を歩き、 ユーシンロッジから再び山に取りついて大石山、 ドウガク山稜を進んで、 檜洞丸(時間がなくて行けなかった)からの下山ルートである石棚山稜コースに入り、 箒沢に下ったことである。

そして、この頃のことで悔やまれるものがあるとしたら、カメラを山に持っていかなかったことで、その後随分経ってからカメラを持って丹沢を写しに行き、 かなりのルートをカバーしたものの、 当時折角登った大室山や丹沢三ツ峰(タレイ、エンザンギ、ホンマの頭) そして例の「日本武尊の足跡」の写真は未だカバーしきれていない。

また、この頃は、丹沢を隅々まで歩き回ってやろうという考えがあり、他の山域などに行くつもりは全くなかったのであるが、 以前にも述べたように、 何回も大倉尾根を登ってくるとやはりマンネリに陥り、 やがて大倉尾根を登ることが苦痛になり始めたのであった。

そんな時に目を開かせてくれたのが、 山と渓谷社から出版された「東京周辺の山」というガイドブックで、 知らない山域へ行くのを拒んでいた理由の一つに、 そこまでのアプローチが分からないことや、 どの登山ルートを登るべきかが分からないことがあったのだが、 これを一遍に解決してくれることになったのである。

この「東京周辺の山」を使ってまずは大菩薩嶺を登り(同時にアルペンガイドも購入はしたが) その後ドンドン行動範囲を広げていったのだが、 さらにこの頃に深田久弥氏「日本百名山」を知ったことが、 更に登山意欲に拍車をかけることになったのである。

以降、途中で九州への単身赴任などもあったりしながら今日に至っているわけで、後はここでクドクドと時々のエピソードを書くより、 登ってきた山々の登山記録を順番に読んで頂きたいと思うわけだが (順番は百名山登山記録参照) それはそれとして ここ10年の私の登山について以下に簡単にまとめてみたので、ご覧頂きたい。

項   目山(山域)、内容備     考
山行回数143回記録に残っている分のみ
登った百名山72座このところ登頂数減少
初めて登った山丹沢山塊(上 述)最初の百名山
初めての単独登山丹沢主脈縦走(上 述)2回目の登山
初めての雪山丹沢表尾根軽アイゼンは不要
初めての 2,000m 峰大菩薩嶺2番目の百名山
初めての山小屋泊金峰山小屋(金峰山瑞牆山初めての山頂ご来光
初めての温泉(鉱泉)利用増富鉱泉(金峰山瑞牆山下山後利用
初めての 3,000m 峰富 士 山麓から登って日帰り
初めてのマイカー登山筑 波 山ゴルフの帰りに登山
初めての南アルプス鳳 凰 山入門の山として最高
初めての単独山小屋泊甲斐駒ヶ岳最高の思い出
初めての本州以外の山霧 島 山出張利用
初めての新幹線利用登山那 須 岳東北新幹線
初めての北アルプス常念岳槍ヶ岳笠ヶ岳初めての夜行利用登山
初めてのテント山行黒岳鷲羽岳黒部五郎岳薬師岳大雨と風で苦労
初めての大パニック奥白根山一旦は野宿を覚悟
初めての途中断念四 阿 山その年の秋に再登山
初めてのツアー利用宮之浦岳家族的な雰囲気
初めての軽アイゼン使用白 馬 岳6本歯のものは剣山にて
初めての暗闇登山開 聞 岳山の雑記帳参照
初めての夜行バス利用鹿島槍ヶ岳五竜岳名古屋より利用
最も遠い日帰りの山早池峰山新幹線のお陰
贅沢な山恵 那 山長距離の往復にTAXI利用
時間を掛けた山大 峰 山山中2泊3日
再び登り返した山大台ヶ原登山とは登ること
禁止の山への登山浅 間 山早く解禁に
藪こぎの山夏 木 山道に迷って藪こぎ
最多登頂の山双 石 山登山記録以外にも登頂


日本武尊の足跡再訪  1998.6.17 記

一昨日の月曜日、会社が休みだったために丹沢山塊表尾根を歩いてきた。

詳細は例の如く、近日中に登山記としてアップするつもりであるが、 なるべく今年は登ったことのない山に登ろうとしている私が 今回何回も歩いている丹沢表尾根を選んだのには、 一つの理由があったのである。

それは、この「山の雑記帳」の第一回目に記した、「日本武尊(ヤマトタケル)の足跡=力石」を再訪するためで、 前回(10年前)は菩提峠からの藪こぎを強いられた (恐らく道を間違えていたのかもしれない)ことから、 今回は上の二ノ塔から下ってみようと思ったのである。

ところが、大倉から大倉尾根を登り、塔ノ岳から新大日ノ頭、行者岳、烏尾山、三ノ塔と越えて、二ノ塔に着いてみると、 10年前は明瞭だった菩提へ下る道が草に覆われて不明瞭になっているではないか。

二ノ塔にあった標識もヤビツ峠だけしか示しておらず、菩提へ下る道は廃道になったかのようであったが、 それでもよく見ると草の間にかすかに菩提側への道らしきものが2本ほど出ていたので、 一応下ってみることにした。

昔の記憶では、2本の道のうち三ノ塔側の道を使った「力石」から登って来た)覚えがあったものの、そちらの道は今回は使えそうもなかったので、 ヤビツ峠側の道を下ってみることにした。

草に覆われた道に分け入ると、嬉しいことに暫く先で明瞭な道となったが、やがて道の傍らにガラス瓶が大量に捨てられている場所を過ぎると、 今度は道が笹に覆われるようになってしまい、 だんだん進む気が失せ始めてきてしまった。

というのは、前日までの雨で笹や草に多くの露が残っており、ズボンがビショビショに濡れ始めたからである。

それでも、もう少し進んでみようと、笹のトンネルをかき分けていくと、前方に赤い屋根が見えるではないか。

これは良い展開になったと思い、少し頑張って下っていくと、何と赤い屋根と思ったのは赤い花を沢山つけたツツジだったのである。

私は目が悪いのに、自動車の運転以外はメガネをかけず、今回も度のついていないサングラスをかけていたことから、 このような見間違いをしたのであるが、 このことで一遍に進む気をなくしてしまったのである。

そして、ズボンもますます濡れだしたことから、雨具のズボンを履いてこのまま進んでいっても、この先うまく目的地につける保証もないと思い (もう一方の道が正しいのではないかという疑問が常に頭にあった : 2つの道はどこかで合流するのかもしれないが・・・) 結局戻ってしまった次第である。

考えたら、あれから10年、当時この「力石」を世に知らしめようとコース整備などに努力をされていた三嶽敏雄さんも今は79歳のはずで、 お年を考えたら道が荒れてしまうのも仕方がないな、 などと思いつつ二ノ塔へ戻ってヤビツ峠へと下ったのであった。

そしてまた、せっかくの「力石」が忘れられてしまうことに何ともやるせなさを感じた次第であるが、念のために翌日秦野市役所に電話をして聞いてみたところ、 「二ノ塔からの道は藪道になっているが、 菩提峠から「力石」へ登る道は整備されているはずだ」 との明快な答えを戴き、 安心した次第である。

今回は「力石」との再会が叶わなかったが、またチャンスがあれば菩提峠から再チャレンジしてみようと思う。


さて、ヤビツ峠へ向かう途中、富士見山荘近くにある湧水(護摩屋敷の名水)に立ち寄って水を汲んでいこうと思ったのだが、 平日の月曜日の昼下がりというのに多くの車が湧水の周辺に止められていて、 湧水の前に列ができていたのには驚かされた。

この湧水は、昭和60年に環境庁の選ぶ「全国名水百選」にも選ばれているので人気があるのも頷けるが、それにしてもポリタンクをいくつも持って並んでいる人たちの姿を見ると、 以前に朝日新聞の投書欄で問題になったことを思い出す。

私も登山後の疲れた身体でじっと並んで待つ気になれず、その列を一目見ただけで水を補給することを止めにしてしまった。

本当に喉が乾いて今すぐ水が欲しい人と、それほど急がない人(例えば想像だが、美味しいコーヒーを出すためにこの水を求めてきている喫茶店主、 家で美味しいお茶が飲みたい人など) との間での譲り合いはあるのだろうか。

少し前の冬に、下山後この場所で水を汲もうとした時、年輩のご婦人が登山の人を優先しますよと言って、先に汲ませてくれたのは大変嬉しかったが、 6人も7人も並んでいる状態ではそうもいくまい。

別に登山優先というつもりはないが、何となく割り切れなさが残る。

舗装道路ができて、車で簡単にアプローチできてしまうのも考えもので、自然の恵みを得るには、 それなりに苦労するようにした方が良いなどと勝手なことを考えた次第である。


遠足の行き先  1998.6.10 記

最近、私の子供の遠足があった。
場所は電車で3駅先にある公園だという。

小学校低学年なのでそれも仕方が無いと思うが、中学生となっている上の子の小学生時代の遠足を思い出してみても、 行き先に「自然に触れ合える場所」が選ばれたことはあまりなく、 ましてやなどは皆無に近かったと思う。

一方、私の小学生時代を思い出してみると、秩父の長瀞や同じく秩父の名栗渓谷、 また葉山の海岸など、遠足の行き先には自然が多かったし、 はと言えば、高尾山、景信山、陣馬山、 御岳山など 多摩・奥多摩界隈の低山に結構登らされた記憶がある。

無論、高度成長期にさしかかっていたとはいえ、池田内閣が 「所得倍増計画」 などを打ち出していた時代であるから、 我々子供達はそれ程裕福に育っていたわけではなく、 従って遠足の行き先もあまりお金のかからない場所が選ばれていたのかもしれない。

しかし、そういった理由の他に、今は子供達の体力の不足、自然における遊び方の知識不足、(山登りなど)苦しいことを嫌う子供・先生方、 また先生方による危険度の少ない場所の選定など、 時代の流れ・人々の意識の変化を表しているとも思える。

確かに、山登りをすれば体力のある子とそうでない子で大きく差がつき、先頭と最後尾ではかなりの開きがでたはずであるから、 引率の先生も大変であったろうし、途中で道を逸れたりする子もいたであろうから、 先生の管理範囲はかなり大きく重労働であったと思う。

また、途中で事故など起きぬように注意したり、頂上で汗ビッショリとなっている子に風邪などひかさぬよう着替えをさせるなど、 子供を預かる先生方の責任は相当なものがあったに違いない。

ただ、私が大沢という地区でザリガニ取りや小魚釣りにしょっちゅう興じていたように、我々の子供時代は今の子と違って自然に親しむことが大変多く、 自然への接し方をそれなりに身につけていたからそれ程先生方に迷惑をかけなかったのではないかと思うが、 今の子はほとんど自然の中で遊んだことなどないから、 危なくて ・ 川 ・ 海 などに連れていけないというのも分かるような気がする。

また、子供が少しでもケガをすれば学校へ怒鳴り込んでくる親が多くなっていることから、自ずと遠足の行き先も無難な所を選ばざるを得なくなってくるし、 例え自然に接することを目論んだとしても、 その場所は公園などの管理された場所、 いわゆる危険度の少ない疑似自然となってしまうのであろう。

しかし、神奈川には丹沢山塊箱根などの素晴らしいがあるのだから、もっとそういう場所を遠足の行き先に選んで、 自然の素晴らしさを子供のうちから体験させておき、 自然破壊の問題についても小さい頃から認識させておくことが、 将来の地球を救うことにもなると思うのだが・・・。

また、「大変だったけれども自分の力での頂上に立った」 ということを経験させることは、コンピュータゲームで全ステージをクリアして得る達成感とは違った、 もっと清々しいものを感じ取らせることができると思う。

先生の方も、いじめの問題やらで日常管理が大変であり、山登りのような工数と体力と安全管理への気配りに相当エネルギーを取られるようなことは 避けたい気持ちはよく分かるが、 山登りの爽快感はストレス解消にもってこいであり、 気分転換のためにも是非遠足の行き先に自然、 それもを選んで欲しいものである。

とまあ、一方的な思い込みで、 子供の遠足の行き先にを初めとする自然が選ばれないことについての勝手な意見を述べたが、 妻に聞くと、妻の小学校時代(於:神奈川県鎌倉)でも、 ほとんどなどには登らなかったそうであるから(鎌倉アルプスくらい) 昔から神奈川県の小学生の遠足先にはが入っていなかったのかもしれないし、 が行き先に選ばれないのにはもっと違う理由があるのかもしれない。


新幹線の割引サービス  1998.6.05 記

6月4日付の日経新聞に、「JR東日本が東北・上越新幹線の往復運賃・料金を通常のほぼ半額に設定した割引切符を今夏に売り出すと発表した」との記事が掲載されていた。

その内容は、切符の有効期間を4日間とし、 下りの利用を乗車率の低い早朝の新幹線(指定席)に限定するが、 上りはどの列車(新幹線)でも利用できるというもので、 対象期間は7月21日から9月30日とのことである。

その割引の度合いは下記の表の通りであるが、これは東北に多くの未踏の百名山を残す私にとっては誠に朗報である。

往 復 路 線乗車区間正規料金・運賃割引料金・運賃割 引 額割 引 率
東北新幹線東京 − 盛岡27,680円14,300円13,380円48.3%
上越新幹線東京 − 新潟20,540円10,700円9,840円47.9%
          この割引はグリーン車にも適用される。

下りを使う際に乗車を義務づけられている早朝の新幹線というのは、 東京駅発6時03分の「やまびこ35号(盛岡行)」や同じく6時11分の「あさひ401号(新潟行)」 を指しているようであるが、 これも私にとっては願ってもない設定である。

出張や旅行でもない限り、登山を目的とした上越新幹線、東北新幹線の利用はいつもこの朝一番の新幹線を利用していたからで、 実績としては苗場山越後駒ヶ岳谷川岳那須岳 磐梯山早池峰山などがあり、 そして今後の第一番の狙い目は蔵王となるわけである。

他の東北地方における未踏の百名山は、その日のうちに頂上に立つことが難しいものが多いのだが、この割引を利用して浮いたお金で、 麓のビジネスホテルや途中の山小屋に1泊できるわけであるから、 これはもう利用しない手はない。

既に登ってしまった山の中でも、一度車で行こうとして失敗した安達太良山(山の雑記帳:失敗!失敗!失敗! 参照)へは、この割引を利用して行った方が得のようだし、 身体への負担も車で行くよりずっと楽と思われる。

また、考えようによっては、割り引かれたお金でレンタカーを借りることも可能であり、そう考えていくとウキウキした気分になってくる。

横浜から近い所にある百名山はほとんど登ってしまい、あとはヒマと金(交通費、宿泊費)を必要とする山ばかりが残ってしまったので、 1ヶ月の小遣いにおけるマウンテン係数(?)が上がる一方だっただけにこういうサービスは嬉しいものである。

大いに利用したいと思う。


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