登山NO.0035 薬 師 岳( 薬師岳:2,926m ) 1991.7.31登山


 黒岳頂上から見た薬師岳( 1991.7.29 )

【薬師岳登山記録】

【薬師岳登山データ】

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NO.35 薬師岳登山記録

注:ここまでの行程は 黒岳の項鷲羽岳の項及び 黒部五郎岳の項を参照下さい。

この日は期待に反して曇り空で、全体的にガスがかかっており、 どうも薬師岳山頂の景観は期待できない感じであった。
テントを畳み、また重い荷を担いで薬師峠を出発したが、縦走も 4日目ともなるとやや疲れが溜まってきたのか、 初めのうちは身体が重く、なかなか調子が出ない。
沢沿いの道を暫く行くと、大きなケルンのある公園のような場所に着いたが、ここが薬師平で、大きなケルンは愛知大学の遭難碑だそうである。
山を歩くと、時々個人や団体の遭難碑と遭遇することがあるが、そのほとんどが寒さ厳しき冬の遭難で、 私のように季節の良い時期しか登らない者にとっては、冬の厳しい条件下での登山状況など想像することもできない。 しかし、こういう碑を見る度にいつも、このように優しさを見せる山や自然が、時としてその牙をむくことがあるのだということを肝に銘じなければ と思うのである。
遭難者の方々のご冥福を心からお祈り申し上げます。

薬師平には池塘が点在しており、本来なら気持ちの良い場所なのであろうが、私が着いた時はガスが濃く、 全体を見渡すことができなかった。
薬師平からハクサンイチゲなどの咲くお花畑を越え、緩やかな砂礫の道を暫く登っていくと、ガスの中に、 石を積んで作った塀に囲まれた薬師岳山荘が浮かび上がってきた。
山荘前の木のテーブルに荷物を置き、サブザックに水筒と念のための雨具だけを詰めて薬師岳へと向かう。
山荘からのジグザグした砂礫の登りは、かなり広い山腹を進んでいると思われるものの、ガスのために全体を見ることができず、 また薬師岳ご自慢のカールもその位置さえ分からない状況であった。

途中から道は稜線の左側を通ることになり、鉄の杭に張られたロープに導かれるように進むと、 やがて砂礫の道から岩稜帯に変わり、木彫りの仏像が安置された岩の祠がある場所に着いた。
頂上かと思いきや、残念ながらそこは頂上ではなく、本当の頂上はまだそこから岩伝いに道をかなり進まねばならなかった。
やがて大きな岩が積み重なった薬師岳頂上に着いたが、頂上もガスの中で全く視界を得ることができず、 昨日まで登ってきた 黒部五郎岳を初めとする周囲の山々は無論のこと、 薬師岳が有する 3つのカールさえ全くみることができなかった。
頂上の祠には薬師如来が祭られており、お賽銭を出してこれまでの登山の無事を感謝し、 これからの下山の安全を祈願したが、このような山深い場所にある祠にガラス戸がはめられていたのには少々ビックリするとともに、 やや白けた感じとなってしまった。

下山は往路を忠実に戻ることになったが、途中の薬師岳山荘、 薬師平そして薬師峠に戻ってもガスが晴れることはなく、この日は最後まで不満の残る登山であった。
太郎平小屋まで戻り、ポカリスエットで水分補給した後、折立の方へと下り始めたが、右手に見えるはずの薬師岳は相変わらずガスの中で、 その姿を全く見ることはできなかった。

下りの尾根道は広く、道のあちこちに多くの高山植物を見ることができ、途中から池塘も現れ、 なかなか気持ちの良い下りであったが、こうした眺めも、三角点を過ぎた頃から全く視界の効かない中での下りとなり、 加えて急傾斜となったため、こちら側から登ってくるのも楽ではないことを思い知らされたのだった。
ブナの林を抜けると、バスの休憩所があり、アルバイトのお兄さんから切符を購入してバスに乗り込んだ。
バスは富山地鉄の有峰口までの長旅となり、途中に見えた有峰湖や渓谷が美しかった。


薬 師 岳 登 山 デ ー タ

上記登山のデータ登山日:1991.7.31 天候:曇り単独行前日泊
登山路:薬師峠キャンプ場()−薬師平− 薬師岳山荘−薬師岳−薬師岳山荘−薬師平−薬師峠キャンプ場−太郎平小屋−三角点−折立
交通往路黒岳の項参照
交通復路:折立−(バス)−有峰口−(富山地方鉄道)−電鉄富山・富山 −(北陸本線・高山本線)−名古屋−(東海道新幹線)−新横浜−(市営地下鉄)−横浜−(相鉄線)−瀬谷
その他:7月30日は薬師峠キャンプ場泊。翌31日、薬師岳登山。下山後帰宅。


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