登山NO.007 富 士 山( 富士山:3,776m ) 1989.8.12登山


 石割山頂上から見た富士山( 1997.1.4 )

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NO.7 富士山登山記録

私の山へのこだわりの一つは、前にも 大菩薩嶺 の所で述べたように、 山は極力その麓から登るべし ということであるが、 今般、早速、そのことを試すのに一番適した山に挑戦することとした。日本一の富士山である。

いつものルートを使用して、朝 6時44分高尾発の中央本線に乗り、大月で下車、 休む暇なく接続する富士急行に飛び乗って、富士吉田まで行く。
先に述べた趣旨から言えば、この富士吉田から歩くべきかもしれないが、日帰りを目指す身にとっては、 省略できるところはできるだけ省略したいので、タクシーで中ノ茶屋まで行くことにする。
中ノ茶屋 (もちろん閉まっている) の前で、駅で買った弁当を食べて腹ごしらえをし、 8時30分に出発する。

この道は往時は大変賑やかであったのだろうが、今は訪れる人などほとんどないのであろう、 道ばたにある茶屋は全て店を閉めており、荒れ放題になっている。
五合目まで車で行けるようにしたことの罪の深さを見せつけられたような気がして、ここで生活していた人たちのことが気にかかったのだった。
暫く砂礫の道を進むと、馬返しに着き、ここから本格的な山登りが始まる。

二合目には小室浅間神社があったが、ここも幾分寂れた感じがしており、その後の三合目、 四合目もそれぞれ焼印所の看板だけが残り、周りにある小屋はほとんどが壊れかけているか、閉まっているものばかりであった。

富士山も五合目付近まではずっと樹林帯が続き、静かな登山が楽しめるのだが、 この日は加えて霧が濃く出てきており、無人小屋が続く中を一人だけ歩いているので何か薄気味悪く、あまり良い気持ちがしない。
また、四合目の井上小屋の前から見えるはずの河口湖も、濃い霧のため全く見えず、ただひたすら黙々と登り続けるしかなかったのであるが、 かえってこういう時の方がペースが進む。

林道を何回か横切って進んでいくと、やがて五合目の佐藤小屋が目の前に現れた。
丁度腹が減ってきていたので、中に入ってうどんを頼んで暫く休憩したが、この小屋も往時は登山者などで大変盛況だったのであろう (今はどうなのであろうか ?)
佐藤小屋からは樹林帯も切れ、その先の六合目では富士スバルラインからの登山者、あるいは観光客と合流することとなり、 一遍に俗世に引き戻された感じとなる。
六合目から先はもう完全に岩と砂礫の世界で、殺風景な中を、多くの登山者とともに登ることとなり、何かどっと疲れが出た感じがしたのだが、 幸か不幸か、七合目付近になると雲の上に出たのか、今までの霧 (雲?) が全くなくなり、青い空の下、 頭上からの太陽が容赦無く照りつけて来ることとなる。
やはりこうなると水分がものすごく欲しくなるもので、点々と続く山小屋毎にポカリスェットを購入し、喉を潤す始末であった。
この喉の乾きと喘ぎは今までにない経験で、よく考えたらこれは 3,000mをはるかに越す山であるため、 空気薄くなっていたからかもしれない。

しかし、喘ぎながらでも進むのを止めさえしなければ、いつかは頂上にたどり着けるもので、 鳥居をくぐり、石段を登り切ると、そこは富士山の頂上の一角である久須志神社であった。
時間は午後 3時14分、中ノ茶屋から 6時間50分ほどかかって着いたことになる。
久須志神社から左に進むと、まだ雪を多く残している大きな火口があり、その火口の赤茶けた岩肌の向こうにはお馴染みの富士山測候所の白いドームが見える。

頂上にて記念写真をと思ったが、富士山と書いた標識など見あたらなかったため、 その測候所を背景にした写真とすべく、そばを通りかかった人に写真撮影を頼んだところ、どうもその人は韓国の人だったようで、 話があまり伝わらず、写真は撮ってもらえはしたものの、後で見てみると背景には富士山の火口壁しか写っていなかったであった。
富士山は外国の人にも人気があり、隣の韓国からも大勢の登山者があるとは聞いていたが、なるほどと納得いくできごとであった。

展望の方はと言えば、残念ながら雲の上に富士山だけが突き出ているという状態だったので、 全く得ることはできなかったのだが、それでも眼下に白い雲が沸き立っている光景は、夏山らしさと富士山らしさ ? を感じさせてくれ、 とても気持ちが良いものであった。

せっかく富士山に登ったのだからお鉢巡りを行い、 富士山の最高地点である剣ヶ峰まで行こうとも思ったのだが、日帰りのことを考えると時間的にやや難しく、 また酸素不足のためなのか、あまり気力も湧いてこなかったため、頂上の一角を踏んだことで良しとし、下山することとする。
下山は須走口を目指す。
途中八合目からは砂走りとなり面白いように下山のスピードがあがり、気を付けないと躓いて転ぶと言うよりは前に吹っ飛ぶこととなりそうなので、 体重を後ろにかけ、かかとで走る感じで一気に駆け下りる。
途中、振り返ると再び富士山は雲の中に入ってしまい、もう何も見えない状態であった。

岩と砂礫の斜面を下り、ようやく草木が見え始めるとやがて、須走口の茶店であった。
この茶店で汗に濡れたTシャツを着替え、バス発車までの小 1時間ほどを休んだが、その間食べた氷苺は本当においしかった。
バス発着所からは再び富士の姿を見ることができたのだが、そこから眺める富士は遠くから眺める優美な姿ではなく、 もっと角度が広く、例えるなら陣笠のような形であった。

一応時間がかかったとはいえ、富士山を麓から登ったことに満足を覚えたが、 山としての楽しみは 5合目までで、後の岩と砂礫の世界は少しバテ気味だったこともあって、苦痛でしかなかった。
富士山は眺める山で登る山ではない と言うのが今回の登山での正直な印象であった。


富 士 山 登 山 デ ー タ

上記登山のデータ登山日:1989.8.12 天候:曇り後晴れ単独行日帰り
登山路:中ノ茶屋−馬返し−一合目−小室浅間神社(二合目)− 三合目−四合目−五合目佐藤小屋−六合目−七合目−八合目−九合目−富士山−八合目−須走口五合目
交通往路:瀬谷−(相鉄線)−横浜−(京浜東北線)−東神奈川− (横浜線)−八王子−(中央線)−高尾−(中央本線)−大月−(富士急行)−富士吉田−(タクシー)−中ノ茶屋
交通復路:須走口五合目−(バス)−御殿場−(御殿場線)− 松田・新松田−(小田急小田原線)−海老名−(相鉄線)−瀬谷
その他の富士山登山馬返し−三合目−佐藤小屋 (五合目)−七合目−八合目−富士山頂久須志神社−銀明水−浅間大社奥宮−剣ヶ峯−西安河原−久須志神社−八合目−七合目− 六合目−佐藤小屋−三合目−馬返し
 (2001年7月21日 : 晴れ後曇り後雨)    こ こをクリック
富士宮五合目登山口−六合目−九合目−浅間大社奥社−剣ヶ峰−白山岳−久須志神社−銀明水−浅間大社奥社−銀明水 −わらじ館−砂走り分岐−宝永山分岐−馬ノ背−宝永山−宝永第一火口−宝永山火口縁−六合目−富士宮五合目登山口馬返し
 (2013年6月9日 : 晴れ後曇り)    こ こをクリック


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