山の雑記帳 1

 日本武尊(ヤマトタケル)の足跡 1997.10.1 記
 安達太良山の登山事故 1997.10.3 記
 ガイドブック 1997.10.5 記
 朝日新聞の記事 1997.10.7 記
 単 独 登 山 1997.10.11 記
 カ メ ラ 1997.10.15 記
 単身赴任の戯言 1997.10.18 記
 特選 日帰り百名山 1997.10.22 記
 食べ物の話 1997.10.29 記
 深田氏の百名山登山ルート 1997.10.31 記


深田氏の百名山登山ルート 1997.10.31 記

百名山踏破を目指している私にとって、深田氏がどのような登山ルートを辿ったのかということは大変興味がある。
そこでザッと 「日本百名山」 に目を通してその登山ルートをまとめてみたのが、
「深田 久弥氏の百名山登山ルート」 であるが、 これは単に本からデータを拾い集めただけで、今後もう少し考察を加えたいと思っている。
地名の確認、現在のルートとの照合など興味は尽きないのだが、戦前、特に大正時代には道なき道を進んで登っておられる山が結構あるのは羨ましい限りである。
しかしそんなヤブを漕いで登った山にも、頂上に祠が置かれていたりしている。信仰の山を調べてみるのも面白いかもしれない。
とにかく第一弾として掲載しますので、ご覧下さい。

なお、これは「日本百名山」のみに頼ってまとめたものであるが、氏の他の著書を調べれば、もう少しハッキリする所もあると思っている。


食べ物の話 1997.10.29 記

かなり前のことになるが、丹沢の大室山に登った際、予定時間より早く下山できたので箒沢から中川温泉まで歩き、 中川温泉にある食堂でビールと蕎麦(だったと思う)を頼んだ。
ビールのつまみとして南京豆 (落花生) を殻ごと茹でたものが出てきたが、初めての調理法だったので些か驚かされ、 さらにこれが結構うまいので再度驚かされた。
南京豆を殻ごと塩ゆでしただけなのであるが、殻をむいてややピンク色になった実を食べると何とも言えない味がしてビールが進む。
恥ずかしながら生まれて 35年以上経っていたにもかかわらず、身近な南京豆についてこのような食べ方があるのを知らなかったので少々ショックを受けた。
早速、店の人に作り方を教わって家で作ってみたが、まあまあの味だったことを覚えている。
あれから 10年近く経ったが、その後同じ食べ物を見たのは 2、3回程度しかなく、それ程私の身の回りではポピュラーな食べ方ではないのだが、 南足柄から通勤している会社の女性に聞くと、落花生 (その女性は南京豆という言葉を知らなかった) の産地である神奈川では、 一般的な食べ方らしい (イヤもしかしたら、私とその家族以外は皆知っている食べ方なのかもしれないが・・・)。

百名山を目指すことで色々な土地に行くこととなり、各地でこういった食べ物に関する新たな驚きに接することができれば楽しいのだが、 なかなか山以外のことを下調べするのが億劫で、折角の土地の名物を逃してしまうことが多い。
せいぜい駅弁に活路を見いだすだけであるが、これも事前に下調べをすればもっと良いものに巡り会えるのであろう。
今後は少し、山以外のことにも目を向けて下調べするようにしなければと考えるこの頃である。

話は変わるが、丹沢山の登山基地の一つである小田急小田原線本厚木駅構内の立食い蕎麦屋は 結構イケル。
立食い蕎麦にありがちな、ソバ粉ゼロといった雰囲気のコシのない蕎麦と違って、立食い蕎麦とは思えない出色 (少々大げさか?) の出来だと思うし、 ざるそばなどは一口食べた瞬間、蕎麦の香りが口の中に拡がってなかなかのものである。
立食い蕎麦としての限界もあるが、下手な町のソバ屋よりはうまいと言っても良い。
この店は小田急沿線のチェーン店になっているようなので、他の駅でも味わえるかもしれない。
丹沢登山の帰りには是非一度賞味してみて下さい。

立食い蕎麦と書いて思い出したことがある。
料理評論家の 山本益博氏が、 あるテレビ番組で 「立食い蕎麦を食べたことがない」 と言っていたが、あそこまでその口ひげとともに有名になると立食いソバ屋などには入れないのであろうし、 また口が奢っていてそのようなものを食べることができないのだろうと想像される (本当は食べたことがあるのに、料理評論家としてのイメージがあって食べたとは言えなかったのかもしれない)。
しかしこれを聞いて、「立食いソバ、牛丼、ハンバーガー、回転寿司、持ち帰り弁当など大衆の支持を得ているものを口にすることができないとは、 日頃美味しいものばかり食べていたとしても哀れだなあ」 と感じたのだが、これは私のひがみだろうか (・・・蛇足でした)


特選 日帰り百名山 1997.10.22 記

よく登山は計画段階から始まっていると言われるが、私は計画を立てる過程の中でも、 時刻表を見ながら交通機関の乗り継ぎを調べるのが一番好きである。
特に山を始めたばかりの頃には、まだ登る計画もない山まで対象として、その麓までのアプローチを時刻表で調べては時間を潰していたものである。
その時間潰しの一つに、日帰り登山が可能な百名山を見つけだすというのがあるのだが、その日帰り可能な百名山のうち、 バスなどの運行が 期間限定のために年内最後のチャンスとなる山があるので、紹介してみたい (JTB時刻表10月号を使用)。
山はゆっくり登って自然に親しむに越したことはないのであるが、百名山を目指しているが時間があまりなく、 また結構 健脚だという人は是非お試し戴きたい (横浜・瀬谷を起点)。
但し、ここに書いた時刻が変更になっていることも十分に考えられるので、 必ず事前にそれぞれの交通機関に問い合わせて確認して戴きたい。

蔵 王
範 疇交 通 機 関路 線 時 刻備      考
往 路相模鉄道瀬谷(4:54)−横浜(5:19)始発電車
東海道本線横浜(5:25)−東京(5:52)
東北新幹線東京(6:03)−仙台(8:06)やまびこ35号
宮城交通バス仙台(8:30)−峨々温泉入口(10:00?)刈田岳行。11月3日まで。
コース峨々温泉入口−峨々温泉−名号峰−自然園
熊野岳−馬の背−刈田岳
ちゃんと登る。
復 路宮城交通バス刈田山頂(15:20)−白石蔵王(17:02)TEL 022-273-3071
東北新幹線白石蔵王(17:35)−東京(19:36)やまびこ108号
東海道本線、相模鉄道は省略。


安達太良山
範 疇交 通 機 関路 線 時 刻備      考
往 路相模鉄道瀬谷(4:54)−横浜(5:19)始発電車
東海道本線横浜(5:25)−東京(5:52)
東北新幹線東京(6:03)−郡山(7:27)やまびこ35号
東北本線郡山(7:37)−二本松(8:03)在来線に乗換
福島交通バス二本松(8:10)−奥岳(8:58)11月3日までの土休日
コース奥岳−勢至平−くろがね小屋−鉄山−安達太良山
−薬師岳−五葉松平−奥岳
コースは任意。
復 路福島交通バス奥岳(16:40)−二本松(17:28)TEL 0245-33-2131
東北本線二本松(17:36)−郡山(18:02)
東北新幹線郡山(18:11)−東京(19:36)やまびこ108号
東海道本線、相模鉄道は省略。


越後駒ヶ岳
範 疇交 通 機 関路 線 時 刻備      考
往 路相模鉄道瀬谷(4:54)−横浜(5:19)始発電車
東海道本線横浜(5:25)−東京(5:52)
上越新幹線東京(6:11)−浦佐(7:52)あさひ401号
越後交通バス浦佐駅東口(8:15)−枝折峠(9:20?)11月3日まで運転
コース枝折峠−道行山−小倉山分岐−百草の池−越後駒ヶ岳
−百草の池−小倉山分岐−小倉山−駒ノ湯−大湯
かなり体力と
脚力が必要
復 路越後交通バス大湯(18:08)−小出駅(18:38)TEL 02579-2-0117
上越線小出(18:57)−越後湯沢(19:36)
上越新幹線越後湯沢(19:52)−東京(20:58)あさひ8号
東海道本線、相模鉄道は省略。


単身赴任の戯言 1997.10.18 記

宮崎に3年間単身赴任していたことは、自己紹介の項や登山記録の中でかなり述べているので ご存知の方も多いことと思うが、赴任期間中楽しくやっていたかと思うとそうでもなくて、当時 「宮崎労働基準協会報」 に掲載した " 随想 " を読み返してみるとかなりイライラしていたことが分かる。
地元の会報に宮崎の悪口ばかりは書けないので、誉めるところは誉め (これに嘘偽りはない)、プラスマイナスゼロにしているが、 本当のところ自分の日常生活のイライラと趣味の登山は別の次元で語られるべきと思っている。
まあとにかく ここにその " 随想 " なるものを掲載しますので、長くなりますが読んでやって下さい。

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小範囲の転勤はあっても、関東地区から外へ出たことのなかった私が、 この宮崎県に単身赴任してきて 1年8ヶ月余りがたった。
独り身の侘びしさについて愚痴をこぼすつもりは全くないが、この 2年弱の間にいろいろ感じたことをこの場を借りて述べさせて頂きたい。
まず宮崎県に来て一番ビックリし、そしてイライラしたことは情報量の少なさ、情報の遅さである。
私の留守宅である横浜市と比べると、ここ宮崎市が県庁所在地で県下最大の年であるにもかかわらず、その情報量に大変差があるのである。
まず夕刊がない。大新聞社の夕刊の他、さらにタブロイド版の夕刊 2紙があることが当然と思っていた私にとってはこれは驚きであった。
次にテレビの民放が 2局しかない。民法 5局の間をリモコンを駆使して自由に選択を行っていた私にとっては、 大事なおもちゃを取り上げられた気分である。
そしてさらに言わせてもらえばバラエティ番組、ドラマについては 2〜3週間遅れで放送されており、 応募クイズに至っては 「宮崎地区は該当しません」 というコメントまでつけられている。
また、放送は民法各社からの番組を組合わせて成り立っているので、放送時間の変更は日常茶飯事である。これがまた私をイライラさせる。

雑誌類はといえば、私の頭の中にインプットされていた発売日に 2〜3日足さねばならず、 これに慣れガマンできるまでに半年かかってしまった (チョット大袈裟か?)。

と文句ばかり言ってきたが、九州に来て大変よかったことはその自然の素晴らしさである。
私は山登りを趣味としているが、九州には 2,000 メートルを超える山はないものの夫々の山に大変特徴があり、 私を大いに楽しませてくれている。
霧島山群の月世界のようなクレーター群の素晴らしさ、 阿蘇高岳から見た中岳噴火口の雄大さ、積雪 20センチの時に登り あたかもマッターホルンのような気高さを見せてくれた 傾山九重山を縦走し山腹から見た坊ガツルの伸びやかさと大船山のミヤマキリシマの美しさ、 これが九州の山かと思うくらい岩の芸術を見せる 大崩山、 冠雪した双耳峰の美しさに思わず見とれてしまった 由布岳など、枚挙に暇がない。
そしてもう一つの楽しみは、下山後の温泉である。
ほとんどの山がその麓に温泉を有しており、その土地の郷土料理とあいまって私を極楽気分にさせてくれるのである。 そしてそこに暮らす人々の素朴さ、暖かさは本当にうれしいものである。

以上勝手なことを書かせてもらったが、前半部分に立腹された方もあると思う。よそ者の戯言とご容赦頂きたい。
しかしよく考えてみると、玉石混淆した情報の洪水の中にいることが正しいと思うのは、思い上がりなのかもしれない。
ここ九州では自然に親しみ、つまらない情報にあくせくせずのんびりとやりなさいということなのだろう。


カ メ ラ 1997.10.15 記

山にはいつもカメラを持っていく。
登山を始めて
丹沢ばかり登っていた頃は、色々なルートを登ることだけに楽しみを求めており、 カメラなど必要とは思わなかったのであるが、初めて丹沢以外の山である 大菩薩嶺に登った時、 尾根から見た 富士山の美しさや丹沢とは全く違う景観に驚き、これは写真を撮って色々な山域を記録しておくべきだと強く感じ、 それからカメラを山に携行するようになったのである。

現在は、さらにそこに 日本百名山踏破という目的が加わったものだから、 登頂の証拠という意味でも写真の必要性が増してきている (自分が登ったと認識していれば、証拠写真などは不要であることは分かってはいるけれど・・・)。
以後 カメラは山行に欠かせないのであるが、怠慢から撮影技術を一向に学ぼうとしていないため、 未だに実物を見た時の感動が現像した写真に表れない、という悩みを持ち続けている。
写真の 構図について言えば、初めの頃は良い構図の写真が撮れたと思って楽しみに現像に出したところ、 返ってきた写真を見てガッカリさせられることが多かったのだが、何年も撮り続けているうちにそのようなことは少しずつ減ってきたように思う (一眼レフに変えたのも大きいかもしれない)。
但し、自分の思い通りの構図で写真ができ上がってくるようになっても、それは基礎を知らない者の自己満足に過ぎず、 その構図が必ずしも他人に受け入れられるものではなく、ましてやプロの眼から見ればメチャクチャだという評価を戴く可能性が強いことも承知している。
しかし、私は自分が見たままの感動が写真に切り取られていれば満足で、あまり作為的な写真を撮る必要はないと思っているから、 今のままで良いのだと思う。

また、ピントについてはカメラの自動焦点機能に頼り切っているが、 近頃のカメラでは大きく手振れするような可能性は少なく、また詳細に見れば焦点がボケていたり甘かったりしているものでも、 それなりに思い通りに写っていれば満足なのであまり気にしていない。
やはり一番の悩みは、露出である。
現在は、自動焦点、自動露出のカメラに全てお任せであるが、実際はそれだけではうまく撮れないようになっており、 できあがった写真は露出がオーバーであったり、アンダーであったりしてしまうのである。
例えば、晴天の日に雪山を撮る場合、露出調整でプラス補正をして撮る方が雪の白さを表現できるなどとモノの本に書いてあるが、 そのような露出補正機能が付いたカメラを買ったのはつい 1年前で、現在は撮る際にそこまで頭が回らないのが実状である。

ここで今の私のカメラを紹介すると、CANONEOS5に 28−105mmのレンズを付けたものを使っている。
山に登り始めた頃は、RICOHMIRAIという 38−105mmのズーム機能付きのものを持っていって 結構重宝していたのだが、その後 一眼レフなるものを使ってみたくなって ミノルタα−3xiを買い、 これまた28−105mmのズームを付けて 5年間程使い、やや α−3xiが故障気味になったのを期に、EOS5に切り替えたのである。
EOS5はモデルとしては末期であり、店の人はしきりに同様の機能を持った EOS55を奨めてくれたが、 価格がかなり安くなっていたことと、昔から憧れがあったことから、購入してしまったのである。
このカメラは結構重いのが玉に瑕ではあるものの、剱岳などの岩場もこのカメラを首からぶら下げたまま登ることができたから、 今後も問題ないであろうと思っている。

また、山にはズームレンズが大変便利で、芸術的写真を求めて山に登るではなく、 記録というか山での感動を残すために使うのなら、この 105mm位までのズーム 1本で十分と思う。
何はともあれ、今はカメラの持つ記録性という面を大事にして、芸術性の面については定年退職してもう少し暇ができてから勉強すればよいと思っているのだが、 もし撮影技術が向上したら、今まで撮り溜めした山の写真が皆気に入らなくなり、これまで登った山を全部登り返さねば気が済まなくなりそうで、 そのように考えると恐ろしい気がしないでもない。


単 独 登 山 1997.10.11 記

少し 単独登山について話をしてみたい。
私の
百名山登頂記録を登頂した順 (ナンバー順) に見て頂くと分かるが、ツアーに参加した宮之浦岳は別として、 1989年の蓼科山を最後に完全に単独登山である。
登山記のデータの項では、「単独行」 という言葉を使っているが、この言葉は、 加藤文太郎氏 (新田次郎氏の小説 「孤高の人」 に詳しい) のように、 まだルートも未整備の時代に、今のように必ず人に会うとは限らない (雪) 山をたった 1人で登山した人にこそ相応しいものであって、 私のように一応 1人ではあるものの、完全に整備された道を大勢の登山者に混ざりながら登っているだけの者が使うのはおこがましいのであるが、 1人で登ったことを示すには便利なので使わせて頂いている。

話は戻るが、I 氏とよく登っていた理由は、会社の同僚に誘われて I 氏と私が山を一緒に始めたからであり、 またその時に分かったのだが I 氏はマラソンを趣味としていたために登るペースが早く、私とほぼ歩調が合うからであった。
これは重要なことで、同じペース、同じ体力の者が山登りをすれば本当にスムーズに登ることができるのだが、 足が自分より極端に速かったり、逆に極端に遅かったりするとお互いに気を使ったりして、マイナス面が大きいのである。
蓼科山以降、 I 氏とは勤務場所が異なるようになったこともあって、一緒に行く機会がなくなり、 またその後 私の周囲に山登りをしている人が現れず、自然と単独登山にならざるを得なかったのであるが、 今では完全に単独登山が身に染みついてしまっているといってもいい。

ここで単独登山のメリットを考えてみると、「自由気ままに山登りを楽しめる」 ということに尽きると思う。
登りたい時に山へ行き、山では誰に遠慮することもなく自分のペースで登り、休みたい時に休み、そして素晴らしい自然を独り占めにする、 これ程素晴らしいことはないではないか。
しかしデメリットもかなりある。
例えば、「困ったときに助けがいない」、「1人だと迷った時に的確な判断をしにくい」、「素晴らしい景色、登頂の喜びを分かち合う者がいない」、 「タクシー代が割り勘にならないので費用がかかる」 といったことなどがあげられる。
単独登山を初めてもう 8年程経ち、家族と登ることは別にして最早 誰かと一緒に登りたいとは思わないが、 未だに山の中で 1人であるが故にビビルことがあり、まだまだ修行が足りないと思う反面、 このビビリがあるからこそ今まで大きな事故に遭わずに済んだと思っている。
誰もいない山道で、ここで遭難したら次の週末まで人が通らないのではないかなどと考えたりすることもあるが、 それだからこそより慎重になって登山にはプラスなのかもしれない。

山は楽しい、されど山は苦しい、山は怖いが山は美しい、 こういったことを全て自分で受けとめていかねばならないが、それだからこそ単独行は新たなる自分を発見したりして楽しいのであり、 先ほど述べたデメリットを越えた素晴らしさがあるのである。
いつも仲間と登っている方に是非とも単独登山をお薦めしたい。


朝日新聞の記事 1997.10.7 記

10月4日付朝日新聞の夕刊の 「窓(論説委員室から)」「百名山」 という記事が掲載されていたが、読まれた方も多かろう。
百名山を目指している私は、最初記事に目を通した時に自分のことをけなされているような気がして ムッとしたのだが、 この記事のことを雑記帳に書こうと思って何回も読み直しているうちに、少し考えが変わってきた。

まず、この というペンネームの方はどういう人物かと推理してみると、 以下のようだと思われる。
  1.登山について全くの素人ではなく、むしろかなりの経験者であること
  2.最近、大峰山と白馬岳に登ってきたばかりであること
  3.生前の深田久弥氏をよくご存知であること
  4.登山に対して以下のような自分の考え方をハッキリ持っていること
    ・山は主体的に登るべきである
    ・登るという行為以外にも目的を持つべきであり、そうすれば自ずと主体的になる
  5.従って、百名山ということだけで登っている輩をあまり好ましいとは見ていないこと
  6.加えて、そういった百名山登山がブームとなっていることを苦々しく思っていること
  7.実は数えてみれば、意識しないうちに百名山のうちの70程に登っていること(?)

勝手に想像したプロフィールをもとに、この記事については以下の通りと考える。

記事の内容は、
「百名山を目指す人たちの中に少し常識に欠けた人たちがいて、周囲と不協和音を生じさせており、 百名山を書いた深田久弥氏の山をこよなく愛する気持ちとは、全く違う方向、あるいは望みもしない人種ができあがってしまっている」
ということだと思うが、これに百名山登山、百名山ブームに対する 新氏 の日頃の思いを付け加えたものだから やや話が面倒になってきているのである。
基本的に、私が汲み取った記事の主旨 (上記「・・・」で囲った部分) については、 それが事実なら全くその通りであって、嘆かわしいことであり、私自身も、山小屋で皆に聞こえるように登頂した百名山の数をしゃべっている人たちを見かけるたびに、 何の自慢にもならないといつも苦々しく思っていたのである。

また、ブームが先行して、少しだけ山をかじった人が百名山に向かうものだから、基礎はできていないし、 山道を下る途中で下から登ってくる人を待っていてあげたりしても、一言も言わずに通り過ぎてしまったり、 またすれ違いざまに挨拶しても返事をしない人たちが増えていることも確かで、このようにマナーも知らない人たちが百名山を目指せば、 自ずと常識はずれが増えてくることであろう。
また、百名山のピークハントだけが目的となって、高い所まで車で行き、ピストン登山をしてきては数を増やしている人たちがいることも確かである。
これでは、深田氏が何故にその山を百名山に選んだのかが分からないし、恐らく理解しようともしないのであろう。

こういう状況については 新氏 のご意見の通りだと思うし、身に覚えのある人は (私も含めて) 大いに反省すべきと思う。
しかしである、新氏 の百名山登山に対する個人的な意見の方は頂けない。
私のようなサラリーマンの身にとって、限られた時間の中で登山を楽しむには、やはりそれなりの先達が必要で、 深田氏が永年の経験の中から選び抜いた山々はさすがと思わせる所が多く、私自身この百名山踏破を目指したお陰でどれだけ自分の行動範囲と視野が拡がり、 そして山に対する感性が培われたことか。
そしてその感性によって百名山以外の山についても、その山の良さを理解し、いつも登る度に新鮮な感動を得ることができるようになったと思っている。
無論百名山しか登らないというのであれば、新氏 の言うように独自の発想がないと言われても仕方がないが、 そんな人は滅多にあるまい。
百名山登山者の一部に、周囲と不協和音を生じさせる人がいることをとらまえて、その他大勢のまじめな百名山志向者まで、 あるいはその行為自体を批判するのはどうかと思う。
確かに個人がどのような意見を述べようと自由であるが、自由投稿のページならいざしらず、 大衆の公器としての新聞において新聞側だけが意見を述べられる場で述べるべきことではないように思う。
如何でしょうか。

ちなみに、私はまだ 70しか登っていないにも拘わらずこのようにホームページまで開設している。
これは自慢したいのではなく、自分の目指していることを公に宣言することで自分を逃げられないようにしているのであり、 またこれまで登ってきた山の素晴らしさを少しでも皆に知ってもらいたいからなのである。
また、私のヘタな写真を見て、あるいは拙文 (長過ぎて読まれていないかもしれないが) を読んで、 ああそうだったと共感する人が一人でもいてくれると嬉しいと思うのである。


ガイドブック 1997.10.5 記

先日の 安達太良山登山事故の項で述べた、「沼ノ平の中央を突っきる」 と書かれたガイドブックというのは、 山と渓谷社から出ているアルペンガイドの一つ、「東北の山」 である。
この本では、奥岳温泉から登るポピュラーコースとともに、沼尻から安達太良山へのコースも紹介していて、 その中に沼ノ平についての先ほどのような記述があるわけだが、実はこの 「東北の山」 は 旧版なのである。
新版では逆に安達太良山から沼尻へと下る行程の紹介に内容を変えており、その中における沼ノ平の記述は以下の通りである。
・・・。火口底に立つと、周囲の火口壁に圧倒される感じになる。
風雨の浸食によってデコボコになった道なき道をたどっていくと、顕著な落ち込みが1ヶ所あるのでこれを目標にして進む。 ただし、悪天候の時は道がないので注意しなければならない。案内板の通り進むが、灰色のザレ状の道なのでルート確認は岩に付けられたペンキ印に頼る。・・・

このように、記述に分かるような分からないような曖昧さがあり、現場に立ってみて初めて理解できる可能性が少し出てくるような、 つまり読んだだけではその光景が目に浮かんでこないような記述なのである。

何故ここでこのようなことを書くかというと、このガイドブックにケチをつけるという意味ではなく、私自身、 この頃ガイドブックの重要性をかなり感じるようになってきているため、ガイドブック全般にもっと細心の注意を払ってもらいたいと思うからなのである。
このホームページを開設してから、昔 書いた登山記録をガイドブックなどで検証し、リニューアルしてアップロードしているのだが、 その過程でかなりガイドブックにもいい加減な記述や間違いがあることに気づき、この場を借りて少し意見を述べてみようと思ったのである。
ガイドブックを書いている人は、そのコースをたどりながら丹念にメモをとって書いた場合と、 記憶に頼って書いた場合があるように思われるが、中高年の登山ブームで、私を初めとするそれ程登山技術もなく、 地図もろくに読めないような素人が 3,000m峰まで平気で登るようになっている時代であるのだから、 我々の頼りとするガイドブックはキチンと書いて欲しいと言いたいのである。

また、ガイドブックは専門家が書いているので、記述内容が専門的になって返って分かりにくくなっている部分も時として見受けられるが、 恐らくガイドブックを買うのは、ベテランよりも初心者に近いクラスの人達と思われるので、できるだけ平易に書くことも検討して欲しいものである。
中高年の登山ブームで、母数が増えた分だけ中高年の遭難事故が増加している。
私もアルプスなどで、まだ技術が未熟な人たちが平気で 3,000m峰まで登ってきて、岩場などで立ち往生しているのを何回か目撃しているが、 これはこれで自分たちが反省して低山で登山技術を高めることに力を注いで欲しいと思うのだが、 一方でガイドブックについては、車などでイージーに高い所までやって来て、そこから簡単に頂上に立ち、 山を甘く見がちな人たちに警告を与え、そしてイザという時の頼みの綱になるような内容を目指して欲しいのである。
私自身、切に希望する次第である。


安達太良山の登山事故 1997.10.3 記

安達太良山で痛ましい登山事故が起こった。
9月16日付けの朝日新聞によれば、事故は安達太良山 沼ノ平において起こったもので、沼尻側から登った登山者一行 (総勢 14名) が安達太良山直下の沼ノ平を歩行中、 火山性のガスによって沼ノ平の右側の斜面下で次々と倒れ、4名が死亡したというものである。
ここで、沼ノ平をご存知ない方に簡単に説明すると、
安達太良山の項に掲げた写真の通り、 そこは広く平らな火口跡で、周囲を火口壁に囲まれており、唯一沼尻登山口方面だけが火口壁が崩れている (というより無い) ようになっている。
沼尻側から安達太良山へ登るには、沼ノ平入口から沼ノ平の真ん中を横切って、正面の火口壁に取り付き、 岩場を登って稜線に出て右に進めば良いのである。
さて、この事故を聞いて思い出したのが、私が安達太良山に登った時 (1991年4月29日 登山記はまだ追記していない) のことで、 それについて少々述べてみたいと思う。
但し、ここに述べることで今回の事故の責任を云々する意図は全く無いことをお断りしておきたい。

私も安達太良山に登るべく、沼尻温泉の奥にある沼尻登山口までタクシーで行き、 そこから登り始めたのであるが、やはり今回の方々と同様、沼ノ平の入口に着いた所で立ち往生してしまった。
目の前には広く殺伐とした火口跡が広がっているものの、道標もないためにどう進んでいいか分からず、困ってしまったというわけである。
仕方がないから入口の周囲をウロウロしていると、左側の火口壁の方に、薄くなったとは言え赤い矢印が書かれた岩が見つかり、 喜び勇んでそちらに進んではみたものの、途中から踏み跡が見えなくなり、結局 また分からなくなってしまったのである。
途方に暮れて、小さな砂利が堆積したようになっている火口壁に登って周囲を見渡したが、全く登路は見つからず、 気は焦る一方で、またこの間、誰も登山者が通らずお手上げの状況であった。
入口に着いてから 40分ばかり経ったであろうか、しょうがないから、火口壁の周囲をグルッと回ってみようかと考えた時 (そうすれば必ず取り付き口が見つかるはず)、ふとガイドブックを持ってきていたことを思い出し、ザックから取り出して見てみると、 何のことはない 「沼ノ平の中央を突っきる」 とハッキリ書いてあるではないか。
地図ならまだしも、山に来てガイドブックを見ることは恥ずかしい、格好悪いなどという意識が根底にあり、 困ったらいつでもガイドブックを見るという姿勢に欠けていて、その存在すら忘れていた私がバカであった。

この経験で、反省も含めて思ったことは次の 3点である。
 1.沼ノ平の入口には、「中央を突っきれ」と明記した指導標を設置すべきであること
 2.道に迷ったら自分勝手に判断せずに、素直に自分の持っている地図やガイドブックを見ること
 3.山を決して甘く見ないこと(1,700m 程しかない山だと少々ナメたところがあった)
そして今回の事故であるが、おそらく一行は沼ノ平の入口で私と同じ戸惑いを持ったに違いないし、その際、 指導標が明確にあれば問題はなかったかもしれず、また一行の誰かが沼ノ平の中央を進むと書いたガイドブックを持っていれば、 あるいはそういう情報を事前に得ていれば事故は起こらなかったのかもしれない。
どんな山に登るにしても危険はつきものであるということが原則であるから、「沼ノ平の中央を突っきる」 ということを書いた標識が例えなかった (実際の状況は分からずに言っています) としても、それに対して管理責任を問うのもおかしな気がするし、 一方一行がよく下調べをしなかった、準備を怠った (右側の尾根に登りかけたそうだが、登るとしたら入口左側の尾根で、 一応地図には出ている) というように軽々に批判するのもこれまたおかしい気がする。
結局は、自然を相手にするのであるから何が起ころうと自分の責任であり、 自分で対処しなければならないということなのかもしれない。
私も火口壁の回りを一周していたら、同じ目にあったかもしれず、ゾッとする次第であるが、 自然相手のためいつ何時どんな災難に遭遇するかもしれないので、この事故を他山の石として細心の注意をもって山に望みたいと思う次第である。
お亡くなりになった方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。


日本武尊(ヤマトタケル)の足跡 1997.10.1 記

先週の日曜日、机の中を整理していたら古い新聞の切り抜きが見つかった。
1988年4月頃 (切り抜きなので日付はハッキリしない) の朝日新聞で、" 丹沢 自然と人 " というシリーズの第1回目の記事であり、 秦野市の三嶽敏雄さんのことを取り上げたものであるが、以下に記事の一部を抜粋させて頂く (以下の青字部分)。

古代の英雄 「日本武尊(ヤマトタケル)」 も丹沢を縦走した、 と山ろくで伝えられている。
表尾根の二ノ塔近くには " 証拠 " の 「力石」 が残され、秦野市菩提の花鳥神社には、祭神として鎮座している。
「東征」 中の日本武尊は足柄峠から相模入りし、北波多野郷菩提山 (秦野市菩提) からの丹沢コースで阿夫利山 (大山) に向かった。
途中で飲み水に困り、かたわらの大石を力強く踏むとこんこんと水がわき出して一行は難を逃れた。水はその後も涸れることがない、と伝承にある。
秦野市菩提の三嶽敏雄さんは若いころ、父親に連れられて丹沢を歩き、二ノ塔りょう線から約450mの斜面の雑木地帯で初めてこの石と 「対面」 した。
畳1枚ほどの玄武岩で真ん中に普通の人より一まわり大きな 「足跡」 らしいくぼみがはっきり。
興味がつのり、その後、自力でコースを整備し案内標識を立てた。
・・・以下省略。

丁度 この頃私は山登りに夢中になり始めており、何回も 丹沢山に登っていたのだが、この記事を読んで早速 " 足跡 " を見に出かけ、 菩提峠の岳ノ台への登り口手前から右手の杉林の中を登っていった覚えがある (確か登り口に小さな標識があった)。
道は途中からよく分からなくなって、高さが腰まであるススキをかき分けるヤブこぎ状態となり、おまけに前日降った雨が草の葉に残っていてズボンをビショビショにしながら やっとの思いで登り着いたのだった。
着いてみると小さな広場に大きな岩があり、確かにその岩の一部がくぼんでいて、足跡といえばいえないことはなく、 また単なるくぼみといえばそれまでのものであったが、それよりもこういう話にはロマンがあって大変良いなあと思ったのを覚えている。

あれから、もう 9年以上経ったが、今はどうなっているだろうか。
是非一度見に行ってみたいものである。
もし、行ってみたいと思われる方は、私の登った道よりも (その道が今はどうなっているか保証の限りではないので) 二ノ塔の方から菩提へ下る道があるので、 その道を下って途中から左に入る方が良いと思う。
是非今の状況をご存じの方があれば、教えて頂きたい。


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