登山NO.0027 谷 川 岳( 谷川岳:1,977m ) 1990.11.18登山


 一ノ倉岳方面から見た谷川岳( 1990.11.18 )

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NO.27 谷川岳登山記録

一旦ある地域への交通ルートを確立すると、立て続けにそれを利用する傾向が私にはあるようで、 今回の谷川岳で 3回連続の上越新幹線利用の山行となった。
この谷川岳は、駅からそのまま山に登ることができる数少ない百名山の一つで (他には
開聞岳くらいか ?)、 上越新幹線にて高崎まで行き、そこから在来線に乗り換えて土合で降り、そのまま山へと向かった。
トンネルの中にあるプラットホームから長い階段を昇って地上の駅までいくのであるが、 この地下階段をこれまで多くの登山者が通り、その中には命をも失った方が何人もいたと思うと何となく身が引き締まる思いがする。

確かに私が幼い頃は、よく新聞に谷川岳での遭難が載っており (それも今のように扱いが小さくなかったように記憶している)、 新潟出身の両親からも谷川岳の恐ろしさをかなり聞かされた覚えがあるため、この山に対するイメージは " 魔の山 " の一言であるが、基本的に遭難事故は一ノ倉沢等からのロッククライミングであったり、 厳冬期の登山であったりして、私のような天候の良い日を選んで、尾根道を登る者にはほとんどとは言わないものの、 次元の違うことのような気がする (但し油断は禁物)

車道を登っていき、ロープウェイ駅を過ぎると、左に西黒尾根登山口と書かれた立派な標識があったので、 そこから山に取り付いた。
今はもっと先の巌剛新道のルートの方がポピュラーのようであるが、クラシックルートも味わいがあると思い、 こちらを選んだものである。
山に踏み込むと登山路はいきなりの急坂となり、落ち葉を踏み分けながら斜面を登っていくことになったが、 一緒に登り始めた若い男女のカップルの女性の方がかなりスピードを上げて登り始めており、 それに負けじと頑張ったのでかなり苦しい出だしとなった (女性は山はあまり慣れていないようで、 オーバーペースで登り始めたらしく、男性に注意されて途中からペースを落としたようであった)
天候は登り始めた時から曇りであったが、登るにつれてガスが濃くなり、樹林の先に見えたいくつかのピークもボンヤリとしか見えなかった。

小さなピークを過ぎるとやがて森林限界となり、低い木々の生えた地域となったが、 ガスのために周りがあまり見えず、ただひたすらに登るだけで、鎖場も淡々とした感じで通過してしまった (ここら辺がラクダの背と呼ばれる所だったらしいが歩いている時は全く意識になかった)
このラクダの背から一旦下るとガレ沢のコルで、ここからは岩稜の道がずっと続くようになった。
途中、上方から大学生らしきグループが下山してきたのに出会い、皆、足にアイゼンをつけていたので一瞬上には雪があるのかと思ってしまったが、 どうやら冬場に備えてアイゼンを付けての岩場歩きの練習をしているようであった。

氷河の跡と呼ばれる岩場を過ぎ、急坂を登ってドンドン高度を稼いでいくと、ザンゲ岩を左手に見た頃に、 奇跡的にガスがサーッと引いていき、目の前に谷川岳の黒と薄茶色をした荒々しい岩肌と、その先に双耳峰が現れ、 また青い空も広がり始めたのであった (以前に登った 常念岳も同じような光景があったなあと思い出してしまった)

やがて肩の小屋が左に見えたが、そちらの方に回らずに無理矢理岩の間を登っていくと、 谷川岳頂上 (トマの耳)に飛び出すことができ、あまり広くないその場所には三角点と太く立派な標識が立っていた。
頂上に立った時には完全にガスも消えていて、四方の山々を見ることができ、オキの耳の左にはこれから進む一ノ倉岳、茂倉岳が、 オキの耳の右には 越後駒ヶ岳や 朝日岳が見え、 東には 奥白根山武尊山、西には万太郎山や 苗場山を認めることができた。
頂上の岩に腰掛けて駅弁を食べ (これが楽しみ)、暫く山々を眺めていたが、 このところ登っている越後の山々をまた確認できたことが大変嬉しかった。

一旦トマの耳から下ってオキの耳に登り返したが、こちらの方が高いという噂があるにもかかわらず、 標識もなく、扱いが粗末な気がして少々気の毒に感じてしまった。
オキの耳から下っていくと、途中に岩にはめ込まれた富士浅間神社奥ノ院の祠があり、さらにその先にはノゾキと呼ばれる一ノ倉沢を覗ける場所があった。 そこから覗き見た一ノ倉沢は、浸食された荒々しい岩肌を見せており、何か吸い込まれそうな感じを受けたのだった。
こういった怪しい魅力がクライマーを引きつけ、脆そうな岩の壁を危険を顧みずに登らせるのだろうが、 さらに厳冬期の岩場の直登など私には想像もできない世界である。
この日は谷にハーケンを打つ音も響いておらず、誰も登っていないようであったが、全体的に岩登りをする人が減ってきているのであろうか、 あるいは装備も充実し、技術も上がったのだろうか、近頃岩場での事故の記事もほとんど目に付かず、 逆に中高年の遭難や滑落事故が目に付くようになってきている (昨年の 立山での遭難は記憶に新しい)

一ノ倉岳への登りは稜線伝いに進めば良く、クマザサに囲まれた小さな標識とドーム型の避難小屋がある頂上にはうっすらと雪が積もっていた。
後ろを振り返ると谷川岳の双耳峰が見え、その姿があたかも耳をピンと立てた動物の頭のように思われた。
谷川岳は、そのなだらかな右側の山腹に比べて、左側は一ノ倉沢へと切れ込んでおり、 何となく太古の昔、谷川岳は大きく高い火山だったのが噴火によって一ノ倉沢側が吹き飛び、 今の姿があるように思われる (つまり谷川岳は火口壁の一部で、一ノ倉沢は火口)

茂倉岳までは山上のプロムナードという感じで、時折岩場がツルツルしていて足を取られそうになったものの楽しく歩くことができ、 シーズンを選び、さらに天候の良い日を選べば、谷川岳は優しい (易しいではない) 山であると感じた。

矢場ノ頭で見た谷川連峰の姿を最後に、あとはひたすら下る一方となり、道はよく踏まれていたため、 沈みゆく太陽との競争という感じでドンドン下った。
やがて下に工事現場が見えてきたが、そこからは恐らく工事のために本来の道が削られたのであろう、 かなり大回りをして車道まで行かねばならなかった。
あとは土樽駅までゆっくり歩けば良く、途中の飯場のような所で山からの流水に喉を潤し、上越線のガードをくぐって、 やがて無人の土樽駅に着いた。

駅で約 1時間ほど待ち、すっかり辺りが暗くなってきた中、到着した上野行きの列車でゆっくり、 のんびりと帰ったのであった。


谷 川 岳 登 山 デ ー タ

上記登山のデータ登山日:1990.11.18 天候:曇り後晴れ単独行日帰り
登山路:土合−西黒尾根登山口−ラクダの背−ガレ沢のコル−ザンゲ岩 −谷川岳(トマの耳)−オキの耳−一ノ倉岳−茂倉岳−矢場ノ頭−登山口−土樽
交通往路:瀬谷−(相鉄線)−横浜−(東海道本線)−東京−(山手線)− 上野−(上越新幹線)−高崎−(上越線)−土合
交通復路:土樽−(上越線)−上野−(京浜東北線)−横浜−(相鉄線)−瀬谷
その他の谷川岳登山ロープウェイ駐車場−西黒尾根登山口−谷川岳− 一ノ倉岳−茂倉岳−桧廊下−土樽駅−(JR)−土合駅−ロープウェイ駐車場  (2006年9月2日 : 快晴)
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