登山NO.0033 鷲 羽 岳( 鷲羽岳:2,924m ) 1991.7.29登山


 三俣山荘キャンプ場から見た鷲羽岳( 1991.7.29 )
【鷲羽岳登山記録】

【鷲羽岳登山データ】

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再登山

NO.33 鷲羽岳登山記録

注:ここまでの行程は黒岳の項を参照下さい。

水晶小屋まで戻り、また重い荷を背負って鷲羽岳へと向かった。
小屋から草地の中を抜けて尾根を越え、いわゆる黒部側に出たが、こちら側は今までとは全く様相が異なり、 黒部五郎岳薬師岳を始めとする大きな山々が造り出す雄大な景色が広がっていた。
ワリモ乗越まで緩やかに下り、乗越の先で右に岩苔乗越への道を分けた後、ワリモ岳への登りにかかったが、 前を見ると、やや左側が膨らんでいるワリモ岳の頂上まで稜線が延びていて、その先に青い空が見えていたことから、 山がまるで空へ続く滑走路のように思われたのだった。

岩稜の登山道はワリモ岳山頂手前で右側を巻くことになり、一度鞍部へ下った後、鷲羽岳への登りとなって、 ガレ場の急登が始まった。
鷲羽岳は、遠くから見ると富士山にも似た優美な姿を有しているが、それとは対照的にその山肌というか登山道はガレた所が多く、 特に頂上を越えてからの三俣山荘への下りなどは、今にも落石を起こしそうな岩だらけの道で、大変苦労させられた。
とは言え、昼食を済ませて元気も出てきたからであろうか、登りはキツかったものの、思いの外 早く山頂に着くことができ、 大きな岩がゴロゴロした山頂から雄大な景色を十分に堪能することができた。
特に、黒部五郎岳はよく例えられるように、その一部をスプーンでえぐり取ったようなカールが印象的であり、 先ほど登ってきたばかりの黒岳はその黒っぽい姿を少々ハスに構えてなかなか立派であった。

下山は三俣山荘の方に向かったが、その道は前述したようにガレているのに加えて大変急で、 膝をおかしくさせてしまいそうな道であり、段々余裕もなくなってくる。そのため、途中、左手下方にコバルト色した鷲羽池が認められたが、 寄ろうという気になれずにそのまま通過してしまった。
しかし、下の方に赤い屋根の三俣山荘とその上方に広がる色とりどりのテントと雪渓が見えると、初めてのテント泊に心躍り、 再びペースが上がるようになってきたのだった。

山荘前に着いて後ろを振り返ると、先ほどの鷲羽岳が大きな裾を拡げてデンと構えており、 さらにそのやや白く見える山肌に緑の草木が映えて、周りを圧倒する力強さが感じられた。
山荘で登録を済ませて早速テントを張り、キャンプ場にある雪渓から勢い良く流れ出る冷たい水を使って食事の支度を始めた。
レトルトカレーが主食であったが、冷たい水で冷やした海草サラダやビール (山荘で購入) がことのほか美味しく感じられ、 キャンプ初日としてはなかなかのスタートであった。
しかし、隣り合ってテントを張った人が、明日は台風の影響で雨が降り、風も強く吹いて山は荒れる とのラジオからの天気予報を教えてくれ、 ガックリするとともに少々恐怖感がわき上がってきた。

そして、その通りに夜半過ぎから雨が降り出し、風もテントを吹き飛ばしそうな勢いで吹き始めたのである。
お陰で、翌日の黒部五郎岳は大変な思いをすることになったのである。

以下、黒部五郎岳の項へ続く。


鷲 羽 岳 登 山 デ ー タ

上記登山のデータ 登山日:1991.7.29 天候:快晴後曇り 単独行 前日泊
登山路:水晶小屋−ワリモ岳−鷲羽岳−三俣山荘−三俣キャンプ場(テント泊
交通往路黒岳の項参照
交通復路黒部五郎岳、薬師岳へ縦走。薬師岳の項参照
その他:7月28日は烏帽子小屋泊。翌29日に黒岳、鷲羽岳登山。
29日は三俣キャンプ場泊。
その他の
鷲羽岳
登山
新穂高第2駐車場−わさび平小屋−(小池新道)−鏡平−弓折乗越−花見平−双六小屋−(巻道ルート)−三俣峠−三俣山荘 (泊)−鷲羽岳水晶岳
 ( 2015.9.14-16:鷲羽岳登頂は 15日。 14日 快晴、15日 曇りのち快晴後曇り、16日 曇り )
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