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英語で読む村上春樹

村上 春樹

 

 私は自称ハルキストである。ハルキストの定義はないが、小説、エッセイ、対談など村上春樹本人が書いた本、あるいは話した本に限らず、評論家などが村上春樹について書いた本も欲しくなるファンをハルキストと言うのではないかと思う。そういう意味では私はハルキストであるが、余り良いハルキストではない。単行本が出ても直ぐに読まず、文庫本が出た時に読むので、感激が世のハルキストとはタイムラグがある。


 世の中に、村上春樹の小説について書かれた評論は多く、またネットでも多くの人があれやこれや書いているので、このホームページでは、ハルキの小説の内容について微に入り細にわたってコメントする事は差し控える。もとより、そんな才能は私にはない。ファンとしての読書感想を書くだけである(この項目に限らず、他の項目についても同じであるが!)。


 私が彼のファンになったのは「羊をめぐる冒険」が文庫本になった時からである。それから「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」、「ダンス・ダンス・ダンス」、「ねじまき鳥クロニクル」と続けた。勿論、その間に短編小説は読んだが、何故か「ノルウェイの森」は、ちょっと後になってから読んだ気がする。本の案内か何かを読んで面白そうとは思わなかったのかも知れない。かなりの著作は読んでいるが、全てを読んでいるわけでも、集めているわけでもない。それでも自称ハルキストだ。


 村上春樹は1979年に「風の歌を聴け」で群像新人文学賞を受賞し、翌年に受賞作家として群像に「1973年のピンボール」を書いた。同年代の作家であるにもかかわらず、いや、だからこそ私はこれらの作品を最初は嫌った。1979年は1968年から10年以上経ったとはいえ、大学紛争の影響が未だ残っている時代であった。だから、彼が何を意図してこれらの小説を世に送り出したのか分からなかった。いや、今でも分からない。どの年代の人がどの時代に書いたにかかわらず、面白ければ良いではないか、という考えもあるだろう。今では私もそう思う。しかし、当時はそう思わなかった。「羊をめぐる冒険」を読んだ後に、異質なこれら二つの小説を読んだと思う。「羊をめぐる冒険」が不思議なハルキワールドの成立した最初の長編であるが、ワンダーを織り込んだ事で羊に導かれるように読み進んでいく、みんなそんな現象に面白さを見つけたのではないかと思う。当初の2作は自分の内側に錨を降ろしている若者の話である。だから馴染めなかった。読み進むドライビングフォースも乏しかった。
 私は今でも「羊」以降の長編における作家の本当の意図する所は一つも分かっていない。そもそもそんなものはないのか、あっても勝手に考えればよいものなのか、分からなければいけないものなのか、それも分からない。でも、面白くて読んでしまうのがハルキワールドである。
 春樹はデヴィッド・リンチが好きだと言うが、リンチもワンダーを作品に織り込む。しかし、それは添え物の様な気がするが、春樹の場合にはストーリーの主たる一つの要素になっているので分からないのだ。春樹の小説は私にとっては未だ暫くの間、謎であり続けるだろう。

 

 *村上春樹著「色彩を持たない多崎つくる…」が1週間で100万部売上

 

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