暇人の雑記帳
読むー好きな作家などについての寸評
エッセイ・雑文
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<1968-1972>
1968に関する本
1972に関する本
<文学史・文壇史>
文学史、文壇史について
文学史
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五木寛之
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石原千秋
漱石と日本の近代
梯久美子 著
島尾ミホ伝『死の棘』の謎
ノルベルト・フライ 著1968年 反乱のグローバリズム
<トピックス>
英語で読む村上春樹
流星ひとつ
(沢木耕太郎 著)
本年(2013年)8月の藤圭子の自死に伴って緊急出版された一冊である。
私(暇人)は、藤圭子のファンでもあるし、沢木耕太郎のファンでもある。
だから、昔書いた本なので今さら読んでも面白くないだろうと思って一時躊躇したが、ファンとしては読んでおくべきと思って図書館で借りて読んだ。予想外に面白かった。
沢木による藤圭子へのインタビューは、1979年の秋から冬にかけて、ホテルニューオータニなどで行われた。翌年に出版するはずであったが、沢木は種々の理由から出版することを断念した。この本の後記にその事が書かれている(1979年は藤圭子が(一度)引退した年である)。
・この「インタビュー」が、また歌うようになった時の枷にならないだろうか?
・藤圭子が周囲の人たちについて、あまりに好悪をはっきりと語りすぎているので、
その人たちとの関係を難しくしてしまうのではないか?
・藤圭子という女性の持っている豊かさを、この方法(インタビュー形式)では描き
切れていないのではないか?
私は沢木のファンとして、この作品が”ノンフィクション”としての”でき”としてどうかという事と、”インタビュー”として成功しているかどうかに興味を持った。結論としては、できも良くなく、失敗であった、と思う。なぜなら、最初から最後まで一問一答形式で書かれているので、この本を書いた沢木の意図や彼の藤圭子に対する思いが書き切れていないからだ。そして、もっと問題なのは、沢木がインタビュアとして対峙していても、実際は友だちのように接していて、厳しさが足りないのだ。この本の面白さは藤の人柄や回答に依存している。これは、沢木の本ではなく、藤の本になっている(つまり、沢木でなく他の誰かがインタビューし、書いても同じものになったのではないか)。当時、沢木が刊行するかどうか悩んだのも、こうした事にもあるのではないか。
藤圭子のファンとしては、彼女のひととなりや彼女の起こした出来事についての真実が分かるのではないかという事に興味を持った。それらは、概ね満足できる情報を得た。
・デビューの歳(18歳なのに17歳としたこと):RCAのディレクター榎本襄が勝手
に変えた←(藤)嘘をついてまでやることはないと思う
・潔癖症:(藤)小さいときから、どんな山奥に興業で連れて行かれても、便所に
入ったら手を洗うまで、水の流れているところを探さないと気がすまなかったり、
人の箸では絶対にものが食べられなかった
・<女のブルース>:(藤)初めてこの詞を見たときには……震えたね。すごい、
と思った。衝撃的だったよ。(略)あたしも一番好きだから、もっと歌いたかった
・<恋仁義>:(藤)いちばん好きなくらいの歌なんだ。(略)あたし前川さんと
婚約しちゃったの。それで歌うのをやめたわけ。(略)婚約していながら、
惚れていながら身を引く心、なんて空々しくていやだったの
・<別れの旅>:(藤)あたしは、むしろ<京都から博多まで>より好きだったくら
いなんだ。(略)この歌を出して、一ヵ月後に、前川さんと離婚してしまったの。
(略)宣伝用の離婚だなんて言われて、口惜しくて口惜しくて、それならもう歌い
ません、という調子で歌うのをやめてしまったの
・<面影平野>:(藤)あたしには、あの歌がそんなにいいとは思えないんだ。
(略)好きとか嫌いというより、わからないんだよ。あの歌が。(略)あたしの
心が熱くなるようなものがないの
・喉の手術:(藤)喉を切ってしまったときに、藤圭子は死んでしまったの。
(略)あれ(結節)は先天性のものだったんじゃないかなあ。(略)初めて歌った
とき、やっぱり、あれっ、とは思ったんだよ。声がとても澄んでいたんだ。
(略)そのことに気がついてから、歌うのがつらくなりはじめた
・引退の決意:あたしが満足のいくようには歌えなかった。最初から無理なんだよ
ね、声が違っちゃっているんだから。(略)いやなんだ。余韻で歌っているという
のが……
・頂上:(藤)何もなかった。あたしの頂上には何もなかった
他に面白い事が色々と質疑応答されています。一読をお勧めします。
(2013年12月25日 記)
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