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第7回大江健三郎賞
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村上春樹 短篇連作 女のいない男たち

 

女のいない男たち(単行本「女のいない男たち」第6話)

 僕の所に夜中の1時過ぎに電話がかかってきて、一人の女性がこの世界から永遠に姿を消したことを伝えてくる。その声の主は彼女の夫だった。仮にエムと彼女のことを呼ぶことにするが、エムとは14歳のときに出会った女性だと僕は考えている。あくまでも「考えている」のだ。「実際にはそうじゃないのだけれど、少なくともここではそのように仮定したい。」。このあたりは、読者には何故だか分からない。作者にしか分からないようになっている。
 消しゴムを忘れた僕が、中学校の教室で、エムから消しゴムの半分を切ってもらった事で恋に落ちた、と書かれている。でも彼女は水夫の世慣れた甘言に騙され、大きな船に乗せられて、遠いところに連れて行かれた。
 水夫が何を意味するかについては、斎藤環が『逞しく精力に溢れ、疲れを知らない大勢の水夫たち、彼らこそは「女のいる男たち」』、『「水夫たち」は、いわば外延量的水夫たちを意味している。』とコメントしているが、私にはそれを読んでしても未だ分からない(斎藤氏は、外延量とは加算と記述が可能な量と定義している)
 エムの死を知らされたとき、僕は自分を世界で二番目に孤独な男だと感じる。世界でいちばん孤独な男は、やはり彼女の夫に違いない、と感じたからだ。
 しかし、何故、エムの死を伝える電話が掛かってきたのか?、彼女の夫はどうして僕のことを、そしてどのようにして僕の電話番号を知ったのか?、それらは謎である。
 僕が彼女と付き合っていたのはおおよそ二年だった。彼女は「エレベーター音楽」を愛していて、僕はロックグループ音楽を愛していた。「エレベーター音楽」とは、よくエレベーターの中で流れているようなパーシー・フェイスとかレイモンド・ルフェーブルだとかの、その手の音楽のことだ。こんなディテールが散りばめられ、話しは進む。


 この短編小説集「女のいない男たち」の中で唯一この作品についてはささやかな個人的なきっかけがあった、と単行本のまえがきには書かれている。これを読んで、この作品を何だか理解できそうな気がした。
 結局、前にも書いたが、この短編小説集にまとめられた作品のモチーフはコミュニケーションである、と私は決めつけてしまった。だから、これは僕が彼女とうまくコミュニケーションが取れなかったが、死後になって(も)彼女が彼にコミュニケーションを取りにきた、という話しなのではないかと思う。