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怨歌の誕生

(五木寛之 作、1970年8月発表)

 

 藤圭子の突然の自殺に伴って、双葉社より『怨歌の誕生』という文庫が緊急出版された。そこには、「怨歌の誕生」ほか、関係の深い「艶歌」、「涙の河をふり返れ」、「われはうたえど」の3篇も収録されている。ennka

 私は、五木寛之のデビュー頃より『四季・奈津子』の頃までは、彼の本が発売されると直ぐに購入していた。

 けれども「艶歌」、「涙の河をふり返れ」、「われはうたえど」の3篇については記憶にあったが、「怨歌の誕生」については記憶がなかったので、その作品が収録されている作品集第6巻を図書館から借りて読んだ。

 

 この作品は小説ではなく、エッセイと言えるものである。内容は以下の通りである。

 私(著者:五木寛之)は、横浜の自宅で原稿が一枚も書けない日の深夜、ベランダに立ち、鶴見・川崎の工業地帯を見ていたが、原稿になりそうな考えが浮かばないので、部屋に戻り、そこらへんにある流行歌のLPレコードを聞いた。藤圭子の歌はそれまでに何度か聞いたことがあったが、特別な印象があったわけではなかった。しかし、

 『かけたレコードは、これまでに聞いたどんな流行歌にも似ていず、その歌い手の声は私の耳でなくて体の奥のほうにまで、深くつき刺さってくるような感じを与えたのだった。私は思わず坐りなおして、そのレコードを二度、三度と聞き返した。……肌にぴったり密着してくるような何かを覚えたのである。』

 『居眠りしていた細君を叩きおこして二人で、くり返しそのLPを聞いた。そして私は久しぶりで熱っぽい内側からの衝動につき動かされて鉛筆を走らせたのだった。』

 《藤圭子という新しい歌い手の最初のLPレコードを夜中に聴いた。……ここにあるのは、〈艶歌〉でも〈援歌〉でもない。これは正真正銘の〈怨歌〉である。……〈怨歌〉は、暗い。聞けばますます暗い沈んだ気分になってくる。だが、私はそれでも、口先だけの〈援歌〉より、この〈怨歌〉の息苦しさが好きなのだ》

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(このページ作成者注)
 これが、いわゆる怨歌騒動を起こした一文(艶歌と援歌と怨歌)である。
 初出:毎日新聞日曜版1970.6.7

 

 そのあと、ジャーナリズムの藤圭子に対する取り上げ方が変わってくる。

 〈六〇年安保成立時代の西田佐知子、七〇年安保通過後の藤圭子〉といった視点で、彼女を社会的政治的にとらえたものもあった。

 また、私は、友人のテレビマンユニオンの定官プロデューサーから藤圭子との対談を要請され、テレビ番組に出ることになる。

 その前日、藤圭子のプロデューサーである沢ノ井氏にホテルのバーで会うことになる。私は、沢ノ井氏から「藤圭子の三枚目のLPにお手伝い頂きたい」と言われるが、断る。

 藤圭子は会ってみると。予想していた通り、きわめて明るい、率直な娘だった。

 そして、ある日、編集者の酒木氏より電話があり、藤圭子の売り込みがやり過ぎであり、その責任の一端は私にある、と言われる。” 彼女の暗さと怨念が大衆にアピールするのだという理屈が藤圭子をがんじがらめにしばっている” という。それは、沢ノ井氏が私の小説〈涙の河をふり返れ〉を本気で読んでいるからだという。

 私は考える。「彼女はあくまで現実的な、私的な暗さにすがる必要はない」、と。「今にして思えば、私たちが彼女の最初のLPに、あれほど惹きつけられたのは、彼女の暗さではなく、暗さの底にひそむ強さ、ふてぶてしいまでの生命力だったのではなかろうか。」、と。

 

 この作品は、いわゆる怨歌騒動に対する五木寛之のExcuse文ではあるのだが、未だ熱情に溢れていた彼の気持ちが良く表れている作品と思う。藤圭子ファンや五木寛之ファンでなくても読めば面白い作品と思う。