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村上春樹 短篇連作 女のいない男たち

 

イエスタデイ(文藝春秋2014年1月号掲載)

 男と女の気持ちのすれ違いを表した「良くできたお話し」だが、特に感動もなくハルキの作品としては駄作の部類であろう。あらすじは以下の通りである。

 僕、谷村は早稲田の学生で、正門近くの喫茶店でアルバイトをしていた。その時に知り合ったのが早稲田を目指している二浪で予備校生の木樽である。木樽は生まれも育ちも田園調布だが、完璧な関西弁をしゃべり。「イエスタデイ」を関西弁の歌詞で歌っていた。僕は芦屋の出身で、少し前に夙川に住んでいる彼女と別れたばかりだった。木樽には幼馴染みのガールフレンドで上智大学に通っている栗谷えりかがいるが、キス以上には進めないでいる。しかも、二人の仲はだんだんうまくなくなってきていた。だから、木樽は僕にえりかと付き合ってくれと言う。渋々、僕はえりかに会うが、何か木樽に悪い気がして次の約束はしない。えりかには木樽とは別に付き合っている同じテニス同好会の1年先輩の男がいる。
 僕がえりかと会った時、えりかは良く見る夢の話しをする。それは、木樽と二人で長い航海をする大きな船に乗っていて、夜遅く小さな船室の丸窓から満月を見る夢である。でもその月は透明なきれいな氷でできている。そして下の半分は海に沈んでいる。その月の厚さは20センチくらいのものだと木樽は言う。でも目覚めると、もうどこにも氷の月は見えない。そんな夢である。
 僕がえりかと会ってから二週間ほどして、木樽は突然アルバイト来なくなる。それから16年が経ち、僕はもの書きになっている。ある日、赤坂のホテルで開かれたワイン・テイスティング・パーティーでえりかに会う。彼女は主催した広告代理店の担当者だった。木樽の事を尋ねると今はアメリカのデンバーで鮨職人をしているという。色々話す中で、僕は彼女に僕と渋谷でデートした後でテニス同好会の先輩とセックスしたかを聞く。えりかは、一週間くらいあとに“した”という。そこで、僕は木樽が突然いなくなった理由を知る。木樽は勘の良い男だから、その事を彼女から聞かなくても分かったのだと思う。
 最後は主人公である僕の過ごした過去と心境が語られる。
 
 この小説は、ハルキなら簡単に書ける部類の作品である。だから、本当は発表すべきではなかったと私は思う。いや、もしハルキに発表すべき理由があるとするならば、連作であるので、今後、この話しが何らかの意味を持ってくる時だけだ。

 

 いつもながらに、この作品にもこんなしゃれた(?)文章がある。パーティーでえりかと僕が話しているときである。
 僕らはみんな終わりなく回り道をしているんだよ。そう言いたかったが、黙っていた。決めの台詞を口にしすぎることも、僕の抱えている問題のひとつだ。
 そう、これはハルキの悪い癖である。そう、私は思う。
 そして、また言ってしまう。
 「夢というのは必要に応じて貸し借りできるものなんだよ、きっと」と僕は言った。僕はたしかに決めの台詞を口にしすぎるかもしれない。
 こういう文章(台詞)に、ハルキストは心を打たれるのかも知れない。特に女性は。しかし、これは好みの問題であるが、私はこのような気障な(しゃれた)文句は好きではない。