読書について

 

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エッセイ・雑文

<注目する作家>

大江健三郎

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<文学史・文壇史>
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<批評>
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<最近読んだ作品>

五木寛之

怨歌の誕生

 

大下英治

悲しき歌姫

 

沢木耕太郎

流星ひとつ

 

新海均

カッパ・ブックスの時代

 

岡崎武志

蔵書の苦しみ


石原千秋

漱石と日本の近代


梯久美子 著
島尾ミホ伝『死の棘』の謎


ノルベルト・フライ 著1968年 反乱のグローバリズム

 

<トピックス>

高橋たか子死去

第7回大江健三郎賞
公開対談


英語で読む村上春樹

悲しき歌姫

(大下 英治 著)

 

kanashiki

 

 著者大下英治はトップ屋として活躍した後に、主に「実録もの」を得意としてきたと私は認識している。だから、この著作で藤圭子の自殺の原因となる事柄が暴露されるのではないかという期待を持って読み始めた。しかし、残念ながらそのような事柄は書かれていなかった。これを緊急出版するために、石坂清子、成田忠幸、酒井政利、海老名香葉子諸氏にインタビューしたと、あとがきに書かれているが、多くは過去に出版された、いくつかの著作を下書きにしているためだろう。それらの資料は大下の「心歌百八つー平成の風聖・石坂まさを」、藤圭子の「演歌の星 藤圭子物語」、石坂まさをの「きずな」、「宇多田ヒカル母娘物語」、宇多田ヒカルの「点ーtenー」であり、その他に雑誌や新聞記事名があとがきに書かれている。

 藤圭子は自分で演出ができ、自分のイメージに合わないと歌わなかった天才肌の歌手だとか、本当は明るい子であったとか、それらは沢木耕太郎の「流星ひとつ」や五木寛之の「怨歌の誕生」にも書かれていた内容である。

 それでも、上記著作を読んでいない私にはいくつか面白いと思われる内容があった。

 例えば、石坂まさをが藤圭子を売り出すために、なりふり構わないキャンペーンを張ったという事は知らなかった。藤圭子は時代の潮流としてアンダーグラウンドから浮かび上がってきた、と思っていた。しかし、よくよく考えてみれば、演歌なので、学生たちが後押ししたアンダーグラウンドフォークのようには行くわけがないのである。石坂は文化放送の深夜放送「走れ歌謡曲」にもキャンペーンをかけたという。個人的な話しになるが、私は一時は毎日のように兼田みえ子(通称みこたん)がパーソナリティの「走れ歌謡曲」を聴いていた。名古屋からは東海ラジオのあべ静江(通称しーちゃん)の声が流れた。そこで私は藤圭子の「新宿の女」がじわじわと売れ始めていることを知った。あれもキャンペーンだったのだろうか?

 このキャンペーンで意外に活躍したのが林家三平夫妻である。石坂が三平の歌を作ったのがきっかけで知っており、石坂が三平にお願いしたらしい。律儀な三平は自分の歌と共に一生懸命「新宿の女」も高座で売り込んだ。(閑話休題)

 キャンペーンの甲斐があって、昭和45年(1970年)末の時点で「新宿の女」
(1969.9発売)から「女は、恋に生きていく」(1970.10発売)までの五枚のシングル盤で計370万枚、LP三つで80万枚、同カセットで90万本を売り、金額にして56億円を稼いだという。その間、藤圭子の月給は2万円から5万円、8万円、50万円と上がっていった。当時の大卒の初任給は、4万円程度であったので、19歳にしてその10倍以上をもらっていたことになる。現在ならば、年収が2500万円くらいになるだろうか。

 

 大下に言わせれば、藤圭子の退潮は、無理な売り込みによる急激な人気上昇の反動であり、前川清との結婚記者会見での明るい笑い声によって、それまでに作り上げた暗い過去を持っているという虚像が崩れたためという。

 しかし、本当にそうだろうか?

 私はポリープを手術した事で、彼女独特の声が出なくなり、澄んだ声になってしまったことに依るものと信ずる。そして、沢木耕太郎のインタビュー「流星ひとつ」に依れば、そのために彼女は徐々にやる気をなくしていってしまった、という。

 

 ところで、親族、関係者の反対を振り切って決めた前川清との結婚は、行きがかりからだったらしい。だから、友だちのような関係で入ってしまい、セックスは1回だけだった、という前川のビックリするような発言(週刊現代 昭和47年8月31日号)が載っている。

 

 この本は間違いなく藤圭子の突然の自死に伴う緊急出版ではあるが、目次裏には「故・石坂まさをに捧げる」とあり、これが石坂まさをへの追悼出版でもある事が裏付けられる。と、同時に「藤圭子と宇多田ヒカルの宿痾」と副題にあるように、藤圭子・宇多田ヒカル母娘の相似を取り上げた書でもある。全ページの5分の1が、宇多田のこれまでの短い人生について割かれており、今後、著者は宇多田ヒカルを中心にした人間関係を含めた増補版なり、続編なりを考えているとも推測される。期待したい。