書くということ

 

●僕らが僕らでなくなる時
序章 はじまり
第1章 任務

 

●懐かしき朝
第1章

 

書くということ

 

 いつの頃からか自分はいつか小説を書かねばならない、と思うようになった。それは誰でも”生涯に一作は小説を書ける”という、誰が言い出したか分からない言葉を信じているからであり、そして自分には書かなければならない事があるのではないか、という思い込みにも依る。


 小説らしいものを書き始めたのは、大学を卒業して暫く経ってからであったが、忙しさにかまけて、それらはいつもB5のノートに1ベージ程度で止まってしまっていた。その後、結婚、転職による引っ越しなどもあり、書くことが定着しないまま間遠になった。

 このホームページに掲載(現在は中断)している小説2作は、いずれも海外駐在から帰国した後の2000年頃に書き始めたものである。
 一つ目の作は、あたかも2011年の福島第一原発の事故を予見しているようではあるが、当時は思いもよらない事で、東アジアの3国とそれらに影響を与える大国が核爆発でどのように変わるのかを書くつもりである(あった)。今後、どうなるのかは、私(あるじ)自身にも分からない。筆の赴くままである。
 もう一つの作品は、私の少年時代の記憶を基に、昭和30年代前半の子供たちの姿を書くつもりである。こちらも今後どのように進展するかは筆任せだ。映画「ALWAYS 三丁目の夕日」の上映よりも前に書き始めており、映画を見て着想したわけではない。
 これら二つの作品は、単なる着想で書き始めたものであり、私にとっては「書く必然性」から書き始めたものではない。だから、書き始めたものの、転職し、単身赴任になったために筆は止まってしまった。


 5年前くらいになるだろうか、片道2時間の通勤電車の中で、EM・ONE を使い、新たな小説を書き始めた。これが自分の書きたい事を書こうとした初めての小説らしいもので、400字詰め原稿用紙換算で45枚強、次作として書いたものが35枚弱であったが、推敲の段階で駄作と感じ、両作品とも、そのまま放り出してしまっている。
 その後、新たに3作目に挑戦し始めたが原稿用紙4枚程度で止まっている。しかし、時間は無限にはない。だから、この作はできる限り早く完成させなければいけない、と思っている。

 

*偶々、最近手にした群像10月号(2013年)では、「はじめての小説」という特集を組んでおり、高橋源一郎、角田光代、本谷有希子による「〈はじめての小説〉ができるまで」という鼎談を載せていた。それを読むと、三者ともに、「書きたい事があって書き始めた」というよりは、「書きたい」から書き始めたらしい。さもありなんと思う。いつでも「書きたい」という気持ちがなければ、継続しないだろう。彼らは、作家という職業を選んだのだ。