吾日我が身を三笑す

煩悩日記
 
1999年2月

次の日記帳

最新の日記へ

2001年
3月 2月 1月

2000年
12月 11月 10月 9月 8月 7月
6月 5月 4月 3月 2月 1月

1999年
12月 11月 10月 9月 8月 7月
6月 5月 4月 3月 2月 1月

2月28日

 今日は平穏な一日でした。
 

2月27日

 チダちゃんとMくんと一緒にランチ。チダちゃんはやっぱり元気。私とMくんは聞き役。でも、まえよりちょっとパワーが落ちていたかも、、、毎日毎日、ダダブ難民キャンプでわがままなソマリア難民の世話をしているうちに、さすがに疲れてきたのかしら、、、月に一度、ナイロビ(大都会!)に飛行機で出てゆくのが目下の楽しみみたい。

 3人でレストランから、進々堂(喫茶店)に河岸を移すと、なんと結子ちゃんがカレーを食べながら国家試験の勉強をしている。会うのはなんと2年半ぶり(かわまたが日本にいなかったので)。

 結子ちゃんは3年前、NGO関係でルワンダ難民でごった返していたルワンダ・ザイール(当時)国境のブカブ難民キャンプに行っていた人。でも、すぐにキャンプの治安が悪くなって戦闘が始まったのでナイロビに避難しちゃったけど。今日はなんか、変な人ばかり集まるなあー。かわまた、話しているうちに、「ダダブ」「ブカブ」のどっちがどっちかわからなくなる(どっちでもいいけど、、、)。

 結子ちゃんは卒業後(国家試験に受かれば)、東京の国×医×セ×ターでレジデントとして研修を始めるんだって、、、「国×医×セ×ター」と聞いて私とMくんは顔を見合わせる。今はイエメンにいる由里子先生をはじめとして、様々な強者達の顔が二人の脳裏を一瞬にしてよぎりました、、、

 チダちゃんは、結子ちゃんに「うちのキャンプでもドクターは必要なのよ」とか言ってリクルートをはじめてる。ちょっと早いんじゃない?

 夜、Mくんがかわまたのアパートに、彼が先週見そこねたアリー・my・ラブを見に来る(かわまたはちゃんと録画していた)。Mくん、日中のストレスを発散したかったみたい。今週は、学校の入学試験の監督をしてストレス多かったみたいだし。で、アリーのラブシーンでは、「なんで、こんなことさせるんだ!!」と騒いでました(私に言われても、、、)。
 

2月26日

 また美紀さん(徹也くんの奥さん)、実家に帰っちゃったんだって、、、心配、、、
 

2月25日

 チダちゃんから電話を研究室にもらう。あの超パワフルなチダちゃん。内戦前のソマリアでは四駆を乗り回し、ジュネーブでは赤いアルファロメオで暴走し、今はケニア・ソマリア国境沿い、赤道直下のダダブ難民キャンプにいるはずのチダちゃん(ちなみに自宅はハワイ)。なぜ日本に、、、なぜ放し飼いに、、、結局、Mくんも交えて(道ずれに?)一緒に27日にランチをすることに、、、武勇伝が聞けるかな?

 夜、卓くんと「スターシップ・トゥルーパーズ」の話になって、二人で盛り上がる。映画マニアの卓くんも「あの感動を1人でも多くの人に味わってもらいたい!」って思ったんだって!昨年映画館で見た映画の中でも一番心に残った一本なんだって。あの映画にお金を払って見たら誰でもそう思うだろうなあー。
 

2月24日

 弟の部屋から盗んできたビデオを見る。「スターシップ・トゥルーパーズ」っていう映画。これが、最高のコンピューターグラフィックス最低のストーリーという組み合わせのすごい映画!普通はひどい筋だとコメディーっぽくしてガスを抜いてあるんだけど、これは終始マジで作ってある!!こわいよー。
 

2月23日

 たまに訪れた東京。で、徹也くんと神田の古本屋街に行く(もっとましなとこ行けば良いのに、、、)。徹也くんは、歴史書の原書、かわまたは絶版のマニアックな美術書を探し回る。

 夜、今度ケニアに仕事で2年ほど行ってしまうYちゃんと銀座で待ち合わせ。たまたまやはり東京に出ていたMくんも一緒。今回は手頃なイタリアレストランと信じていたのに、Mくんの用意していた店は豪華なおしゃれなお店、やれやれ、、、

 Yちゃんは例によってなかなか良く喋っていたけど、Mくんも負けじと色々不思議な話をしてました。パワフルなYちゃん、時間が2分の1(残りの半分はMくんが消費)しか与えられなかったので、不完全燃焼だったろうなあー。残りの余ったエネルギーはナイロビで燃やしてね。

 終電に乗れなかったので、Mくんの東京の隠れ家に泊めてもらう。どーも、ありがとー。
 

2月22日

 徹也くんと一緒に、東京の研究所にちょっとご挨拶に行く。朝、京都駅で待ち合わせたのだけど、かわまた、約束の場所に10分前に着いてしまい自己嫌悪に陥る。徹也くんと待ち合わせなのに、、、案の定、彼は10分遅れたために結局20分ぼーっと待つ羽目に、、、
 

2月18日

 Mくんの講義に桜として聞きに行く。なかなかちゃんと準備した講義をしてました。えらーい、まるで先生みたい(先生なんだけど、、、)。グルジア旅行記を話していたのだけど、ホームページとはひと味違う話をしてました。
 

2月16日

 今日はMくんの手引きでまた「若い学徒の諸君に言いたい放題のことを言う」という講義をさせてもらう。朝の一こま目からの授業だけど、助手の先生によると出席率を決めるのは「当日の天気と気温」だそうだ。

 幸い晴れていたので、20人ほど学生がいた!一桁だと思っていたのに、みんな早起きだなあー。他にすることないのかなあー。

 マイクを持たされたので思わず条件反射で歌いそうになるが、ぐっとこらえる。おちゃらけた漫談を1時間ほど話したのだけれど70−80%の学生が覚醒して授業を聞いていた。でも、もし私が歌をうたっていたら全員起きたぞ、きっと。

 授業が終わった後で回収したアンケートの中には、おべっかとしか思えないことを書くやつ、了解不能な言いがかりをつけてくるやつ、意味もなく組織の等級の表をかくやつ、なにやら野心的なやつ、等々がいておもしろい。そうかあー、朝一こま目から授業に出る学生ってこういう人たちなのか、、、
 

2月15日

 研究室でインターネットで姓名判断をやってみる。私の名前を入れると「誠実度100%、愛情度100%」であまりに良すぎる。これは「よいしょ」のサイトではないかと疑い、試しに徹也くんの名前を入力してみると、、、
 
人の好き嫌いあり闘争心旺盛で喜怒哀楽を表に現し閥を作りやすい。お人好しで涙もろくオッチョコチョイの面もあります。芸事の名人で踊りや楽器演奏、話術が巧みでサービス精神旺盛です。(中略)男性は職業や住居を転々とし変更してあれやこれやと何にでも手を出してみては、失敗するという波乱万丈の道をたどり、果ては殺傷刑罰に関する事件に遭ったり、家族の生死別などが起こりやすい大強(凶?)運です。(以下略)


だって、、、徹也くんは「納得がいかない、納得がいかない」と繰り返していました。でもなんか、思い当たるところもあるみたい、、、
 

2月14日

 バレンタインなのに、、、
 

2月13日

 今日は晴れているのに雪が舞っているという典型的な京都のお天気。

 ママちゃりに乗って研究室に行くと、すでに真紀ちゃんお手製のチョコレートが全部平らげられている。えーん。
 

2月12日

 地震で目が覚める!明け方の3時すぎ、ねむいー!ので、また寝る。7時にもぞもぞ起き出してバイトに行く。帰ってきて夕刊を見ると、明け方の地震のことが出ている。

震度4=亀岡市、震度3=京都市○京区、向日市、八幡市、、、

京都市○京区(私が住んでるとこ)って地震の通り道なの??左京区や上京区は??
 いっとき暖かくなってたのにまた寒くなった。今日も雪が舞っている。ついでに懐も寒い(こちらは氷河期)。
 

2月11日

 今日はお休み。ごろごろ、ごろごろ。

 ところで、今日会うはずだったWくんはどこかへ失踪してしまった。以前(10年以上前)に、東チモールで独立派(というか解放派)の人々を訪問していた彼は、(東チモールを不当に占拠している)インドネシア政府に逮捕されて強制送還(よかったね、日本人で。チモール人だったらあの世行き)された武勇伝を持つ。その他にも色々変なことをしているみたい。いつも、どこでなにをしているか(またはどうなちゃっているか)は、よくわからない。司直の手が彼に及んでないとよいのだが、、、

 会えなかったのは残念だけど、彼と接触すると、わけのわからない資料を大量に渡されて、
 

"Your next mission is ... "


 ってやられるからなあー。いやホント、、、
 

2月10日

 Mくんのおうちにお呼ばれして、彼お手製のモンゴル鍋?を食べる。京都の古い民家で食べるモンゴル鍋はなかなかおいしかったです。まあ、Mくんが「なぞのモンゴル人」みたいな雰囲気だから、、、彼と日本酒を傾けながら懐かしい共通の同僚の思い出話に花が咲く。(おいおい、昔話をする年でもないでしょう、、、)

 そうそう、その頃のお友達のしょうじくんからメールもらいました。ありがとー。京都にも遊びに来てね。今年は阪神、優勝だよね。

 たけしくんの奥様の亜佐子さんからもメールもらっちゃった。吉野朔美のファンなんだって。いいよねー、彼女。ところで、早くキムタクの連ドラ始まらないかなあー。
 

2月9日

 今日はなんと、かわまたのセミナーの当番!通常は院生やスタッフが現在の研究について発表する場なのだが、かわまた、帰国後さっぱり研究をしていない(でも、リハビリはしてます)ので、発表することがない。

 仕方ないので、ウガンダで子供とじゃれている写真やエジプトでベリーダンサーとふざけてる写真などを見せながら、アフリカ生活について漫談をしてごまかす。うけは良かったみたいなので、一安心(良いのか?それで、、、)。足を引きずりながら徹也くんも聞きにきてくれました。研究室の皆さん、ありがとー。

 その後、ボスが飲み屋に連れていってくれました(わあーい)。輝之せんせいと卓くんも一緒。あまり飲まない積もりが、例によって結構飲んでしまいました。ボスの飲み会の後半の記憶は飛んでるな、、、きっと
 

2月8日

 研究室に行くと、徹也くんが足を引きずっている。昨日の木津川のマラソンに出場したそうな、、、 うちの研究室からも他に、輝之せんせい、卓くんが出場したのだそうな。ちなみにボスはまったく興味を示さず、かわまたもアルバイトを口実に逃亡。

 タイムは輝之先生が20kmを1時間30分、卓くんは1時間48分、徹也くんが2時間と少々、だそうだ。

 去年に比べて30分以上タイムを縮めた徹也くんであったが、昨年ひどい二日酔いで参加した彼は折り返し地点で20分トイレにこもっていたらしいので実質はあまり変わらないみたい。 昨年のことを笑いながら話す徹也くんであるが、彼の入ったトイレの前に並んでいた他の参加者にとっては悲劇だったようだ。
 

2月4日

 「アリー・my・ラブ」を録画する。先週忘れたら、Mくんが悲しがったので、しょうがないか、、、
 

2月3日

 Mくんと焼き肉屋に行く。もう少し塩タンは厚く切って欲しいな。焼き肉をつつきながら、なぜかMくんに恋愛論を聞かされる。 やれやれ、、、

 そのあと、Mくん、かわまたのアパートにやってきてグルジアの写真のスキャンをする。ついでに、このホームページにあるかわまたの選んだMくんの写真が良くないと、差し替えを要求する。はいはい。でも、かわまたのお友達以外、あまりこのページを見に来ないと思うけどなあー。

 あっ、パリにいるKちゃんのために録画しないといけなかった「笑う犬の生活」を録画しそこねたー。Kちゃん、ごめんね。それにしても、小須田部長は今どこにいるのかしら??
 

2月2日

 大学の付属研究所の静吾先生を訪ねて、黄檗(京阪宇治線)に徹也くんと一緒に遊びに行く。三条京阪で待ち合わせだったのだけど、当然、徹也くんは遅刻。徹也くんのお家に電話をかけてみると美紀さんが出た。ホントだ。戻ってきたんだ!よかった、よかった。結局、徹也くん15分の遅れでした。

 静吾先生と会うのは久しぶりだったのだけど、全く変わってませんでした。相変わらずトライアスロンのために余暇のほとんどを費やしている様子。でも肩甲骨を骨折して、今はリハビリ中だそうです。お大事に。研究室広くてよかったなあー。

 帰りには徹也くんと一緒に研究所の近くにある黄檗宗の総本山の萬福寺に行ってきました。入り口のところでもらったパンフによると、臨済宗、曹洞宗に並ぶ禅宗の黄檗宗の総本山だそうな。

 入り口付近でかわまた「黄檗宗って知らなあーい」とか言ったのを、お寺の坊さんに聞かれてしまう。そのお寺、明朝様式の不思議なお寺でした。でもおかげで、徹也くんと共に世知がない浮き世を一時忘れ、落ち着いた気持ちになることが出来ました。でも、数時間後には元に戻っちゃいました。やれやれ。
 

過去の日記帳

1999年
1月

1998年
12月

 
日々雑感
Home