1999年8月
ついでに見つけた岩波新書の「コンスタンティノープルの千年」(これも絶版)も買っておく。こちらはなんか、ビザンツマニア向けの娯楽本の様。つまり基礎知識なしで読むのは困難だが、ちょっとかじったくらいの人にはこたえられない内容。
本を買いすぎて貧しくなったので、夕ご飯はコンビニのおべんと。涙、、、、
夕方にちょっと涼しくなってから街にでる。不注意から丸善によってしまい、洋書コーナーで読みもしない本をガサガサ買いあさることに、、、結局、かなりの散財となる。ほんとにどういうつもりなのかしら、、、
中編小説でありながら、計算されつくされた短編小説のような巧緻な構成。抑制の利いた表現。執事である主人公の仕えた貴族が両大戦の間に果たした役回りが、世間でどう評価させるに至ったかが、主人公の口を通じ徐々に明らかにされていくのだが、そこに見せる著者のテクニックは絶妙である。
もちろん、それは通奏低音であり、主題となる主人公を通して語られる女中頭との思い出は、現在という残酷な時制に向かいつつも、誰もが持つ一種の郷愁と喪失感を想起させる静かな結末へと導かれてゆく。
ちなみに土屋政雄による翻訳が素晴らしい。良い翻訳者に恵まれるというのは貴重なことである。私が好む翻訳者は、独文では高橋義孝、大山定一、英文では朱牟田夏雄、仏文では山内義雄など。読書傾向と年齢がばれそうな選択ではあるけれど、実際はそれほど歳ではないよ、念のため。
ハイイロオオカミくんとは大学時代に色々なことをしてました。ある日に、アングラなビラを刷るために大学の寮の寂れた部屋で二人で輪転機を回していると、部屋の隅に放置されていたピアノを見つけたハイイロオオカミくんは、蓋を開けるとやおらバラバラとバッハのパルティータを弾き始めたのでした。それも基礎のしっかりした完璧な弾き方で、、、
アングラビラを刷る輪転機の音と、バッハのパルティータ。なかなかシュールな組み合わせでした。
ハイイロオオカミくんは、私と目を合わせないようにしながら、「今日は当直で、それを知らなくて、今、教室の人に食事の間だけ代わってもらって来てるんだ。だから、時間がないんだ。」とか、一方的に言い訳をはじめる。誰も「時間をくれ」とは言ってないのになあー。なにも仕組んでなんかないよー。
ハイイロオオカミくんは16日付けで大学に呼び戻されたんだけど、なにやらあたりをうかがったりして、おびえている。大丈夫かなあー。心配。
彼は非常に優秀であるけど、あまりに優秀な人にありがちでちょっと変わっている。よく彼を表現するのに「1を聞いて、10を知って、100妄想をする」と言ったのを思い出した。
でも、中華飯と餃子を食べて、ちゃんとお金を払っていたし、普通の服を着ていたし、一般生活は大丈夫そう。今度、飲もうね。
夜に横浜から叔母(ぺーちゃん)が関西に仕事でやってきて、私のアパートに転がり込んできた。狭いので、悪いけど書斎?に寝ていただく。うずたかい本棚で両側を囲まれるけど、「関西はね。地震がないんだよー」とか言って納得していただく。でも、自分はしっかり物が倒れこまない所に寝てます(当然)。
夜中に徹也くんとインターネットで関連論文を検索する。彼が検索したデータを欲しいか?と聞くから、「あっ、よろしくー。プリントアウトしてー」と頼む。出てきたのはなぜか派手な丸秘のマーク入り。なぜ??徹也くんも「おかしいなあー。なんでかなあー」と不思議がっている。そんな設定にする人は誰もいないはず。それにインターネットの画面のプリントアウトなのに、、、(ワードのファイルとかならわかるけど、、、)マックだからだんだんお茶目な壊れ方をするのか?それともお茶目なウイルスなのかしら??
今日から、ともちゃんは最果ての島、波照間島(すごい!ATOKは一発で変換!)に旅出って行きました。名産の泡盛(「泡波」と言うらしい)を買ってきてくれー。
しばらくしてむっちゃんが退屈してきたようなので、私がリナちゃんを見るために録画しておいた「おかあさんといっしょ」のビデオを見せようとテレビを付けると!おー、なんとトヨエツのドラマが始まっているじゃぁーありませんか!!あさこさんと私の悲鳴!たけしくんはなんだかわかっていない様子。すぐにその「おかあさんといっしょ」の入っているテープに上から録画!えーん、最初の20分、見損ねたー!
なんかその後は一仕事したような気分になったので、みんなで「A」に行って飲んでました(かわいそうにむっちゃんも付き合わされました。1歳7ヶ月なのに、、、)。
そのちょっと変わった若夫婦のお店には、子連れの先客がいて結構にぎやか。聞こえてくるこの外国人訛りの日本語は、、、そう、そこにいたのは台湾料理店の名物おかみだったのです。うーん、この界隈、世間が狭いわ。
古本屋で本を漁っているうちに大雨になってしまって動けなくなる。雨宿りした小物の店で(さして帰るための)傘とアイビーの苗を買って下宿に戻る。苗をベランダのプランターに植え替えようとするが、シャベルがない。部屋を見回すと、以前ニューヨークの蚤の市で買った打腱器(医者が膝を叩く、あれ)が。ハンマーのついている反対側が丁度、小型の鉢植え用のスコップに良い。初めて役にたちました、打腱器くん。
今日はなんと阪神がせり勝った、、、
そのあとM君は私の下宿にやってきて、変てこなスライドをスキャナーでスキャンしてました。近々、彼のHPに現れるのかな?
「アムステルダム」を読み始める。昨年のブッカー賞を受賞した作品。英語文化圏ではあたりまえとされる古典などの引用が目立ったり、登場人物がお偉いさんばかりと、ちょっと鼻につくけれど、なかなか読ませるストーリーとしゃれた表現力です。おすすめ。
その上、寺町で結構安くなっていたモバイルギアまで買っちゃいました(うれしくて今、それで書いている)。駄目だよねー。買い物でストレス解消したら、あとで大変なのに!
タルコフスキーのこの作品は、彼の8つの作品の中で、日本人にもっともとっつきにくいものの一つであることは間違いあるまい。十数年前に友人に誘われるがまま、映画館に連れて行かれて初めて見た「アンドレイ・ルブリョフ」であるが、映像の意味が読みとれずに大いに困惑したのを覚えている。
ノスタルジア、サクリファイスといった後年の彼の作品でも繰り返して表現された水のイメージ、贖罪のテーマ。これらは一見その美しい映像に助けられて、あたかも共感可能であるかのような「錯覚」を与えはするが、はたして我々は何をわかったつもりでいるのだろうか?
このDVDを再生しようとするたびに、使えないこのソフトをインストールしたがるし、すごーく不便!!!テスト的な変な(広告つき)ソフトはいれないでくれー!
映画は良いのに。まったく。プンプン。聞くところでは、アルマゲドンのDVDもおかしいらしい。
徹也くん曰く、
「なんか、撮影終わったら、足組んでタバコを吸っていそう、、、」
私、
「うん、それで幼稚園児を蹴ってたりして、、、」
などと会話してしまいました。
でも、きっとリナちゃんはいい子に違いない!(とフォロー。ファンが多いし)
「岡本真夜?げー、趣味が悪い!ああゆう思いこみの激しい曲、身の毛がよだつ」
と言っていたのだが、アラブ(アレキサンドリア)で一年間暮らしている最中に協力隊員の喜田くんにCDを借りて以来、岡本真夜の悪口を聞くごとに
「真夜ちゃんの悪口は言わないでーーー!」
と言うようになってしまった。アラブでなにがあったのか?
「ピサネロ 装飾論」(杉本秀太郎著)を読み終えた。うーん、出だしは期待させられただけに、ちょっと詰めの甘い内容にはがっかり。でも、ピサネロについての類書は日本語ではほとんどないので、貴重な一冊ではある。
夜、上洛中の叔母と前田豊三郎商店で飲む。以前より店の雰囲気は落ちたけれど(人気が出たため客層が悪くなった)、料理はなかなかでした。以前ボスと二人で、金日成死去の号外が舞っていた四条通りを木屋町に上がって、この店に飲みに行ったのを思い出しました。
1998年
12月