吾日我が身を三笑す

煩悩日記

2000年12月


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12月27日−31日

 パリがあんまりに寒いのでアテネに行って来ました。ずいぶんと暖かくて良かったです。

 アテネはかわゆいニャンコがたーくさんいました。どの猫もとっても人になれているの。

 途中でKちゃんは食べ過ぎでお腹痛、私は熱を出し、二人でダウン。ダニの多いダウンタウンのボロホテルで、うーんうーんと苦しんでいました。

 ボロホテルでは熱に苦しみながら、Kちゃんのアパルトマンから取ってきた村上春樹の「やがて悲しき外国語」を読んでました。

 Kちゃんは、「今度来るときは絶対グランド・ブルターニュに泊まる!!」とボロホテル(と私)に文句を言っていました。ちなみに宿泊代が10倍違います。

 二人とも病気になる前はギリシャ料理をガツガツ食べていたのに、体調を壊した途端、「地球の歩き方」を握りしめて日本料理店に行くことになりました。現地在住と思われる不可思議な家族と、明らかに怪しい女性を複数引き連れたダサいおじさんなどが客(ほとんど日本人)でした。

 改装されたベナキ博物館では以下の展示がありました。素晴らしい内容なので、20日までにアテネに行く予定の人(そんな人がこれを読んでいる可能性は低いけど)は行ってみると良いと思います。イコノクラスムを生き延びた6世紀の聖母子像(カテリーナ修道院所蔵)などが展示されています。オススメ。マリア像の変遷について考察を加えている分厚いカタログ(Skira)も秀逸、英語版あり。
 

Mother of God, Representations of the Virgin in Byzantine Art
Benaki Museum, Athens. 20 Oct 2000-20 Jan 2001


 病気が治ってから、バスでアテネ郊外のダフニ修道院に行ったら、改修中で中に入れませんでした。そんな、、、あんまりだ、、、 バスで乗り合わせたギリシャ人の人たちと門のところで一緒にがっかりでした。

 以前アレッツォ(フィレンツェから電車で数時間)にピエロ・デッラ・フランチェスカを見に行って、教会には入れたけれど、お目当てのフレスコ画が修復中で隙間からも全くのぞけなくて、その場に立ちつくし涙したのを思い出しました(よくあることだけどね、、、)。

 ダフニの入り口のところにはかわいいワンコがたくさんいました。写真はKちゃんとワンコ。
 

12月24日

 今年もユキさんのところにKちゃんと一緒にお邪魔して、サーシャピエンシュに遊んでもらう。しかし油断してサーシャに引っかかれる。しくしく。しかし、2匹とも大きくなっていました。

 下にいるのがサーシャ。「もう離さないわよ!」って感じでしょ? でもこの後、みごとに引っかかれたの、、、

 ユキさんのところではマケドニアのイコンの画集(マケドニア政府の編集)を見せてもらいました。とっても素晴らしい画集↓ですが、なかなか手に入れるのは難しいようです。(その筋の専門家に聞いたら、「現地に行って、マルボロと交換に政府の役人からくすねるのがいちばん」とのことでした。ホントー?)
 

Icons of Macedonia
published by Tabernakul, Skopje, Republic of Macedonia, 1995


 他にもおじさんが二人来ていましたが、酔っぱらっていてなにやらマニアっぽい雰囲気の方々でした(以下略)。
 

12月23日

 休暇を取ってパリのKちゃんの所に居候に行く。飛行機の中でロレンス・ダレルのアレキサンドリア四重奏の4冊目「クレア」を読む。パリに着いて、寒々としたKちゃんのアパルトマンで「クレア」を読み終わる。

 明らかに不要と思われるエピソードも多いけれど、4冊ともなかなか読ませる名作でした。私個人としてはどっぷりと浸ることが出来ました。まあ、アレキサンドリアに対する思い入れもあるしね。

 でも、濃厚な比喩を多用した描写は、若い人には抵抗があるだろうなあーとは思いました。訳者自身が「20年代の流れをくむ現代小説としても、ロマネスクとしても、パロディと化する危険性を内蔵している」とあとがきで言っているように。
 

12月22日 毛沢東語録のように「世界」を振る公安

 午前中に有給休暇を取って、車の免許の更新に行く。今までは、とてつもなく不便な京都の安全運転センターに書き換えに行っていたのだが、今回はM山近くのセンターになった。

 しかし、それにしても京都のセンターは車のない人にとってはとんでもない所だった。特に冬に生まれた人にとっては、、、 帰りには最寄りの駅までの本数の少ない路線バスを寒風を避けて列になるペンギンの群のように寒さに震えながら並んで待ったものである。吹雪いている年もありました、、、

 M山の安全運転センターへは、駅からバスの終点まで。駅から乗ると他に10人ほど乗っていた。しかし、彼らは一人また一人と降りてしまい、最後にはおばちゃんと二人きりになってしまった。免許の書き換えに行くのは、二人だけか、、、と左右に広がる畑を見ながら考えていると、そのおばちゃんも途中で降りてしまい、バスの客は私一人。わびしい、、、

 安全運転センターもガラガラ。京都の混雑ぶりとはえらい違い。講習会では、講師の公安のおっちゃんが、交通事故の事例を挙げて説明する。

 と、ここまでは普通の風景であったが、途中でなんと岩波書店の雑誌「世界」(特集が「交通死」だった)を手にして、それを毛沢東語録のように振りかざしながら、説明を始めた。長生きするといろんな珍しいものを見ることになるんだなあー、と思いました。
 

12月18日

 今日は「やまとなでしこ」の最終回。あんまりにご都合主義な終わり方だったので、ちょっとプリプリする。最後の最後までブランド品を追っかけている主人公(菜々子ちゃん)に怒っていたのか?
 

12月16日

 ちょっと二日酔いの朝、、、

 さて、話題の連ドラ「やまとなでしこ」であるが、その主人公の魚屋さんはかつて数学を志してMITに留学していたという設定。このことについて数学者が飲み会で話しあったエピソードが、私が毎日楽しみに拝読している立命の原先生のウェッブ日記にでていた。

 それを読んで、思わず埃をかぶった昔の教科書を引っぱり出してマルコフ過程やらを見てみましたが、頭が錆びついているのでなにがなにやらさっぱりわかりませんでした。

 今はこんな私でも、高校時代には無謀にも数学者を目指していたのだが、、、ちなみに大学の知り合いには数学をあきらめた人々がわらわら。同級生の灰色オオカミなんて広中平祐が見込みのある高校生を集めてやっていた英才教育セミナーのOBだし。なにかの時に、この話を後輩のKくんにしたら、「ぼくも参加していました」だって、、、 
 

12月15日

 じーじと研究所で一緒にお仕事。夕方に二人で京都に向かう。じーじにM山にもっと来て欲しい私は、途中の山科で、じーじを不動産屋に無理矢理連れ込む。なかなか良い物件がありました。じーじも少しその気になっています。しめしめ。

 大学に戻って、ボスとコーノくんと一緒に書類作成。しかし、その時すでに皆疲労していてナチュラル・ハイになってしまっている。大部の書類の一部が終わるごとに、意味もなく皆で拍手をしてへらへら笑っている。かなりいけない状態。

 その後、打ち上げと称して、じーじも一緒に閉店間際の「ほのじ」に流れ込み、かなり食べ、且つ飲みました。
 

12月14日

 研究室にいると、副所長のS先生(大学でもお世話になった大先輩)が遊びに来てくれました。ひとしきり雑談をした後に、ふと

 「ところで君のロシアイコンのホームページは、、」

 とおっしゃいます。思いもかけない話に私は

 「は?」

 実はS先生はロシア音楽のとあるレーベルの昔からのコレクターで、ネットでロシア関連の日本語のサイトを見ていたところ、たまたまこのサイトにまぎれこんだそうな、、、 で、一体このサイトはどんなやつが作っているんだあ?と日記を見ると、M山、京都などで、同じ生活圏。

 「これは!?」

 と思ったそうな。 やつは近くにいる! それもとても近い所に! うーむ、それにしてもまさか御自分の部下が作っていたとは、、、 他の研究員には内緒にしてね、S先生。

 夜はきりたんぽ鍋を食べながら、ラブ・コンプレックスでした。
 

12月12日

 午後からM山を脱出して京都へ。途中、高倉通り錦小路脇の寿司屋「さか井」で遅い昼食(穴子丼)。錦の畑野軒では大福やら麩饅頭などを買う。

 その後、大学へ。途中で古書店の善書堂が立ちはだかる。読みもしないマハディ文書ラカンの本を買い漁る(オイオイ、、、)。大学ではもといた研究室のセミナーに参加した後、提出用の原稿の読み合わせ。それにしても、大学は刺激があっていいなあー。

 夕飯はニラレバと餃子でした。
 

12月11日

 M山でライオンバスに乗ると、M山銀座のバス停のところで、「髪のおしゃれはステキなドラマの始まり!」と美容院の白々しい宣伝のアナウンスが入る。「ヘヤ・サロン、アドゥーマンでは、、、」(ドゥーに強いアクセント)って言っている。

 私はこの一年間ずーっと、アドゥーマン? そりゃなんのこと??って不思議に思っていました。

 それが、今朝、電車のホームからその理容店が見えてて、その謎の店名が「ア・ドゥマン!」つまりフランス語で「また、明日!」ってことだったのだと判明しました。いやー、びっくり!

 夜は、9時に帰って「やまとなでしこ」でした。
 

12月10日

 ビデオレンタルから借りてきた「ボーン・コレクター」を見ました。「マーシャル・ロー」に引き続き、女性主人公がチャーミングで良かったです。(それだけ??)

 それにしても「羊たちの沈黙」と良く似ている、、、 

 違いは「羊たちの沈黙」はLDで買って何回も何回も何回も阿呆のように見て、小説も英語版と翻訳の両方で読んだのだけれど、「ボーン・コレクター」の方は一回見たら飽きました。(読んでないけど小説の方が良いらしいです)
 

12月9日

 京都に出てきて、Mくんと木屋町の岩乃家で食事。なかなか鶏が美味でした。

 先日Mくんに、「某有名サイトにある短編「死都ヂズニイランド」がおもしろいねー」とメールを送ったのだが、Mくんによるとなんとそのサイトのウェッブマスターは彼の後輩なのでした。世界が狭いねー。というか、そうではないかと思っていたのだが、、、
 

12月8日

 じーじが研究所に遊びに来てくれました。夕方に二人で近所の定食屋でご飯を食べました。ああ、学生時代に戻ったみたい。

 夜中に「マーシャル・ロー」を見ました。ちょっと善悪をはっきりさせすぎていて安っぽいけど、結構おもしろく見られました。ムスリムに対する描き方が、とってもアメリカ的でした。いろんな意味で。
 

12月7日

 調べたいことがあって、ネットを検索していたら某大学の研究室のスゴイ駄洒落のページに遭遇してしまった。あまりのことに、やはり駄洒落の権威のともちゃんにさっそくお知らせのメールを書いた。

 ともちゃんから返事が来た。そこは彼女の母校だと、、、 ホントだ、、、 環境要因があるのかしら?? しかし、このページの背景はなんだろう? マイコプラズマなのだろうか??

 ちなみに調べものは、結局参考書にきれいに載っていました。やっぱ、本だわ(今のところは)。

 夜、ラブ・コンプレックスを見る。
 

12月6日

 仕事で使うため、某省庁の長大な文書をプリントアウトして、プリンターのある部屋から帰ってみると、私のPCが冷たく凍りついていた。どうもうちの子(PC)は不祥事の多い某省庁が嫌いらしい。

 強制的に再起動すると、「破損ディスクがあります」って警告。まあ、時々見ますよね。でも、大抵あたりどころはそんなに悪くはなくて、そのまま使えますよね。でも、今回は違いました、、、

 見るからに、とっても挙動が変なのです。私は慌ててバックアップを取ろうとしますが、ネットワークには既に繋がらなくなっているので、他のPCには送れません。FDに一枚一枚移すのですが、最近のメールのフォルダは一括になっているので巨大です。ともちゃんのダジャレのメールなどを泣きながら消去して1.4M以下のファイルサイズに落とします。

 そんなことをしているうちに、壁紙が突然真っ白になって、「Active Desktopにエラーが生じました」とか警告がでます。Active Desktopなんて使っていないのに!!

 メーラーなどの設定をひかえようとしますが、すでにメーラーは起動しません(ガーン)。システムを再起動しようかとも思うのですが、もう二度と起き上がらないような気がします。

 もう半泣きになりながら、FDで一枚一枚ひたすらにバックアップを取り続けました、、、、(その間もどんどん壊れていく)

 その後、OSの再インストールをしましたが、やはりペケでした。シクシク、、、おのれ、某省庁!

 (翌日、うちの子はNECさんの元に帰っていきました。一週間経ちましたが、まだ帰ってきていません)
 

12月4日

 ロレンス・ダレルのアレキサンドリア四重奏の3冊目「マウントオリーヴ」を読み始める。この40年前に書かれた4部構成の小説は、極めて「現代的」な手法で書かれている。最初の3冊は、同じ時間軸で進む一連の出来事をそれぞれ別の登場人物の視点から、驚くべき相違を提示しながら淡々と進行していくのだ。手垢にまみれたクリシェのような表現(しかし美しい)にあふれていて、読者にそれぞれが自由な解釈で酔うことに許している。そして、その健気で情けない解釈が次の本でたやすく否定されることに、読者は快楽を覚えてゆくのだ。

 しかし、どうしても思い描く女主人公のジュスティーヌの姿が、「イギリス人の患者」や「モンタナの風に抱かれて」のクリスティン・スコット・トーマスのそれにダブってしまう。「イギリス人の患者」と同じエジプトを舞台にしているせいもあるけど。
 

12月3日

 風邪をひいてしまったようなので、おうちで冬ごもりをしていました。洗濯と掃除をしていました。料理はせずにだらだらしていたら、とてもお腹が空きました。

 「アメリカン・ビューティー」は、期待以上の出来でした。笑いたくても笑えない微妙なあたりを突いてきます。

 夕方にビデオを返しにいって、今度は「マーシャル・ロー」を借りてきました。そう、頭を使いたくないのです。風邪をひいて全身がだるいし。そう言えば、先週から研究室の人々が謎の感染症にかかり、バタバタと倒れているのです。私もそれにかかったのか?金曜日に、その病人の一人に「どんな症状なのおー?」なんて呑気に聞いていた私。しまった、やつから感染ったのか?ぶー。
 

12月2日

 私を虜にしているラブ・コンプレックスに多大な影響を与えたと推測される「アメリカン・ビューティー」を借りてきました。

 ドラえもんが、「ベオグラードに引っ越しました」のメールをくれました。来週はマケドニア、再来週はモンテネグロに行くんだって、いいなあー。
 

12月1日

 最近地味な生活、、、

 前のラボで一緒だったともちゃんが、先日アメリカに行った時の話をメールで送ってきてくれました。以下引用
 

そういえば帰りの飛行機で、スチュワーデスのおばさんが、
<チキン オア ビーフ?>ときいたら、後ろの席の日本のおとーさんが、

<オア プリーズ> って。

森首相と乗り合わせたのかって思っちゃった。ま、人のこと言えないけど。

 
このおとーさんは「第三の道」を模索していたのでしょうか?

 メールをくれたともちゃんは帰国後一時、やたらハイになっていて、周囲の人に「もしや、アメリカで変な蚊にさされて、脳炎になってしまったのでは?!」って心配をかけていたようです。
 

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