1999年12月
シャンペンやら妙な北欧地酒をガンガン飲む。
できあがったところで、カウントダウンのために外に繰り出す。
花火でパンパンやっているエッフェル塔を見ながら、皆でまたボトルを空ける。
だんだん、酔っぱらいのお上りさんになってゆくわたし、、、
にゃんこに耽溺、、、 にゃんこも、Kちゃんのアパルトマンの起伏に富んだ様子がいたく気に入ったようで、大はしゃぎ。
出しっぱなしになっている引っ越し用のダンボールを整理する。
部屋がちょっときれいになる。ちょっとね。
ハギア・ソフィアの辺りのトルコ人はみんな日本語を話してました。
「飛んでイスタンブールって歌、知ってますかー?」(ふるいぞ!)
「シカトしないでくださいよー」(どこで覚えたんだ?その日本語!)
「私たちは野蛮人じゃありませんよー。無視しないでくださいよー」(文明人は誰彼なく話しかけないぞ!)
「そっちの方は危ないですよー」(おまえの方が、あぶなそうだぞー)
「また、会えましたねー」(おまえには、会いたくなかった、、、)
って感じでした。エジプト(かわまた、昔、住んでいた)より、ずっと人々がまともと聞いていたのだけど。なんか、そんなにかわりませんでした。で、懐かしかったです。
悪名高いグラン・バザールにも行きました。
エジプトだったら「バザールでござーる」っていうのが聞けるんだけど、トルコでは聞けませんでした。
エジプトだと店に入ると、「Can you help me?」って言われたりするのですが、トルコにはそんな遊び心はありませんでした。
「絶対、変な買い物はしないぞ!!」って言っていたのに、持ちきれない程の買い物をしてパリに戻ってきました。意志の弱いわたしです。
Kちゃんのアパルトマンの壊れたシャワー、詰まった配水管を直して、一日が過ぎてゆく。なんかちがうんでないかい??
夜、ユキさんのところでご飯を食べさせてもらう。そこには、にゃんこが2匹(サーシャとピエンシュ)いて、かわいいいいいい!!!! かわまた、正気を失う。
猫に耽溺したパリの一夜であった。
この映画、キライ(個人的意見ね)。まず、好きじゃない女優が若作りして、かわいこぶってる。相手役の優男も、あたま悪そー。その上、どうしようもない二番煎じ。
二人で馬に乗っているシーンなんか出てきた日にゃー、このー!ブンブン(バットの素振りの音ね)って感じです。
ひがんでるわけじゃないのです。念のため。
博美ちゃんは遅刻をしてきました。
鍋の日に遅刻をしてはいけません。博美ちゃんが来たときには、鍋は煮詰まっていて、バラバラになってすくいきれなくなった豆腐が煮詰まった汁に浮いている、外見は全くの麻婆豆腐状態でした、、、 (でも、博美ちゃん、それでも食べた!えらい!)
Kちゃん、「日記が更新してないねー」、私、「一週間、研究所とアパートの往復だけだったのー。えーん、味気ない生活!」、それから延々と愚痴を言う。そのうち、だんだん興奮してくる。時差のため寝起きの時間にかけてくれていたKちゃんは、「はあ?なあーに」って感じで「よくわかんなあーい。じゃーねー」って言ってました。いいなあ、パリって都会で、、、
今週は、なにかとストレスの多い一週間でした。来年はいい年だといいなあー。
夕方、研究所を後にして京都に向かう。JRのM 山の駅に行くバスの車内放送はなかなかである。M
山銀座の美容院の広告アナウンスでは「髪のおしゃれはステキなドラマの始まり」とか言っている。車窓からの景色には全くそぐわないところが哀愁を誘う。
Mくん、「理想的な環境じゃない!」、私、「それって東大を追い出されて筑波に行った研究者への言葉みたい!」、Mくん、「筑波というより×××大学かなあー」だって、確かに、、、
Mくんは、「いいよねえー、こういう環境で趣味のこととかしたりして」とか言っているが、これ以上私に趣味のことをすすめるのはMくんだけだよー。
ドラえもんからメールが来ました。なかなかおもしろいので勝手に公開。
なんか、ちょっと熱っぽい。風邪をひいちゃったみたい。早めに研究所から切り上げて寝る。明朝こそは寝坊せずに(遅く出すと管理人さんにしかられるから)溜まりまくった「燃えるゴミ」を出さなきゃ!
CD屋さんで、古内東子とUAの新譜を買う。なかなかいいですね、うん。そう言えば、ジョーとはどうなったのかしら?
冬の早い夕暮れ、駅には競輪帰りの人でいっぱい。良い味を出してるおっちゃんが、「けーりんなんて、つまらんわ!」とか吐き捨てるように言ってたりする。
1998年
12月