吾日我が身を三笑す

煩悩日記

1999年3月

次の日記帳

最新の日記へ

2001年
3月 2月 1月

2000年
12月 11月 10月 9月 8月 7月
6月 5月 4月 3月 2月 1月

1999年
12月 11月 10月 9月 8月 7月
6月 5月 4月

3月29日

 先月の27日に会った結子ちゃんをはじめとする大学の後輩たちとMくんを交えて飲み会。1人の後輩(野網さん)はなんとMくんの教え子でもある。うーん、変なの。あと、丸山さんと弥永くん、ふたりとも若い!

 皆で木屋町の「A」に繰り出し、ガツガツ食べる。後輩達は皆、将来やくざな国際援助関係の仕事をしたいんだって!「いやあー、時代は変わったなあー」、と思うことしきり。(昔はそんな学生さんいませんでした、、)

 その後、ムスターシュに流れて飲みました。うるさい客にマスターは迷惑そうでした、ま、いつもだけどね。
 

3月28日

 午前中にスーパーマーケットに行って、一週間分の食料を買い込む。なんで、トマトが相変わらず高いんだ?

 午後、アルバイト先でともちゃんと会う。ともちゃん、今朝は5時まで(私は1時半でともちゃんを見捨てて帰った)研究していたんだって。おはだ、荒れるよ。
 

3月27日

 恐ろしく汚れた部屋をとうとう掃除することにする。読まずに積まれた本や雑誌や新聞の切り抜きやらをとりあえず机の上から床の上に下ろす。すると、ずっとほっぽっておいた大切な書類が出てくる。当然、期日は過ぎている。まっ、良いか。

 床に積まれた本を本棚に入れようとするのだが、どうも全部は入りきらないようだ。本棚を買えば良いのだが、どうもそれは良い解決策ではないような気が、、、くだらない本を捨てるか、、、

 部屋の掃除は、総行程の10分の1ほどを過ぎた頃でギブアップ。いつもこれだ、、、汚れすぎている、、、
 

3月22日

 未明に「リング」(遅いって?)を見る。怖い。あんまり怖くてどうしようもないので、一緒に借りてきた「らせん」も続けて見ることにする。(予想通りに)かなり怖くなくなった。でも、このまま寝ると、悪い夢をみそうなので「ポンキッキーズ」(そりゃ朝の8時すぎだよ、おい)を口直しに見てから寝る。

 ところで、オセッチア、チェチェンの治安がさらに悪化しているようだ(前からむちゃ悪いけど)。お友達の浩一(ひろかず)くんは、まだオセッチアにいるはず。大丈夫かな?そういえば、長い間誘拐されていた彼の上司は、この間解放されたそうだ。よかった、よかった。??あれっ?さくらちゃんもまだコソボにいるのか?危ないよー、そこ。(知ってるか、、、)

 研究室にいくと、CDプレーヤーにアラニス・モリセットのCD(1枚目の方ね)が入っている。どうやら卓くんのらしい。ちょっと意外、、、
 

3月21日

 気分転換に町に出る。

 レンタルビデオ屋で、以前からうるちゃんが奨めていた「リング」「らせん」の2本を借りる。

 夕方、研究室に行く。机の上にはともちゃんからのメモ。ともちゃんは、昼に来ていたらしい。同じ研究室なのにアルバイトの日がずれていたりで、なかなかともちゃんと会えない。ともちゃーん、元気?
 

3月20日

 忘れかけていたブリグリのビデオを、ヴァージン・メガストアで見つけたので買う。とっても良い。智子ちゃん、すてき!

 隣の丸善で、研究室の博美ちゃんに再びばったり会う。混んでいる丸善でも、なぜか博美ちゃんは遠目でもすぐわかる。

 美紀さんたら、徹也くんの誕生日を憶えていなかったんだって、、、でも、本人も忘れてたらしい、、、
 

3月19日

 今日は徹也くんの誕生日なので、日頃のご愛顧?の感謝に草津で「うばがもち」を買っていく。ちなみに、彼は辛党で甘いものはダメなんだけどね。
 

3月18日

 Yちゃんから研修先のローマからのメールをもらう。ローマでもてていたのか、「ボンジョールノ!」とか言ってる陽気なメールでした。元気そうでなにより。今は、もうナイロビに着いている頃。その陽気さを現地でも頑張って維持してね!
 

3月16日

 「バーン・ジョーンズ展」を見に行く。さっぱり期待していなかったのだけど、行ってみるとかなり充実したものだった。高校生の頃、結構好きだったのでなつかしかったなあー。今見るとあんまりピンとこないけど。歳をとったということか?それとも高校生の頃にはわからなかった復古趣味の陳腐さが、みえみえだからかしら?でも、陳腐さを乗り越えたものもあるのは確かでした。いい展示会。

 時間がなくてロスコを見逃したー。うー、うー。

3月15日

 旅行先で、「マケドニアの中世至宝(と言ってもほとんどイコン)展」を見る。素晴らしいイコンの数々に酔う。しかし、これだけのものをよく国外に出したなあー。
 

3月11日

 明日からジュネーブに出張するMくんとザックで飲む。彼の2週間の出張(と感傷旅行)の間の「アリー」を録画しておくことを求められる。はいはい、、、
 

3月10日

 宇多田ヒカルのCDとブリグリのビデオの発売日なので生協のCD屋に行く。でも、やっぱり両方売り切れ。悲しい、、、 やっぱり、入荷日の昨日に足を運ぶべきだった、、、

 夜、「スターシップ・トゥルーパーズ」のビデオを借りていっていた博美ちゃんからメールをもらう。「なんて素晴しい話しでしょう。あまりの感動に寝られそうにありません。」とのこと。でしょう!
 

3月8日

 徹也くんに貸してた「スターシップ・トゥルーパーズ」が帰ってきた。徹也くんも「感動」で胸を詰まらせたそうだ。この映画ほどには、フェリーニもビスコンティもタルコフスキイも心を揺さぶったことはなかった、との事。これほどカルトな映画が近年あったろうか?研究室の内覧ビデオとして、学会誌とともに閲覧ケースに納まることになった。(でも、決して!奨めてるわけじゃないよ、念のため)
 

3月7日

 今日はYちゃんがケニアに旅立つ日。行ってらっしゃい!元気に暮らせよー。お餞別を渡すのを忘れたけどまあよいか。ナイロビならなんでもそろうし。おいしい日本食店もあるし、「赤坂」(マッチョなケニア人がカウンターの奥にならんでいる)とか「日本人倶楽部」(すごいネーミング、名前の通り日本人しかいない)とかね。
 

3月6日

 たけしくんは昨日大阪で「だんご3兄弟」を手に入れたそうだ。うるちゃんはおかあさんといっしょの2枚組も買ったんだって!
 

3月5日

 徹也くんによると、この煩悩日記を読んでいる人の中には、噂に名高い「まんぷくくん」がいるらしい。今は遠く離れた黒部ダムのさらに奥に住んでいるまんぷくくんが、徹也くんの日常を非常に良く知っていて、感想をメールで彼に送りつけてくる原因は、このHP以外にないと徹也くんは言うの。やっぱり?

 うーん、確かに徹也くんの日常はほとんど筒抜けだよね(ちなみに今回は美紀さん、早く実家から帰ってきたそうです)。

 ところで、このまんぷくくん、かわまたとはSZ市で2年一緒に仕事をし、その後SM市に移ってそこで、なんと徹也くんとも2年仕事をしてたのです(なんという因果)。やがて、彼はなぜだか黒部ダムの奥に引っ込んじゃいました。あんなところ(行ったことないけど)で、一体なにをしてるんだろう??まんぷくくんの「考えてること」と「言ってること」と「やってること」が全く一致しない楽しい性格を思い出して、思わず徹也くんと二人でしばし思い出話(お互いにまんぷくくんの悪行を暴露し合う)に浸っちゃいました。大丈夫!口は堅いから!
 

3月4日

 うるちゃんとたけしくんは二人連れ添って京都の町を「だんご3兄弟」を求めてさまよったらしい。でも、どのCD店でも(大学の生協でも)売り切れだったそうだ。「いいよね、あれ。タンゴ調で」とはうるちゃんの弁。

 夜、Mくんザックで飲む。今日はアリーの日なので、Mくんは機嫌がいい。「この一週間の苦労の報酬として今日、アリーが見られるんだ!って感じ」とはMくんの弁。
 

3月2日

 昨夜は不眠の上に、4時頃に飛び起きてしまったことを、たけしくんに話す。たけしくん曰く、「ははは、それは丁度私の一ヶ月前の状態だあー!」だって!ついでに、「いやあー、昨日はホント久しぶりによく寝た!」だって!ひどーい。

 関係ないけど、柔和な性格のたけしくんだが、怒ると飼っているウサギの小屋を蹴飛ばしたりするらしい。意外だ!
 

3月1日

 遅い昼ご飯を徹也くんたけしくんとする。たけしくんはムチャ暗あーい。たけしくんの話をずーっと聞いているうちにこちらまで雰囲気にのまれてしまい暗くなってしまう。

 おかげで、夜、なんかどきどきして眠れなくなる。自分を取り巻く事全てが不安になり、明け方の4時に飛び起きて書類を調べたりとすっかりおかしな精神状態になってしまう。
 
 

過去の日記帳

1999年
2月 1月

1998年
12月

 
日々雑感
Home