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kinematopia1999.05


 「『ライフ・イズ・ビューティフル』(ロベルト・ベニーニ監督)は、アメリカ・アカデミー賞で三冠に輝いた。ナチスのユダヤ人強制収容所を舞台にしているが、『シンドラーのリスト』(スピルバーグ監督)とは全く違う視点で、人間の生きざまを描いている。虐殺の歴史を十分に踏まえた上で、家族愛と笑いに包みながら過酷な時代を生き延びるための機知の力を示した」「『ライフ・イズ・ビューティフル』という題名が、スターリンの放った暗殺者を待つトロツキーの言葉から取られているように、コメディの底に、ベニーニの真剣なまなざしが込められている。ただ、グイドの生い立ちをもう少し加えていたら、物語がより膨らんだはずだ」

 「ジョズエ役のジョルジオ・カンタリーニが、とても可愛い。この子を救うために父親のグイドは、収容所の生活がすべてゲームで『うまく隠れると点数がもらえ、ゲームに勝つと戦車がプレゼントされる』と信じ込ませ、自分が銃殺される時も、最後までゲームであるように陽気に振る舞いつづける。その勇気に胸が熱くなる」「空爆が続くユーゴでは、この映画を観た親たちが子供に同じ言葉が告げているという」

 「『エネミー・オブ・アメリカ』(トニー・スコット監督)は、実にテンポの良い展開で隙がない。超高度監視・情報操作社会の恐怖を提示しながら、見事なエンターテインメント作品に仕上げている。その腕前は折り紙付きだ。この映画を見れば、我が国でもうすぐ成立しようとしている組織犯罪対策法という名の盗聴法がいかに危険なものであるか十二分に理解できる」「電子ネットワークの上では、すべての情報を知り、かつ改ざんすることができる。主人公は最後にNSAの陰謀をFBIの監視を使って暴こうとするが、日本にはこうした対抗的な組織構造はない。一度権力機関ににらまれたら、逃走することも闘うこともはるかに困難だろう」

 「ただ、娯楽作品にするために、不自然な形でストーリーが動き始めたのが気になった。NSA(国家安全保障局)が、『盗聴法案』に反対する下院議員を暗殺する場所に人目につきやすい公園を選び、責任者の行政官自らが犯行現場で顔をさらしている。さらに監視が本職にもかかわらず、殺人現場を野鳥観察用の無人ビデオカメラに録画されるという信じがたいドジをした。その後のハイテクを駆使したすさまじい作戦とはあまりにもかけ離れた初歩的なミスだ」「ラストでも、行政官が直接マフィアと会い、銃撃戦で殺される。アイデアの詰めの甘さを感じる」

 「『カラー・オブ・ハート』は、『ビッグ』『デーヴ』でアカデミー賞に2回ノミネートされた脚本家ゲイリー・ロスの初監督作品。兄弟が1950年代の白黒TVドラマ『プレザントヴィル』の世界に引き込まれ、やがてその世界を変えていく。良くあるアイデアだが、脚本のうまさで飽きさせない」「感情を持たない均一な世界に欲望が持ち込まれることで自然や人間が色付き始めるというのも、あきれるほど分かりやすい設定。しかし映像技術の進歩で気持ちのいい変化が楽しめる」「俳優では、欲望に目覚めた母親役のジョアン・アレンが見事だった」

 「兄弟がTVの世界に入ってしまう事件があまりにも安直。荒んだ現実に嫌気がさし、美化された古きファミリードラマにのめり込んでいたデイビッドが、現代を肯定するようになる劇的な心の変化も今一つ伝わっていない。相当の葛藤があるはずだが、いつの間にか奔放な妹ジェニファーのペースにはまり、母親の大胆な変身にも驚かない。その辺をめりはり良く描いていないので、あっさりした印象で終ってしまう」「かつてのTVドラマのような古めかしいハッピーエンド。深読みすれば、かなり面白いけれども」

 「伝説的なアニメーター・スーザン・ピットの3作品を観ることができた。『アスパラガス』が最も傑出している。ASIFAニューヨーク1978年度最優秀作品賞を受賞しいる。製作から20年経つが、古さを感じさせない。夢幻的でエロティックでまったりとした質感が堪らない魅力。フロイト的な分析をしてもつまらなくなるだけだが、男根を連想させるアスパラガスを排泄するという冒頭のシーンは、価値観の転換を宣言する象徴的な場面だと思う」

 「『ジェファーソン・サーカス・ソング』(1973年)は、実写とアニメを組み合わせたグロで可愛い短編。さまざまなアイデアを持ち込み、彼女の個性も発揮されているが、ややまとまりに欠ける」「長い空白期間を経て完成した『ジョイ・ストリート』(1995年)は、技術的には格段にうまくなっている。孤独にうちひしがれ、自殺を図る女性の孤独が生々しく描かれている。後半に向かって奔放なイマジネーションが咲き乱れ、女性は癒され再生するが、前半の暗く狂おしい映像には及ばない」

 「エイドリアン・ライン監督が『ロリータ』をリメイクする。そう聞いた時、私は相当に期待した。例の『ジョン・ベネ事件』で理不尽にも公開が2年延びても、待ち続けていた。確かにドミニク・スウェインは魅力的だ。しかし、ラインにしては、ケレン味がなさ過ぎる。肝心のロリータとの性愛シーンがおとなしい。最後にハンバート・ハンバートが劇作家クレア・キルティを殺すシーンになって、持ち前のしつこさが発揮された」

 「今、ロリータを映画化するのなら、そこにタブーは希薄なはずだ。奔放に狂おしく描いてほしかった。原作をたどり、中年男性の鬱屈を際立たせても、ノスタルジックに閉じてしまう。連綿と続くロリータ映画のマゾヒズムをあらためて確認しただけだ」「映画ではなく、実際にやっちゃったウディ・アレンが健在な時代なのだから、もっと冒険すべきだ。ただ、パンフレットは、少女の日記帳のようであどけなく可愛い」

 「『8mm』(ジョエル・シューマーカー監督)には、気分が悪くなった。実際の殺人を撮影した『スナッフ・フィルム』を見たからではない。私立探偵が善人ヅラして、撮影した関係者を殺しまくったからだ。自分の中に眠っていた猟奇への欲望を封じ込めるための行為ではなく、悪を裁く神の立場に立っている。それが許せない」「本当に、いくらハリウッドという制約があるとはいえ、こんな展開ではこのテーマを扱う意味がないよ」

 「『セブン』(デビッド・フィンチャー監督)には、刑事が犯人の計画に巻き込まれていくスリルがあった。『8mm』には、それがない。真相を追い続け、自己満足の処刑を行う。認め難い世界を封印するだけだ。マシーンが自分の快楽殺人はトラウマが原因ではないというくだりも、ハリウッドの定石ヘの批判と言うよりはトム・ウェルズの処刑の正当化にしか響かない」「ただ、マシーンの家に踏み込ん後の数分間は怖かった。この演出は冴えている。あとは、衣装デザインにオリジナリティがあった」

 「『恋におちたシェークスピア』(ジョン・マッデン監督)を観終って、感嘆のため息が出た。シェークスピアの作品を自在に操りながら、極上のラブストーリーにまとめあげた手腕に脱帽した。最近はシェークスピア作品の映画化が目立つが、シェークスピアの面白さを堪能させてくれるのは、このような遊びに満ちた映画の方だ」「虚実の間を目まぐるしく行き来する映像、丁寧に重ね合されたストーリー、そして16世紀のロンドンの息づかいが聞こえてくるセット。すべてが、作品を輝かせている。アメリカ・アカデミー賞の作品賞は納得だ」

 「配役も魅力の一つ。アカデミー賞助演女優賞に輝いたエリザベス女王役のジュディ・デンチは、貫禄十分。奔放なコメディを引き締めらながら笑いを誘う。主演女優賞のグウィネス・パルトローは、一皮むけて俳優開眼か。これまでは、あまり才能を感じなかったが、今回は女優としての花があった」「そのほか、名優が多数参加し、それぞれ味わい深い演技を見せている」

 「5月7日から9日まで、札幌のまるバ会館で斎藤久志、唯野未歩子両監督のビデオ上映会が行われた。斎藤監督は、85年ぴあフィルムフェスティバルに『うしろあたま』で入選。『フレンチ ドレッシング』で劇場デビューを果たした。今回はワンピースを中心にした短編5作品『ロマンス』(96年、8分)『Whatever』(96年、11分)『殺人者』(97年、44分)『Don't look back in anger』(98年、16分)『COZY GARDEN』(98年、30分)を上映した」「唯野未歩子は、斎藤作品には欠かせない女優であり、『everytime go!』(98年、36分)など、映画製作も行っている」

 「『Whatever』は、父親を殺してきた若い恋人が車の中で喧嘩を始める。アングルは、車の後方から一定している。鮮やかな切り口による新鮮な作品。『殺人者』は、殺人を犯してきた男が侵入し監禁されるが、二人の間に愛が芽生える。二人の関係の変化を巧みに演出し、プラックな笑いを醸す。唯野未歩子は、『フレンチ ドレッシング』よりも悪魔的にセクシーだ。『Don't look back in anger』は、三角関係を、自然な会話の組み合わせであぶり出していく。そして『COZY GARDEN』は、兄とフィアンセと妹の微妙な関係に迫った水準の高いスリラー。何気ない会話から一気に魔的な世界に飛躍する。唯野未歩子の魅力全開だ。『ロマンス』は、唯野未歩子が着飾って歌を歌うだけで最初良く分からなかったが、『COZY GARDEN』を観た後、庭での作業が急に不気味に思えてくる」

 「『everytime go!』は、才気に満ちた作品。最初の子供たちによる毎日100匹の猫を食べる象の話から自然に引き込まれる。そして、さまざまな恋愛関係がこれまでとは違う角度からとらえられていく。そのまなざしにタブーはない。毅然としている。音楽のセンスもなかなか。唯野未歩子には、俳優としての希有な存在感とともに、監督としても十分な可能性を感じさせられた」

 「多重人格者による猟奇的な犯罪。それぞれに歪みを抱えた登場人物。不安をかき立てる映像と音楽。『39  刑法第三十九条』(森田芳光監督)には、得体のしれない雰囲気が漂う。引き込んでいく力量は健在だ。最初は、森田監督が最近の不条理なサイコもの、『CURE キュア』などを意識しているのかと思った。しかし、本質は全く違った。中心にあったのは心神喪失・心神耗弱者の刑の減免を定めた刑法第三十九条の是非、詐病を見破れない精神鑑定の限界だ」「人は何故人を殺すのか、刑罰とは何か、という問題から目をそらせ、被害者の苦しみを盾に三十九条を否定するかのような論調で終るとは、志があまりにも低い」

 「登場人物が皆おどおどし奇妙な行為をしているのも、次第にこけおどしに見えてくる。とりわけ、工藤実可子の描き方は不自然すぎる。その中で精神科医・小川香深の役を演じた鈴木京香は、全身から人生への不機嫌さ、陰気さを漂わせ、この作品を支え続けた。最後に凡庸な演説さえしなければと惜しまれる」「不自然さの極めつけは、妊婦殺害の種明かし。御都合主義であり、全く説得力がない」

 「『共犯者』(きうちかずひろ監督)は、脚本があまりにも貧しい。プロの殺し屋が対決するというのに、双方とも呆れるほど無防備で計画性がない」「殺しの動機などなくてもいいが、わくわくするようなアイデアは盛り込んでもらいたい。アウトローを描きたいなら、別のアプローチがあったはずだ。内田裕也はプロの殺し屋の落ち着きがない。ミスキャストは歴然としている」

 「唯一の救いは、小泉今日子の個性的なキャラクターだろう。カルロス(竹中直人)と出会うまでの姿が描かれていないので、闘いにのめり込む切実さは伝わってこないが、過去を切り捨てて立ち上がる一人の女性としての説得力はあった」「『踊る大捜査線』(本広克行監督)に続き、自然体で芸域を広げていくスタイルはさすがだ」「エンドクレジットで流れる、死んでしまった聡美ら3人の青年が楽しそうに花火をする場面が、この映画でもっとも美しい」

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 「『レッド・バイオリン』(フランソワ・ジラール監督)は、なかなか厚味のある歴史絵巻だ。イタリアのクレモナで、1681年名匠ニコロ・ブソッティによって作成されたバイオリンは、4世紀にわたり5つの国を旅しながら、魅力的な音色と形によって、人々を翻弄していく」「オーストリア修道院の孤児カスパー・ヴァイスの不幸な死が最も痛々しい。中国文化大革命時の『レッド・バイオリン』の運命が最もはらはらさせられるが、考えてみればロマ民族によって運ばれていく事自体が幸運のの積み重ねだと思う」「さまざまな地域、時代を経ていくスケール感は、手ごたえがあるね」

 「各エピソードを、タロット占いの5つの予言によってつなげているのが、やや堅苦しい。歴史をつなぐのは、バイオリンだけで十分ではないか。そこに産死したアンナの霊を塗り込める必要もない。何故赤いのかという種明かしは意外性ゼロ。モントリオールでのオークションにたえず帰ってくる構成も、繰り返されつづけると野暮ったくなる」「楽器鑑定家が、複製とすり替えるという結末は映画の品を落としているように感じた。ただ、ジョン・コリリアーノの音楽、ジョシュア・ベルのバイオリン演奏は絶品。音楽を聴くだけで満ち足りた気持ちになれる」

 「こんなにもたくさんの妖精たちが登場し、美しい風景とともに少女たちが輝き、心温まる結末を迎えるとは。浄化されていくような幸せな気持ち。『フェアリーテイル』(チャールズ・スターリッジ監督)に癒されている自分を感じる。原案のコティングリー妖精事件は、第1次世界大戦によって、無慈悲な大量死に直面した多くの傷付いた人々を慰めたに違いない。心の危機は神秘を引き寄せる。今もまた、そういう時代なのかもしれない」

 「エリザベス・アールがとても魅力的。彼女の可憐な美しさが妖精を呼び集めるほど。コナン・ドイル役のピーター・オトゥールら、愛するものを失ってうちひしがれている大人たちの姿も切ない」「物語は妖精の存在をめぐる子供と大人の対立から、マスコミの報道による大量の見学者の殺到、妖精たちの退避へと進む。しかし、物語は、意外なほどのハッピーエンドを用意している。癒し系の佳作だ」

 「『タンゴ』は、1998年第51回カンヌ国際映画祭高等技術委員会技術グランプリを受賞。カルロス・サウラ監督がアルゼンチンの歴史やタンゴに込めた思いは理解できるが、提示しただけで物語としては深まりを見せていかないように思う。男女の関係も中途半端なまま終る」「ラストシーンは、アッと脅かしておいて意外なほどのハッピーエンド。『物足りない』と感じた後、『ひょっとしたら、今後の予兆か』とも考えた。監督の罠かもしれない」

 「一流のダンサーをそろえた踊りは本当に見ごたえがある。陰影を生かしたライティングも見事。ラロ・シフリンの音楽は現代的なセンスで聞き惚れる出来映え。そして移民の集団が舞台に現れ、タンゴを踊るシーンの美しさには息を飲んだ。中でも、ミア・マエストロの魅力は、魔術のように映像を輝かせていく」「マリオ・スアレスでなくても、溺れてしまいそう」

 「『永遠と一日』(テオ・アンゲロプロス監督)は、1998年カンヌ国際映画祭のパルムドールを受賞。ギリシャの港町テサロニキを舞台に、死を意識した老作家とアルバニア難民の子供との1日の交流を描いている。連日ユーゴ空爆のニュースに接していたので、難民の問題が生々しく迫ってくる」「まず不治の病に冒され、あす入院する老作家アレクサンドレが家政婦に『つらく考えるのはよそう。終りはいつもこんな風だよ』と話すシーンで、ぐっと来た。『私は何一つ完成していない。言葉を散らかしただけだ』という痛苦な言葉も胸にしみる。しかし、その後の深まりが乏しい」

 「全身をがっしりとつかまえる力強さがない。恍惚とさせる美しい映像美もない。耐えられないほど重い問題を提示し、ともに悩み考えることを促してきた沈黙の深さも感じられない。過去の眩い光と現在の物悲しい雰囲気が静かに対比されるだけだ。隠喩的なシーンにも心が揺さぶられない」「過去の作品のように全力投球の押し付けがましさがなく、自然に受け入れられる軽さが評価されたのかもしれないが、テオ・アンゲロプロス監督の集大成などではけっしてない」

 「『ユージュアル・サスペクツ』で、禁じ手すれすれの騙しのサスペンスを見せてくれたブライアン・シンガー監督の新作『ゴールデンボーイ』。予想に反し、随分とオーソドックスだ」「映像的なほころびはないものの、唸らせるようなシーンもない。悪が老人から青年に引き継がれていくラストは、容易に予想がついた」

 「隠れて生きてきたナチの戦争犯罪人が、青年に虐殺の様子を話していくうちに、過去の邪悪な感情が蘇ってくる。制服を着て次第に行進に力がみなぎる場面は、唯一緊迫した瞬間だった。イアン・マッケランの名演技は評価していい」「しかし、作品のスタンスは問題がある。ナチの虐殺を個人的な感情の問題に矮小化してしまう危険もあるのでは」

 「『菊次郎の夏』(北野武監督)は、ビートたけし流のギャグを随所に盛り込んだロードムービー。『HANA-BI』の緊張から解放されるように、のんびりとしたストーリー展開で、気さくに遊びながら、温かいまなざしで菊次郎と正男の交流を見つめている。水準はそれほど高くないが、新しい挑戦を忘れない姿勢は支持したい」

 「ずいぶんとハチャメチャなシーンもあるが、終ってみれば映画としてのまとまりを感じさせる。以前のような『やり逃げ』の逸脱はない。技術的に腕を上げてきた証だ」「どんな映画を撮っても、まぎれもなく北野作品としての強烈な個性を発散している。そして、CGの発達ではない映画の可能性を果敢に切り開いている」

 「 『鉄道員 ぽっぽ』(降旗康男監督)は、職業倫理を貫き、娘が死んだ時も妻が死んだ時も駅に立ち続けた男の物語。頑固一徹で周りに煙たがられているかといえば、そんなことはない。皆に愛され、定年後の心配をされている。高倉健でなければ、こんな男の味は出せないが、定年間近というのは68歳の『健さん』には、ちょっと辛いかな」「北海道は一年中冬みたいなのも、何だかなあ」

 「観る前から観客は泣こうと身構えていた。そして、笑顔のまぶしい広末涼子との対面は自然に涙を誘う。私も少し泣いた。だが、周囲に嫌われ顧みられないみすぼらしい男であったなら、もっと胸に染みたことだろう」「この作品では、志村けんが不器用な男の悲哀を漂わせていた。こういう男の最後に、死んだ娘が成長して現れ『おとうさん、ありがとう』なんて言うと、大泣きしたに違いない」「『健さん』はかっこ良すぎるよ」

 「漫画『富江』は、伊藤潤ニの代表作というだけでなく、日本のモダンホラーの高い水準を示す傑作といえる。彼の並外れた画力は、奔放な奇想を見事に現実化する。『富江』の映画化は待ち望んでいたものの、日本の映画では再生や変身の大掛かりなCG化は望むべくもなく、無惨な結果になることを恐れてもいた。しかし及川中監督は、原作のおどろおどろしさを残しつつも特撮を多用せず、思春期の少女たちの愛と憎しみに焦点を当てて、荒削りながらまずまずのレベルでまとめあげた」

 「富江の友人・泉沢月子役中村麻美は、『ファザー・ファッカー』から俳優として予想以上に成長していた。ときに緊張が薄れるが、ヒロインにふさわしい存在感がある」「富江役の菅野美穂は、伊藤潤ニの希望だそう。振幅の大きな演技はさすがだが、18歳にしてはやや年を取った」「『エコエコアザラク』のころなら、うってつけだった。洞口依子ら脇を固める配役は納得のいく人選。鑑識役で伊藤潤ニ本人が出演しているのも嬉しい」「最後に音楽のセンスの良さも付け加えておこう」

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 「映画会社ではなく、ジョージ・ルーカス監督が自らの資金で作り上げた神話的叙事詩のオープニング『スターウォーズ エピソード1』。そのビジョンは壮大だ。独創性がある訳ではないが、確固とした世界観に貫かれた物語を描いていく姿勢は感動もの。最新のCGによる特殊効果は小賢しさがなく、堂々としている。遠くから俯瞰するシーンは、大スクリーンで観ても、細かすぎて目が追いつけない」「巨大なセットと膨大なエキストラを使ったD・W・グリフィス監督の『イントレランス』を思い出した。情報量の多さに戸惑ったのは『プロスペローの本』(ピーター・グリーナウェイ監督)以来の体験だった。そして、アナキン・スカイウォーカーが出場した手に汗握るポッド・レースは、『ベンハー』ばりの醍醐味だ」

 「クイーン・アミダラ役のナタリー・ポートマンの凛とした美しさに、あらためてうたれた。何度も着替える衣装も中国風で凝りに凝っている。アミダラの影武者のアイデアは最初からバレバレだったが、ポートマンに免じて許そう」「言葉もしぐさも気に触るキャラクターのジャー・ジャー・ビンクスは、最初は浮いていたが、やがてナブーとグンガン族を結ぶ重要な役目を果たす。黒澤明監督『七人の侍』の菊千代をちょっと連想させる。菊千代よりも百倍気に触るが。しかし、こういう異質性を意識的に取り入れているところが、ルーカスの懐の深さだ」「珍妙な登場人物、動物たちが満載で100種類以上、ダーク・モールの黒赤刺青もすごいが、ルーカス・テイストとしておおいに楽しんだ」「早く『エピソード2』が観たい。"The Saga Continues..."」

 「『黒猫・白猫』は、前作『アンダーグラウンド』が、あまりにも政治的に扱われたことに嫌気がさし一時は引退宣言までしたエミール・クストリッツア監督の新作。全編、ロマ民族(ジプシー)の生き生きとした振る舞い、歌声が満ちた陽気なカーニバルのようなラブコメディ。最後には死者が蘇り、悪者は糞尿まみれになり、愛する者は結ばれるハッピーエンドが待っている」「クストリッツア監督は『映画に戻れるのが嬉しくて、人生のありとあらゆるものに対する自分の熱狂や愛情を表したいという思いに駆られた』と話している。豚が自動車を食べ、現代が神話と出会う、お祭りのようなクストリッツア作品にジャンルはない。登場する人々のエネルギーに圧倒されながら、映画を愛する思いを共有して心が弾む。幸せな体験だ」

  「レオナルド・ピエラッチョーニ監督の日本初公開作『踊れトスカーナ!』。イタリアの小さな町トスカーナで、それぞれ個性的だが平凡な毎日を過ごしていた会計士レベンテの家族。ある日道路標識が壊れていたので、レベンテたちの家をホテルと勘違いして訪れたスペインのフラメンコ・ダンサーの一行が現れ、レベンテはダンサーの一人に一目惚れ、生活は一変する」「最後はハッピーエンドで終る、いかにもイタリア映画らしい陽気なストーリー。しかし、イタリア映画で中心になりがちな母親をあえて不在にし、さまざまなひねった仕掛けをちりばめている。そして、抑制の効いた映像。もう少し観たいと思わせて場面転換するセンスは心憎いばかりだ。オチもばっちり決まった」

 「個性派ぞろいの中で、とりわけ輝いていたのはカテリーナ役のロレーナ・フォルテーザ。テーブルの上や庭でフラメンコを踊るシーンは、魅力いっぱいだ。主人公レベンテを演じたピエラッチョーニ監督も、真面目な半面とぼけた味で憎めない。ただ、『踊れトスカーナ!』という邦題は、野暮ったい。佳作だけに、残念だ」「 原題は嵐の意味の『IL CICLONE』。『6月のフラメンコ』とでもした方が、まだ良かったのでは」

 「マーク・クリストファー監督の長編映画デビュー作『 54  フィフティ・フォー』。1977年4月26日、ニューヨーク西54丁目にオープンしたディスコスタジオ54。アーティストたちが集まりスキャンダラスな芸術の情報発信源となった。退屈な日々を送ってシェーンは、オーナーのスティーヴ・ルベルの目に留まって入場を許され、やがてバーテンダーに昇格、アイドル的存在に昇りつめる。そして、欲望や夢とその空しさを味わっていく。当時の様子を再現したセットや映像にマッチした懐かしい音楽は心地よいが、ルベル逮捕後の展開は悲しすぎる。確かに派手な『パーティは終った』が、自由な場は形を変えて生み出され続けている」「ライアン・フィリップは確かに魅力的だが、『ベルベット・ゴールドマイン』(トッド・ヘインズ監督)のジョナサン・リース・マイヤーズほどではない。むしろ、スタジオ54のオーナーとして巨万の富みと名声を得ながら満たされない思いを持ち続けるスティーヴ・ルベル役のマイク・マイヤーズの、つかみどころのない演技が印象に残った」「『オースティン・パワーズ』(ジェイ・ローチ監督)とは全く違う側面を見せてくれたね。ひたむきに歌手を目指すアニタを演じたサルマ・ハエックも美貌とセクシーさに磨きがかかっていた」

 「『ハムナプトラ』(スティーブン・ソマーズ監督)は、古代エジプトの秘宝を巡る冒険アドベンチャー。モロッコの砂漠に死者の都の巨大セットを建設し、高度なCGを駆使しているのは分かるが、2時間以上あるのに観終った後の充実感が乏しい。登場人物に魅力がない。そして古いストーリーを新しく蘇らせることに成功していない。しかし、内臓までCGでつくりこまれたミイラ男は、見事に蘇り実際の人間たちよりも存在感があった」「見ごたえがあったのは、最初の場面。3000年前のエジプトのセットは、まさに『イントレランス』だ。許されぬ恋、王の怒り、死者の蘇りの儀式、そして恐ろしい刑罰と、畳み掛けるように進む。セットとともに十分楽しませてもらった。近代への切り替えシーンもさり気ないが手がこんでいる」「それだけに、近代に移った後は、テンションが上がらず、どたばたしたまま平凡な結末を迎えたのが残念だ」

 「昨年公開された『SADA』は大林宣彦色が濃厚だったものの下品なまま終った失敗作、そして前作『風の歌が聴きたい』は、作品としての質は高かったが大林監督の個性が希薄で物足りなかった。しかし新・尾道三部作の完結作『あの、夏の日』は、『あした』をしのぐほどの出来映え。明るくてちょっぴり切ない大林ワールドをつくりあげている。還暦を迎えた監督が初心に帰った愛すべき傑作だ」

 「主人公の少年『ボケタ』・大井由太役の厚木拓郎は、とぼけたキャラクターで『ヒェー』なんて叫んでいて、けっして演技はうまくないが、物語が進むうちに抱き締めたくなるほど魅力的になる。おじいちゃん役の小林桂樹は驚くほど軽妙、おばあちゃん役の菅井きんも尾道に根ざした見事な演技を見せる。さまざまなメッセージを静かに示しながら、懐かしいファンタジーが綴られていく」「『マキマキマキマキマキマショウ マキマキマイタラユメンナカ マキマキマキマキマキマショウ マキマキマイタラヤクソクネ』。不思議な呪文が、いつまでも心に残り、思い出すと今でも涙が出そうになる」

 「『家族シネマ』(パク・チョルス監督)。制作は韓国人スタッフで全編日本ロケ、日本語。柳美里の小説をほぼ忠実に映画化した。日本と韓国の文化的な交流としては、画期的な作品。崩壊した日本家族の喜悲劇を、まだ家族の結束が強い韓国の監督が見事にすくいあげていることも特筆すべき点だ」「バラバラになっている家族が、ドキュメンタリータッチの映画に出ることをきっかけに再会し、父親は映画を機に家族の再生を願うが、結局は修復できないことを実感するという苦いコメディ。母親役の伊佐山ひろ子が、とにかくうまい。必死で生きようとしている中年女性のしたたかさと淋しさが全身からにじみ出ている。切実であればあるほど、笑わずにはいられない」「父親を演じた梁石日の身勝手さと不器用さもリアリティがあった」

  「『お受験』(滝田洋二郎監督)は、矢沢永吉の映画初主演作。有名私立小学校への入学を目指す『お受験』と、リストラされた実業団マラソンランナーという構図で、人々の滑稽なまでの一生懸命さを描いている。滝田洋二郎監督お得意の設定だが、注がれるまなざしは、意外に温かい。いつもなら見られる過激なシーンを意図的に外している」「もはや虚妄でしかない『お受験』と企業の広告塔になった実業団マラソンを皮肉りながらも、最後に家族愛を持ってくる辺りは、しっかり受けを狙った。それも『虚妄』なのだが」

  「『永ちゃん』は、スポーツに賭けながら会社に裏切られる中年男性の悲しみと頑張りを身体全体で表現していて、ハマリ役。子供役の大平奈津美は、だんだん可愛らしく、愛しくなっていく。母親を演じた田中裕子は、マンガチックでおおげさな芝居が最後まで鼻についた」「ラストでは、廃部となって市民参加したかつての実業団マラソンランナーへの配慮も忘れていない。マラソンも受験も結末をあいまいなままにしているが、余韻は明るい」

 「『催眠』(落合正幸監督)は、ヒットしていたが内容はひどい。こけおどしと御都合主義のストーリー。画面全体に渦巻きをつくって『催眠』ですか。いやはや困ったものである。『パラサイト・イヴ』で、それなりに才能のきらめきを見せていた落合正幸監督が、こんな卑しい志の低い作品をつくるとは」「催眠で嫌な記憶を消し去ることが『良い治療』などという過った主張も気に触った。しかし、それでも『睡眠』せずに最後まで見せるだけの配慮はしている。一過性ではあるが『リング2』(中田秀夫監督)よりも怖かった」「ただ、最後のシーンの馬鹿馬鹿しさで、さらに10点減点」「収穫と言えば、入絵由香役の菅野美穂をおいて他にはない。怯え切っている演技から、多重人格者としての幅のある演技。そして『エクソシスト』並みのオカルト・シーン。完全にホラーの世界に入ってしまった。『エコエコアザラク』(佐藤嗣麻子監督)、『富江』(及川中監督)と続いてきた豹変演技は、一つの頂点を極めたと言えるだろう」

 「『青い魚』(中川陽介監督)は、沖縄を舞台にした中編。少女の一途な思いを切り取って、新鮮ではあった」「ヒロインの大内まりは、初主演だが存在感がある。最初はたらたらしていたが、恋した後の前向きな表情が素晴らしい」「ただ、60分の作品の割りには、導入部が長すぎる。もっと刈り込んでいい」

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 「『アイズ・ワイド・シャット』は、スタンリー・キューブリック監督の12年ぶりの新作。そして遺作。日本では成人指定での公開となった。結婚9年目で幸せだがささやかな倦怠期を迎えつつある夫婦。二人はそれぞれに性的な妄想をいだき、嫉妬する。ニコール・キッドマン扮するアリス・ハーフォードは、旅行先で一瞬だけ視線を交わした海軍士官との情交を夢みる。ビル・ハーフォード役のトム・クルーズは、性的好奇心で街をさまよい、著名人たちの秘密の乱交パーティに紛れ込み危うく難を逃れる。『お互いほどほどの冒険で良かったわね、セックスしましょう』でおしまい」「夢と現実が混濁する迷宮も謎もショッキングな映像もなかった。まして異常性欲など描かれてはいない」

 「豪華でセンスの良いセット、的確なカメラワーク、心憎い音楽の使い方は、確かにキューブリックらしい。ダンスシーンのたゆたうキッドマンはまぶしい。しかし、息を飲むようなシーンには出会えなかった」「『博士の異常な愛情』『2001年宇宙の旅』『時計仕掛けのオレンジ』『シャィニング』と歴史的な傑作を生み出した監督の遺作を観た感慨は深いが、キューブリックの『最高傑作』ではけっしてない」「映画化を構想した70年代に公開されていたとしても、代表作にはならなかっただろう」

 「ミュージック・ビデオやコマーシャルで活躍してきたガイ・リッチー監督のデビュー作『ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ』。『面白い映画を観た』と、感慨にふけった。スタイリッシュでコミカル。29才の才能豊かな新人監督の誕生だ」「ロンドンの下町で一攫千金を夢見る若者4人。しかしカードで負け、莫大な借金をしてしまう。残された時間は1週間。隣に住む悪党たちのドラッグと金の強奪計画を聞き付け、それを奪おうとする。さまざまな階層の人たちが登場し、スラングと訛りが飛び交い、物語は意地悪く転がっていく」

 「どたばた劇の末、コミカルに死体の山が出来上がる感覚はタランティーノを連想させるが、ガイ・リッチー監督は、もう数枚悪意のカードを多く持っている。多様な人々がひしめき合う猥雑な下町の犯罪世界に、ユーモアを粧った知的な悪意をしのばせる新しい感覚。ストーリーの見事さに映像のシャープさ、配役、音楽の巧みさが加わり、傑作が生み出された」「イギリス映画の活気を象徴する作品だ」「若い監督のね」

 「『キャメロット・ガーデンの少女』(ジョン・ダイガン監督)は、第16回ブリュッセル国際ファンタスティック映画祭のグランプリ作品。アメリカ・ルイズヴィルの郊外にある高級住宅地『キャメロット・ガーデン』が舞台。心臓を病んでいる空想好きの10歳の少女は、ガーデンの芝刈りをして生活するアウトローの22歳の青年と出会い、心を通わせていく。しかし、周囲は二人の関係を理解しようとしない」「社会派的な要素を盛り込み、皮肉な視線、軽めの毒をちりばめた純愛作品と呼べば良いのだろうか」「不思議な耽美系かな」

 「さまざまなエピソードが次々と描かれていくが、その意味は示されない。美しい構図を見せるためだけではないかという場面もある。しかし、すべては多感な少女のまなざしに沿って流れていく。ラストの不用ともいえるCGを含め、少女のための物語なのだ」「少女をこれ以上は望めないほどに生き生きと演じたミーシャ・バートンに拍手を送ろう。この作品は、結局彼女の存在に支えられている」

 「ぶっ飛びパンク・ブラック・コメディ『ホームドラマ』で注目を集めているフランソワ・オゾン監督の中短編作品を観た。くせは強いけど、『ホームドラマ』より好きだな。『海をみる』は、母親と子供の日常を描きながら、観る者をハラハラさせ続けるサスペンスの秀作。マリナ・ド・ヴァンがとびきり怖い。そしてしばらくは、歯を磨く時にこの作品を思い出すだろう。おえっ」「『サマードレス』は、同性愛と異性愛の間を揺れながら自分のセクシャリティに目覚めていく青年を描いた明るい作品。その屈託のないセックスシーンは特筆に値する。挿入歌の『バンバン』が耳から離れない。『x2000』は、とびきり短い。何事もないようで、どこかおかしな2000年の朝の風景。かすかな変調の予兆が示される。映像的な遊びに徹した作品だ」

 「『π(パイ)』(ダーレン・アロノフスキー監督)。何という緊迫感のある映像なのだろう。数学とユダヤ教のトーラー(モーセ五書)と株予想を結び付けるアイデアも骨太だ。製作費60,000ドルという驚異的な低予算で完成。1998年サンダンス映画祭で『デヴィッド・リンチとキューブリックの世界を合わせもつ』と絶賛され、最優秀監督賞を受賞した」「製作のキッカケは、塚本晋也監督の激烈な『TOKYO FIST/東京フィスト』。その勇気に刺激されたという。影響しあいながら、新しい作品が生まれていくというのはとても嬉しい」

 「数学者のマックス・コーエンの持病を、当初の不眠症から偏頭痛に変えたのは大正解だった。偏頭痛といえば、ニーチェを連想する。偏頭痛は日常の表面を引き剥がす。激しい痛みと恐怖がダイレクトに伝わってくるサウンドが素晴らしい。偏頭痛、失神、妄想を繰り返す主人公は、やがて世界のカギを解く数式をみつける。それをつかもうとする証券会社とカバラ主義者たち」「しかし、爆走してきた物語は主人公が頭にドリルを突き刺してふいに終る。知らない方が良い真理があるとでも言いたげに。シャープで暴力的な展開と韜晦したかのようなエレガントな結末。一部荒削りだが、いつまでも気になる作品だ」

 「『7/25』(早川渉監督)は、1999年カンヌ映画祭国際批評家週間正式出品。絶滅寸前のホシジマカエデを研究している植物学者、チエロ職人、若い探偵、毎月25日に100円ショップで万引きする女性。この4人が別々の場所で出会い、関係を持ち始める。魅力あるストーリーだ。場面設定と研ぎすまされた会話が素晴らしい。そして、人と人、人と植物が交感する」「現代的でありながら、古典的な味わい。たぶん人間や自然への信頼が根底にあるからなのだろう。『今のところ新しい芽が出たという報告はない』と言いながら、カエデの若葉をとらえるライトシーンも、アニメ版『風の谷のナウシカ』のように希望を提示している」「ハイセンスにまとめているが、役者が素人っぽいのがやや気になった」

 「スタジオジブリの新作『ホーホケキョ となりの山田くん』(高畑勲監督)は、いしいひさいちの4コマ漫画が原作。フルデジタルによる淡い水彩画でほのぼのとした味わいを表現し、またアニメーションの新しい地平を切り開いた。肩の力を抜いて気楽に見れば、飽きずに楽しめる」「相変わらず声優の妙に感心した。とりわけ、まつ子役の朝丘雪路がいい雰囲気を醸し出しいる」「テーマは『適当』。山田家の日常生活を描きながら、高い目標など持たずに気楽に生きようと呼び掛ける。重たいテーマをぎりぎりと突きつけてきた前作『もののけ姫』(宮崎駿監督)と、あまりにも対照的。むしろ、意識して正反対の世界を提示したのだろう」

 「何故『ホーホケキョ』と付いているのかを知って笑った。『火垂るの墓』、『おもひでぽろぽろ』『平成狸合戦ぽんぽこ』と、これまでヒットした作品には、皆『ほ』の字が入っていたので、今回も付けたとか」「その話し、何んかいいなあ」

 「貧しいが、人と人、人間と自然が深く交流していた時代を少年の視点で描いた『オサムの朝』(梶間俊一監督)。人々の素朴さ、自然の美しさがまぶしい。映画は、過去の出来事に閉じてしまわないように、家庭で孤立している少年と出会った中年技術者が自分の過去を話す形式を取っている。二人の出会い方がややわざとらしい以外は、物語には多彩な人々が登場し、めりはりがあって引き込まれる。ベテラン俳優が顔をそろえているが、中でも少年時代のオサム役の森脇史登が、実に清清しい」

 「人間の温かさを思い返させると言う文部省推薦のような側面もあるが、物語は優等生的な枠を越えていく。『皆死んじまえ』と叫ぶオサムの悲しみの深さ、そして感動的なのは子供たちの反乱である。参観日を前に質問と答えの予行演習をする担任に、子供たちは不信感を持っている。当日、家を出ていった母親が教室に顔を出したのを見たオサムは、先生の質問に『分かりません』と答える。他の子供たちも口々に『分かりません』と答え、皆で学校から出ていく。学校や両親への抗いのシーン。驚くほどたくさん涙が出た」

 「『学校の怪談4』(平山秀幸監督)は『死んだ人の魂は怖くない』というメッセージを持つ作品。最近のホラーへのアンチテーゼだろうが、怪談としては邪道である。連れ去られた子供たちが無事に帰ってくるのはまだ許せるとしても、学校を飲み込んだ大津波さえなかったかのような結末は、いくらなんでもお行儀が良すぎないか。郷愁あふれるストーリーは良くできているので周囲の評価は高いが、私には物足りない」「怪談は、怨みや呪いが映像に染み付いた『東海道四谷怪談』(中川信夫監督)のように、めっぽう怖くなくてはね」

 「大勢の子供たちが活躍。6,000人の中からオーディションで選ばれた小学3年生の豊田眞唯が、主人公の弥恵を演じる。とても可愛い上に、賢くて強い。彼女が物語を引っ張っていくのは事実だが、あまりにもしっかりし過ぎていて不自然な感じも残る。『フィオナの海』(ジョン・セイルズ監督)の少女が迷いも恐れもなく人間離れしていたのを思い出した」「少女は、半分向こうの世界に住んでいるからなのだろうか」

 「強引さに物語を引っ張っていく有無を言わせぬパワーが魅力の矢口史靖監督。1993年『裸足のピクニック』、1997年『ひみつの花園』に続く、待望の新作『アドレナリンドライブ』。しかし、作風は幾分変化している。以前の無茶苦茶さ、不自然をものともしなかったガムシャラさが影をひそめ、ストーリーは予想がつかないものの、ペースはかなりゆったりとしている。そして、気のきいたギャグをうまく盛り込み、楽しませてくれる』『パワーは落ちたものの、それなりに面白い。海外でも人気があるのは理解できるね』

 「優柔不断な主人公を安藤政信、石田ひかりが好演。ただし、2億円を手に入れてからの石田ひかりは一気に加速する。女性が頑張る矢口テーストだ。お笑いユニット6人組ジョビジョバが演じたちんぴらは、やることなすこといい加減。かつての矢口に登場したキャラクターを思わせる。そして、看護婦役で個性的なコミカル演技を見せた真野きりなには、久々に役者魂を感じた」「ますます今後が楽しみな逸材だ」

 「札幌のまるバ会館で、水戸ひねき監督の作品をまとめて観ることができた。水戸ひねき監督は1969年生まれ、士別市出身。札幌大学の映画研究会で93年に『ストレンジ・ハイ』を制作。ピアのフィルムフェスティバルでグランプリを受賞した。講義棟での女子学生のとぼけた会話、何者かが隠れる怪奇現象のシャープな処理。巧みに構成され、今観ても新しい」「私は96年の夕張映画祭のオフシアター部門でグランプリに輝いた『脳の休日』がシュールで一番好き。不思議な雰囲気がある。ギャグのセンスが良くて、無駄がなく、飽きさせない」

 「東京では『月とキャベツ』(篠原哲雄監督)の助監督などを務めている。そうそう、93年作品の『有名な秘密』は、水戸テイストは認めるが、まだ習作の段階だね」「ことし、東京の深夜テレビで放送された『ブラックリボン』は、なかなかの傑作。呪い屋をテーマにミニストーリーを展開する。わずか5分30秒の作品だが、星新一の初期のショートショートのような切れがある」「超低予算ムービーの『ワンピース』も、不気味な客の列とトイレの会話の対比がおかしい」「水戸監督の作品には、死がたちこめている。しかも、その匂いがギャグに変わり、コミカルなホラーが生まれる」

 「若き柏尾和直監督のアニメ『陰∞隠輪花』は、ブラザーズ・クエイの影響が濃厚な作品。ただ、それを必死に自分のものにしようとしている。技術力もある」「アニメに賭ける情熱はすごいね。茶道の道具などを持ち込むなど、仕掛けも手が込んでいる。今後に期待が持てる監督だね」


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Visitorssince1999.06.02