カチンコのアニメkinematopiaの3Dロゴですカメラマンのアニメ

kinematopia98.01


 「『メン・イン・ブラック』(バリー・ソンネンフェルド監督)は、ビデオクリップ付きの予告編を長期間流し続け、カップメンまで発売したのに、本編はかなり上げ底だった。もともとは、UFO目撃者を脅しに現われる謎の政府関係者がメン・イン・ブラックと呼ばれていたのだが、映画は国家権力のダーティな部分が取り払われ、単純なストーリーをお手軽なアイデアで味付けしたスナック菓子程度の軽さになった。せめて『アダムス・ファミリー』並みのアクの強さがほしかった」

 「『えっ、あの人も宇宙人だったの』というお遊びが用意されていて少しだけ笑わせる。しかし多数の宇宙人が活躍しているからアメリカは活気に満ちて素晴しいんだという印象よりも、宇宙人は身勝手で厄介な存在といった印象を与えてしまうのが残念だ。だから『移民差別が潜んでいる』などという批判も出てくる」

 「『オルランド』で、華麗な映像をなびかせながら400年を駆け抜けたサリー・ポッター監督。私は『オルランド』という完成されすぎた作品を観て、はたして監督は新しい映画が撮れるのだろうかと心配していた。しかし、予想もしなかった切り口で新作『タンゴ・レッスン』を生み出した。自らの身体を使い、虚実の間を激しく踊り続けて。作品としてのまとまりに難があることは認めるけど、彼女の表現者としての切実さは誰にも否定できないだろう」「前半でハリウッド界の愚劣さを正面から切り捨て、後半タンゴにのめり込みながら自己の苦悩を突き放す振幅の大きさは、敬服に値する。彼女はウディアレンとは別の技法で自己をパロディ化した」

 「『ラブ&ポップ』(庵野秀明監督)は、主人公・吉井裕美の股間からのカメラ・アングルなど素人くさいへんてこな映像から始まり、観ているほうが恥ずかしかったけれど、知らぬ間に映画の中に引き込まれていた。その辺の技術は『エヴァ』で実証済み。編集の巧みさは群を抜いている。現在のアニメ製作現場と監督の自己閉鎖の2つの限界を超えようとする試みといえるが、映画界にとっても刺激的なアプローチだ」

 「女子高生の淋しさと男たちの寂しさが『援助交際』という形で出会う様が淡々と描かれていく。キャプテンEOの場面は説教臭くなりがちなシーンだが、浅野忠信の繊細さと理不尽さが、人々のやりきれない孤独を浮かび上がらせることに成功している。監督自身をカリカチャーしたと思われるウエハラ役の手塚とおるも、ぞくぞくするほどの熱演だった」「エンドロールで4人の女子高生が、ふてくされながらも力強くどぶ川の渋谷川を歩き続けるシーンは秀抜。当初は4人が沖縄に旅行でやってきて明るく遊ぶシーンにする予定だったようだけど、印象がまるで違ったはず。どぶ川と女子高生の方が、はるかに庵野秀明らしい」

 「『フル・モンティ』(ピーター・カッタネオ監督)は、イギリスらしいひねりの効いたユーモアに包まれた、なかなかに深刻な物語。失業を通じて、家庭、夫婦関係がきしみ始め、男たちは悩みながらも文字通り裸になることで絆を取り戻していく」「相変わらず劇場には女性客が多く、映画のなかと同様に笑い声を響かせていた。しかし私は他人事として笑ってはいられない深刻な失業時代が、日本にも来るのではとの思いが脳裏から離れなかった。日本版『フル・モンティ』の登場は、そう遠くないかもしれない」

 「『トレインスポッティング』でベグビー役を怪演したロバート・カーライルは、失業者役ガズにもはまっている。親権を失いたくないために、仲間を集め男性ストリップを実現しようとするいじらしさが胸をうつ。そしてガズの子ども・ネイサン役のウィリアム・スネープがなんともうまい。あたふたしている大人たちをしり目に物語をぐいぐいひっぱっていた」

 「『フェイク』(マイク・ニューウェル監督)に移ろう。まずオープニングのクレジット・シークエンス・デザインが素晴しい。『セブン』でも抜群のセンスをみせたカイル・クーパーの仕事だ。彼の仕掛けのおかげで、渋めのストーリー運びにも興味を持ってついていくことができる」「ジョニー・デップの眼がいい。眼の演技に見とれた。どんな役にも巧みに入り込みながら、観終わるとデップの個性がにじみ出ている。その点では先輩であるアル・パチーノは、落ちこぼれだが殺しの場数は踏んでいる人の良いマフィア像を丹念に練り上げた。マフィア対FBI捜査官という構図の影に、俳優どおしの静かな対決も用意されていた」「全体を包む気品は貴重。ただ、潜入捜査中に同僚が気軽に声をかけてばれそうになったり、使ったおとり捜査用の船が新聞に載ってしまったりするのは、たとえ事実だったとしても、ストーリーの味を損ねているように思う」

 「マイク・リー監督の新作『キャリアガールズ』『秘密と嘘』ほどの厚みはないものの、女性2人の生き様がくっきりと浮かび上がる佳品。ハンナ役のカトリン・カートリッジは、苛立ちながら毒舌で周囲を煙にまいていた学生時代と落ち着きを身につけた現在を巧みに演じ分けている」「物語は、ブロンテ姉妹で始まりブロンテ姉妹で終わる。男性の軽薄さと不器用さに対して、女性のしなやかさとしぶとさが印象に残る。傷(ブラント)をもじって『ブランテ姉妹』と乾杯する中華レストランでの二人の会話が、胸を刺す。『女を人間として受け入れる男を求めてさまよっている』(アニー)『たいていの男はどうしようもなく弱い。どうしても、そこを許せない。だから私は孤独』(ハンナ)。男性の私は、リッキーのように眼をそらしたくなる」

 「カメラの闊達さと臭って来そうな粘っこさ。端正さと猥雑さのハーモニー。『ミミック』(ギジェルモ・デル・トーロ監督)の映像構成には、才能を感じる。この種の映画は、オリジナリティを生み出すことがとても難しく、今回も『エイリアン2』を連想したが、それでも観終わると独創的な質感が残った。新生物のデザインもスマートで、『レリック』のように失望させられなかった。ハリウッド映画という窮屈な制約の中で健闘したといえるだろう。女性ばかりが活躍する作品が多い中で、男女が協力して苦難を乗り越える姿が新鮮。歴史を感じさせる地下鉄空間の使い方も自然だ」

 「生物学者スーザン・タイラー役のミラ・ソルヴィーノが泥まみれになり、新生物を解体して内臓を取り出し、体液を身体に塗るシーンがたまらない。『誘惑のアフロディーテ』の娼婦役との対比を楽しんだ」「ただし、新生物に連れ去られた彼女が何故無事だったのかは、疑問。生みの親と知っていたとは思えない。また人間に擬態するにしても、ペースが昆虫なのだから、内臓器官まで哺乳類化することはないだろう。題名となっている『擬態』に関しては、その怖さがまったく伝わってこなかった」

 「昆虫の標本と子供たちの写真を組み合わせ不安を増幅させるカイル・クーパーのメインタイトルが、またまた素晴しい。ぞくぞくするほどの切れ。小手先のうまさではなく、作品をコラージュ化し遺伝子操作の恐怖を鮮やかに照らし出している」「これだけで1級の作品と呼べる水準だ。新しいジャンルを切り開いた感がある」

 「『セブン・イヤーズ・イン・チベット』(ジャン=ジャック・アノー監督)は、登山家ハインリヒ・ハラーと若きダライ・ラマ14世の交流を描いたスケールの大きな叙事詩。ハラーが少年ダライ・ラマに世界の状況を教えるうちに、自分も変わっていく姿を追う」「ハラーに関しては、山を目指すようになった少年時代も、夫婦の具体的なすれ違いも描かれていないので、人物の厚みがそがれた。前半の利己主義者ぶりがもっと際立っていれば、後半の変化もより鮮明になったはずだ。ピットは自分に合わせて役を切り詰める傾向があるが、今回ももう一皮むけてほしかった」

 「その点、ジャムヤン・ジャムツォ・ワンジュク演じるダライ・ラマは、好奇心の強さに加えて不思議な風格も漂いはじめ、終盤では完全にピットを食っていた。その他、出演していたチベットの人たちがいい。観光映画になることなく、人間としてのチベット人も、バランス良く配されていた」「しかし、双方の異質な文化との出会いという衝撃は、十分こちらの胸に染み込んでこない。チベットの奥の深さといってしまえばそれまでだが、溶け込み方がスムーズすぎる。中国のチベット侵略も日本の中国侵略から描かなければ、歴史の流れが見えてこないのではない」「はじめにハラーとナチスの微妙な関係を匂わせていただけに惜しいね」

 「『クワイエット・ルーム』(ロルフ・デ・ヘール監督)は、オーストラリア映画。少女のモノローグを中心に描く視点が新鮮。父と母の喧嘩に心を痛めながら、成長していく7歳の少女をクロエ・ファーガスンが好演している」「彼女の不機嫌な表情を見ていると、忘れていた少年期を思い出す」「終始不思議な雰囲気が漂う愛すべき逸品。壁の鮮やかなブルーが印象的だったね」

 「『スクリーム』(ウェス・クレイヴン監督)は、なかなか楽しい作品だった。ホラー映画のパロディをちりばめながら、最後まで引っ張っていく迫力は十分だった」「惨殺のための惨殺。殺人の動機はほとんど説得力なかった」「そこがパロディ映画たる由縁さ。青春のばか騒ぎのノリで観ないとね」

 「『ノーマジーンとマリリンモンロー』(ティム・フェイウェル監督)は、期待外れ。モンローを二人の女優が演じるというのは、彼女の二面性を浮き彫りにする上では分かりやすい手法。しかし俳優としては、平板な演技にならざるをえない」「それにしても、どうしてふけ顔の二人を選んだのだろう。ミラ・ソルヴィーノの胸は見ないですませたかった」


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 「混雑の中で『タイタニック』(ジェームズ・キャメロン監督)を観た甲斐があった。何という厚みのある演出だろう。240億円の巨費を投じた映画にふさわしい、手応えがズシリと残る大作。ジェームズ・キャメロン監督は、タイタニック号を再現しCGを最少限に抑えることで、船内パーティの華麗な雰囲気と臨場感ある沈没のクライマックスシーンを、観客に『体験』させることに成功している」「ディカプリオとウィンスレットのみずみずしい恋愛を軸にしながら、さまざまな階層、立場の人々を的確に描く目配りのよさに監督の度量を感じた」

 「タイタニック号の沈没は、さまざまな象徴としての意味を持つ歴史的な事件だが、その意味を実感するには、そこにいた2千数百人の人間の生き様を多角的に浮かび上がらせることが必要だ。石炭を燃やす過酷な環境の労働者、自由を夢見て乗り込んだ3等乗客から、上流階級の乗る1等客室へとキャメロンの目線はきめ細かく注がれる。そのため、沈没という危機に面した時の一人ひとりの切実さが伝わってくる」「観終わって、歴史に立ち合ったような感慨を覚えた」

 「『ポネット』(ジャック・ドワイヨン監督)は、4歳児の演技なので、ドキュメンタリー的な手法か、部分的な出演かと思っていたが、最初から最後まで物語に合わせて膨大な会話をこなし巧みに演技していたので、驚いたよ」「交通事故で突然母親を失ったポネットは、周りの大人や子どもたちとかかわりながら、死と生を理解していく。いじめっ子に『ママが死ぬってことは、子どもが悪い子だからだ』と言われ、『あたし、死にたい』と涙するシーンでは、もらい泣きさせられた。1996年ヴェネチア国際映画祭主演女優賞受賞は、当然の結果だ」

 「ポネットがどのようにして母親の死を受け入れるのか注目していたが、墓地で唐突に母親が現わる展開には失望した。安易な結末。ポネットに向かって話す『楽しむことを学ぶのよ』という言葉も、母親が4歳の子どもにする表現とは思えない」「ヴィクトワール・ティヴィゾルの名演技に沿った、自然な受容のスタイルがあったはずだ」

 「『マッドドックス』(ラリー・ビショップ監督)は、個性的な俳優をそろえているが、物語がいかれている。すっきりと切れているのではなく、ちぐはぐにいかれている」「こんなに音楽の使い方がカンに触った映画も珍しい」

 「『天使はこの森でバスを降りた』(リー・デビッド・ズロートフ監督)は、美しい自然に囲まれた人間ドラマ」「次第に秘密が明らかになる脚本は良く出来ているし、小さな村がコンテストによって変化していく過程は分かるが、ラストがいかにもという感じで満足できなかった」

 「『G.I.ジェーン』(リドリー・スコット監督)は、むかつく映画だ。これがフェミニズム映画なんてお笑いだ。印象に残ったのは、デミ・ムーアの筋肉美だけ」「なんで海軍なのかなあ。釈然としない。過酷な環境の中での表面的な強さばかりを求めるスコットの姿勢に、ますます共感できなくなっていく」

 「『プライベート・パーツ』(ベディ・トーマス監督)は、ラジオの過激なDJ・ハワード・スターンの成功譚。おバカな味付けはしているけれど、結局は家族を大切にするハッピーエンド。つまらない」「本人が主演しているのだから、いい気なものだよ」「『ラリー・フリント』に裁判官役で出演したラリー・フリントの方が自分の立場を分っていたね」「ラストのお遊びも、しつこすぎて笑えないな。嫌味だよ」

 「『リング』は、実際にビデオを観た女子高生が死ぬシーンから始まるという導入のほか、主人公を女性にしたり、人間関係を組み替えるなど、中田秀夫監督は、原作を思いきって変奏している。貞子の顔もあえて明らかにせず、両性具有という点も切り捨て、ホラーとしての純化を図った」「ノイズを取り入れた音楽を生かし、巧みに気配を吹き込む。緊張が静かに高まっていく。撮影所を舞台にした傑作『女優霊』でみせた恐怖を盛り上げる手さばきに、さらに磨きがかかった。劇場で観客の悲鳴を聞いたのは久しぶりのこと。それだけで監督の狙いは達成されたといっていいだろう」

 「ただ、お笑い一歩手前のおおげさな死者の形相や呪われた人の写真の顔が歪んでいるという演出はやり過ぎ。また肝心の呪いビデオ映像は、やや軽すぎる。宮崎勤の指差しシーンを取り込んだのもいただけない。ビデオ映像はTV版の方がおどろおどろしくて怖かった」

 「『らせん』(飯田譲治監督)は、『リング』から新しい謎が手渡される。司法解剖された高山竜司が、内臓を失ったまま起き上がる幻想シーンは、なかなかのインパクト。助かったはずの浅川親子の突然の死も衝撃的」「しかし始まりのテンションが次第に低下し、中だるみし始める。限られた予算の中で原作にとらわれすぎたことが大きい。この点では、中田秀夫監督の判断がまさっていた」

 「高野舞役の中谷美紀は幅の広い演技をみせた。一言も台詞がない貞子役の佐伯日菜子も、妖艶ささえ漂わせる女優に成長した。わが子を海難事故で失った安藤満男役の佐藤浩市は、そこそこの水準だが、実際の事故のシーンが具体的に描かれていないので十分に無念さが伝わってこない」「貞子の復活後、ストーリー運びが軽くなり、一気に人類の進化につながってしまったのは、いかにも飯田監督らしいが、水辺のシーンの絵画のオチは、単純すぎて白けさせる」「結末も、貞子の思いが乗り移った小説を刊行するというのではなく、映画をつくるという設定の方が良かったのではないか」

 「雪祭りオールナイトで上映された『雷魚』(瀬々敬久監督)は、ピンク映画の良き伝統を引き継ぎつつ、淋しくてやりきれない現代を寡黙に語った佳作だった」「殺人の理不尽さ、人間の欲望をむき出しにしたまま静かに終わる不気味さは格別だ」

 「『お墓がない!』(原隆二監督)は、岩下志摩主演のコメディ。しかし、芯の通ったキャラクターは一貫している。墓は力であると勘違いした世間知らずの女優が、やがて墓の持つ不自由さに気付く。このテーマはシリアスだ」「キャスティングもバラエティに富んでいて笑える。安達祐美は、岩下志摩と互角に渡り合っていた。さすが」

 「『死にたいほどの夜』は、希望と不安の間を揺れながら、刹那的に生きるニール・キャサディを、チャ−ルズ・ミンガスらの熱い演奏で包みながら、しかし淡々と描いたスティーブン・ケイ監督の第1回作品」「ニール・キャサディは、ジャック・ケルアック著『路上』に登場するディーン・モリアーティのモデル。バロウズらビートニクスに多大なる影響を与え、ヒッピーの教祖的存在だった。その彼を等身大で描くことが、監督の狙いだったのだろう。短い生涯を放浪した悩みの深さよりも軽快な気ままさが印象に残った」

 「脇役に徹したキアヌ・リーブスの無様な悪友ぶりの演技が印象的。自殺未遂するジョアン役クレア・フォーラニの脆さと気品にも引き付けられた。そしてグレッチェン・モルの特筆すべき可憐でコケティッシュな魅力に私も溺れかけた。『小悪魔的』と表現できる女優の出現は、久しぶりだ。その3人の間をさまよう30代の悪ガキ・ニール・キャサディ像を、トーマス・ジェーンは力むことなくまとめた。しかし、それが彼の地なのか、それとも演技なのか、最後までつかめなかった。それもまた才能だろう」

 「夕張国際冒険・ファンタスティック映画祭98のヤング・ファンタスティック・グランプリ部門エントリー4作品を観ることができた」「まず『MIMI』はルシール・アザリロヴック監督のデビュー作。あの『カルネ』を監督したギャスパー・ノエが製作、撮影を担当した」「『こってり系』の作風を予想していたが、品の良い色彩設計だった」「アザリロヴック監督は『最小限の色を使って製作したいと思い、色を削除し2色を選んだ。グリーンは現実、イエローは喜びや温かさを表わしている。それを使ってコスチュームやセットに色を配した』と、ティーチインで説明していたが、その意図は成功していると思う」「でも、肝心の少女の恐怖心の高まりは効果的に表現できていない。挿入されるTYのポルノや犯罪番組のシーンもストーリーと有機的に絡んでこない。始まったまま終わってしまったような物足りなさが残った」「50分はやはり短いかな」

 「リン・ストップケウィッチ監督のデビュー作『キスト』は、少女のネクロフィリアを叙情的に取り上げた。秀抜なライティングと色彩美に酩酊状態。どのシーンも美しい。そしてサンドラ・ラーソン役のモリー・パーカーが素敵です。知的で清潔な雰囲気を持ちながら、死体とのセックスに溺れていく演技は高く評価したい」

 「少女時代のラーソンが腐敗の匂いをかぎ、動物の死体から染み出た体液を身体に塗るシーンは官能的。しかし成長し関心が動物から人間に移るうちに体液描写は影をひそめる。お気に入りの死後間もない若い男性からは腐敗した体液は出ないから。葬儀場の防腐処理担当のシーンでも内臓は登場しない。観客に嫌悪感を抱かせないための配慮だろう。しかし、そのために後半やや上滑りの印象となった」

 「『THE GROUND 地雷撤去隊』(室賀厚監督)は、憂鬱で深刻な問題を取り上げながら、最後に爽快感を残す娯楽作品にまとめている。その並外れた力技は認めたい」「トラブル続きの中で、使えるものは何でも使おうという貪欲さが、低予算を感じさせない力強さにむすびついています。『SCORE』で鍛えただけのことはある。ただ、あまりにも予定通り、約束通りの展開すぎる」「娯楽作品とはいえ、日本企業への皮肉は、もっと辛辣で良かったのではないか」

 「アルベール・デュポンテル監督・主演の『ベルニー』は、孤児が自分のアイデンティティを探す旅に出るというシリアスなドラマを、コミック・スプラッター的な世界に作り替えた。初めて孤児院を出て生活を始めた無知な青年が繰り広げるコミカルな物語かと思わせるが、浮浪者となっていた父親と出会ったあたりから、タッチが変わる。急展開に襟首をつかまれたまま、引きずり回された。ぶっ飛ぶ傑作。この作品で初めて映画に出演した女優のクロード・ペロンは『出演したことを大変誇りに思っている。『ベルニー』はとてもオリジナル性がある。ほかのフランスのつまらない映画に出るよりも、よほど良かった』と、なかなか毒のある答えをしていた」

 「井坂聡監督の『女刑事RIKO 聖母の深き淵』は、過激な表現と巧みな構成が話題となった小説の映画化。原作に比べ、映画はおとなしすぎる印象を受けた。この点について井坂監督は『原作は非常にストレートな描写のシーンが多いので、そのまま映像化してしまうと、拒絶反応の方が強いのではないか。少しオプラートに包んでも、原作を損なうことにならないと思った。表現としては抑えていって、なおかつハードな匂いだけは伝わるようにした』と弁明したが、『ベルニー』を観た後だけに素直にはうなずけなかった」「前半は、ママさん刑事の奮闘記のような子育ての苦労話が中心。しかし、後半に移って前半の退屈な描き込みが生きてくる。予想外の展開に次第に映像もストーリーも引き締まり集中させられる。ただし今回は『Focus』のような手の込んだ仕掛けはない」「グランプリは予想通り『ベルニー』だったね」

 「さて話題作の『ゲーム』(デビッド・フィンチャー監督)に移ろう。伏線がないまま、ストーリーが二転三転する。さんざん弄ばれた挙句の空しい結末。肩すかしの大きさは近年まれに見るものがあった。このお祭り騒ぎを楽しめない自分を責めるべきなのだろうか。素直に、豪華で派手なハリウッド映画的な無内容さを味わい、『あーっ、面白かった』と言って、さっさと忘れてしまうべきなのかもしれない」「しかし、この展開がすべて計画されたゲームだとしたら、その経費は『タイタニック』を上回るのではないか。さらに明らかに市街で実弾を使っているのは、近所迷惑もはなはだしいと思う。大金持ちの『誕生日プレゼント』に巻き込まれた者はたまったものではない」

 「核にあるはずの父親の自殺というトラウマも流行のレベルを脱していない。お金はかけているものの、作りが雑で重さが感じられないので、ゲームというオチも生きてこない。人生は辛いが、所詮根拠の無いゲームだ、と思わせるような粋な味わいをフィンチャー監督に期待するほうが無理か。『セブン』のように映像だけを楽しむということもできなかった」

 「『モハメド・アリ かけがえのない日々』は堀だしもの。 レオン・ギャスト監督は、当初ボクシングの試合に合わせて開かれた音楽フェスティバルの映画を撮るつもりだった。ジェームス・ブラウン、B.B.キングら、そうそうたるメンバーが集まった。アフリカ版のウッドストック。しかしジョージ・フォアマンの負傷により試合が延期されたため、その間モハメド・アリの映像をたくさん撮り、構想は大きく変更されていく」「資金不足と闘いながら22年間かけて編集されたドキュメンタリーは、歴史的かつ象徴的な試合を核に据えながら、アリの多面性を見事に浮かび上がらせている。絶妙な距離感だ」

 「コンサートとアリの映像を観ていくうちに、アリのノリが『ラップ』だと気づいた。人種差別への怒り、タイトルを投げうって徴兵を拒否した反戦の姿勢、自慢話に込められた社会批判というアリのスタイルが見えてきた。彼は試合だけでなく、社会に対しても『蝶のように舞い、蜂のように刺し』続けてきたのだ。最後に紹介されたアリの短い詩『俺、俺たち』は、締めくくりにふさわしい言葉だった」

 「『GO NOW』(マイケル・ウィンターボトム監督)は、難病「多発性硬化症」を患ったポール・ヘンリー・パウエルの体験をもとにしたラブ・ストーリー。幸せな同棲生活、発病、不安、諍い、そして愛の再確認というお決まりのコースながら、きれいごとにならず、しかも感傷から逃れている佳品だ」「ニック(ロバート・カーライル)のサッカー仲間達がいい。いつもわいわい下品なジョークを絶やさない。最初に交わされる車椅子の障害者に対する差別的な下ネタ話が、発病でニックが車椅子生活になる展開の伏線とし見事に決まっている。カレン(ジュリエット・オーブリー)がニックを愛しながら上司と浮気するところもリアリティあったね」


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 「『シンドラーのリスト』で社会派監督としての手腕を認めさせたスティーブン・スピルバーグ監督。新作『アミスタッド』は、奴隷貿易をテーマに骨太の映像で人間の尊厳を歌い上げているが、残念ながら『シンドラーのリスト』には及ばない」「アメリカの歴史的な暗部を照らし出そうという意気込みは理解できるが、人物が型にはまりすぎて、人間的な膨らみがない」

 「アフリカから理不尽に誘拐されアメリカに運ばれてきたシンケは、力強く自由を主張する。その姿は崇高で美しい。しかし葛藤や怯えが微塵も描かれないので、ヒーローとしての存在感が乏しい。アフリカ人の側に立った若手弁護士ロジャー・ボールドウィンも、驚くほど迷いがない。最後にアメリカの原点を説くクインシー・アダムズにのみ、かすかな屈折を感じるだけだ」「自由を尊重するというアメリカの理念だけが、強調される。そのために引き合いに出されるのが、奴隷制を容認するスペインの政治的な未熟さ、非民主さだ。しかし、このように国単位で優劣を考える姿勢では、交錯した差別構造を撃つことはできない。新しい差別を生産するだけだ。ここにスピルバーグの未熟さが露呈している」 

 「『キッチン』(イム・ホー監督)は、ゆらゆらしながら、ほのかに悲しいけれど、幸せな静けさにたどり着く。大友良英の完成度の高い音楽が、水のような映像をしっかりと抱きしめていた」「ストーリーはかなり組み替えているが、小説『キッチン』と地下水脈でつながっている質感があった。原作の世界的な普遍性が実感できる。しかし、映画としてはバランスを欠いている部分が多く、ストーリーの運びにもやや唐突さを感じた」「アギー役の富田靖子は感情の起伏を丹念に演じ、強いオーラを放っていた。ときに見惚れるほどに美しい表情を咲かせる。『南京の基督』(トニー・オウ監督)に続き、国際的な舞台で仕事をする女優としての自信を感じた」

 「『HANA-BI』(北野武監督)に感嘆。北野ブルーに染め上げられながら、全身が打ち震えるようなラストシーンに浸り、映画が終わっても立ち上がれなかった。静けさ、暴力、ユーモア、優しさが、これ以上は不可能なほど絶妙に溶け合っている。ストーリー的にギクシャクしたところがなく、いつもはしらける悪ふざけも今回は映画の中心にきちんと結び付き、浮いていない。第54回ベネチア国際映画祭金獅子賞受賞は妥当だった。『みんな やってるか!』や『キッズ・リターン』で北野映画に懐疑的になり、観るのをためらっていた自分を悔いた」「挿入される絵画が、映画と静かに響き合う。北野監督が、あの大事故の後から書き始めたもの。名監督は何故か皆絵がうまいが、北野監督の絵は格別の味がある。花と動物の合体など、ほのかな毒がある作品は忘れ難い」

 「夫婦が自殺するラストシーンは、撮影直前に変更されたようだが、これ以外にはありえないほど、作品全体を集約していたと思う。それまで一言も話さなかった西美幸役の岸本加世子の言葉『ありがとう。ごめんね』は、狙い通りの圧倒的な効果を上げた。銃声にかぶさる波の叙情が見事」「文句のつけようがない傑作だが、監督がベネチアで語った『日本人的な感覚が受け入れてもらえるかどうかが、今回のポイントだったと思う』という言葉が気になった。これまでの映画の常識をくつがえすような演出や編集を行なっているのは確かだが、何も『日本人』などと国籍で括ることはない。映画の新しい文体が生み出され、それが国を超えた共感を呼んだという事なのだから」

 「ポール・シュレットアウネ監督の長編デビュー作『ジャンク・メール』は、暴力的なアキ・カウリスマキといった感じ。ノルウエーのオスロを舞台にしながら、描いているのは汚れた街と雑然とした部屋ばかり。意図して観光的な都市の映像を避けているのは、これまでのノルウエー映画へのささやかな抵抗だろう。しかし冷え冷えとした空気は、いかにも北欧的だ。そこからシケた人間たちの愛すべきドラマが生まれてくる」

 「人生を半分投げてしまっているような郵便配達員が、ふとしたことから女性を助けることになる。そして騒動に巻き込まれていく。ストーリーの巧みな展開は、周到に用意されていた小道具や場面設定に支えられている。シンプルなシーンの積み重ねで飽きさせない構成は評価していい。登場人物一人ひとりに確かな生活の臭いがある。物語が拡散したまま、やや甘い結末で終わってしまう点は、不満の残るところだろう。しかし監督が熟考した結果だと思う。朝日は昇るが、またいつものさえない生活が待っている」

 「『スポーン』(マーク・デッペ監督)は、日本のメンバーが対等な立場でハリウッド映画製作に参加したCGコラボレーションワークとして、注目されていた。まずは日本のCGカットが採用され、作品が公開されたことの意義を確認しておこう。しかし映画としては、まとまりを欠いた失敗作といわざるをえない。B級SFのテイストを生かした『マーズ・アタック!』の線を狙ったのだろうが、ストーリーがすっきりしない上に、コミック的な悪ふざけとCGのスピード感がアンバランスで、吸引力が弱い」

 「焼けただれたスポーンは『悪魔の毒々モンスター』を連想してしまうほどのオバカぶり。それに対して変身後は、マントをひるがえし、非常にかっこいい。その落差にとまどう。地獄のシーンは背景が素晴しいものの、地獄の支配者マレボルギアがあまりにもちゃちなのに閉口。CGとはいえ、やはり重量感がほしい。CGの出来にムラがあるのは、共同作業のせいか。意図的な描き分けとは納得できなかった」

 「全身にガラスや金属片を刺しまくりパンク・スプラッターを切り開いた『バタリアン・リターンズ』(ブライアン・ユズナ監督)やハイブリッド・スプラッターの『キラー・タン』で主役を演じたメリンダ・クラークがジェシカ・プリースト役で登場したが、魅力を発揮できずに死んでしまったのは残念。官能的でねちっこいアクションが観たかった」

 「忘れずに書いておかなければならないのは、タイトルバック・デザインを担当したカイル・クーパーの映像水準の高さだ。黙示録的な深みを持たせながら、すさまじくスピード感のある世界を築いていた。瞠目すべき仕上がり。最初にこの高密度のシーンを観ると、どうしても本編が軽く感じられてしまう。締めくくりのエンドロールも凝りに凝っていた」「観ないで帰った人たちは、かなり損したと思う」

 「『悦楽共犯者』(ヤン・シュワンクマイエル監督)は、『ファウスト』に続く役者を使った作品。ただし、せりふはない。6人の男女が、さまざまな道具を駆使しひそかに行なう自慰行為を、この監督にしては淡々と撮り続けていく」「シュールで滑稽な味わい。ヤン・シュワンクマイエル監督は『ブラック・グロテスク』と言っているが、陽気なまでに明るい雰囲気に包まれている。おのおののセクシャルファンタジーは、ある意味で微笑ましいくらいに素直だ」

 「描かれているセクシャリティのレベルはもはや異端とはいえない。私達はもっと屈折した地点にいる。彼等の真剣さがうらやましく思えるほどに荒廃している。強いてあげるなら、私達は人形の方に似ているかもしれない。私は引き裂かれ、つぶされる人形たちにひそかに自分を重ねていた」「そして、ヤン・シュワンクマイエルを師と仰ぐブラザーズ・クエイの音楽センスを楽しんだ」

 「『身も心も』は、シナリオライター荒井晴彦の監督第1作。『撮ってもらえる監督がいなくなった、というのが監督した動機だ』と話していた。50歳を目前にした全共闘世代の迷いを、家族のほころび、男女関係の交錯から見据えようとしている。学園紛争という鮮烈な歴史を引きずりながら生きてきた男女の一つひとつの会話は、言葉が立ち上がり、切れがある。さすがだ。しかし全体としてはストーリーに新鮮さがない」

 「発見は別の所にある。40代後半のセックスを正面から美化せずに描きながら、しかし見苦しくないというのは、画期的なことではないか。少なくとも『失楽園』の現実味の無さとは対照的だ。何を考えているのか分からないが、三角関係を続ける柄本明の表情と身体は特筆に値する。このつかみどころのなさこそが、この映画の華だろう。だから、ラストシーンでとりあえず血のつながりにすがろうとした監督の投げやりな態度を許す気になれない」

 「『CLOSING TIME』も、シナリオライターをしていた小林政広の、作家性が全編にみなぎる自主製作作品。第8回ゆうばり国際冒険・ファンタスティック映画祭97で、日本映画初のヤング・ファンタスティック部門グランプリに輝いた。妻子を事故で失った男の虚脱と孤独という重い題材と、ブラックユーモアに満ちた短いコントをうまく組み合わせメリハリのある構成。ただ、堂々巡りするしかない男の生き様が、ややナルシスティックに傾きすぎている点は、映画的な弱さとなっている」「それは、監督の弱さでもある」

 「『タイタニック』が映画なら『CLOSING TIME』も映画だ。低予算ながら、映像はけっして貧しくない。そして監督の切実な思いを、俳優たちがくみ取ろうとしていることが痛いほど伝わってくる。ときに滑稽にさえ見える深水三章の淡々とした演技が、次々と登場する女性たちの孤独とたくましさを浮かび上がらせていく。マスター役・中原丈雄のあくの強い演技と絶妙のバランスを保っていた。終わり方のわざとらしさが惜しまれる」「距離間を見失ったのだろう」

 「『ニル・バイ・マウス』は、俳優ゲイリー・オールドマン入魂の監督デビュー作。自らが育ったサウスロンドンでロケーションし、ほろ苦いユーモアに包みながら、下町の過酷な生活を妥協のない暴力シーンとともに描き切った。自然光を生かした酒場のシーンをはじめ、あたかも同じ空気を吸っているように感じさせる映像が観る者を引き寄せる」「監督がどっぷりと映画の中に入り込みながら、それでもあやうい距離を保っているという離れ業をみせてくれた」

 「麻薬中毒、家庭内暴力、アルコール依存症。各々の場面に監督の愛着と憎悪が漂う。やりきれない日常をすえた映像にしっかりと定着させた努力は認める。しかし夫のリアルな暴力のあとに、結局は家族の再生という『救済』が用意されている点は、立ち止まって考えてみる必要があるだろう。これを『愛』とみるか『生活のため』と見るか。単純に答えは出ない」「しかし、監督にとっての『癒し』が込められていることは否定できないと思う」

 「『ピースメーカー』(ミミ・レダー監督)の核兵器を盗んで逃げるテロ集団の畳み掛ける前半の展開は力強い。しかし、本当の黒幕が妻子を殺されたサラエボの男と分かって、物語に力がなくなる」「理不尽に妻子を殺された男が、アメリカを憎みニューヨークで核を爆発させようというのも不自然。ニューヨークの家族連れを見ても、感情が揺れないのは納得いかない」「核の時限爆弾を背負って走り回るというの芸がない。ちぐはぐさが最後まで消えなかった」

 「アラン・テイラー監督の『パルーカヴィル』は、最近珍しい軽さのある犯罪コメディ。新鮮な感触だった」「憎めないストーリーで、無事ハッピーエンド。良きアメリカコメディ映画の味だね」「スザンネ・オフテリンガー監督の『ニコ・イコン』の、ニコをめぐる男たちの証言が興味深い。華麗な白いドレスから退廃の黒いドレスへの変身。『女に生まれたことが一番の後悔』と話していた彼女の一生は、偶像化からは遠い」

 「『フェイス・オフ』(ジョン・ウー監督)は、娯楽作品と割り切って、観た後すぐに忘れてしまえばいいのだろうけれど、こけおどしの多いアクション映画だ」「肌を合わせているにもかかわらず、顔や声を変えただけで夫や恋人が別人になったと気付かないことなんてあるのか。大人の映画としては失格だ」「安直な顔の移植も、いただけない」

 「『いちばん美しい年令』(ディディエ・オードパン監督)は、屈折した思春期の少女を主人公にしながら、思想と欲望、人間の尊厳を見つめた辛口の青春映画だ」「苛烈なストーリーだったよね。フランス映画の伝統を感じる」

 「『浮き雲』(アキ・カウリスマキ監督)は、不況で失業し不運続きの夫婦が小さなレストランを成功させるまでの物語。会話を最小限にすることで、情感を引き出す手法は健在だった」「でも、ラストが明るかったので意外だったよ」

 「『ユキエ』は、松井久子第一回監督作品。アルツハイマーを扱っているが、叙情に流されている。夫婦の45年間の絆も言葉でしか伝わってこない」「ユキエ役の倍賞美津子が、アルツハイマーを『ゆっくりしたさようなら』と表現したのには、ほろっとしたけれど、夫の裁判問題、息子たちとの関係、近所づきあい、日本の記憶や肉親との関係、いずれもが何ら深まりを見せないままに終ってしまう。深刻なテーマを柔らかく取り上げようとしたのだろうが、歯がゆさのような感覚が残った」

 「『スリング・ブレイド』は、ビリー・ボブ・ソーントンの監督・脚本・主演。てらいのないカメラワーク。細部を積み重ねていく正攻法の展開。そして安易な肯定も否定も受け付けないラストの重み。素晴らしい」「久しぶりに物語を観たという感慨に浸っていた。ここには、悲しみを背負った生身の人間がいる。地味だが映画の醍醐味を味わえる作品だ」


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 「心に傷を持つ天才青年が、セラピストの力で心を開いていく。『グッド・ウィル・ハンティング』(ガス・ヴァン・サント監督)は、あらすじだけを書くと、全身がかゆくなりそうだが、若さと熟成が調和したすがすがしくて緻密な脚本が物語を自然に盛り上げ、違和感を抱かせない。クライマックスでマクガイア(ロビン・ウィリアムス)が繰り返し『君は悪くない』とハンティング(マット・デイモン)に話すシーンでは、自分もマクガイアの胸で泣き崩れたくなったほどだ」

 「ただ、終始気になったのはハンティングの天才ぶり。数学的なひらめき、解析力と抜群の記憶力を合わせ持つというのは、希有のことだろうが、マット・デイモンの演技からは、そこまでの才能を感じることができなかった。数学的な才能だけなら納得できたのだが。ラストで職を投げ打って恋人の元に向かったのも芸がない。天才も恋をすれば、ただの人的な結末だった。そんなことはない。本当は、ここから彼の闘いが始まるはずだ」 

 「『ブラス!』 (マーク・ハーマン監督)は、いかにもイギリス映画。イギリス・ヨークシャー地方のグ リムリーが舞台。各地の坑山は続々と閉鎖され、グリムリーにも炭坑閉鎖の危機が迫っていた。炭坑で働く男たちによる伝統あるブラスバンド、グリムリー・コリアリー・バンドは、失業の不安を乗り越え、全英選手権決勝大会を目指す。闘う男たちの団結という、ともすれば古臭いストーリーを素晴らしいブラスバンドの響きが盛り上げ、確かな感動を生み出す」「『ダニーボーイ』『ウ ィリアム・テル序曲』『威風堂々』などのスタンダード・ナンバーが、こんなに新鮮に聞こえるとは。圧倒的な体験だった」

 「働く男たちの表情がいい。困難に打ちのめされながらも『音楽』という支えを、しっかりと握り締めている。その妻たちの瞳も輝いている。ピート・ポスルスウェイトが頑固な指揮者ダニーを渋く演じ、アンディ役ユアン・マクレガーは『トレインスポッティング』とは別の青年像、恋人と男の友情の間で悩む実直な青年を好演している。結末の甘さを指摘するよりも、涙を流させた音楽の魅力に素直になろう」

 「『ポストマン』(ケビン・コスナー監督)は、戦争によって国家が崩壊した近未来が舞台。マスメディアはおろか電話も通じなくっている。当然手紙も届かない。人々は西部劇のような衣服をまとい、小さな集落に分散して生活しているが、人種差別主義を貫く独裁集団が村からの略奪を続けている。『風の谷ナウシカ』みたいに、今から1,000年後というのならまだ許せるが、15年後の2013年という荒唐無稽な設定には恐れ入る」

 「ケビン・コスナーは、大掛かりな舞台を好むようだ。郵便配達人が人々をつなぎ、独裁者に立ち向かっていくというストーリーにリアリティを持たせるにはかなり丁寧な構成が必要だ。しかし力量が伴わないので、目を覆いたくなるような作品になる」「『ダンス・ウイズ・ウルブズ』には自己批判的な姿勢があったが、今回は西部劇の延長線上に安直な国家が展望されているだけだ。そこに未来はない」

 「『女優マルキーズ』(ヴェラ・ベルモン監督)は、自立した俳優を目指したマルキーズの短い情熱的な生涯を描いているが、脚本のきめの荒さが気になった。モリエールもラシーヌも紋切り型の仮面を剥がすだけで人物に深みがない。17世紀フランスの薄汚れた民衆の描き方も、視線の高さが鼻につく」「マルキーズは、貧しい大道芸人の娘だから、知識はないはず。しかし、どういうわけか詩を読み上げ、貴族と渡り合うまでに突然成長する。どう考えても不自然だろう」

 「ソフイー・マルソーは、一途なマルキーズを熱演している。溌溂としたしぐさ、意志の強さは彼女の魅力だ。ただ、ラシーヌの裏切りであっさり死を選んでしまうまでの苛烈な情熱には、あと一歩届いていないように思う 」「ジョルディ・サヴァールの音楽も『めぐり逢う朝』ほどには心を揺さぶらなかった」

 「『エンド・オブ・バイオレンス』のヴィム・ヴェンダース監督の映像の艶に、うなった。ハリウッド映画の暴力や都市の精密な監視システムへの批判は、今さらの感があるが、映像の力に引きずり込まれてしまう。とりわけ孤独に苦しむアンディ・マクダウェルの表情が官能的で美しい。トレーシー・リンドとロザリンド・チャオもなかなかのオーラを放っていた。それに対して男達はどこか影が薄い」

 「『ベルリン天使の詩』以降のヴェンダースは、冷戦終結後の世界で迷い続けている印象があった。『夢の涯までも』には、監督のストレートなうめきが込められていた。『エンド・オブ・バイオレンス』を観て、やっと大地に足を下ろす決意を固めたように思った。紋切り型に近い足場ではあるが。しかし、ラストになって躊躇したように浮き上がり、ふいに高みに登ってしまった。しかし、天使はもういないはずだ」

 「『ジャッキー・ブラウン』(クエンティン・タランティーノ監督)は、危機を好機に変えて、まんまと大金をせしめるタフな中年女性の物語。かなり危ない計画なのだが、なかなか良くできている策略だ」「だれることはなかったが、少し長過ぎるように思うな」「でも、べたべたしていないラストの爽快感は、さすがだった」

 「『F』(金子修介監督)は、少女漫画のノリで始まり、最後に熊川哲也のバレエをたっぷり見せ、ハッピー・エンドで締めくくる(怪我が直って、あんなにすぐ踊っていいのかな?)。まさに型通りの展開。金子修介監督の作品としては、やや食い足りなさが残る」「しかし、ラジオのパーソナリティを務めた熊川哲也は、スター性が声にも表われていて、その甘い響きに聞きほれた。ここまでカッコよく決めてしまうとは、予想しなかった。脱帽。ラジオ放送と携帯電話という組み合わせも、なかなか面白い。

 「古瀬郁矢役(熊川哲也)と荻野ヒカリ(羽田美智子)は、『恋愛において成績がF』ということになっているが、そんなことはない。むしろ、ヒカリの幼馴染みの久下章吾(野村宏伸)や離婚した親友の有加(村上里佳子)の方が『F』だろう。何時までも待ち続けていてくれそうな久下章吾のような存在は、最近の理想の男性像かもしれない」「久本雅美の一発芸にも笑えた。それだけと言ってしまえばそれだけだが」「うん」

 「『SADA』(大林宣彦監督)は、ハンセン氏病の恋人がいたという定の思春期のトラウマから例の事件への流れを描こうとしたものの、空回りに終わった。挿入される歌がダサい上に、ギャグは下品で外しっぱなし。観ているこちらが恥ずかしくなった」「いつもは、みずみずしさをたたえた映像を編み出す大林監督らしさがない。だいたい、黒木瞳に14歳の定役をやらせたことが間違いだった」

 「男女の欲望を正面から描いた大島渚監督の『愛のコリーダ』を意識しすぎたのだろうか。斜に構えた映像の遊びが多く、かえって一つひとつの仕掛けが生きていない」コミカルさを狙うなら、正面から取り組むべきだ。『愛のコリーダ』のゆで卵のシーンのように」「最後に定も刑事も笑っている逮捕時の不思議な写真が出てくるが、大林監督なら有名な写真をただ紹介するのではなく、あの笑いの意味を映画のワンシーンとして、時代背景を匂わせながら巧みに演出できたと思うのだが」

 「『MIND GAME』(田口浩正監督)は、監督第1作。流行りの多重人格をテーマにしている」「中盤の盛り上げ方はなかなかスリリングだったよ。でも結末があまりにも型通り過ぎた」「学術的な解説は不要だと思うな。片山とのかかわりの中で田中の中に新たに田山という人格が出来たという終り方で良かったのでは」


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 「『エイリアン4』( ジャン=ピエール・ジュネ監督)は、グロテスクな味わい。エイリアンとのにらめっこなど独特のユーモアを交えながら、水のシーンでは映像の魔術をみせてくれた。物語の底に流れているのは今日的なテーマであるクローンとハイブリッド化。振り返ってみると、1979年の『1』が『異質な他者との出会い』、86年の『2』が『母性の闘い』、92年の『3』が『自己犠牲による死』と、その時々の切実なテーマが核となっていた。今回は、それらを含みながら『異種融合』がストーリーの根幹にある。テーマを批判する訳ではないが、その方向性は疑問だ」

 「エイリアンは、もともと寄生した生き物とハイブリッド化する生物で、初代の形態もすでに人間的になっていた。他種の身体に寄生して遺伝子融合し、身体を食い破って成長するというところに、エイリアンの特異性があるはずだ。人間と融合した結果、寄生性を脱ぎ捨ててしまうというのは、エイリアンの遺伝子的な敗北だろう」「だいたい、脱出するためとはいえ、シャープなエイリアンに合議による犠牲死は似合わない」

 「エイリアンの血を持ち凶暴なはずのクローン・リプリーは、後半になるとすっかり善人になってしまう。失敗したクローンを見て、あんな取り乱すことはない。エイリアンの人間化だけが進行していく。外骨格系エイリアンの自己否定に等しいニューボーン・骸骨エイリアンのデザインは酷い。そして最後に宇宙船に空いた穴から宇宙に散ってしまうのは、B級アイデアだ」「ラストの「地球は美しい」という言葉が無神経で許しがたい。『5』の舞台が地球になるという伏線なのだろう。エイリアンもすっかり飼い慣らされてしまったものだ」

 「ヨーロッパのビザールなテイストとハリウッドのダイナミックさのハイブリットを期待したが、今回は満足のいく成果とはいえない。しかし何度でも試みることだ。クローン・リプリーは8回目に蘇ったのだから」

『ドーベルマン』は、ヤン・クーネン監督の長篇デビュー作。パンクなCGによるタイトルクレジットから、高らかにコミック的な作品であることを宣言し、ラストまでハイテンションのまま爆走する」「計算されたスタイリッシュな構図と暴力的でハチャメチャなストーリーが絶妙に調和。映像のタメとスピードのバランス感覚が、ずば抜けている。監督自らと仲間の監督たちが出演するお祭り感覚とともに、『カイエ・ド・シネマ』で糞をふくという挑発もちゃっかり滑り込ませる悪意が嬉しい」

 「『フランスの松田優作』と騒がれているヒーローのヴァンサン・カッセルよりヒロインのモニカ・ベルッチの方がギンギンに尖っている。アクション手話も素晴らしい。スーパーモデルもどきの『アパートメント』から、俳優として大きく成長した」「スキゾマニアックの音楽も秀抜。興奮を盛り上げ、ラストのクラブでの凄まじい銃撃戦に雪崩れ込む。クラブのデザインも泣かせる。何度でも楽しめる傑作の誕生だ。『エイリアン5』をつくるなら、監督はヤン・クーネンが面白いかも」

 「『ウインター・ゲスト』は、俳優アラン・リックマンの監督第1作品。『ドーベルマン』とは対照的な静けさに満ちている。物語としては、ほとんど何も起こらない。しかし、人々が出会うことで人の心が変わっていく。断片的な会話に深い味わいがあり、それがスコットランドの冷え冷えとしながら清清しい風景とマッチして、珠玉の作品となっている」

 「凍り付いた海が幻想的で美しい。ラストで氷の海を歩くトムが話す『『氷の民』という言葉が、心に響く。死と希望。氷の海の二重性。その凍てついた海のシーンがCGだと、パンフレットを読むまで全く気が付かなかった。これ見よがしのCGのオンパレードではなく、こうしたCGの使い方が映画の可能性を広げていくのだろう」

 「『恋愛小説家』(ジェームズ・L・ブルックス監督)は、毒舌家で潔癖症の小説家が、ふとしたきっかけで周囲に心を開き、女性を愛するようになるという大人のコメディ・ロマンス。第70回アカデミー賞で最優秀主演男優賞にジャック・ニコルソン、同じく最優秀主演女優賞にヘレン・ハントが選ばれた。たしかに心憎い設定による愛すべき作品ではあるが、それほど傑出した作品といえるかと言えば、否定的にならざるをえない」

 「新しい味付けはしているものの、結局は納まるところに納まるラブストーリー。ニコルソンにとっては経験の範囲内での演技。ヘレン・ハントも気丈さと人の良さには共感するが、惚れ込むほどの人間味はない。名演技にうなったのは、むしろとても重要な役回りをこなした犬のジルの方だ。表情の的確さは見事。最優秀犬賞もの」

「ポール・バーホーベン監督は『ロボ・コップ』『トータル・リコール』という秀作を生み出した後、自らのテイストをより露わにし始め『氷の微笑』『ショーガール』と、暴力、エロスを全面に打ち出す派手な映像をたたきつけながらも、登場人物に深みがない作品を製作した。しかし、この薄っぺらでどこか虚無的な乱痴気騒ぎが、私は嫌いではない。ただ、新作『スターシップ・トゥルーパーズ』は一緒に楽しめなかった。ストーリーがあまりにもデタラメすぎる。さまざまな素材が無造作に投げ込まれているが、全体の味は台なしだ」

 「極めて精密に動く膨大な虫の群れ(バグズ)のCGの見事さは誰もが認めるだろうが、肝心の虫たちの姿はやぼったい。プラズマ・バグ、ホッパー・バグはCG効果のために作られたのだろう。虫と言うよりは兵器そのものだ。『風の谷のナウシカ』の王虫を百倍猥褻にしたようなブレイン・バグに至っては、空いた口が塞がらない。カマキリを思わせるウォリアー・バグはシャープで気に入ったが、ハナビラカマキリのように優雅な美しさを持ちながら、人間たちをバラバラに解体して捕食すれば、さらに上品になっただろう」「無数のウォリアー・バグと人間たちの闘いで十分だ。監督はどうせ残虐に殺される人間たちを撮りたかっただけなのだから。『ビバリーヒルズ高校白書』以下の無表情な青春コメディを含めて、あとは付け足し。矛盾だらけで現実感など何もない。『ファシズム批判だ』『戦争批判映画だ』という監督の言葉は、映画に出てくる政府のプロパガンダ以上に信用できない」

 「『英国万歳!』(ニコラス・ハイトナー監督)は、アメリカの独立をきっかけに錯乱した国王の物語。拍子抜けの展開だった」「今どき、取り巻きたちの偽善と権謀術策をみせられても。製作意図が良く分からなかった」「こういうのが好きな人もいるのかもしれないけれど」

 「『初恋』(エリック・コット監督)は、二組の恋愛劇の間に監督の饒舌なしゃべりが挟まっている。落ち着かないこと、このうえない」「面白い試みだけれど、中途半端に終った感じ。こういうのを新感覚とは言えないだろう」「騒がしいだけ」

 「白血病の息子の骨髄移植の唯一の適合者は凶悪犯だった。『絶体×絶命』(バーベット・シュローダー監督)は、息子を何とか救おうとする刑事と、脱走を試みる犯人の駆け引きへと発展する」「後半にかけて急速にリアリティが失われていく。瀕死の子供が元気だったり、仲間たちが殺されていっても犯人の命を守ろうとする刑事があまりにも無反省だったり」「いくら子供を愛しているとはいえ、葛藤がなさ過ぎるね」

 「小説家を断念した編集者のエドワード・ラム(テレンス・スタンプ)は、ふとしたきっかけでかつての恋人を自殺に追い込んだ人物が、身近な流行作家であることを発見。別の作家の偽りの『私家版』を巧妙に作り、彼の新作がその本からの盗作であるようにみせかけて、彼を自殺に向かわせる。『私家版』(ベルナール・ラップ監督)は、いかにもイギリス的な悪意と典雅を備えた復讐法だ。テレンス・スタンプは、無言で淡々と準備を進める男の孤独な情念を表現することに成功している」

 「ラムにとって、流行作家への憎悪は最大限にまで増幅されたはずだ。恋人の自殺の原因であり、その自殺を機に彼は小説を書くことをやめた。流行作家は、くだらない作品ばかりを書きながら人気がある。真相を知るきっかけになった流行作家の作品は、素晴らしい出来栄だった。しかし小説の中では真実は歪められていた。さらに強姦したことを反省していない。創作のきっかけになったと喜んでいるー。復讐を決意するのに十分な条件がそろった。そして復讐は完全犯罪として成功する」「ラムに同情し、一緒に成功を喜びそうになるが、彼の復讐には小説家になれなかった者の小説家への嫉妬も含まれていたのではないか。その辺りは、シャーロック・ホームズにでも、鮮やかに解いてもらいたい」

 「1961年製作の『黒い十人の女』(市川崑 監督)を観た。遊びに満ちながらスタイリッシュな映像、コメディとミステリーを巧みにブレンドした密度の高い脚本、それぞれの個性を開花させた多彩な俳優たちの魅力。とてつもない傑作が、ほとんど日の目を見ずに隠されていた。文字通りの早すぎた傑作だ」

 「フランス映画も真っ青になる若き市川崑監督の実験精神と見事な映像の成果を大いに味わったが、和田夏十の襞に満ちた会話の魅力は、それ以上の発見だった。何という優れた才能だろう。十人の女が中心のストーリーも斬新だが、一人ひとりの女性が生々しく息づいている。中でもクールさと情熱を合わせ持つ女優を、岸恵子が凛とした姿勢で演じ、強いインパクトを残した。船越英二もテレビ局の中で浮遊しつつ時間に追われながら刹那的に生きるプロデューサー、元祖・軽い男をさらりと演じ切った」「同時上映された1966年製作のライオン歯磨のコマーシャルも新鮮。シナリオは和田夏十、谷川俊太郎、市川崑。1分間の映像で、小悪魔的な加賀まりこの魅力をあざやかに切り取っている。放送されなかった幻のCM。もしかしたら、まだまだ多くの早すぎた傑作が眠っているかも知れない」

 「『四月物語』は、砂糖菓子のような短編。ほのぼのとした映像に甘美なそよ風が吹く。いつもはわざとらしさがつきまとう松たか子の、自然な表情を引き出す岩井俊二監督の演出力に拍手しよう。四月の匂いがただよう住宅街と大学の中で、卯月役の松たか子はすがすがしく前向きに生きていく。大きな事件は何も起こらないが、ほほえましい青春の一ページが心にしみ込んでいく」

 「しかし『ラブレター』で、あれだけの世界を構築できた岩井監督にとっては、それほど難しい仕事ではなかったはず。むしろ、力を抜いた印象が残った。自前で撮った時代劇『生きていた信長』も十分に遊び心が伝わってこない。『スワロウテイル』のパワーあふれる映像とは、対極的な作風だ」「今世紀中には、『PiCNiC』の質感をも取り込んだ大きな岩井ワールドが観たいものだね」

 「『ラブ・レター』(森崎東監督)は、浅田次郎原作。中国からの出稼ぎ女性がやくざと偽装結婚するが、肝硬変で急死する。ヤクザに宛てた出されることのない手紙を読んで、やくざは号泣し、田舎へ帰る」「手紙の内容が泣かせるよねえ。ヤクザに対する思いで辛さに耐えている悲しみが伝わってくる。外国人出稼ぎ労働者の問題も浮かび上がる」「しかし中井貴一は、すぐ善人になってしまって、いただけない。ラストの10分間は不要だと思う。もっと非情に終らせてほしかった」

 「『冷血の罠』(瀬々敬久監督)は、犯人を追ううちに犯罪を起こすようになるという今風のストーリー。しかし、屍体を無慈悲に放り投げたような冷えた映像に染みわたった悪意は独自の境地だ」

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