私と家族の近況



*あしがらみち*

2021年分:最新は12月度


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12月度 (Dec. 30, 2021)

 またまた一年間を、夫婦そろって何とか無事に元気に生き抜けました。 それにしても、( 感覚的にですが ) 一年が経つスピードが年々速くなってきているという感じが、 どうしても拭い切れません。 前回のお正月の準備が、ついこの間だったように思えるのです。 何故なのでしょうか。

 私は今年、数え歳で90歳なので、先月 *1 に書いた研究所時代の方々との集まりの席上、卆寿のお祝いを頂きました。 なんとも有難い幸せです。  ということで、来年の5月には私は満90歳になります。 ここまで来ると、我ながら、ちょっぴり恐ろしくなります。 これは正直な感想です。 本当にそう思えるのです。

 昔から日本では、数え年70歳で 「 人生七十古来稀なり 」( 中国唐の詩人杜甫の詩の一節 ) と考えて古稀のお祝いをしていました。 私の住んでいる土地では、60年ほど前くらいまで、家族の誰かが70歳になると、 近所の人たちが自宅前に集まったところで、お祝いに小銭をばらまくという奇妙な風習がありました。 勿論、現在では100歳まで生きたって、そんな事はしません・・・私にとって、古稀は20年も前の出来事でした。

 今月、1〜2日には、先月ここに書いた妹たちの 「 二人展 」 を観に、吉祥寺まで一泊で行ってきました。 11日にはすぎやまこういち君の 「 お別れの会 」 第一部に出るため、 日帰りで築地の本願寺まで往復しました。 この会では東京都交響楽団のフルオーケストラも来て最新のドラゴンクエストの曲の演奏がされ、盛会でした。 下左の写真は、画面左の方に掲示が出ているように、 「 式場内での撮影はご遠慮ください 」 でしたので、式場に入る手前で外から撮ったものです。 祭壇には、純白と青の花で作られた大きなト音記号や四分音符その他が飾られていて、それはそれは美しかったのですが、 そういうわけで、残念ながらそれらが殆ど写ってはいません。

 この日の出席者の中では、おそらく私が最年長だったと思います。 彼の写真を見つめているうちに、先月書いた追悼文の中で触れたダンスホールの壁に 「 VITA BREVIS ARS LONGA 」 ( ヴィータ ブレヴィス アルス ロンガ ) と2行に書いた大きな額があったことを思い出しました。

 当時は、それを目にするたびに、本当はどういう意味なのだろうと、気になって仕方がなかった言葉でした。 大分のちになって調べたら、古代ギリシャの医学者ヒッポクラテースの言葉のラテン語訳でした。  本来は順序が逆で、「 ARS LONGA VITA BREVIS 」 すなわち、「 技術は長く、人生は短い 」 つまり、「 医療技術の習得には時間がかかるが、人生は短いので時間を無駄にするな 」 という戒めの言葉だそうです。  しかし、現代では ARS から派生した英語の単語 ART が学術、芸術という意味に用いられるようになり、「 人生は短かし されど芸術は長し 」 という別の意味にも解釈されるようになったそうです。  私が見た額でも、そのつもりらしく、二つの言葉の順序は逆になっていました。

 すぎやまこういちの90年の人生は、長寿化時代の現在でも決して短い方ではありませんが、彼が死んでも、彼の作った多分野の数々の名曲の一部はおそらく今後数十年、もしかするとそれ以上も彼の名とともに残り、演奏されているでしょう。

 それに対し、私が自分の会社生活のほとんどを捧げて研究、開発、製造し、前世紀末には世界の写真市場を席捲・制覇したフジカラーフィルムは、その後のデジカメ技術の出現とその急速な発展によりアッと言う間に駆逐されて、 今ではもうほとんど街で見かけることはありません・・・この会場に沢山いる若い人たちのほとんどは、おそらくカラーフィルムを見たことも使ったこともないのでは・・・現在は、 技術の寿命は短かいが、退職後の余命は長い・・・つまり、「 ARS BREVIS VITA LONGA 」 なのかな、などと考えながら、彼の遺影を見つめていました。

 珍しく、普段はここには書かないような感傷的な思い出を、長々と書いてしまいました。 少年時代から親しく付き合い続けてきた友人が死んでしまったからでしょうか。 それとも、そう短くもなかった私の人生も、 いよいよ残り僅かになってきているからでしょうか。

 会の終了後はすぐそばの築地の場外市場に行き、歩き回って、寿司などを食べ歩きました。 幸い脚と胃袋はまだどうにか丈夫です。

 更に、14日には、11月度の *1 に書いた工場時代の職場の仲間たちとの集まりが2年ぶりに開催され、それにも出席しました。 とにかく、コロナが当面静かなおかげで、この年齢でも今月はこんな風にあちこち飛び回れました。  このコロナの鎮静化が束の間の幸せでないことを祈るばかりです。

 年賀状は、一昨年まではその年に自分が撮った富士山の写真を使って年末に作るのが、この10年ほどの習わしでしたが、撮影のために遠出しようにも、もう車も免許証もないし、体力もありません。  今年こそ年賀状と年賀メールは両方ともやめることとし、その旨の挨拶を添えた右の写真を送ることにしました。 



師走です。 私は 「 師 」 と名の付く肩書は、日本酒のきき酒師しか持っていませんが、上記のように
今月は結構走り回りました。 久し振りに一日平均が4千歩を超えました。 今月は131,613歩/31日
=4,245.6歩/日でした。 2017年元日以降の総歩行距離は6109.4kmです。

11月度 (Nov. 30, 2021)

 この小さな地方都市でも、一日の感染者がゼロの日が、10日以上も続いています。 コロナの第6波は、果たしてまたすぐにやってくるのでしょうか。 オミクロン株などと聞くと、近い将来そうなる確率は、 五分五分よりも大きいようにも思えます。 そこで、今月も、やれる事は今のうちにやっておこうとばかりに、活発に屋外を動き回りました。 結婚記念日 ( 63年目 ) に外出しちょっぴり豪華な夕食、 大学の同期会の横浜での月例昼食会の再開、50年ほど前の研究所の仲間たちとの夕食会 *1、一年半ほどご無沙汰していた両親の墓への墓参などなどです。 これらは皆、最近1年半ほど 「 自粛 」 して出来なかった事ばかりです。


行く先々できれいな紅葉を見られました。


妹たちの作品展

 明日(12月1日)は、なんと2年半ぶりで私は東京まで出かけ、妹と義妹の二人の作品展を観に行きます。 夫婦そろってこんな 「 遠出 」 ができるのも、今回が最後かもしれません。  それに今回だって、東京まで行き、この作品展を観て、その後きょうだいたち *2 との夕食会に出たら、もうおそらく家まで戻る体力がないと思うので、展示場のそばのホテルに一泊して体を休め、 翌日ゆっくり帰ってくるという計画なのです。 それでも、80歳台後半の私たちが、他人様のお世話にもならずに、元気に二人で東京まで往復できるというのは、とても幸せな健康状態なのでしょう。

*1:会社を辞めてから25年も経った今でも、研究所時代 ( 56〜46年前 ) と工場時代 ( 46〜41年前 ) の職場の部下の方たちが、それぞれ、今でも遠方から十人以上も集まって、 私を囲んでの会食会を毎年1〜2回開いてくださるのです。 当時の職場が、単なる仕事のためだけの集合体ではなく、家族的な親密感のある結合体だったということです。 私は本当に幸せ者です。
*2:私の3人の弟妹たちとその配偶者たち ( 計6人 ) はすべて芸大・美大の出身者です。 私だけが芸術家ではない変異株?です。

今月は雨で歩けない日は少なく、結果としてまずまずの歩数を歩けました。 今月は112,847歩/31日
=3,640.2歩/日でした。 2017年元日以降の総歩行距離は6023.9kmです。

10月度 (Oct. 31, 2021)

 「 76年間の良き親友 」 だった作曲家の すぎやまこういち ( 椙山浩一 ) 君 が9月30日に90歳の生涯を閉じたことが、 10月7日に公表されました。  私と彼との長い交際の様々な思い出については、「 すぎやまこういち君の死を悼む 」 と題して、ここに詳しく書かせていただきました。

 私も、現在もう89歳半ですから、小、中、高、大学時代の友人、同期生たちが次々に世を去ってゆくことに、何の不思議もありません。 小学校以外は同期生はすべて男性 ( 令和2年発表の平均寿命は81.6歳 ) ですから、 もう既に2/3近い方たちが亡くなってしまいました。

 椙山は私より1年早く生まれたのですが、昭和20年、中学2年だった敗戦直後の悲惨な時代に栄養失調で倒れ、1年足踏みして私と同級生になったのでした。 そう言えば、私だって、 中学1年の時に戦争が終わり、疎開先から東京に戻ってきても編入を受け入れてくれる中学 ( 旧制 ) がどこもなく、危うく1年浪人するところでしたが、都立工業学校の教師だった父の奔走により、 やっとのことで、ある中学に潜り込むことができ、そこで椙山との交友が始まったのでした。 その後、高校や大学で一緒になった同級生たちの中には、戦中・戦後の種々の不運や不幸に逢って進路に停滞をきたした 私より年上の人たちがいたのは、別に珍しいことではありませんでした。

 さて、話は変わります。 本当の理由はまだわかっていないように思いますが、コロナがだいぶ下火になって来たので、今月は、約2年ぶりに、娘夫婦と4人で外食に出かけたり、夫婦で一泊の旅行をして温泉を楽しんだりしました。  ご無沙汰続きの馴染みの鮨屋にも顔を出しました。 スラックスを買いに、10kmほど先の店まで出掛けました。 この2年の間に、毎日穿いていた品が次々に擦り切れ破れてきたのに、コロナが怖くて、 代わりの品を買いに行けなかったのです。 春・秋用、冬用、夏用と3本買おうとしたら、3本買うと2本タダで追加するというので、なんと5本も一度に買ってしまいました。  これらを十分使いつくすには、あと5年くらい元気で生きていなくては??? 

 また、近くの図書館に行き、肩の凝らない本を借りてきて8冊ほど読みました。 久しぶりに沢山の読書をすると、頭の中の 「 排水溝 」 に溜まった汚れがきれいに掃除されてゆくような、 不思議なすがすがしい感覚がありました。 そうそう、孫たちも久しぶりに訪ねてきてくれました。

 来月以降の楽しみも幾つかできました。 暮れから来春にかけて、当地の文化会館にやってくる予定の海外の演奏家の演奏会の切符も2種買いました。 ようやく文化的な楽しみも享受できるようになってきました。  同期生たちが毎月一回横浜で集まる昼食会も、昨年春から中断していましたが、来月から再開しようという声が上がっています。

 以上のすべては、この2年近く、コロナ流行のおかげでやれなかった事ばかりです。 今月は、本当に久しぶりに、平凡ですが楽しい時間、体験を沢山味わい、或いは用意することができました。  この、「 平凡な生活のアクセントを、心配せずに享受できる 」 状況がいつまでも続くことを祈るばかりです。

今月は終日雨で歩けない日もあったりでしたが、それでも先月なみに歩きました。 今月は
112,442歩/31日=3,627.2歩/日でした。 2017年元日以降の総歩行距離は5,950.5kmです。

9月度 (Sep. 30, 2021)

 今年も家の周りのあちこち・・・道端、田の畔、丘の斜面などに彼岸花が沢山咲きました。 今世紀の初めころまでは、本当に測ったように秋分の日に満開となりましたが、 その後は少しずつ開花が早くなり、今年、ウォーキングの途中で右の写真を撮ったのは、9月の15日でした。

 毎年、この花を見ると思い出すのが、ちょうど30年ほど前、1990年前後のある年の秋のことです。  私は米国南部のサウスカロライナ州の、とある小都市の郊外の広大な牧場の中を一人で歩いていました。 当時経営を担当していた工場の拡張のため、隣接の空き地 ( 元牧場 ) を歩き回り、調べていたのです。

 その時ふと足もとに見つけたのが、日本の自宅付近で毎年見ていたのとまったく同じ彼岸花の真っ赤な花でした。 たった一輪でしたが、きれいに咲いていました。 今日は・・・と考えたら、なんとその日は9月23日でした。  この土地は、東京都とほとんど同緯度で、年間平均気温も、東京都周辺とほとんど同じでしたが、それにしても、この彼岸花の正確な咲き方には本当に驚きました。 その後注意していましたが、 この花をこの地で私は全く見かけませんでした。 一方、カホルは米人の英語の先生と散歩しているとき、現地のとある家の庭で観賞用に沢山植えられ、見事に咲いているのを一度見たと言いますから、 中国原産のこの花が、米国のこんな田舎町にも渡って咲いていたのでした。

 などと考えているうちに、もう今年の3/4が過ぎてしまった事に気がつきました。 一日も早く、そんなに遠くでなくこの近くでよいから、どこかの温泉にゆっくり浸かり、 旨いものを食べるという 「 ささやかな贅沢 」 をあと何回かしてからでなくては死ねないなぁ・・・と思うばかりです。

 今月はパソコンのハードにささやかな改造を試みました。 いままでずっと、インターネットはルーターにつないで有線で利用していたのですが、ハードの老化のためか、パソコンへの差し込み口に 「 ユルミ 」 が生じて、 利用中時々接続不良が起きるようになったので、無線 WiFi の利用に切り替えることにしました。

 所が、このちょうど10年前に買った愛用の古いパソコン * の内蔵無線 LAN 機器は古い規格の無線 LAN にしか繋がらないということが分かり、 USB 外付けのアダプターを買って取り付けないとならないと判明しました。 また、そのため USB の差込口の数が足らなくなって、3連のハブも購入しましたが、30分ほどでこれらすべてが無事完了し、 その後は快適に動いています。 これらの部品はネットで調べて注文すれば翌日ポストに入っており、前世紀末頃 ( と言っても、僅々20年ほど前です )と違って便利この上ありませんが、皆 「 海外の某国製 」 で、 取扱説明書はたくさんの言語で書いてあります。 以前この種の部材がみな日本製だった頃は、日本語が最初に書いてあったのでしたが・・・気分は少々複雑です。

* :その後 HDD を SSD に取り替えたり、Windows7 を Windows10 に入れ変えたりしています。 本当に長いこと毎日よく働いてくれているノートパソコンです。

 このパソコンほどではありませんが、「 いったい、いつまでこうして元気に生きていられるのだろうか 」 と、私たち夫婦はしょっちゅう話し合います。 両名ともに、「 元気でボケずに生きてゆくためには、 これだけはやめてはいけない 」 と考えるものがあって、カホルにとっては、毎週水曜日の女声コーラスと、土曜日の英会話学校とがそれです。 コロナの発症者数が一番多かった7月後半〜9月初めこそ、 泣く泣く休みましたが、9月半ばに少しおさまってくると、また毎週出かけてゆくようになりました。 どちらでも、86歳はもちろん断然最高齢のメンバーです。

 高齢になれば、誰でも日本語の単語だってしょっちゅう思い出せないのに、英語の単語がスラスラ思い出せるはずがありません。  討議や説明の途中で単語が思い出せなくなってしまい、毎回恥ずかしい思いをしながら、そして毎週夜遅くまで宿題や予習で苦しみながらも頑張っています。

 私にも同様、このホームぺージのほか、いくつか、楽しみ、かつ苦しみながらも続けているものがあります。 一昨年将棋の段位を取った時のように、 時には成果が出て嬉しい体験もします。 弱った足腰と頭脳に鞭打って、二人とももう少しの間頑張ります

この数か月、ずっと4千歩に達せず、3,600歩/日台が続いています。 今月は109,778歩/30日
=3,659.3歩/日でした。 2017年元日以降の総歩行距離は5,877.4kmです。

8月度 (Aug. 31, 2021)

 開催前は 「 オリンピック開催絶対反対! 」 と強く 主張していた私たち夫婦は、もともと競技そのものにそれほど関心がなかったためもあり、オリンピック開催期間中、テレビ中継を観ようという気にどうしてもなれず、 実際、開・閉会式も含め、ほとんど何も観ませんでした。 競技の主な結果や話題は夜のTVのニュースや翌日の朝刊で知ることができます。 何よりも、夫婦が毎週一緒に楽しみに観ていたドラマ、旅番組、 ドキュメンタリー等が、NHKでも民放でも、ひと言の断りもなく中止され、代わりにオリンピック中継が当然のことのように入り込んできたのが、実に腹立たしい事でした。

 私たちは、残り少ない人生の貴重な時間は1分でも惜しいので、日常、テレビ゙はNHKのニュース以外はほとんどDVDへの予約録画で後刻観ることにしています。  再生視聴中にCMになったらすぐに早回しで飛び越します。 これにより、概算ですが1年で50時間ほど ( まる2日以上! ) 時間を稼いでいる勘定です。

 所が、オリンピック期間中は、ほとんどすべての予約で、オリンピック中継が 「 当然のような顔をして 」 代わりに録画されてしまっているのです  これを一つひとつ消去しながら、なんと腹の立ったこと・・・それでも、私たちは最終盤、野球の決勝戦と男子マラソンだけは、やはり気になって、ともに後半部分をNHKのTV中継の生放送で観てしまいましたが・・・

 2回目のワクチン接種が済んだら行こうと計画していた小旅行や外食の計画も、デルタ株蔓延のおかげですべて取りやめにせざるを得ませんでした。 オリンピック開催以外でも、不満で腹の立つことばかりの8月でした。

 76年前の8月15日、旧制の中学の1年生だった私は、群馬県高崎市の郊外にある、とある農家で、3人の同級生たちと共に、農作業の手伝いをしていました。 難関の入試を通って4月に入学したものの、 登校して勉強する日と、農家に働きに行く日とは半々くらいだったでしょうか。

 畑から昼食に戻ってくると、いつもの昼食です。 並べられた丼の飯の上には無数のハエがたかっていて、表面が真っ黒に見えるほどでした。 これらのハエは、近くにある農家の汲み取り式のトイレで発生し、そこから飛んできたハエたちでしたが、 彼らの脚に何が付いているかを考える余裕などなく、ハエを追い払って夢中で空腹を満たしました。 おかずは何だったか・・・ 5月頃は毎食、裏の竹やぶで採れたタケノコを塩辛く煮たもの一品だけでした。  食べ終わって暫くした頃、中学の方から連絡員が来て、「 すぐに帰宅し、明日は登校せよ 」 と言われたように記憶しています。

 その数日前、畑で農作業をしていたら、突然、超低空飛行の米軍の小型戦闘機が機銃掃射をしながら飛んできました。 慌ててそばの桑畑に飛び込んで隠れました。  桑の葉越しに機内の操縦士の頭が認識できたと友人の一人は言っていました。 それほどの超低空飛行でした。 私たち4人は幸い無事でしたが、他の農家で働いていた同級生たちのうちの一人が死んだことを、 のちに知りました。 暑いさなか、8月15日の午前に私が畑でどんな農作業をしていたのか、もう何も覚えていません。 5、6月頃は慣れぬ手つきで麦刈りや田植え、サツマイモの苗の植え付け、馬鈴薯の収穫などをしていましたが・・・

 1時間ほど歩いて帰宅の途、市内の伯父の家に立ち寄ると、伯母が泣いていました。 私はそこで初めて、敗戦を知りました。 「 明日からは勤労動員で働かなくてもよいのかな・・・機銃掃射や爆撃はもうないだろう。  明日学校に行ったら、いったい何がどうなるのか、そしてその後は・・・ 」 そんな考えがグルグルと頭に浮かんだだけで、ただただ呆然と虚脱状態でほとんど何も考えられなかったように記憶しています。

 最近は日本のどこかで必ず大きな水害が発生するし、8月は、今も昔も腹立たしい事や悲しい事ばかりが起きる月のように思えます。

熱中症に気を付けながら、炎天でも雨天でも、一日も欠かさず歩きました。 そう言えば必ず日傘か雨傘のどちらかを
さしていたように思います。 それでも、今月も4千歩に達せず、110,922歩/31日=3,578.1歩/日でした。
 2017年元日以降の総歩行距離は5,878.1kmです。

7月度 (Jul. 31, 2021)

 月半ば、ようやく梅雨が明けて、元気に屋外でウォ−キングができるかと思ったら、数年前までは何とか耐えられた陽射しが、意外に恐ろしく感じられてきました。  私に忍び寄ってきていた体力の衰えによるものでしょうか。 仕方なく生まれて初めて日傘というものを買い、今までの16〜17時頃を遅らせて、陽の落ち始める18時過ぎから日陰を選んで歩くようにしました。  昼間は涼しくした室内で腕立て伏せやスクワットなどの、暫く怠けていたいろいろな体操を、無理せず毎日少しずつ実行するようにもしました。  猛暑の日はスーパーでの買い物の際、涼しい構内の通路を、フロアを移動しながら20分ほど歩きまわることもしました。

 そんなこんなで、何とか無理せずに運動の刺激を体に与え続けようと努めました。 一方、コロナのワクチンの接種が終わったので、我慢し続けていた外出を少しづつ始めました。 遠出の買い物2回、夕食の外食2回、 オーケストラの演奏会を聴きに1回・・・家に籠ったきりの過去1年半がなんと長かったことか・・・残り少ない余命の中から、ささやかな楽しみを1年半も我慢させられてしまった事を恨みますが、 いろいろな年代、いろいろな職業で、「 コロナさえなければこんな活動ができた筈なのに・・・ 」 と嘆き、苦しんでいる方々も沢山いると思います。 もっともっと辛い目に遭っている人も多いのだからと考えて、 我慢することにしましょう。

 話は変わりますが、現役時代に働いていた会社の付属病院は、現在は昼間だけの診療施設になっています。 つい4、5年前までは、そこに受診に行くと、必ず同世代の旧知の同僚・知人たち何人かと出逢い、 懐かしい昔話をしたものでした。 でも、それらの方々のほとんどが最近数年の間に次々に亡くなりました。 まだ生きている少数の方々も、もはやそこまで診療を受けに通うだけの体力がないようです。  従って現在は、私がそこで出逢う知人と言えば、私より10歳も20歳も若い後輩たちばかりです。 寂しい事ですが、そういうわけで、この寂しさは、 90歳近くまで健康に生きてきた私の幸せの 「 裏返し 」であるように思えます。 「 幸せが孤独感を呼ぶ 」 とでも申しましょうか。 一種の 「 浦島太郎的現象 」です。


左は2年生3種   右は3年生2種

 昨年11月、この欄に、毎年育てている 「 サンパラソル 」 の越冬に成功した体験について書きました。 通常は1年生の草花とされているこの植物を、 室内で冬を越させて、翌年もさらに大きく育て、沢山の花を咲かせることに成功したので、同じことを昨冬再び行いました。 1年目の物は2年生に、2年目の物は3年生になるわけです。 いずれも成功し、 上の写真のように、 2年目の3鉢はもう沢山の美しい花を咲かせています。 3年目の2鉢も、つぼみはもう沢山ついていて、8月になれば毎日20以上の花を咲かせることでしょう。  2年目以降はすべて、1年目のもののようにヒョロヒョロと背が高くはならず、ガッシリとした体躯に沢山の花を咲かせます。

上記の様な努力にもかかわらず、今月も4千歩に達せず、113,075歩/31日=3,647.6歩/日でした。
 2017年元日以降の総歩行距離は5,806.0kmです。

6月度 (June 30, 2021)

 28日に、幸い何事もなく 夫婦両名とも2回目のワクチン接種を終えました。 「 多少は仕方ない 」 と覚悟していた副反応も、1回目はほとんどなく、2回目も、まだ1日しか経っていませんが、 今のところ、何事もありません。

 これで、7月後半からは、あまり無茶をしない限り、ときおりの外食や地方への小旅行は復活できるのではないかと考えています。 でも、都心まで買い物に出てゆく勇気や体力はちょっと・・・という感じです。

 先月、ハチの巣造りが、温暖化のためか、例年の5月20日前後より10日ほど早まったようだと書きましたが、例年とは異なり、6月に入ってからも、さらにスズメバチ、アシナガバチ各1個の新規の巣造りを発見し、 早速駆除しました。 スズメバチの方は、なんと、玄関の入り口の真上の軒下に巣を作り始めており、もう5月中〜下旬の巣造り開始時期は終わったと安心していたためか、迂闊にもそれに何日間も気が付いていませんでした。  自分たちや訪問客、配達員などが、玄関前で 「 ハチ合わせ 」 をして刺されなかったことに胸をなでおろしました。 マーブル模様の外側の球状の殻も、 左の写真のように1/3ほど出来上がっていましたが、まだ女王蜂1匹しかいない段階の早期発見でしたので、慎重に、自分一人で退治できました。 ネットで調べると、これはコガタスズメバチのようでした。


 私の家は、30年以上前、外側は伝統的和風建築で、新建材は一切使わず木材のみを使い塗り壁仕上げで建てさせたので、ハチどもに親しみを感じさせてしまうようです。  1階、2階の軒下には毎年、平均5つ以上もの巣作りが行われます。 毎日監視して発見次第撲滅しなくてはならず、こればかりは全く予期していなかった面倒な話でした。

 更に庭のたくさんの植木たちも、30年経つと大きく成長して今や立派な雑木林状態ですので、ハチを呼び寄せています。  特に、5月に咲くナツハゼの小さな花は、ハチの大好物らしく、上記の2種以外にも、大きなクマバチや小さなミツバチが終日沢山集まってきます。  でも、この木には愛着があるし、絶滅危惧種でもあるらしいので、除去せずにいます。

 今月は、12年間使い続けた40インチの液晶カラーTVが、ついに寿命を迎えました。 同じ会社の43インチの品を購入しましたが、12年間の技術の進歩、改良は、単に画質のみではなく、細かい隅々にまで及んでおり、 ただただ感じ入るばかりです。

脊椎間狭窄症は何とか自己流で治しましたが、梅雨のため、歩数が稼げませんでした。 今月は110,855歩/30日
=3695.2歩/日でした。  2017年元日以降の総歩行距離は5,732.5kmです。

5月度 (May 31, 2021)

 コロナのワクチン接種の日取りを確保するのに大わらわだった5月でした。 今月89歳になった超高齢者ですが、デジタル化には十分適応できていますから、パソコン2台とスマホを並べて、 受付開始時刻が来ると同時に一斉に申し込みをスタートしました。 それでも、開いた画面上ではあっという間に全部の枠が予約されていて、何も残っていません。 おそらく受付開始から10秒ほどですべてが終わってしまったようでした。  この人口約4万 ( 65歳以上は1万3800人 ) の地方小都市における第一回集団接種においては、当初は数百人分しかワクチンが来なかったのです。 東京や横浜の友人たちは、数時間粘ればちゃんと接種枠が取れたと、 次々に LINE で報告してきます。 なんとも羨ましく、そして淋しい状況でした。

 それでも、1〜2週間たつと、この小都市にもワクチンが次々に入って来たらしく、月末になってようやく、 6月8日と29日の2回の接種枠を、 夫婦2人が獲得することが出来ました。 この時の安堵感は、言うに言われぬものでした。

 新聞やTVで報道されましたが、かつて米国で生活していた私たち夫婦に、ある日突然、それぞれ$1,400の小切手が米国財務省から送られてきました。 「 そんな筈はない。 何かの間違いだ 」 とは思うものの、 もしかして・・・と一瞬は嬉しくなりました。 でも米国の内国歳入庁 ( IRS ) のホームページを開いてよく読んでいったら、「 米国非居住者の外国人 」 は無資格だから小切手はIRSに送り返せと書いてあります。  ひと騒がせなことでした。

 上にも書いたように、今月89歳になりました。 おかげで、「 あっちが痛い、こっちが痛い 」 と言いながらも、まだひと様のお世話にならずに一応元気に生きています。 先月、かかりつけの医師は検査結果を見、 診察をした後、「 どう見ても、もうすぐ90歳になる人の体じゃない。70代の体だ 」 と言ってくれました。 歯も、自分の歯がまだ25本、それにインプラントが2本と計27本あり、入れ歯は1本もありません。  視力も、裸眼視力が左右とも1.2あるのに、老眼鏡なしで新聞が読めます。 白内障の徴候はごくわずかです。 最近30年ほど、一度も風邪をひいていません。

 こんな丈夫な体を授けてくれた両親に感謝しなくてはなりません。 小学校上級生から中学生にかけての育ち盛りの時代は敗戦前後で、飢えにさいなまれ、ろくな栄養も摂れなかったというのに、 本当に不思議と言うほかありません。 当時の、今では考えられないほどの、ここに書く事もはばかられるようなひどい不潔な粗食生活については、子や孫たちに書き残しておきました。  その 「 お蔭 」 ではないでしょうが、何を食べてもアレルギーにはならないし、相当不潔なものを食べても、まずお腹を壊すことがないという体になっています。

 誕生日には、50年ほど前に私を支えて研究開発に励んでくださった方々計8人と、2時間近く、ZOOMで久しぶりに顔を 見ながら懇談する機会がありました。 皆さん70過ぎから80過ぎくらいまでの高齢者なのに、 デジタル化には完全に対応できているし、元気そのものでした。 一昨年までは、市内の料理屋で宴会形式で楽しくやれていたのですが・・・ワクチンの接種が進めば来年はまた宴会を再開できることでしょう。  あと一回それを体験できるまでは、何としても元気で生きているぞと、心に誓いました。

 アジサイが咲き始め、田植えが始まりました。 毎年、5月20日前後に飛んできて軒先の裏側に巣を作るスズメバチやアシナガバチは今年もやって来ましたが、温暖化が進んでいる今年は、 予想通り10日ほど早くやってきました。 気の毒ですがさっそく退去してもらいました。


先月レンゲの花がいっぱい咲いている写真をお見せした、あの田んぼの田植えが終わりました。
 周囲の樹々や遠くの山を先月の写真と較べてみてください。 新緑は深緑になりました。

先月末にまたまた発症した脊椎間狭窄症の治療に専念する日々が、月の前半は続きました。 5回目の発症あたりからは、
整形外科医に行くのをやめ、自己流の治療を自宅で続けることにしています。 毎回痛む位置や痛み方が違うので、
そのたびにその自己流の治療法も少し変わります。 その甲斐あって、今回も日に日に少しずつ良くなってゆき、ウォーキング歩数
も500→1,000→1,500と、 少しづつ増やしてゆけました。 5月20日頃からようやく痛みなく 4,000歩以上歩ける
ようになりました。 その他にも雨の日が多かったので、今月の歩数は例月よりはるかに少ないものとなってしまいました。
 今月は92,587歩/31日=2,986.7歩/日でした。2017年元日以降の総歩行距離は5,660.5kmです。

4月度 (Apr. 30, 2021)

 「 新緑の候 」 という時候の挨拶は、物の本によれば、5月の上旬から下旬までの間使える言葉だそうです。 しかし、温暖化のためか、サクラの開花時期同様、新緑の時期は毎年早くなってきています。  4月15日に、気候的には日本のほぼ平均と思われる箱根外輪山の山麓地帯 ( 海抜100〜200m ) で撮ったのが左の写真です。 現在では、「 新緑の候 」 は4月です。 そして今後は、5月には 「 深緑の候 」 と書くようになるのでは? そうそう、ミズバショウの開花も、平地で4〜5月、高地では5〜7月と文献に書いてありますが、 今年は新潟県の平地で3月下旬にもう咲き始めたとの報道もありました。

 以前は多くの春先の田んぼにレンゲソウの紅紫色の花が一面に咲き乱れていました。  春の到来を告げる花として、「 スミレ、タンポポ、レンゲソウ 」 とよく言われます。  スミレやタンポポは当地では今でも沢山目にします。 ところが、田の肥料になるレンゲソウには最近トンとお目にかかりません。  探し探してやっとのことで自宅周辺に3か所見つけました。 そのひとつが右の写真です。


 ところで、松山英樹選手がついにマスターズ・ゴルフ・トーナメントで優勝しましたね。 素晴らしい快挙です。 実は1996年の4月、このトーナメントが毎春開催される米国ジョージャ州オーガスタにある オーガスタ・ナショナル・ゴルフクラブ・・・一般人は覗き見ることすら許されないこの世界最高のゴルフコースで、ある僥倖にめぐりあったこの私は、なんとトーナメント開催の前の週にプレイしたことがあるのです。  ここに詳しく書いてありますので、ご興味のある方はお読みください。

 ZOOM でも LINE でも、しっかりと安定した状態で快適にオンラインビデオミーティングに参加できるシステムの構築が今月初めに出来上がりました。

          USB差込み小型マイクロフォン
                  ↓
インターネット − WiFi − カメラレンズ付きノートパソコン → 20インチ外付け中サイズモニター
                  ↓
              小型外付けスピーカー

 先月度も同じようなことを書きましたが、コロナによる在宅勤務増加の影響か、良質のウェブカメラはなかなか入手しにくいのが現状です。 また、たとえ良質 ( すなわち高価 ) な品を探せても、 適切な場所への設置が困難で、利用するたびに写るエリアの調整が必要となります。 機種によっては、手動でその都度、焦点を合わせる必要があったりもします。 これに対し、 ノートパソコンに付いているウェブカメラの位置は、画面の真上中央にあり、自分の顔を映し出すのに最良の場所です。 他方、音声出力については、ノートパソコンに内蔵のスピーカーは音質、音量ともに不十分なので、 これは、たまたま手持ちだったジャック差し込み式で音量調節機能のあるソニーの小型スピーカーを接続・利用しました。 まだテストしていませんが、ヘッドフォンの利用もあり得ると思います。

 ということで、古くなり使っていなかったレンズ付きノートパソコンを急遽、若い友人に改造 ( HDD→SSDほか ) してもらった品を再活用して、上記のビデオ通信専用の、 使い心地の良いハードシステムを構築出来たという次第です。 何よりも、画面サイズが大きい点が快適です。  アプリのパソコンへのインストールとテスト通話を経て、実際に何度か実用 ( 結果は順調 ) し、もう 「 LINE でも ZOOM でも、何でも来い! 」 という体制が出来上がりました。

 この過程で偶然気が付いたのですが、今まで iPhoneでしか使ったことがなかったLINEが、ある部分では、パソコン上での利用のほうがずっと使いやすいのです。 私にとっては、文字の入力や修正は指先より キーボードからの方がずっと楽で、速く正確にできますし、画面も大きくて見やすい。 iPhoneとパソコンの両者の間では瞬時に送・受信結果が反映され、共有・記録されますので、 最近は外出時と、自宅での簡単な連絡や受け答えは iPhone上で、在宅時の長文の送信や送られてきた動画の鑑賞、長時間のビデオ通話等はパソコン上でと、使い分けるようになりました。

月末の26日までは、1日平均4350歩ほど歩いていましたが、27日に突然脊椎間狭窄症が再発し、右脚側面が痛みだし、屋外を
歩けないほどになりました。 12年前に初めて発症して以来もう10回目近くになります。 27日までの平均は4,300歩ほどでしたが、
28日から30日までは、 家の中を歩き回るのがやっとでした。  そういうわけで、今月は120,955歩/30日=4,031.8歩/日
でした。  2017年元日以降の総歩行距離は5,600.3kmです。

3月度 (Mar. 31, 2021)

 1月度にこの欄に書いた、LINEでのビデオ通話の際にスマホの画面をテレビ゙のモニターに大きく映し出すアダプターですが、2回目の品もまたすぐに具合が悪くなりました。 多くの人がネット上にそう書いている通り、 やはりなかなか使い方が難しい方式と部品であるように思います。 そこで、LINEのアプリをパソコンに入れ、パソコンの大きなモニター上に顔を映し出そうと考えました。  でも、そのためにはパソコンにカメラ機能とマイクロフォン機能とがついている必要があります。 USB接続のマイクロフォンは以前から持っていました。 文章の音声入力のためです。  しかしカメラ機能は、残念ながら現在使用中の私のパソコンにはついていません。

 USB接続の 「 ウェブカメラ 」 を買って取り付ければよいのですが、コロナ蔓延に起因する在宅勤務が日本中で実施されるようになり、品質の良いウェブカメラは現在、品不足となっているようです。  また、ウェブカメラよりも、モニターの上部 カメラレンズがついているパソコンを用いるほうが、使い勝手のがずっと良いようです。

 話が長くなりましたが、そういう次第で、カメラレンズがモニター上部に付いている古いノートパソコンを引っ張り出してきて、内部をHDDからSSDに変える改造等をしてもらい、これに上記のマイクロフォンをつけて、 子や孫、友人たちとの 「 ビデオ交信専用のパソコン 」 を新設することにしました。 LINEのほかにZOOMのアプリも導入して 「 どっちでも来い! 」 という体制が4月早々に完成の予定です。

 コロナによる自粛のせいでやることが他にはあまりないけれど、何もやらないでいては頭がボケるし、余命も短いのにボーッとしていては時間がもったいない。 そこで今月は思い立ってこの老躯のメンテナンスを始めました。  亡母が現在の私より2歳ほど年上の時に脳梗塞になり、それ以降の人生が大変だったので、自分の脳はどうなのだろうと考え、まず 「 脳ドック 」 というのを探して受けてみました。  脳のMRIとMRA検査を行うもので、40分ほどで終わります。  結果は 「 年齢相応 」 ということで、自覚症状が出ない程度の多少の脳梗塞や脳動脈硬化が起きているが、脳腫瘍や脳動脈瘤のようなものはないと言われ、ひとまず安堵しました。

 この検査の際に驚いたのが身長測定の結果でした。 私の身長は18歳から60歳くらいまではずっと171cmほどだったのですが、その後毎年必ず2〜3mmずつ短くなってきました。  これは主に脊椎板の間にある椎間板の水分量が減少してくる結果だそうで、5年前 ( 83歳 ) の人間ドックの際にはついに168cmにまで減ってしまいました。  それが、5年ぶりくらいに今回 ( 88歳 ) 測定されたら、165cm!だというのです。 お願いして再度測ってもらいましたが同じでした。  なんと、この5年間、1年ごとに約6mmも身長が短くなってしまっていたのです

 次に歯科医院に行き、久しぶりに詳しく検査してもらいました。 歯医者には、気が付いてみるともう1年半ほども全くご無沙汰しています。 毎食後、人一倍丁寧に歯間や歯周を清掃しているのに、 まだ気づいていなかったごく軽度の虫歯が2本出来ており、更に、歯周の状態は赤信号ではないが黄信号くらいに傷み始めていることが判明し、「 放っておいたらあと数年で歯が何本も抜けますよ 」 と言われました。  もうすぐ89歳なのに歯は2本欠けているだけ、入れ歯は1本もない私ですが、今回早めに指摘していただいて幸いでした。 その後は毎週の歯医者通いで、まずは40分×3回の丁寧な ルートプレイニングが施されました。 口内の状態が良くなっていることが何となく実感できます。

 他人様にはあまりご興味のない自分の体の事ばかり書きならべ、失礼しました。

 面倒くさい確定申告も何とか済ませ、心理的にも春がやってきたような気がしてきました。 あとは一日も早くコロナワクチンを打ってもらって、近県への短い旅行や、 たまの外食くらい気兼ねなくやれるようになりたいものです。

   昨年の11月に、この欄で、一昨年の春に苗を買ってきて育てた通常は1年ものの「 サンパラソル 」 を越冬させ、 2年目の大きく育った躯体に夏から秋にかけて沢山の花を咲かせたことを報告しました。 11月末には、この2年物2本と、昨年春に買い増した1年物3本とを、株元の葉を数枚残して短く切り戻し、 時々肥料と水を与えながら日当たりの良い室内の窓際に置いて越冬させました。

 幸い今年も成功し、5本とも無事冬を乗り越えて、3月上旬には、かわいらしい草色の新芽が沢山出てきました ( 写真 )。 月末には屋外に出したところ、さらに新芽がどんどん伸びてきましたので、 3年目 ( と2年目 ) の花を今年の夏はいっぱい咲かせられることでしょう。 3年物は2本とも、硬く太い根元の幹の直径が1cm以上にもなっています。  こんなことを繰り返していたら、何年かのちには草花ではなく灌木になってしまいそうです・・・まさか。


3年物                  2年物

今月は 130,951歩/31日=4,224.2歩/日でした。 脊椎間狭窄症が痛む日、終日雨であまり歩けない日
などがありました。 2017年元日以降の日以降の総歩行距離は5,521.7kmです。

2月度 (Mar. 5, 2021)

 毎月初めにこの頁を見てくださっている方から、3月5日に 「 今月分はまだ載っていませんね 」 と注意され、調べたら、私の操作ミスで、アップロードしたつもりがされていませんでした。 慌てて、今更新したところです。

 緊急事態宣言が出ているというのに、老夫婦がひょこひょこ外に出歩くわけにはゆきませんから、自宅内または付近に蟄居することとなり、結果的に、ここに書くタネはどんどん少なくなってきます。  やれることと言えば、静かな田舎道をスギ花粉を避けながらのウォーキング、庭の樹々や草花の手入れ、部屋にこもっての読書やネットサーフィン、認知症予防に役立つかと考えて最近始めた 「 数独 」、 終活の一つとも言える部屋の片付け、パソコンの使い勝手向上のための数々の小改良・・・・・・でも次第に、どれにもこれにも、もう飽き飽きしてきました。

 コロナワクチン接種の順番が回ってきたら、真っ先に申し込んで受けようと思います。 そうすれば、遠いところでなければ、多少はあちこちに出かけられるのではないでしょうか。 私たち夫婦は、何十年も前の若い頃から、 若い頃は子供たちを連れて、彼らが成人してからは二人だけで、もう合計100回近くも国内外で大小の旅行を楽しんできました ( すべて詳細な記録が残してあります )。  そのうち75%ほどが自分たちで計画した個人旅行、20%くらいが旅行社のツアーへの夫婦での参加、一人きりの個人旅行が僅か・・・といったところでした。  2週間ほどの長旅もありますが、多くは短い一泊か二、三泊のものです。 二人とも友人 ( たち ) との旅行はほとんどしたことがありません。

 それが今は、コロナのおかげで、なんとこの1年、私達は全くどこにも行けなくなってしまったのです。 でも、余命ももう短いのに、これ以上どこにも旅行せずに このまま一生を終わりたくないねと、テレビの旅番組の録画を観ながら、二人でいつも話し合っています。 国内は離島や山岳地帯を除いては、もうほとんど行き尽くしていますが、それでもまだ、 死ぬ前に是非行ってみたい所がいくつか残っているのです。 まだ、今の所は二人 ( 計174歳 ) とも自分の足で元気に歩けるというのに、本当にコロナが恨めしい

 遠くに旅行できないならせめてもと、仕方なく13日に近所の川べりに咲く河津桜の並木を観に行きました。 100羽以上の何種類かの鴨たちが、静かに泳いでいました。


今月は 122,960歩/28日=4,391.4歩/日でした。 2017年元日以降の総歩行距離は5,436.6kmです。

1月度 (Jan. 31, 2021)

 コロナに明け、コロナに暮れた2020年が終り新しい年となりましたが、なかなか光明は見えてきません。 お正月も、例年なら 3が日の間ずっと続けて一日中、子や孫たち全員と楽しく過ごすのに、今年は一部の者と、 庭先で、しかも距離を置いて離れて10分ほど立ち話を交わしただけでした。 彼らは、自分が感染はしているが発症していない場合、万々一にもこの年寄り夫婦に感染させたくないと配慮してくれているのですが、 わびしい事この上ありません。

 カホルの右手首骨折も、私の逆流性食道炎も、ほとんど全快して、二人だけの静かで淋しい正月も無事に終えました。 コロナの勢いが増すにつれ、外出はさらに一層控えるようになりました。  カホルは毎週のコーラスも当分休みとなり、毎土曜日の英会話学校も用心して休むことにし、退屈しきってはいますが、そういう変化への対応も、私達は苦痛少なく、まあ上手にできている方だとは思います。

LINEのビデオ通話機能は、このような時期、非常に助かります。 更にこのスマホ上の画面を大型テレビの画面いっぱいに綺麗に映し出すこともできます。   数千円の投資とちょっとした作業により、HDMIアダプタ―を取り付けることで、それは容易に可能となります。 部品は安物を買うとすぐ故障します。 私が一度これで失敗した後、現在使っている2回目の品は、 息子が買って送ってくれたのでよくわかりませんが、Apple社の純正品だとか。 でも英語の小さい紙きれには使用説明のたぐいは一切書いてありませんでした。 だからと言って戸惑ったり間違えたりするほど 難しい作業でもありませんが・・・ともあれ、これによって、孫たちや友人たちが目の前に居るような感じで対話でき、非常に楽しく交流できます。

 今年の元日から使い始めたノートパソコンは、7年前に買って5年ほど使った後、だいぶくたびれてきたし、Windows 7 だったので一旦休んでもらっていた品です。 それを昨年秋に取り出し、Windows 10 にアップグレードし、 HDDをSSDにするなどいくつかのハードの改造、更新を施して、今年の元日を期して再度使用し始めました。 SSDのパソコンというのは、聞きしに勝る凄さですね。 昨年まで使っていたHDDのノートパソコンは、 だいぶくたびれてきていたこともありますが、起動時にスイッチを入れてからロック画面が出るまでに約35秒 ( 日によって±5秒ほどばらつく )、シャットダウンには、お恥ずかしいけれど なんと約50秒ほどもかかっていましたが、それがそれぞれが毎回ピッタリ14秒と10秒になりました。

 Office の起動から、入ってきたメールが読めるまでの時間などは10秒以下になり、 従来の数十分の一になったと言っても誇張ではありません。 技術の進歩はすごいと思います。 他のいろいろのプログラムも、立ち上がりが遅くてイライラするなどということは皆無となりました。  一度SSDのパソコンを体験したら、もう二度とHDDのパソコンには戻れないと思います。

 話はまた戻って新型コロナ肺炎・・・全国各地同様、私の住むこの田舎の小さな市 ( 人口約4万人 ) でも、昨年末まではときどき一日に1〜2名が発症するだけだったのに、1月中旬には連日、一日に5人、10人、 時には老・中・若合計15人ほどもの発症があるほどになりました。 そこで、累計感染者数/総人口を計算してみると、他の大都市、中都市と大差ありません。 小都市の強みは人口密度が低いことです。  不便の裏返しで、人ごみを避けて散策する 「 ひと気のない場所 」 には恵まれています。 とにかく、人ごみが怖くて、バスに乗ってスーパーまで買い物に行くことさえもためらわれる今日この頃です。

 1年後にこの記載を見て、「 ああ、あの頃はこんなに困っていたんだ。 でもその後確実に解決に向かいつつある。 よかった 」と思える日が来ることをひたすら祈るばかりです。  それまでは何としても元気に生きていなくては。 ぜひ行きたいのにまだ旅行し残している所がいくつかあるのです。


1年で一番寒い時期ですが、老躯に鞭打って毎日外に出て歩きます。 卆寿の身で一人で杖も持たずにサッサと歩けるとはすごく幸せな事なのです!
 この幸せを一日でも長く保たなくては・・・ ただただその思いだけで歩きます。 先日カホルと一緒に歩いていたら、市内のとある2級河川の橋のたもとで、
カワセミが魚を狙って飛んでいました。 真っ青な羽色がとてもきれいでした。 また別の日には、山すそを歩いていると美しい富士に出会うこともあります
( 上の0写真 )。 今月は 131,783歩/31日=4,251.1歩/日でした。 2017年元日以降の総歩行距離は5,356.7kmです。

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このコラムは、もともとはグリンウッドで働く友人たちとそのご家族向けに、私や家族の動静、 日本や特に足柄地域の出来事などをお知らせしようと、97年初めから「近況報告」 という名でEーMAILの形で毎月個人宛てに送っていたものです。 98年2月以降はホームページに切り替え、毎月下旬翌月分に更新してきました。 ところが最近、日本に住むグリンウッドをご存じない方々も多くご覧になるようになってきたので、 同年7月から焦点の当てかた、表現などをを少し変えました


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