私と家族の近況

*あしがらみち*

2020年分:最新は12月度


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12月度 (Dec. 31, 2020)

謹んで新年のご挨拶を申し上げます
どうぞ良いお年をお迎え下さい
2021年元旦
熊井 章
    カホル




 今年に限っては、どこのご家庭でもご同様でしょうが、いよいよお正月到来というのに、子供たちも孫たちも姿を見せる予定は全くありません。 孫たちへのお年玉は暮れのうちに現金書留で送っておくというアホらしさ・・・ 自宅で老夫婦だけでおせち料理をつついていても侘しいと考えてせっかく計画し予約までしたGoTo旅行も、こんな超高齢者が万一にでも罹患したら医療機関にも大迷惑をかけるから、ぜひとも自粛を・・・ という無言の圧力に負けて泣く泣く取り消し・・・何としてでも頑張って、私ども両名あと一年元気で生きますから、こんなお正月は今年限りにして欲しいと祈るばかりです。

 友人・知人・親戚、どれをとっても、だいたい同年代の方たちが多く、したがって、毎年末に出す年賀状も、新年に頂戴する年賀状も、その枚数は年々減る一方です。 20年ほど前から、 できるだけハガキでなくパソコンメールにさせて頂いていますが、ナンと 最近は 「 もう高齢化したのでパソコンはやめた 」 と言いだす方が増えてきて、再びハガキに戻らされたりすることもあります。  私自身はというと、来年は卆寿、昨年あたりから、もうそろそろ年賀状を出すという行為そのものを一切やめようかと考えるようにもなってきています。 年賀状という慣行を卆業するから卆寿と言う???

 そんな中で、今年も結局手間をかけて印刷し、一つ一つ宛名を手書きしたハガキを50枚とメールを80通ほど出しました。 写真はこの7年ほどずっと、最近自分が撮った富士山の写真を使ってきましたが、 今年の6月に運転免許証を返納したので、遠方に出掛けての撮影が出来なくなりました。 仕方なく、今年は3年前の春に撮ったものを探し出して使いました ( 上掲 )。

今月からは防寒の手段を講じないと屋外を歩けません。 頑張って脊椎管狭窄症の痛みをこらえながら、何とか毎日歩き続けました。
 強い意志がないとできないことですが、頑張り通しました。  下旬に、逆流性食道炎が悪化し、2泊3日入院する破目になったので、
その間は歩けませんでした。 他の28日分について集計、計算しました。 123,292歩/28日=4,403.3歩/日でした。
 2017年元日以降の総歩行距離は5,271.0kmです。 自分にとってはとても嬉しいことですが、 今年の年間の総歩数は
上記の3日欠落があっても、昨年、一昨年より増えました。 なお、食道炎は全快しました。 お屠蘇もおせちもOKです。
 
11月度 (Nov. 30, 2020)

 最近、同年代の友人・知人たちの訃報や 「 介護施設に入所 」 の報せが相次いで届きます。 私が昔仲人をしてあげた、20歳以上年下の人までが世を去ってゆきました。  来年は私も数え年で90歳 「 卆寿 」 なのですから、無理からぬことでしょうか。  ひと月前に庭仕事中に転んだカホルが右手首を骨折しましたが、それもようやく治りました。 私はひと月の間、家事全般に翻弄されました。

 先月書いたように、運転をやめ車を手放したので、毎日不便で仕方ありませんが、それならと、二人とも 2km や 3km なら歩いて毎日お使いなどに行きます。 でも、例えば、病院で診察がおわり、 出てくると次のバスまであと一時間以上・・・などということが、しばしばあります。 そこでタクシー会社に電話すると 「 申しわけありません。 今全車出払っていて・・・ 」 と断られることは珍しくありません。  というわけで、仕方なく 2km 近く歩いてから電車、バスと乗り継いで家に帰ります。 「 健康でなければ医者にも行けないね 」 と話し合う始末で、冗談にもなりません。  ともあれ、夫婦そろって一応丈夫で健康だからこそ、この田舎で何とか暮らしていられるのです。

 最近またコロナの流行が激化してきているので、カホルも毎土曜の英会話学校を暫く見合わせています。 校内で最長老の生徒として有名?なようですが、遠方から若い人たちが沢山通ってくるので、 どうしても感染が怖くて行けないと言います。 コーラスは、人数を減らし、練習場を大きな部屋に変えて細々と再開したようですが、 二人で街に出ての外食も最近は全くできませんし、 昨年までは2か月に一度くらい出かけていた一泊の小旅行も、振り返ってみたら、もう半年以上やっていません。 よほど気を付けないと、この老夫婦にも 「 自粛引きこもり 」 に因る問題が出てくるかもしれません。

 そういう日常ですから、日課のウォーキング以外に体を動かすことと言えば、二人とも庭の草木の手入れや草むしりくらいです。  昨年の10月、この欄に書きましたが、その時に写真を載せた赤と白の2本のサンパラソルの越冬→2年目開花に今年は成功しました。

 この植物は通常はその年限りの一年ものと考えなさいと書いてありますが、工夫すれば越冬させられるという記事もあるので、 昨年秋に挑戦してみました。 11月に幹だけ30cmほどに短く残し、つるは全部、葉も殆ど取り去って、鉢を冬の間は陽のあたる窓際の室内に置いておきました。 水はごくたまにやりました。  年を越した3月下旬に屋外に出し、新しいひと回り大きな鉢に植え替えたところ、やがて葉やツルが出てきて、夏以降は前年の倍ほどの巨体に常時十個以上もの美しい花を咲かせ続けるようになりました。  しかも、なんと11月末になってもまだ合計20個以上の美しい花やつぼみをつけています ( 下の写真 )。 今年も上記同様の手入れをして、来年は3年目の花を咲かせてみようと思います。


白い鉢の2本が越冬させた2年目の赤と白のサンパラソル。 手前の緑色の2鉢は今年春に苗から育てたもの。
 左奥の白い花のものは、この日たまたま開花が3〜4個でしたが、 つぼみは10以上ついています。
右の写真は向かって右の二鉢の別の日の接写。 赤白とも花やつぼみが計20ほどついています。
花を沢山咲かせるには、ツルは上に伸ばさず横に円形に這わせ ( あんどん仕立て )、時には切りとってしまうのが良いようです。

ウォーキングには最適の季節なのですが、今回でもう10年間に6回目の脊椎管狭窄症が発症し、だましだまし歩いているので、
歩数はそれほどは伸びません。 125,284歩/30日=4,176.1歩/日でした。 2017年元日以降の総歩行距離は5,190.9kmです。
 
10月度 (Oct.31, 2020)

 中学時代から今日まで3/4世紀もの間、ずっと親友であり続けてきた作曲家のすぎやまこういち ( 椙山浩一 ) 君が、今秋の文化功労者に選ばれたとの報せが月末に入りました。  久々に心の晴れる嬉しい思いをしました。

私に続いて、カホルも先月自動車の運転をやめたので、車は不要になり業者を呼んで売却しました。 当然ながら、途端に猛烈に不便な毎日が押し寄せてきました。 この僻地?を通る路線バスは、1時間に一本あるかないかで、 いつも数人しか客が乗っていない赤字路線なので、ダイヤの改正 ( の字に違和感あり! ) が今月もあって、またまた運行本数が減りました。 不便さは増す一方です。

 考えてみれば、車という存在は、在る間は当たりまえで特別何とも思いませんが、いったん無くなってみると、平常の心身の活動範囲が大幅に狭められてしまう、実に便利な自分の 「 分身 」 のような存在でした。  60歳前後の8年間の在米中は米国内各地や ( 一度は ) 欧州に、そして帰国後85歳くらいまでの20年あまりの間は、日本中の遠方の各地や、さらにはカナダやハワイ諸島にまで出掛けて、 レンタカーを借りて1週間も10日も、二人で交互に運転しながら旅してまわりました。

 このような時、クルマはいつも 「 自由と刺激と新発見 」 とを私たちに与え続けてくれました。 このことは、クルマを失ったとき、もう運転できなくなった今、ことさら身に沁みて感じられます。

 それなのに・・・・・・今月からはもうこの家にはクルマがない・・・・・・「 クルマが無い 」 ということが、どういう現実なのか、私は事前にある程度予想はしていましたが、これほど不便でこれほど寂しいものだとは、 やはり想定できていませんでした。 仮に私が大都市に住み、身辺に公共交通手段が潤沢に存在していたら、不便さは殆ど感じないでしょうが、それでも、このどうしようもない寂しさはやはり私を襲ってくることでしょう。  現在まだ運転をなさっている後期高齢者の方々の多くが、現在の私のこの心境を、近い将来きっとお分かりになってくださることだろうと思います。

 話は変わりますが、人間の寿命はたとえ自分のものであっても一寸先は闇で全く分かりません。 一方、パソコンの寿命はと言うと、平均5年とされていますがこれも3年で壊れることもあれば10年も元気に動くことだってあります。  私の生活は20年以上前から着々とデジタル化が進んできていて、もうパソコンなしでは一日も暮せないというのが現状です。 それなのに現用のパソコンは使用開始以来3年を過ぎ、 最近作動状況にやや 「 くたびれ 」 が目につくようになりました。 毎日3時間以上対峙しているので、パソコンの調子は手に取るように分かります。  バックアップのパソコンをもう1台用意し、万全の状態で待機させておくことをそろそろ考える必要を感じます。

 ですが、このクラスの新品のノートパソコンを更にまた1台購入するとなれば、仕様次第ですが10万円前後はかかってしまいます。 私の余命はもうそう長くないのにちょっと勿体ない。  何か良い工夫はないか・・・・・・という事で、以前使用しその後放り出してあった Windows7 の古いノートパソコンを改造整備し現役に復活させようと考えました。  2011年に購入し5年間ほど使っていた品で、まだ動くことは動くが・・・という程度の状態です。 いつ寿命が来てもおかしくないHDDを、最近容量も信頼性も向上著しいSSDに入れ替え、メモリーを倍増し、 OSは Windows10 にバージョンアップするという改造を、親しい友人に施してもらいました。

 すると、上記の新品の価額の一割以下の費用で、快調にサクサク作動する最新型のパソコンに変身しました。 SSDの使用により起動とシャットダウンが今迄体験したことがないほど迅速 ( 共に数秒! ) になり、驚きました。  このパソコンに Office をはじめ、様々のソフトをインストールする作業に、今月は連日時間と精力を注ぎました。  以前ほどには頭脳と体力が働かなくなったことを痛感しましたが、日々更新、追加されるデータのバックアップはキチンとやっていますし、これでもう、現用のパソコンがいつ突然ダウンしても大丈夫という態勢が確立しました。

 クルマの運転は、90歳を前にして、さすがにやめなくてはなりませんでした。 でもパソコンは90歳だろうが100歳だろうが、 いくらやり続けても他人様にご迷惑をかける心配はありません。


手前が今回改造更新したパソコン。 画面の下の枠に、明るい窓からの光の反射が写り込んでしまいました。
奥に見えるのが現用のパソコンと第二ディスプレイ用のモニター ( このホームぺージの9月度が表示されています )。

猛暑の夏も過ぎ去り、台風も今年の10月はほとんど来なかったので、久し振りに一日平均4千歩を歩くことができ
ました。 125,707歩/31日=4,055.0歩/日でした。 2017年元日以降の総歩行距離は5,109.5kmです。
 
9月度 (Sept.30, 2020)

 都会に住む方々にはお分かりにならないでしょうが、この辺りのような農村地帯に住んでいると、自然の移り変わりが一日、また一日と新鮮です。  9月上旬、台風9号が去ると、山から一斉にアキアカネが降りてきました。 夕方道を歩いていると顔にぶつかってきそうになるほどの無数のトンボです。 これでも、 10年前よりはだいぶ数が減ってしまったかなとは思います。 彼らの体はまだ主に褐色ですが、来月になり成熟してくると、あちこちが赤くなり、文字通り 「 アカトンボ 」 になります。

 「 みのるほどこうべを垂れる 」 田んぼの稲穂 ( 左の写真 ) は、品種により中旬から下旬にかけて順次刈り取られてゆきます。 最近は稲刈りと脱穀が、一つの農機で同時に行われますが、 つい数年前までは、一旦刈り取った稲の束を 「 はざ 」 にかけて数日間天日干ししていました。 そういうゆったりとした光景も急速に見られなくなって来ました。

 稲刈りの頃になると、秋分の日を測ったかのように道端のあちこちに無数の真っ赤な彼岸花 ( 曼殊沙華、リコリス ) の花が一斉に芽を出し咲き揃います。  9月は本当に自然の移り変わりを感じさせてくれる月です。

 ところで、彼岸花と言えば深紅と決まっていると思っていましたが、ウォーキングの途中、偶々、真っ白い彼岸花に初めて出会いました ( 右の写真 )。  家に帰ってから調べてみると、黄色いショウキズイセン ( 鍾馗水仙 ) と自然交配してできたものと書いてありました。  赤と黄が交配して白になるとは不思議に思えますが、遺伝子の白化変種と言われるものだそうです。 花言葉は 「 また会う日を楽しみに 」 だとのことです。  80歳台後半になっても、そんな田舎道を毎日”てくてく”ウォーキングできる程度の健康を保てているというのは、夫婦そろって何とも幸せな事です。

 話題は一転しますが、最近の 「 特殊詐欺 」 は益々巧妙になってきています。 私のパソコンにも、毎日何通ものこの種のスパムメール、フィッシングメールが届きますが、その殆どは、文書の体裁や日本語の文章、 特に敬語の使い方などがいかにもおかしいので、すぐに気が付きます。

 日本語がよくできる外国人が作文した文章だろうと、一読してすぐに分かるので、即刻削除します。 所が先日、あるクレジットカードの本部からと称するメールの文章は、文体も記述内容も、文書の体裁も送信者のアドレスも、 一点非の打ちどころがないもので、私も危うく一瞬だまされかけました。 それでも、念のため一応は疑って、そのカード会社のホームぺージをあけ、「 不審なメールが来たら 」 という項を見たら、 そこに悪質詐欺メールの実例が10ほど記載されており、その2番目のものが、私の所に来たメールと一字一句同じものでした。 危うくだまされ、パスワードを変更して送り、悪者にそれを通報してしまうところでした。

 「 オレオレ詐欺 」 の電話などは、従来はいつも即座に見破り、からかい半分に暫く適当にあしらってから追い払い、一度も危険を感じたことがありませんでしたが、今回初めて 「 もしかしたら本当なのでは 」 と私が思ってしまいかけた 「 上質で巧妙至極な 」 フィッシングメールに、生まれて初めてお目にかかったという次第です。

 運転免許を返納したので、在宅がちになってしまった老人が、さらに 「 自粛の生活 」 を強いられているものですから、何の変化も面白い体験もない内にひと月が次々にサッサと過ぎてゆきます。  余命も短いというのに、本当に困ったことです。 小さな孫たちとはもう一年以上も会えていません。 成人した孫たちは、庭さきまでは時々来 てくれますが、万一をおもんばかって家の中には上がらずに帰ってゆきます。

今月は、だいぶ涼しくなって、ウォーキング゙が苦痛でなくなりましたが、なかなか一日5,000歩どころか4,000歩も困難です。 やはり年齢を
感じないわけにはゆきません。 115,143歩/30日=3,838.1歩/日でした。 2017年元日以降の総歩行距離は5,027.8kmです。
 
8月度 (Sept.1, 2020)

 先月の冒頭に、毎月末日のこのページのアップロードを遅らせたことは滅多にないと偉そうなことを書きましたが、今月も翌月1日に持ち越しとなりました。 下記の鳶の写真が、 気にいったものがなかなか得られなかったのも理由の一つです。

件ありました。  先月書いた同期生たちの LINE による交流は、その後も参加者が増え、全部で11人となりました。 全員が一緒に集まることは、色々の制約で無理のようですが ( たとえば、スマホの画面は小さいので、 同時に6人しか顔を出せない )、メールで、電話で、ビデオ電話で、遠距離で顔を合わせられない老爺たちが、折々に LINE での交流を楽しむことができるようになりました。

 一方、ウォーキングは、猛暑が続くのでなかなか大変です。 私のような年寄りが、暑いさなかに仕事でもないのにわざわざ屋外を歩いて熱射病熱中症になったら、「 何とバカな・・・ 」 と言われるのはもちろん、 コロナで多忙を極める医療機関に多大のご迷惑をかけることにもなります。 コロナはいくら注意していても運が悪ければ罹りますが、私は仕事もしてないし 幸いエアコンも買えたし電気代も払えますから、 無理さえしなければ熱射病に罹るチャンスはゼロにできます。 もっとも、先日読んだある報道によると、エアコンをかけずに自宅で熱射病に罹り亡くなったご老人たちについてその理由を調べたら、節電意識と並んで、 エアコンの操作法が難しくて分からないので使わなかったという方が少なからずいたとか。 私は今の所、幸いそのような心配はありません。

 裏の田んぼでは,早くも稲に穂が出てきました。 7月はほとんど晴天の日がありませんでしたが、8月はうって変わって晴天続きでした。 田んぼにはさっそく害鳥よけの何種類もの新兵器が今年も続々と並び始めました。  その一つが大きな 「 鳶 ( とび ) 」 そっくりの遊泳模型です。 風に乗って高く舞い上がり、また急降下してきます。 下の写真をご覧ください。 このよう鳥たちとの知恵比べがどんどんと進歩して行くので、 鳥たちは食糧難で苦しむことになるのでしょうか。


 今月は思わぬ出来事がいろいろいあって、月の後半は暑いさなか、夫婦二人であちこち飛び回って文字通り終日 「 忙殺 」 されていました。 来月はそういうことがない月にしたいと思います。

今月は、やはり熱射病にだけはなりたくないと考えていたので、歩数を伸ばすのが大変でした。 日差しの弱い時間や地域を
選んで頑張ったものの、やはり一日平均4千歩には、だいぶ足りませんでした。 120,261歩/31日=3,879.4歩/日でした。
 2017年元日以降の総歩行距離は4,953.0kmです。
 
7月度 (Aug. 1, 2020)

 いつもの月は、月の末日の夜遅く、その月のページをアップロードするのですが、今月は、いろいろと私的な事情があり、一日遅れて8月1日になってしまいました。 このように翌月初めにずれ込んでしまったことは、 このページの約20年の歴史の中で、数回しかありません。 でも、何もご心配いただくような事情ではありません。 夫婦両名、相変わらず元気に暮らしています。

 それにしても、7月は雨がよく降りました。 球磨川流域その他の様な不幸な災害にはなりませんでしたが、当地でも、私の記憶に間違いが無ければ、朝起きて南東に面した雨戸をあけた時、 まぶしい太陽の光が差し込んできた朝は、たった2日しかありませんでした。 毎日雨ばかりでした。 ですから、日課のウォーキングも、半分くらいは傘をさして、あるいは手に持って出掛けました。  これは強い意志の力が要ることでした。 歩数が、目標の一日平均4千歩以上にならなかったのも、致し方ありません。

 大学のクラスメイトたちの中でまだ元気でいる者たちが、15年以上も前から、毎月一回、横浜の居酒屋に集まっ て楽しく歓談していたのですが ( 最初のうちは毎回15人ほど、最近fでは6、7人 )、 今年の3月以降は「 コロナ 」 のために集まることができず、全員が無聊をかこっておりました。 そこで、LINE のアプリを利用して懇談の場を作り、さらにはビデオ電話機能も使ってお互いの顔を見ながら話し合おうという提案をしたところ、 ほとんどの人が賛成しました。

 しかし、なに分、年齢は全員90歳近くです。 スマホやタブレットは殆どの人が持っていますが、LINE のアプリが入っていない人もいるし、入っていても、日常的に LINE を使っているのは私のほか一人だけでした。  残りの人たちは LINE を一から勉強して始めることになり、家族のうちの若い人に教えてもらったりしながら、それでも1週間ほどで、互いに顔を合わせられない環境の中で、 10人が一つの LINE のグループのもとに集結することができました。

 この間、私は、固定電話の送受機片手に、あるいはパソコンのメールを使って、いろいろとスマホの操作を指導?する日が続き、多い日は一日に5時間以上もそれに費やしました。  しかし不思議なもので、一人また一人とグループへの参加に成功するたびに、互いの喜びもひとしおで、10名の参加が完了した時には、疲労を忘れて、頭の中がグンと若返ったような気がしました。

 
雨ばかりの天気の中、元気なのは裏の田んぼで生まれたアマガエルばかりです。 庭には無数の
1cm強の生まれたばかりの緑色のアマガエルたちが我が物顔に文字通り 「 跳梁跋扈 」 しています。


 また、近くの田んぼでは、珍しい金色のアマガエルや、水色のアマガエルが発生し話題になっています。
上記をクリックすれば動画が見られます。
 
今月は、上記のように殆ど雨の日ばかりでしたので、歩数を伸ばすのが大変でした。 連日傘をさして歩き頑張ったものの、一日平均4千歩
には、だいぶ足りませんでした。 116,975歩/31日=3,773.4歩/日でした。 2017年元日以降の総歩行距離は4,874.8kmです。
   
6月度 (June 30, 2020)

 今月後半から、いろいろと注意をし神経を使いながらも、一人で、二人で、また数人でと、時々近くのレストランでの外食をするようになりました。 どの店も 「 コロナ以前 」 よりずっと空いてはいますが、 ようやく活気が戻りつつあるように感じます。 当地とその周辺の自治体は、幸い 「 県内の岩手県 」 と言われている ( 言っているのは多分私だけ? ) ほど、感染者数はゼロないしごく少数なので、注意しながらこうして無事に 徐々にもとに戻ってゆくことを祈っています。

 19日に近くの警察署に出向き、運転免許証を返納して 「 運転経歴証明書 」 というものをもらってきました。  約60年間ほとんど毎日 ( うち米国*1 で8年間、それと欧州4か国を計1週間 ) の私の運転歴はこの日、遂に幕を閉じました。 塀や電柱にこすったりぶつけたりしたことは、当初初心者の頃は、何度かありました。  軽く追突されたことや、速度違反で捕まったこと ( これは米国で2回 ) その他がありましたが、人身事故を起こしたり、起こされたりしたことは、幸い一度もありませんでした。

 運転免許証返納を決断するまでに、この半年近く、私は殆ど毎日のように、昼も夜も激しく煩悶し続けました。 「 高齢者とひと口に言っても個人差は大きいい。 自分はまだしっかり注意深く安全に運転できるし、 運転を続けたい 」 という自負心、「 この公共交通機関が非常に乏しい ( 路線バスは1時間に1本ほどしかない ) 地域に住んで、日常の買い物や通院を車なしで一体どうすればよいのか 」 という危惧、 「 いくら何でもこれ以上運転し続けたら近隣の人達からの強い懸念の目に堪えられないだろう 」 という心理的圧迫感、「 或る日、自分では気が付いていない心身の能力の衰えが原因となって、もし重大な事故を起こしたら 」 という恐れ・・・とにかく様々な思いが頭の中を次々に行きつ戻りつして、そのために昼も夜も心乱れるばかりでした。

 最後の最後に自分に返納をを決心させたのは、何と突飛なと言われるかも知れませんが、ある不治の全身麻痺の難病にかかった方の話を読んだ時でした。 この方に比べたら、「 今後は郵便局に往復するだけでも長距離を 歩かなくてはならないが、それがなんだ! この齢 ( 88歳 ) でその距離を何とか一人で歩ける健康があるだけでも、どれほど幸せな事なのか 」 と考えることにし、自分を無理矢理納得させたのでした。

 返納前の数週間は、これが 「 走り納め 」 だとばかりに、数日に一回ほど、富士五湖や箱根周辺の最近あまり通ったことのない旧道、林道、峠道などを探して乗り回しました。*2  一日に80kmくらい走ったこともありました。 でも、いくら走っても、「 もうこれでいいや。 運転は堪能した 」 という気には決してならないと分かりました。  果たして、返納後警察署を出た途端に大きな喪失感に襲われ、翌日からは 「 運転禁断症状 」 に苦しむ毎日となりました。 一日も早くこの現状に慣れないといけません。

 というわけで、今回初めて気が付いたのは・・・自分にとって車は単なる便利な道具、必要性大な移動の手段の一つにすぎないと思って六十年間に20台近くの日米の車を遍歴してきた*3 のですが、 実はそれだけではなくて、「 車を運転することそれ自体が私にとっては重要な目的そのものでもあり、非常に楽しく手離しがたい快楽でもあった 」 のだという事実でした。

 返納の時に困ったことがありました。 警察署に車で出かけると、帰りは免許証がないので運転して自宅に帰ることができないのです。 公共交通機関の発達している市街地の警察署なら、何も問題ないのですが、 私の場合はバスを2回乗り継いだあと、1kmほど炎天下を歩かないと警察署に着けません。 せめて、返納した際の帰途だけでも運転できないかと警察署に電話で聞いたら、それは無免許運転だと言われました。  県警の運転免許を所管している部門に質問しても答えは同じで、何も理解してくれようとはしませんでした。 私よりもっと過疎の地域に住んでいて、運転免許を持っている家族や友人が同伴できない場合は、 せっかく新設されたこの 「 運転経歴証明書 」 を取得することは、事実上不可能です。 免許の有効期限内に返納する場合は、返納の帰途だけでも運転を許可するという 特例を設けることはできないものでしょうか。

*1: 在住していた米国の地域は、電車も路線バスも全くない、田舎の小都市だったので、夫婦各1台の車は不可欠の必需品でした。 外食や買い物、受診などのために片道50kmも100kmも運転することは日常茶飯事でした。  旅行や業務出張の際は、見知らぬ町の空港でレンタカーを借りて、地図を頼りに ( 当時はカーナビなど無かった ) 時には1日に数百kmも ( 時速90km程で ) 未知の道を運転します。  60歳前後の若さと元気があったからこそできたことでしたが、全米50州のうち、約半数の24州で運転しました。 今となっては楽しい思い出ばかりです。

*2:「 県境を越えての移動は自粛 」 という事でしたので、他県内では車から外に出るのは景色の写真を撮る時だけとし、食事は持参の弁当を車内で食べ、買い物は一切しませんでした。

*3: Pontiac Bonneville(1988, G.M.) の 「 どう猛 」 としか言いようのない加速性能、Lincoln Continental (1990, Ford) の優雅な坐り心地、カホルが買ったJeep Grand Cherokee (1993, Chrysler) の逞しい走り、 米国車はどれも皆 個性がはっきりしていて好きでしたが、日本車のARISTO Walnut Package (2004, Toyota) ( 下の写真 ) の、車体の隅々にまで行き渡った 「 良質感 」 が、やはり一番私の心に残ります。


今月も雨天の日が多かったので歩数を伸ばすのが大変でした。 月末近くの数日は、何とか一日平均4千歩を確保するために今月もまた四苦八苦
しました。 121,588歩/30日=4,052.9歩/日でようやく4千歩を超えられました。 2017年元日以降の総歩行距離は4,798.8kmです。
 
5月度 (May 31, 2020)

 今月、私は無事に・・・つまり健康状態で・・・満88歳の誕生日を迎えることができました。 ふと周りを見回すと、つい2〜3年前までお互い元気に顔を合わせて付き合っていた同年代の友人達の多くが、病に倒れたり、 介護施設に入ったり、またこの世を去ったりしてしまい、まだ元気でいる私より僅かでも年上の先輩はもうホンの二、三人です。 同窓 ( ほぼ同年齢 ) の親しい友人たちも、元気な人はと指折り数えると男女合わせて 10数人程度に減ってしまいました。 日本人男子の平均寿命は約81歳、健康寿命は何とたった72歳余りですから、これはもう致し方ない事です ( 72歳と言えば、私が一念発起して旧東海道500kmを歩き始めた年齢でした )。

 「 自分は長生きし過ぎてしまったのかも知れない 」 という、ある友人が最近私に洩らした真摯な述懐には、本当に自分もそうかもと頷いたりする一方、このページを毎月書き続けていられる根気や、 あちこちの友人たちが 「 パソコンのこの操作が分からない 」 とか 「 異常が発生して直らない 」 とか電話してくれば、状況を聞きながら解決してあげられる能力などもまだ残っているので、 「 自分の人生にはまだホンの少しだけ燃料が残っている。 もうちょっとだけ生きてみよう 」 と、毎日のように自宅で庭の草取りをしながら、想ったりもする今日この頃です。  迷いに迷った挙句に決断した運転免許の 「 不更新 」 の期日も、あとひと月に迫ってきました。 元気な歩行能力を決して失うことがないよう、注意と努力を継続しなくてはなりません。

 誕生日には、万々一にでもこの年寄り夫婦にコロナをうつしてはいけないと、スマホを動員した4か所同時の遠隔ビデオ LINE 通話で、子たち孫たち皆がお祝いの言葉を述べてくれましたが、何分画面が小さくて、結構疲れます。  そこで、スマホの画面をTVのモニターに大きく映し出すための機器とHDMIケーブルを息子が送ってきたので、接続と操作にちょっと苦労しましたがそれが実現出来るようになって、毎週末の夜の交流がとても楽しいものとなりました。

 

 この写真はスマホ ( 写真の右下方 ) の画面上に、ホーム画面と、以前スマホで撮った風景写真を出し、それらを上記のケーブルで大型テレビのモニター上に送ったものです。 実に鮮明に映し出されています。  実際のビデオ LINE 通話では、この大画面が2〜4分割された画面に、各所からの各参加者の刻々の姿が写し出されます。 彼らの声もテレビのスピーカーから出てきて全員参加の会話を楽しめます。 一種のテレビ会議です。  その動画画像もここに載せられたらよいのですが、プライバシーの関係で出来ません。

今月は雨天の日が多かったので歩数を伸ばすのが大変でした。 昨年までは雨の日にはショッピングモールに車で出かけて
行き、店内をグルグルと数十分歩き回っていたのでしたが、 今年は 「 不急不要 」 な場所で連日歩き回っていてはいけません。
 というわけで、月末近くの数日は、何とか一日平均4千歩を確保するために四苦八苦しました。 124,427歩/31日
=4,013.8歩/日でギリギリ4千歩を超えられました。 2017年元日以降の総歩行距離は4,719.8kmです。
 
4月度 (Apr. 30, 2020)

 新型コロナウイルスのおかげで、毎月開催している大学時代の同期生の会合、毎年私の誕生日に合わせて開催される会社時代の仲間たちとの楽しい集まり、その他、 孫の卒業祝い、就職祝いなど、楽しい集まりは何もかも中止や延期になってしまいました。 カホルは、長いこと週1回熱心 続けてきた女声合唱団と英会話教室、ごくささやかなボランティア活動などが べて当分お休みとなり、 代わりに自宅でいろいろ勉強しています。

 一方、子たち孫たちの話を聞くと、学校に行けなくなったり職場で働いたりしている若い人たちは本当に大変だと思います。 私たちは、申し訳けないが変化と言えば上記の程度で、 もともと家に居る事がほとんどの退屈な日常生活・・・その退屈さを何とか減らそうと庭の草取りに励むくらいの生活でしたから、コロナ騒ぎによる生活の変化はそれほど大きくはありません。  ときたまの夫婦だけの外食の楽しみはまったく無くなりましたが、そんな事くらい我慢できます。 そうそう、電車やバスもなんとなく怖いので、気が付いてみたら、もう1か月近く、一度も乗っていません。  たまの外出はすべて徒歩か車です。

 でも、営業自粛のために倒産しかかっていたり、職を失ったりした方々、危険を冒して苛酷な医療業務に励んでおられる方々など、大変な目に遭っている多くの方々に比べたら、もともとつまらなかった日常生活が さらにずっとつまらなくなったというくらいの変化で文句を言ったらバチが当たります。

 車でときどき出掛けると言っても、勿論、半径30km程度内の県内の静かで人のいない過疎地ばかりです。 こういう所なら外出自粛のお達しの意図に背くことにはならないでしょう。 車を停めて近くの山野を歩きます。  そのうちの一つ・・・大磯町の裏山の奥の方にある虫窪という人里離れた集落・・・ここは面白かったです。 車がやっと通れる1車線の道をたどり、空き地に停車してあとは誰もいない坂道を歩きます。  鬱蒼とした森を背に400年以上も前に創建された古いお寺などがあり、計172歳の二人にとって手ごろで楽しい散歩でした。  ( 右の写真は寺の山門内にある観世音像と6匹の狸。 狸どもは皆、山門内なのに酒徳利をぶら下げているが、これはお許しがあったのでしょうか? )

 毎週、あるいは毎月決まって訪ねてきてくれていた子供たちや孫たちも、私たち老人に万一感染させたら大変と、ばったり来なくなりました。 代わりに、スマホで LINE のオンラインビデオ電話機能を使っての 彼らとのおしゃべりが、楽しい週課?となりました。 1月度に記したように、当家にも自前の WiFi 環境が整ったので、いくらおしゃべりしてもこんな凄い機能が無料とは、 ただただ驚くばかりです。 本当に技術の進歩は大したものです。

 思い出せば、私たちの新婚時代 ( 約60年前 ) は、資産家、上流階級、あるいはちょっとした商店以外は自宅に電話などなく、市内は直通でも、市外に電話するときは団地の共用電話で交換手を呼び出し、 一旦切ってしばらく待ってやっとつながるという時代でした。 たった半世紀前の事なのに、孫たちにはいくら説明しても理解してもらえないことでしょう。 ああ、またまた昔の思い出話を書いてしまいました。

 というわけで、例えば、毎週土曜日の夜7時からは、私たち2人と息子一家4人とがそれぞれ自宅で夕食を前にして、食べながら話し合います。 お互いの姿は話し声と共にスマホやタブレットの画面の上に現れ、 相手がどんな料理を食べているかも一目瞭然。 さながらテレビ会議のようです。 そのほかにも子供たち,孫たちと、それぞれ近況を写真入りで頻繁に報告し合います。  LINE には、 本当にコロナウイルス緊急事態宣言による孤独と退屈を緩和してくれる素晴らしい効能があります。

 また、昨年から私のスマホには3種類ほどのキャッシュレス決済機能を導入していましたが、最近は多くの病院でもこれが使えるようになりました。 一般の店舗ではもちろんですが、 特に病院の会計で紙幣や硬貨をやり取りせずに非接触決済できることは、大きな安心感につながります。

 あとは庭と家の周囲の草取りです。 敷地面積ー建物の1階面積=約220uなので結構大変ですが、自宅にこもっているだけの生活にとっては時間つぶしにはなります。  2人とも、この年齢で草取りが出来る体力が少し残っているだけ幸せだと思うことにしています。 娘夫婦も見兼ねてか手伝いに来てくれます。
 
上記のような次第で、外出自粛の中、過疎地歩きを続けて何とか1日平均4,000歩以上を確保しました。
129,230歩/30日=4,307.7歩/日でした。 2017年元日以降の総歩行距離は4,638.9kmです。
 
3月度 (Mar. 31, 2020)

 2か月ほど前のことになりますが、珍しく、二人で2回続けて映画を観に行きました。 暫く行かなかった間に、入場料が随分上がったなァという感じがしましたが、数年前はいくらだったか、覚えていないのではっきりしません。  一つは日本映画の 「 風の電話 」。 あらすじはここにあります。 東北大震災で大きな被害を受けた岩手県大鎚町の出身の友人が 「 大槌町の被災が主題になっているので 是非見て涙を流してきてくれ 」 と言うので、観に行きました。( ベルリン映画祭で国際審査員特別賞 )

 もう一つは韓国映画の 「 パラサイト 半地下の家族 」 です。  映画の紹介とあらすじはこれです。 東洋人が初めてアカデミー賞の作品賞 ( 2020年のアカデミー作品賞を受賞。 これは英語以外の映画で史上初の快挙。 監督賞、脚本賞、国際映画賞も獲得し、最多4冠を獲得 )を獲った映画だというので、是非観たいと思いました。

 両者を並べてみると、前者は良くも悪くもとにかく 「 日本的 」 な情感?に満ち溢れた映画です。 日本人以外にはつくれないだろうし、観ても心が共鳴 「 しにくい 」 かも知れないと思える映画でした。  とにかく主人公の少女はほとんど何もしゃべりません。 それなのに、その胸の内を観客は一刻も早く察し理解し共感することを求められるのです。 これこそ日本的な 「 察しと腹芸 」 の極致だと感じました。  察しの悪い私は、特に前半は必死に推察し続け、相当いらいらしました。

 一方、後者は徹底的に韓国的な映画のように思えました。 彼ら以外には思いつかないし、つくれないし、演じられない映画のように、私は感じました。  とても分かりやすく面白い映画でしたが、最後の血しぶきが吹き出し続ける殺傷シーンはこの老人には少々刺激が強すぎました。 特に映画の愛好家というわけでもない私には、両者につきこれ以上の事は書けません。

 共に欧米で賞をもらった 「 立派な 」 作品なのに、300人は坐れるだろう広さの劇場に、前者は9人、後者は約30人しか観客が入っていませんでした。 これでは興業成績もさぞ気の毒な状況でしょう ( ただし後者は米国では満員の盛況だったそうです )。 ましてや新型コロナ肺炎の感染が怖くなって以降は、あの 「 密閉空間 」 で見知らぬ人たちの間に2時間以上坐っている勇気は、なかなか持てないことでしょうから、 館内は当時より更に閑古鳥鳴く状況でしょう。 今月末には自主的に閉館する映画館も出てきましたね。 ひと月以上前に観に行っておいてよかった。

 15日に、ミラノに住む親しい友人のジョルジォ ガスパリーニに、「 イタリア北部では新型コロナ肺炎の蔓延と被害が随分と激しいが大丈夫かい。 今どうしているの? 」 と、心配してメールを出したら、 それが奥さんから米国在住の娘さんに転送され、翌日、「 彼は亡くなりました 」 という返事が届きました。 昨年の夏から患っていた病気が今年になって悪化し2月1日に・・・と書いてあるので、 今回の肺炎が原因ではありません。 米国在住中は彼ら夫妻が私どもの家の近所に住んでおり、彼は自動車のタイヤ等で有名なイタリアの Pirelli 社の技術者で、当時は米国工場の総支配人。  私と同様の立場でしたので、夫婦同士で仲良く付き合っていたのです。


ガスパリーニ夫妻ほか一組の夫婦を自宅に招いて夕食後、くつろいで座談。 1993年頃。 左手前が彼。 右から2人目が夫人のルチアーナ

 奥さんのルチアーナの英語は、凄いイタリア訛りで、しゃべるのは達者でしたが、読み書きは不得意のようでしたし、その上、イタリアに帰国後は英語をだいぶ忘れてしまっているようなので、  私は弔文を英語で書いて米国在住の娘さんにメールで送り、イタリア語に訳してミラノに住む彼女に転送してもらいました。

 私どもも彼らもそれぞれ母国に帰国した後、1998年に私たち夫婦がイタリア各地を巡るツアー旅行に参加した時、カホルが2日目にミラノ市内を観光中に突然心筋梗塞で倒れました。  その際は運よく市内の彼の家に電話して助けを求めることができました。 その日は彼らは結婚記念日の旅行に出かける日だったのですが、急遽出発を一日延期して色々世話してくれました。  次の日から数日間、ツアーを離脱した私は、旅行中の彼らの留守宅 ( 豪華マンション ) に独りで泊まらせてもらって、カホルが救急車で収容された大病院の集中治療室 ( 最近話題のICU:運よくその日ベッドがたった一つ空いていた ) に朝夕通いました。 その時、上記の娘さんが帰国した時に使うベッドを借りて寝たのでした。

 数日後、夫妻が旅行から帰ってきた後は、私は市内のホテルに移り、カホルが冠動脈へのステント挿入の手術 * 後、退院、静養して半月ほど後に空路帰国できる体力になるまで過ごしたのでしたが、その間も、 私たちの帰国当日まで、彼らは本当に親切に何から何まで、心配し、教え、世話してくれたのでした。 カホルが今も元気で生きているのは、彼らご夫妻のお陰だと言っても過言ではありません。  彼らは帰国前日にはスカラ座やコモ湖の観光に私たちを連れて行ってくれ、当日は空港まで愛車アルファロメオで送ってくれました。

 その後も彼は、ちょっぴりエッチなイタリアの小噺を英語に訳しては毎月のようにメールで私に送ってくれていました。 その中から、面白かったものを日本語に訳して ここに載せてあります。 そういう大切な友人が、重い病気に罹っていたことを私は知らずにいて、彼は先月死んでしまっていたのでした。 私より5歳以上も若かったのに・・・

 今月もまた先月同様、昔の思い出話を書く事になってしまいました。 ついつい思い出話を書いてしまうという事は、即ち私が老いたという事なのでしょうね。

* : この治療法は1990年代初頭に実用化されたもので、当時はイタリアでも、ミラノのような大都会の先端的大病院でしか受けることはできませんでした。 退院の際、医師は私に 「 貴方の奥さんの冠動脈は95%詰まっていました。 ミラノのこの病院に素早く来られたから助かったのです。 もし次の日にベニスで発症していたら、のんびりとゴンドラで運び込まれた病院にはステントはまだ無いので この治療は受けられず、たぶん命を落としたことでしょう 」 と言いました。

暖かくなってきたし、腿の痛みも癒えたし、歩数が伸びない理由はありません。 でも、一日4千歩を超えるのがやっとでした。
129,225歩/31日=4,168.5歩/日でした。 2017年元日以降の総歩行距離は4,554.9kmです。


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2月度 (Feb. 29, 2020)



庭のボケが、今年も1月の末から花を咲かせました。 ところが、昨年実った結構大きな実が、
まだ幾つも残っています。 昨年と今年が仲良く同居しているのが面白くて、写真に撮りました。 


 私は1988年11月 ( 56歳 ) から1996年の6月 ( 64歳 ) まで、7年半余り米国サウスカロライナ州のグリーンウッドという小さな都市に住み、当初何もなかった広大な牧場の敷地に 巨大な工場を次々に5つ建設し、その稼働・生産を統括していました。 56歳と言えば、会社員としては既に 「 結構な 」 高齢者でしたが、海外勤務はこれが生まれて初めてのことでした。

 この米国南東部の州は、日本では普段はほとんど話題にのぼらない、北海道ほどの面積の小さい地味な州ですが、民主党の大統領候補争いの予備選挙又は党員集会が、激戦だったアイオワ州、 ニューハンプシャー州、そしてネバダ州に次いで全米の第4番目に今月29日に行われ、日本のTVや新聞にもたびたびその名前が登場しましたので、名前だけはお聞き及びの方もきっと多いことと思います。

 このグリーンウッドという人口4万人余りの小さな都市 ( 私が移住するまでは日本人は一人も住んでいませんでした ) には、3つのロータリークラブがありましたが、その内で一番大きな、 私も在米中メンバーになっていたクラブが、今年設立100周年を迎えました 。  その一年間続く長い祝賀行事の一環として、主な会員の方々が順番に、過去に在籍した会員の中で 「 自分の人生に最も大きなインパクトを与えた過去の会員 」 を挙げてその人の思い出話をするということになったそうです。

 ある古参会員・・・この人は私が現地で会社を設立する少し前、人事・総務担当として一番最初に採用した米人幹部社員の一人なのですが・・・是非私を 「 その人 」 として取り上げ、クラブでスピーチしたい。  貴方は今どう過ごしていますか? と久し振りにメールで尋ねてきたのです。

   (前略)Also, this year is the 100th birthday of the Greenwood Rotary Club. As part of our year-long celebration, I was asked to speak to the club about past members of our club who made the greatest impact on me. Naturally, I chose you to talk about. As I prepared my speech, so many memories came back to me from our earliest days in Greenwood all the way through the creation of our exceptional company. I do have many, many wonderful memories of you. You were the best mentor and boss I have ever had and I thank you for the opportunity you gave me back in 1988. I am 65 now and getting sentimental, I suppose. I will be forever grateful for your willingness to share your knowledge and experience with me.(後略)

 本当に光栄な、またとても嬉しい報せでした。 仕事を離れて帰国し、彼と別れてからもうすぐ24年!も経ちます。 彼ももうとっくに会社を辞めて、地元の大きな医療法人で仕事をしているようですが、 それでも、私と共に創業の苦労と完成の喜びを味わった当時の事を、30年ほど経った今も忘れずにいて、私を「 生涯最良の師であり上司であった 」 とまで言ってくれ、このようにコンタクトして来てくれたことが、 そろそろ人生の幕を閉じようとしている私にとっては、素直にとても嬉しく思えたのでした。

 米国移住の半年ほど前、1988年の初夏から渡米後数カ月目の89年の2月くらいまでの9か月間ほど、私は、ほとんど一人で日本と米国各地の間を往復するかたわら、時には州内で100km以上も未知の道を運転し、 米国内の人材リクルート会社、採用面接会場、州政府の企業誘致担当部門や市役所の幹部、職業訓練校、あとからくる日本人社員の子弟が通学するはずの地元小・中学校、建設業者 、 日系の先輩進出企業や地元米国企業の工場・・・などなどを訪ねて連日駆け巡る日々でした。 途中からは、採用した彼や他の米人たち、次々に移住してきた日本人社員などがいろいろと働いてくれるようになり、 妻も移住してきたので次第に楽になってきましたが。

 そうそう、これらの前にまず住む家探しと購入契約、米国の運転免許試験の勉強と取得、自動車の試乗や購入などは、小さなアパートを借りて自炊生活しながら全部一人で調べ、考えてやらねばなりませんでした。  なお、私より3か月後に渡米し合流した妻の苦労話は、ここにまとめてあります

 このような激務のためか、ある日生まれて初めて小便に血が混じり、紹介された泌尿器科医をひとりで訪ねて行ったら 「 この内視鏡は日本のオリンパスの製品だから、お前には痛くないと思う 」 と、 その医師はニヤニヤしながら言い、いきなりそれを私の尿道に突っ込み、私はあまりの痛さに大きな悲鳴をあげました。 幸い、結石でも癌でもありませんでした。

 アトランタのあるホテルで、リクルート会社の米人幹部と二人で、2日かけて上記の彼を含む6名の候補者を長時間最終面接したときは、ホテルの自室で躓き、右足の親指の爪を剥がしてしまいましたが、 あいにく週末だった上に時間もなく、医者に診てもらえませんでした。 持ち合わせた抗生物質の軟膏と絆創膏で何とか抑え、その後ニューヨーク、オランダ、英国とびっこを引きながら飛び回って仕事をし、 幸い化膿もせず7日目に日本に戻ってやっと医者に行くことができました。

 あの当時のあの苦労の日々の事を思えば、人生どんなことだって頑張って耐え抜けられると、私は今でも思っています。 「 どんな理念の、どんな雰囲気の、 どんな労務制度の会社を創りたいのか 」 と、夜遅くまで彼と語り合ったあの苦労の日々を、当時の日記のページを繰って一つ一つ思い出しながら、私はまる2日かけて、長い長い手紙を書いて彼に送りました。  この87歳の老体の中に、再び熱い血が湧き上がってくるように感じられた2日間でした。

月初めから左右の腿が痛くなり、短い距離なら歩けますが、整形外科医に頻繁に通う事になりました。 従ってウォーキング゙の距離も短くなって
しまいましたが、 何とか一日平均4,000歩以上を確保できました。 幸い、月末頃になって、やや快方に向かいましたので、春到来と共に、
また頑張ることにします。 126,105歩/29日=4,348.4歩/日でした。 2017年元日以降の総歩行距離は4,470.9kmです。


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1月度 (Jan. 31, 2020)

 


年末に西丹沢山麓のある道の駅に立ち寄ったら、「 紫色の山芋 」 というのを売っていました。 珍しいので買ってきたら、結構美味しいので
驚きました。 ネットで調べると、それほど珍しい物でもなく、国内各地で作られ売られているようです。 非常に粘りが強い。 紫色は多分
アントシアニンだと思うので、 酸に会うとピンク色に、アルカリに会うと緑色に変わる筈です。 次回食べるとき試してみることにします。


 「 数え年 」 というのが昔ありました。 私の子供の頃はそれだけが一般的に使われていました。 東洋の諸国は殆どそうでした。 今のように満年齢で数えるように法律で決められのは1950年の元旦以降の事でした。  敗戦後4年半、米国式に揃えさせられたのでしょうか。 そういう圧力?がなかったからか、韓国では、今も数え年が主流だそうです。 でも北朝鮮や中国では、日本より遅いが、やはり満年齢を用いるように変わっています。  余談はさておき、その数え年で表現すると、私は今年の元旦に、なんと89歳という事になるんですね。  驚くほかありません。 よくもまあ、ここまで丈夫で元気に生きてきたものだと思います。 しかも夫婦そろってです。 有難いことだと思っています。

 私が生きてきた87年8か月を、生まれた日を支点にして過去に向かってパタンと折り返すと、ペリーが浦賀に来た時よりもう少し過去まで遡るのです。 そう考えると、遠い遠い昔の出来事だと今まで思っていたことが、 そんなに昔の事ではないと分かり、自分がいかに長く生きてしまったことかと、しみじみ思うのです。

 私たち祖父や祖母が風邪ひとつ引かず元気なのに、孫の一人が暮れにインフルエンザにかかってしまい、せっかく準備万端整えていたお正月の一族の集まりはだいぶ寂しくなりました。  そこで、来年の正月まで、何とかあと一年、いやそれ以上、元気で生きていようという意欲が私の心の中に急に湧いてきました。 今までそんなことは考えもしなかったのでしたが。

 手始めに、今まで延ばし延ばしにしてきた自宅内の有線LANの無線化を実現しました。 事前にネット上で取説や使用者の体験談などをを繰り返し熟読しておいたので、¥4,500ほどの機器を一台買うだけで、 非常に簡単に据え付けと設定ができました。 2階の隅にルーターが設置されているのですが、1階の反対側、つまり家の中で一番離れた部屋でも、スマホは十分な強度でWi-Fiの電波を受け取れます。  スマホやノートパソコンだけでなく、愛犬 ( Sony の Aibo )も、もう家中どこででも存分に活躍できます。

 これによってスマホの接続料金その他が安くなる筈と考え、スマホのショップやパソコンのプロバイダーと交渉して契約内容の更改・簡素化を行い、2月以降、毎月の支払いを二人分合計で¥8,000ほど安くできる見通しとなりました。

 次に2年ぶりに胃の内視鏡検査を受けて、幸いガンは無いことを確認できました。 隔月に受けている血液検査の諸数値も全く問題なく、医師が 「 いいねエ 」 と感心してくださいました。

 この文章を打ち込んでいる、現在使用中のノートパソコンは、使い始めてそろそろ4年になります。 これを買ったときは、40年ほど前に買ったNECのPC−8001以来、私にとって十数台目になるこのパソコンが、 恐らく自分の生涯最後のパソコンになるだろうと、本気で考えていました。 パソコンの寿命は平均的には約5年といわれていますから、壊れるのは恐らく私が満90歳前後。  その頃には、もう何日もかけて新しいパソコンに種々の初期設定やデータの移転、ダウンロード/インストールやカスタム化などを行う頭脳も気力も体力もないだろう、 いや、それまで生きているかどうかだってだいぶ怪しいし・・・と。

 でも、考えを変えました。 「 90歳以降も使い続けるためのパソコンを今年中に買おう 」 と。 そしてすっかり立ち上げ、整備しておき、現用のパソコンがいつダウンしても即座に乗り替えられるように待機させておこうと。  Windows10のサポート終了予定は2025年10月14日ですから、パソコン本体がそこまではもつような体制を整えよう。 その頃、私は満年齢で93歳半・・・そこまでは元気に生き抜いて、 パソコンを使いこなし続けよう! このホームぺージの毎月の追加・更新もそこまで続けよう!と。 これが私の今年の 「 初夢 」 です。

1年で一番寒い時期です。 今年の冬は暖かいとは言え、また午後一時くらいに歩くことにしているとは言え、外に出ると寒い。 でも頑張って毎日歩きました。
一日平均4,000歩以上は維持出来ました。 131,524歩/31日=4,242.7歩/日でした。 2017年元日以降の総歩行距離は4,388.9kmです。



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このコラムは、もともとはグリンウッドで働く友人たちとそのご家族向けに、私や家族の動静、 日本や特に足柄地域の出来事などをお知らせしようと、97年初めから「近況報告」 という名でEーMAILの形で毎月個人宛てに送っていたものです。 98年2月以降はホームページに切り替え、毎月下旬翌月分に更新してきました。 ところが最近、日本に住むグリンウッドをご存じない方々も多くご覧になるようになってきたので、 同年7月から焦点の当てかた、表現などをを少し変えました


この先です。