私と家族の近況



*あしがらみち*

2017年 前半分:最新は5月度


***

6月度 (June 30, 2017)

 高校時代の級友たちと計5人で一泊2日の旅行をし、同じく級友で、山形県の酒田市で今も元気に開業医をしている友人宅を訪ねました。  わざわざ首都圏から酒田まで行こうというのですから、私同様、85歳という年齢にしては5人とも例外的に元気な連中ばかりで、 全員疲れを知らずに坂道でも階段でもスタスタ速足で歩き周り、半日×2で町中の名所旧跡をほとんど歩きつくしました。  酒どころ山形、しかも山海の食材が旨いことで有名な庄内地方ですから、その方も十分に堪能しました。  体験の内、日本酒に関する部分は、別の欄にまとめて書きました

 医師というのは、心身さえ丈夫ならば85歳になってもいまだに現役で、週に5日半、世のため人の為にに忙しく働けるのですから何とも羨ましい職業だと思いました。  私は若い頃、将来の進路を選ぶにあたり、色々なことを考えましたが、あの年代では無理もない事ですが、こういう 「 高齢でも働く機会がある 」 という観点は全く抜けていました。  私が18歳の頃の日本人男性の平均寿命は58歳程度でしたから当然と言えば当然です。

 当時の私は 「 技術立国でこの日本を敗戦直後のみじめな貧乏国から抜け出させるための一翼を担いたい 」 という願望と、 「 5人の子供を抱えて苦労している両親を一日も早く楽にさせたい 」 という願望とだけを基準に、自分の進路や職業の選択について考えていました。  「 自分は何が好きか、何をしたいのか 」 などと考えて自分の将来の進路を決めるという贅沢?を大多数の若者が出来るようになったのは、 その後10年ほど経ってから以降の事ではなかったでしょうか。 帰りの列車の中ではそんな事を思い出しては考えを巡らせていました。

 そう言えば、酒田市で訪れた 「 土門拳記念館 」 で見た昭和24年の写真の一つに、福岡のある小学校の教室で、 昼食の時間に弁当を持ってこられない貧しい子供たちが全体の1〜2割ほどいて、彼らは両隣の子供がお弁当を食べているのに、それを見ることさえせず、 絵本を広げて必死に飢えをこらえているという、観る者の胸が締め付けられるようなのがありました。  敗戦後数年の私が中学生のころは、東京の山手に住む私の周りでもこのような残酷な情景はちっとも珍しくなかったし、昭和26年入学の大学生のころでさえ、 生活が苦しいので毎日昼飯を抜いて我慢している地方出身の級友が何人もいた事を後に知りました。 あの時代は、青少年の何割もがこういう残酷な格差に耐えて強く生き抜いていたのです。

 それにしても、卒業後50年ほどの同期会で、「 自宅通学の熊井君が持ってきていた弁当が毎日本当に羨ましかった 」 と彼らの一人に言われた時は、当時何も気付けなかった自分が恥ずかしい思いで一杯でした。  学校給食という制度が漸く始ったのがその頃で、それまではこんな無残な状況を誰もどうすることも出来なかった時代だった事を思い出させてくれた旅でした。

 この写真は、本当は撮影してはいけないことになっているのですが、説明文を撮るふりをして、極く一部を写しとりました。 上の方には同じような無表情な男女の子供たちが、楽しそうに弁当を食べている子たちに挟まれて沢山写っていました。  説明文: 「 弁当を持ってこない子は絵本を見ている。 弁当を持っている子供たちが何かの拍子でどっと笑っても、何も関係がないかのように絶対にそちらを振りむかないのだった 」

 今月はこの他に、学生時代の同期会、会社時代の職場の集りなどが先月に続き今月も合計3回もありました。

 最初の孫が生まれた頃、いつの日か孫と酒を汲み交わしたいが、そんな日が自分には来るだろうか、それまで生きられるだろうか・・・などと考えていましたが、 米国から帰国後すぐに生まれた2人目の孫も今月20歳になったので、2人を引き連れて飲みに出かけました。 と言っても、彼らはもっぱら量を沢山食べる方に関心がありました。  思い起こせば自分もこの年頃では 「 飲むより食う 」 でした。 ともあれ、自分はここまでよく元気でいられたものだと、改めて感慨にふけりました。

今月のウォーキングは150,370歩/30日、平均 5,012.3歩/日でした。 一日平均5,000歩以上を
実現できました。 昨年元日以降の総歩行距離は1,854.0kmです。 昨年11月にスタートした私の仮想
の旧奥州街道の旅は、 今月12日頃、遂に本州北端の竜飛岬に到着して、終わりとなりました。 その後は
青函トンネル(53.85km)の中を違法に歩き続け?、 月末に 「 トンネルを抜けたら、そこは北海道 」 でした。

 
5月度 (May 31, 2017)

 毎年5月に同じようなことを書いてしまうのですが、この月の中旬になると、我が家の1階、2階の軒下には越冬を終えたスズメバチの女王が必ずやって来て、巣作りを始めます。  アシナガバチも同様です。 純和風の木造の軒の裏側の材質と構造が、彼らのお好みに合っているらしいとしか思えません。 予想もしなかった災厄です。  南側と東側は朝の内、西と北は夕方、太陽の位置が低くて軒の裏側が明るく見える時間帯を見計らって、オペラグラスを片手に家を一周して巡視するのが、5月中の日課でしたが、 今年の駆除は2件と少なめでした。

 年間行事になってしまったので、最初のうちは怖かったスズメバチの駆除も、もう手馴れた感じの強力薬液 ( 細い薬液のジェット噴射が5m以上もまっすぐに飛ぶ ) の一発で終わります。 女王蜂1匹だけで、巣もまだ小さい 「 着工直後 」 の小さな巣を襲撃するのがコツです。 巣が大きくなり、働き蜂が沢山生まれたら、 もう素人の手には負えません。 一方、アシナガバチはおとなしく、何もしなければ向こうから襲ってくる事は稀なので、すべて駆除するのも可哀そうだと、 客の通らない北側の2階軒下の一つだけは巣を残しておいてやりました。

 今月、めでたく 85歳の誕生日を迎えました。  「 そんな老人になってしまった事がなぜお目出たいのだ? 」 と問う方もいらっしゃるでしょうが、この齢まで、 どこと言って特に大きな疾患も問題点も無く生きていられるという事は、めでたいと言うほかないのです。  私は、もう数年前から医師の指示で隔月に尿と血液の検査を受け続けてきましたが、今月、医師が測定数値の表を見ながら 「 良いねぇー 」 と感心したのち 「 再来月は検査をしなくてよい 」 と言いました。 「 なぜ 」 とは聞きませんでしたが、「 忖度 」 すると、どの項目にも最近は何も問題が見つからず、 数値も基準値の範囲の中央付近でずっと横ばいだから・・・ということのようです。

 とは言っても、ここまで齢をとれば、体の奥の方のどこかに、近い内に必ず何か異変が起きることでしょう。 でも、ここまでこのように元気に生きて来られたのですから、 もう十分満足です。

 私はある同期会の幹事をしていて、今月、同期会の開催にあたり、級友たち全員に連絡を取って近況を聞き、まとめたら、 約4割の人がすでに他界しています。 残りの6割の内の3分の1が、外出が不能あるいは禁止されるほどの肉体的・精神的な疾患に罹っており、またほぼ同数が、 近所になら何とかやっと出掛けられるという程度の状況です。 「 健康で、一人でどこにでも出かけられる 」 という人は全体のたった2割に減りました。 10年前、75歳のときにはそういう元気な人が生存者の9割以上だったのに・・・「 70歳代は60歳代の延長線上にあるが、 80歳代は70歳代とは全く違う景色の世界だ 」 というのが実感です。

 という事で、1泊2日の会に各地から集まり出席できた人は卒業生全体の5分の1ほどで、しかも、その中には歩行がだいぶ不自由な人が何人もいるという状況でした。  この私だけがいつまでも例外でいられるわけもありません。 古い昔の思い出を楽しく語り合えましたが、終わってみると一抹の寂しさを禁じ得ません。

 今年もまた、私の誕生日に、かつての私の30代の頃の ( 半世紀も前という事か ) 職場の男女の部下の方々が沢山集って、夕食会を催してくれました。  来月の6日には40代の頃の別の職場の部下の方々と集まる昼食会 ( 年に2回開催 ) があります。 これらの会に、毎回元気な姿で出られるような心身を保とうと努めることが、 私の日頃の励みになっています。

 今月も2人で1泊2日の短い旅行をしました。 西伊豆の土肥と静岡の清水を結ぶフェリーに乗りましたが、幸い美しい富士を仰ぐ事が出来ました。

今月のウォーキングは166,225歩/31日、平均 5,362.1歩/日でした。 一日平均5,000歩以上を実現でき
ました。 昨年元日以降の総歩行距離は1,760.3kmです。  私の仮想的街道旅は、今月も旧奥州街道を更に北上し
続けて青森県に入り、青森市を通り過ぎて津軽半島東岸の蟹田の宿場の先の平館のあたりまで来ました。 平館は、20
年ほど前に津軽半島一周⇒五能線南下の4泊ほどの旅をした時、最初に泊まった宿がある所です*。   懐かしい!

*: 蟹田で津軽線の列車を降り、バスで30分ほど北に在る平館という小さな集落に、 「 不老ふ死温泉 」 という、それはそれは質素な一軒宿があります。 同じ名前でも、日本海側の深浦町の黄金崎にある 「 不老ふ死温泉 」 ( 以前は黄金崎の方だけ、不老ふ死でしたが、最近は両方とも2番目の不が平仮名になっている ) は大きなホテルで、4日目に泊まりましたが、 日本中に名を知られた有名な温泉です。  一方、この津軽半島東側の陸奥湾に面した同名の温泉宿は殆ど誰も知りません。 そこで旅行の第一夜を過ごしたのは、もう20年ほども前の事でした。  この津軽半島一周⇒五能線南下の旅というのは、在米中ずっと、「 日本に帰ったら真っ先に行こうね 」 と話し続けていた旅でした。  なお、ついでながら、蟹田も平館も、太宰治の 「 津軽 」 の舞台の一部として出てきます。

4月度 (Apr. 30, 2017)

 年の初めに準備をしておいた庭の花壇の土の中から、次々に元気で若々しい芽が出てきて、花を咲かせました。 庭の木々も一斉に若葉をつけ、花を咲かせ始めました。  これら数十種の花々を眺めているうちに、 「 植物はいいなあ。 毎年若返って 『 一から始め直し 』、何度でも青春を味わうことが出来る・・・ 」 と一瞬羨みますが、 「 あの受験勉強や仕事の苦労を毎年繰り返しやらなくてはならないのなら、矢張り全てを一度しか味わえない動物の方が良いか・・・ 」 と思い直します。


毎年4月に同じ花を咲かせる庭の花

 そうこう考えているうちに 「 そうだ。やっぱり自分ひとりでどこにでも出かけられる、この元気な四肢と認知能力がある今のうちに、少なくとも月に1回はあちこち に出掛けよう! 」 と心に決めました。 6月には山形県酒田市に高校時代の友人を訪ねる事、7月には白馬と上高地に行く事などを計画しました。

 先月、伊豆の温泉に行ったのもその一つでした。 今月は、距離的に近すぎるけれど箱根の某ホテルに一泊し、普段は食べられないような料理を食べてきました。  その度に、こんな体験があと何回出来るのかな・・・などと、つい思ってしまいますが、どこかに行くにあたってそんな風に深刻に?考えることは、数年前までは全くありませんでした。  行きたいから行く、楽しければ楽しかった・・・ただそれだけでした。 この心境の変化はきっと、人生が終わりに近づいてきたことの証でしょう。

 まあ、こんなことを書いていると、書くほうも読むほうも湿っぽくなるから止めます。  先月も同じことを書きましたが、80歳代半ばというこの齢で夫婦そろって元気に旅行に行けるという事だけでも大変な幸せなのですから、単純に有難いと喜ばなくては。

 来月には大学の同期生の年1回の一泊の集りを自宅近くの施設で開くことになり、幹事役として、何度も施設に赴いて交渉したりで、結構忙しいひと月でした。  そして月末には運転免許証の更新がありました。 多分、これが私の最後の免許証となることでしょう。  この更新の話が出た時、若い知人が 「 今おいくつでしたっけ 」 と聞くので、「 もうすぐ85だから新しい免許証は88歳の誕生日までですね 」 と答えたら、その人はのけぞってしまいました。 驚くのが当然です。 後期高齢者がいつまでも運転などしていてはいけない事は十分承知しています。

 実際、高齢者講習の時には自分の名前を何度呼ばれても返事をできない人がいたり、警察署での視力検査では私が10秒ほどでパスしたテストに 何度トライしてもOKが出ず、メガネをとっかえひっかえ、5分ほども苦しんでいる高齢者 ( 私より10歳は若そう・・・結局彼はどうなったのでしょうか ) がいたり、 脚が不自由で杖をついてやっとのことでゆっくり歩ける程度の高齢の婦人 ( これも私よりずっと若そう ) が免許証を貰っていったり・・・

 とにかく、大都会と違い、この地方小都市では免許証がなければ買い物も医者通いも出来ないのですから仕方ないとも言えますが、「 高齢者の運転 」 は高齢化社会の本当に 深刻な問題なんだなということを改めて認識させられました。 私も今後ますます自戒して、やむを得ない時以外は運転しないようにします。  いつまでも元気に歩けるように努力しながら・・・

 この地域でも、今回から免許証更新の際、写真を持参しなくても 「 無料で 」 写真を撮ってくれるようになりました。 しかも、撮影後10分ほど待っていたら、 新しい免許証が出来あがり、渡してくれました*。 後日また受け取りに行かなくてもよくなり、大きな改善で大歓迎です。 でも、思い出したら、米国在住中 ( もう30年も前 )、 あんな田舎町でも、運転の学科と実地の試験に合格の後 ( そしてその後の毎度の更新の時も )、30分も待たせずに写真入りの免許証を渡してくれましたから、 日本のお役所のサービスが今まで 「 遅れて過ぎていた 」 と言うべきなのでしょう。

*:係の人が、名前も呼ばずに私の所に近寄ってきて、「 ハイ熊井さん 」 と免許証を渡してくれたので、 10人くらい待っている人の中からどうして私がわかったのだろうと一瞬驚きました。 でも考えたら、今撮ったばかりの私の写真と私の名前が免許証には載っているのですね。

今月のウォーキングは149,346歩/30日、平均 4,978歩/日でした。 一日平均5,000歩は僅かに未達成でした。
今月は雨の日が多かったからです。 でも、近くの丘の坂道を何度も昇り降りしましたので、まあ、良いことにします。 昨年
元日以降の総歩行距離は1652.2kmです。  私のヴァーチャルの街道旅は、今月も旧奥州街道を更に北上し続け
月末には岩手県の五戸あたりに差しかかっている勘定です。

 
3月度 (Mar. 31, 2017)

 春分を過ぎたと思ったら、翌々日の22日には 「 初鶯 」 が自宅の庭で啼く声を聞き、ウォーキングしていたら 「 初モンシロチョウ 」 が飛んでいるのを見かけました。  これらがこの地では例年より早いのか遅いのか、記録がないのでわかりませんが、春分のすぐ後に春の訪れがちゃんと届いた事だけは確かです。  この種の 「 生物的な春の訪れ 」 については、いくつもの報告があります。 一例はここに

 今年の春分の日は、3月20日の月曜日でしたね。 「 あれ? 春分の日って21日じゃなかったっけ? 3連休にしたいから1日前にずらしたのかな? 」 なんて思った人はいませんか? 実は私がそうでした。 そこで調べてみたら 春分点は3月20日と21日の境目あたりにあって毎年少しずつ移動するので、 閏年とその翌年は20日、その後の2年は21日、そしてまた次の閏年には2月が一日多いためリセットされて20日・・・という4年の周期が繰り返されるのだそうです。  昨年が閏年だったので、今年の春分の日は3月20日でいいのですね。 来年と再来年の春分の日は21日です。

 ちなみに秋分点はは9月23日の24時間の範囲の中で同じような周期で移動するので、秋分の日は常に9月23日です。  勿論、なが〜い先の将来には、このルールから外れてくることもあるでしょうが。

 などと言っているうちに、もう2017年が4分の1終わってしまいました。 「 光陰矢の如し 」 とか Time flies like an arrow. とか申しますから、 洋の東西を問わず、誰しもが昔からそう感じていたのでしょうが、全く、この先よほど考えて生きて行かないと、 アッと言う間にこの短い余命が終わってしまいそうだと思わずにはいられません。 こんな年寄りのくせに、 やることだらけで毎日が朝から晩まですごく忙しい現状を何とか整理しないと・・・

 一方では、本当にやりたいことは今すぐにやっておかないと、あとで後悔するように思います。 だからというわけでは決してありませんが、 カホルがTVの番組で見た露天風呂に是非入ってみたいと言うので、寒さがなくなってきた彼岸過ぎの月末を待って伊豆の某温泉に出掛けて一泊してきました。  80代なかばになっても夫婦そろって元気に外出できるだけでも、非常に幸せなことです。

 ところで、先月、新しいパソコン上での音声入力について触れましたが、その経緯はこの欄に書いていると長くなるので、別のページを設けて記載しました。  ご関心のある方はご覧ください。 音声入力ができるのなら音声出力もできるはずだと思っていたら、最近届いたある会社* からのメールの中でそれが紹介されていました。  試しに私が入力した平易な日本語の文章を、全く間違いなく若い女性の声で朗読してくれます。 視覚障害者には福音ではないかと思います。

*:10年以上も前、WindowsXP を使って私が夢中で遊んでいた、「 音符を入力して合奏の楽譜を作ると、 指定した各楽器の音が一斉に鳴り、オーケストラの合奏が、自分が細かく指示した通りのテンポや抑陽の変化をつけて演奏される 」 というソフトを作っている会社が今回開発したものです。  あの頃は、その演奏に乗せて歌詞を日本語で歌わせることだけは出来なかったのですが、遂にそれが可能になる日が来つつあるということでしょう。  自分自身の声、あるいは好みの歌手の声の質まで学習させて、そっくりに歌わせられる日も、もうすぐでしょう。

 話は戻りますが、このページの文章も、もちろん今月からは音声入力でまず最初の下書きを書いています。 ただ私の場合は、ずっと以前からのことですが、 月末にアップロードする文章は、毎月20日頃書き始め、それ以降毎日のように修正、補足、推敲、校正などを繰り返し繰り返し行い、最終の文章に仕上げることにしています。  これらの一連の事後作業は、削除やコピペ等の作業が多いので、従前通り ( 原始的な! ) 右手人指し指一本の手入力で行ないました。

今月のウォーキングは163,676/31日、平均 5,280歩/日でした。 春の訪れとともに、戸外で歩くことが苦痛でなくなった
せいで、 一日平均5,000歩を楽々と達成できました。 昨年元日以降の総歩行距離は1555.13kmです。 今月も旧奥州街道
を更に北上し続け、現在の宮城県から岩手県へと入り、啄木で有名な渋民の宿あたりに差しかかっている勘定です。 旧東海道
と違って、 旧奥州街道については、距離についての細かい情報が少なく、北に行くほど、多少曖昧になります。

 
2月度 (Feb. 28, 2017)

  「 パソコンの寿命は? 」 と聞かれると、個体差や使用環境差も大きいので、 「 人間の寿命は? 」 と同じくらい難しい質問のように思われます。 ですが、数ある電化製品の中でパソコンの寿命が一番短い方だという事だけは確かで、 通常の家電製品は7年とか10年とか言われ、実際はそれよりずっと長くもつ事も多い*1ようなのに、パソコンは平均5年経つか経たないうちに、 ハードディスクを始めあちこちが傷み始めるようです。 ハードディスク以外なら、部品の交換修理で元の姿に戻る場合も多いでしょうが、それにしても、5年は短いですね。

*1:今月、自宅のステレオコンポのカセットテーププレーヤーとCDプレーヤーが相次いで壊れ、 致しかたなくシステムすべてを更新 ( と言っても、もう我々の余命は少ないので、もう高音質にこだわるのは止めて、今回 は小さくてシンプルで安価な一体型に ) しましたが、 今まで使っていた品は短いもので20年、アンプやチューナー等は実に30年間もほとんど毎日のように働いて、背部の結線の被覆材がコチコチに固くなっても、 まだ けなげに 正常に動いていたのです。 家電量販店に引き取られた合計 40 kg ほどにもなるこれらの大型のコンポーネントが、 今後有用な資源 に再生されることを祈ります。

 今回知ったことですが、現在はよほどのマニアでない限り、こんな大型の単品を5つも6つも組み合わせる大きなステレオコンポ なんて使わないのですね。 だから市販の既製品にはそういう品物はほとんどないのです。 スピーカー以外は一体になっている、 ちょっとした棚にも置けるくらいのコンパクトな品でも、私程度の者には十分な素晴らしい音質と音量を提供できる時代になっているようです。  私は今でも若い頃買った LP や カセットテープ、時には父が遺した子供の頃聴いていた SP 迄聴きたいからこんな品を買ったのですが、 録音媒体も再生機器もどんどん小さくなり続けてきた末の今の時代においては、i Phone だ iTunes だ Bluetooth だと、録音媒体は最近遂にその姿を消してしまったのです。  もう一方の再生機器がこんなに小型になったのも、技術の進歩の当然の帰結のようです。


 私の現用パソコン ( Windows 7 ) は、ごく初期の1980年代前半の頃の原始的なパソコン ( NEC8801 ) から数えてもう11台目ですが、 2011年の暮に買った品物ですから、既に6年目に入っていて、その間、ほとんど毎日5時間以上働いています。  私同様いつ寿命が尽きてもおかしくない老境の身です。 最近は時々間欠的にファンの音が大きくなったりします。

 現在84歳の私があと何年パソコンを使い続けられるだろうかと時々考えこみます。 自動車が老いた体躯にとっては便利で有用な道具であるのと同様、 パソコンも、ネット通販での買い物や他人へのネット送金、郵便局に行かなくて済む写真添付メール等、足腰が弱れば弱るほど、却って必要性、便利さが増す道具です。  自動車と違って他人様に危害を与える恐れも有りません。 スマホだけでも事足りそうに思いますが、画面や字が小さい事は長時間の使用に際しては苦痛です。

 しかし一旦壊れた時、次のパソコンの仕様を決め、購入し、起動し、データをバックアップから移して復元し、諸々のカスタマイズを施し、 幾つものアプリをダウンロード/インストールし、プリンターなどの周辺機器との接続をすべて完了させるなどという大仕事を、将来体力も根気も衰えた頃に、 私は果たして何日かかってやれるのだろうか・・・いうより、その頃に一人でそんなことが出来るのだろうか・・・などと考えているうちに、一つの打開策を思いつきました。

 それは、まだ体力も根気を認知機能も、どうにか健全と思われる今の内に、もう一つ同じような型のパソコン ( 但しWindows 10 ) を購入し、 ちゃんと立ち上げておくという方法です。 最近は、2つのパソコンをUSB接続して簡単に同じ内容に常時揃えるという手段もあります。  こうしておけば、現用のパソコンが或る日突然壊れてもバタバタ慌てずに済むし、新しい方は当面は酷使しませんからこの先だいぶ長いこともつのではないか・・・ というわけです。 こういう物好きな事をするもう一つの利点は、新しいパソコンを立ち上げるにあたり、ゆっくり1週間かけようと、ひと月かけようと、構わないことです。

 という事で、2月3日に新品のノートPCが到着したあと、今月は新しい Windows をじっくり勉強しながら、2台のパソコンですっかり手狭になってしまった机の前で連日遊ばせてもらいました。  新パソコンの立ち上げ、設定は、実質3日ほどで出来ました。 新しい Windows 10 のOSにも慣れました。 その後は、音声入力の精度向上など、 最近5年間のOSやアプリの進歩に何度も驚きながら、毎日少しずつ調整を続けて、使いやすい自分好みのパソコンがもう1台出来上がりました *2。

 大きな災害にでも遭わない限り、そして今後自分の健康さえ保っていられれば、あと5年くらいは、パソコンの余命について心配せずに、便利に使って暮らして行けることでしょう ・・・などと書きながら、一方では 「 使う人間の方にそんなに余命があるのかね 」 という自問自嘲?の声が聞こえて来ます。 まあ、その辺はどうでもいい事にしておきましょう。

*2:私のパソコンは現用のもう一つ前まではずっと、大きな デスクトップ型 でしたが、 現在はカスタム仕様の 14.5 インチ ノートPC に EI ZO の大型モニターを併用し 拡張画面表示という構成なので、ノートPC がもう一つ増えても、 スペース的 には何とかなります。 車と同じで、後期 高齢者はもう"小型"で十分です。 小型ノートでも、機能的 には10年前の大型デスクトップPC に負けていないのですから。

 自宅の近くにはあちこちに河津桜が植えられていて、2月中旬に満開。 そこにはメジロが沢山集まって来ます ( 上左写真 )。  確定申告も済ませました。  運転免許証更新の為の高齢者講習も無事済み、認知症の気配は全くないと判定してもらえました。 寒い冬ももうすぐ終ります。 もう少しの間、元気に生きて行こう

今月のウォーキングは141,165/28日、平均 5,042歩/日でした。 猛烈な寒風の日が多くありましたが、何とかギリギリ
一日平均5,000歩を達成できました。 昨年元日以降の総歩行距離は1448.74kmです。 今月も旧奥州街道を更に北上し続け、
仙台を通り過ぎて月末には宮城県北部の沢辺宿辺りに差しかかっている勘定です。 岩手県入りはもうすぐです。  これからも
一日平均5,000歩以上という目標を毎月達成しながら、津軽半島最北部の三厩 ( みんまや ) 迄、仮想の旅を歩き続けます。

 
1月度 (Jan. 31, 2017)

 正月の2日の午後5時半ごろ、子や孫たちと共に一族10人で滞在していた静岡県伊東市で、海岸を歩いていたら、 西の空に上弦の半月と一つの明るい星 ( 木星かなと思っていましたが 自宅に帰ったあと調べたら火星でした ) が輝いていました。 スマホを 「 手持ち 」 で撮ったのですが、月の陰の部分までほのかに白くしっかり写っています。  スマホ ( iPhone6s ) で撮ったショットは二つとも良く撮れているのに、同時に Nikon の小型デジカメで撮ったものは、シャッタースピードが遅くなったため、ひどい手ぶれが生じていました。  スマホのカメラの性能の向上ぶりに、改めて驚きました。

 スマホのカメラは、携帯電話にデジカメ機能を付けたなどというレベルはとっくに超え、最近は ダブルレンズが話題になっていますし、更に近い将来は 「 運動解析 」、「 空間記憶 」、「 奥行き認識 」などという新しい処理がスマホでできるようになると言われています。

 その月に飲んだ日本酒にまつわる情報や感想について、「 日本酒ぶらり旅 」 という題で毎月書き続けてきた随想集のようなものが、昨年の1月に書き始めてから丁度一年経ちました。  お気が向いたら、覗いてご覧頂ければ光栄です。 この1年間に自宅で飲んだ日本酒は75銘柄 ( 4合瓶または1升瓶で購入 ) になりました。 そのほかに、 旅行先や法事などで飲んだ日本酒が10銘柄ほどあります。 随分熱心に飲んだものだと思います。 量の方は、最近5年ほどは夕食前一日に2合(360ml)を厳守しているので、 隔月に病院で測ってもらう肝機能その他の数値は全く問題ありません。 私の場合、休肝日というものは不要と考えてよいようです。

 お正月ですから、何か夢のある未来の事を考えてみようと、いくつか本を読みましたが、その中で出会った 「 2045年問題 」 とか、 「 技術的特異点 ( Technological Singularity ) 」 とかいうテーマが、今も私の頭に引っかかっています。

 2045年問題とは、2045年頃までには、人工知能が、即ちコンピューターの働きが人間の頭脳・知能を超えるだろうという予測です。 コンピューターのハードとソフトが、 今のペースで発達し続けると、ある時点で 「 人類の知能を超える究極の人工知能が誕生する 」 であろうという確からしい予測が、その基礎になっています。

 そして、それ以降は、その人工知能 ( AI:Artificial Intelligence ) が、更に自分よりも優秀なAIを開発し、そのAIが次のもっと優秀なAIを開発し・・・という具合に、 AIがAIを連鎖的に作り続け、爆発的なスピードで自己を進化させ、人間の頭脳レベルではもはや予測不可能な未来が訪れるという予測です。

 人間が定義した情報や特徴などをコンピューターに教え込むという従来の方法ではなく、コンピューターが自分で学習したデータから自ら情報や特徴などを抽出して自ら学び、 自ら知能を磨いて能力を向上させて行く深層学習 ( Deep Learning ) という方式が適用された途端、 それまではあと20〜30年はかかるだろうと考えられていた 「 囲碁ソフトが最強のプロ棋士たちを負かす日 ( なんと60勝0敗! ) 」 が、アッという間に来てしまったという事実はご存知の方も多いでしょう。

 他の例を挙げると、米国のヘッジファンドの多くでは、中・長期的な相場変動はもとより、世界各国の政治・経済状況、あるいは企業業績などミクロ経済指標、 さらには各国中央銀行の動向や市場センチメントなど、総合的なデータを AI が分析・判断して最善。最適な投資銘柄を決定するという動きが出てきたと伝えられています。  従来、この種の知的作業はヘッジファンドで働く 「 クォンツ 」 と呼ばれる超高給取りの練達の専門家たちが、コンピュータを駆使しながら行ってきましたが、 彼ら人間による運用成績が、最近、上記のAIを使った 「 無人の 」 資産運用に敵わなくなってきてしまったというのです。  極く最近、日本でも 「 AIが人間に代わって運用を行う投資信託 」 が近々売り出されるという新聞報道がありました。

 2045年問題はもう決して 「 空想科学小説 」 の世界ではないと思われます。

 世界の超一流の学者や企業が本気になってこの種の問題について論評したり、正面から取り組んだりし始めている最近の状況については、 ここに出ている100ほどの要約をご覧ください ( この種の要約は、時として信頼性に欠けるということですが、 本件についてはほぼ大丈夫と思います )。  私はもちろんその頃までは生きられないけれど、可愛い孫たちの将来を考えると、恐ろしい初夢を見てしまいました。

今月のウォーキングは163,723歩/31日、平均 5,281歩/日でした。 昨年元日以降の延べ歩行距離は1356.7kmです。
昨年のクリスマスの日に白河の関に達した後、旧奥州街道を更に北上し続け、1月31日には左手に蔵王を眺めつつ宮城県に
入って、槻木 ( つきのき ) の宿場あたりに着いた勘定です。  今年も一日平均5,000歩以上という目標を毎月達成しながら、
津軽半島最北部の三厩 ( みんまや ) 迄、仮想の旅を歩き続けます。

*****************************************

2001年の1−6月分はここをクリックしてください。     2001年の7−12月分はここをクリックしてください。

2002年の1−6月分はここをクリックしてください。     2002年の7−12月分はここをクリックしてください。

2003年の1−6月分はここをクリックしてください。     2003年の7−12月分はここをクリックしてください。

2004年の1−6月分はここをクリックしてください。     2004年の7−12月分はここをクリックしてください。

2005年の1−6月分はここをクリックしてください。     2005年の7−12月分はここをクリックしてください。

2006年の1−6月分はここをクリックしてください。     2006年の7−12月分はここをクリックしてください。

2007年の1−6月分はここをクリックしてください。     2007年の7−12月分はここをクリックしてください。

2008年の1−6月分はここをクリックしてください。     2008年の7−12月分はここをクリックしてください。

2009年の1−6月分はここをクリックしてください。     2009年の7−12月分はここをクリックしてください。

2010年の1−6月分はここをクリックしてください。     2010年の7−12月分はここをクリックしてください。

2011年の1−6月分はここをクリックしてください。     2011年の7−12月分はここをクリックしてください。

2012年の1−6月分はここをクリックしてください。     2012年の7−12月分はここをクリックしてください。

2013年の1−6月分はここをクリックしてください。     2013年の7−12月分はここをクリックしてください。

2014年の1−6月分はここをクリックしてください。     2014年の7−12月分はここをクリックしてください。

2015年の1−6月分はここをクリックしてください。     2015年の7−12月分はここをクリックしてください。

2016年の1−6月分はここをクリックしてください。     2016年の7−12月分はここをクリックしてください。



ご感想、ご意見、ご質問などがあれば まで。

***************

このコラムは、もともとはグリンウッドで働く友人たちとそのご家族向けに、私や家族の動静、 日本や特に足柄地域の出来事などをお知らせしようと、97年初めから「近況報告」 という名でEーMAILの形で毎月個人宛てに送っていたものです。 98年2月以降はホームページに切り替え、毎月下旬翌月分に更新してきました。 ところが最近、日本に住むグリンウッドをご存じない方々も多くご覧になるようになってきたので、 同年7月から焦点の当てかた、表現などをを少し変えました


この先です。