私と家族の近況
私と家族の近況

*あしがらみち*

2009年 後半分:最新は12月度



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12月度

 今月も 旧東海道を2日歩き、遂に難所の鈴鹿峠を越えて伊勢国 ( 三重県 ) から近江国 ( 滋賀県 ) に入りました。 小雨の中、坂下宿から土山宿を通り、水口宿まで達し、全体 ( 約500km ) の90%を歩き終えた事になります。 時々この地域の天気予報を開けてみるのですが、もう雪が降っている日も時々あります。 滋賀県は北部では時に5mも積雪があるそうです。 私の歩くのは南部ですが、それでも冬は雪が多いようです。 水口から先は、やはり来年の3月以降に再開するのが良いように思います。


  先月始めた足柄古道探訪も、手探り状態ですが、2回歩きました。 旧東海道では各所でお馴染みの秋葉常夜灯 ( の残骸 ) を身近な場所に発見して 「 昔の街道筋には、こういうものはどこにでもあったのか 」 と驚いたりもしました。 12日には仲間たちと近くの丘陵から平野にかけての道を歩きまわりましたが、この日は空気が澄んでいて、雲も少なく富士山がとても綺麗でした。 私はうっかりカメラを持って行かなかったので、友人の E さんが撮った写真を分けてもらいました。 この写真の景色、綺麗だと思いませんか。 でも実際はもっとずっと綺麗でした。 そんな景色を見ながら歩けて、本当に幸せでした。


 そして、ある日待望の3人目の孫が生まれました。 初めての内孫で、男の子です。 この年になると、何を見てもあまり感動したり夢中になったりはしなくなりますが、それでも生まれたばかりの孫をじっと見ていると、そういう気持ちの高まりが感じられ、時間の経つのを忘れるほどです。

 慌ただしい1年がまた一つ過ぎて行こうとしています。 お蔭さまで今年も健康状態にはおおむね問題がなく、9月に発症した軽い脊柱管狭窄症も、その後悪化せずにいます。 母の喪中のため年賀状を出しませんでしたので、この場を借りて 「 皆様どうぞ良いお年をお迎えください 」

 
11月度

  今月の旧東海道歩き は1回でした。 その代わり2日半かけて宿場を5つ ( 石薬師、庄野、亀山、関、坂下 ) 通過し、30km以上前進して三重県の鈴鹿峠の登りの途中まで済ませて帰ってきました。 計算上は1泊2日をあと3回やれば、京の都の三条大橋に到着できる予定です。 宿場数であと6つ目がゴールです。 12月上旬にそのうちの1回 ( 宿場数2つ ) を済ませて近江の国 ( 滋賀県 ) に入っておく予定で、寒い1、2月は休んだあと、残りの2回を来年3月に果たそうかなと考えています。

 月に2回ほどの旧東海道歩きに備えて、日常は週に数日、1時間ほど速足で歩くのですが、こういった準備の足慣らしも、ただ近所を歩きまわるだけでは面白味がないので、最近は、江戸時代以前に旧東海道の一部だった足柄古道 ( 矢倉沢往還・・・自宅のすぐそばを通っています ) の跡を探しながら歩いています。 江戸時代の旧東海道ほどには資料が揃っていないので、正しい道筋がわからない部分も多いのですが、いろいろと実証と考察を交えて少しずつ地図を作っています。


 一方、この2年半の旧東海道歩きもそろそろ終りが見えてきたので、何か感想文+報告書のような物を書いて見ようという気が起き、書き始めました。 歩き終わるまでは未完で、多分ずいぶん長い物になりそうですが、時々 ご覧頂ければ光栄です

 今月やった事と言えば、1月に母が亡くなったので、喪中のハガキを作って250枚ほど出した事 ( 結構大変でしたが、年賀状の仕事はないわけですから・・・ )、在来型のインフルエンザワクチンの予防注射をしてもらった事、相変わらず孫の受験勉強の手伝いを毎週続けた事・・・くらいですか。 孫と言えば、もうすぐ3人目の孫が生まれる予定で、なんとなく落ち着きません。 破れた障子の貼り替えとかの暮の仕事も徐々に始めています。 もうすぐ年末です。

10月度

 追加 ( 11月6日 ):10月31日に、喜寿のお祝いの花束を頂きました。 40年ほど前、研究所で私がまだ30歳代の主任研究員としてカラーネガフィルムの新製品の開発のリーダーをしていた当時の部下の方たちが、小田原で夕食会を開いてくださり、その席で頂戴したのです。 古〜い昔の思い出に浸れた一夕でした。 こんな昔の友人たちに祝って戴けるなんて、本当に幸せなことでした。 萎れないうちに写真をと思っていましたが、カメラを壊してしまい、新しいのを買っていたので、撮影が今日になりました。

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 今月は12、13の両日と、26、27の両日、計4日も東海地方の旧東海道を歩いてきました。 12日には聡夫妻も同行し、4人で絞り染め、山車、町屋建築など、江戸時代の文化が色濃くのこされている 有松の間宿 ( あいのしゅく ) を見学する機会も織り込みました。 この4日で 岡崎宿→宮宿間 、および 桑名宿→四日市宿 の先までを、11km、17km、14km、6kmと、計48kmほど歩きました。 これで日本橋から京の三条大橋までの間約500kmの内、80%を踏破できたことになります。


10月27日、四日市宿を出て2kmほどの日永神社前で

 11月は石薬師宿、庄野宿、亀山宿、関宿、坂下宿を抜け、鈴鹿峠を越えて土山宿を通り、甲賀市の水口宿のさらに先まで50kmあまり足を伸ばす計画です。 こういう計画の立案と実施に夢中になっているので、ゴルフはもちろん、毎年秋に開催される小学校、高校その他いくつもの同期会も、今年はほとんど欠席することになってしまいそうです。 もう、いろいろやりたい事をすべてやれる年齢でもないので 「 これでよいのだ 」 と思っています。


10月28日、英虞湾の日没

 月末には、せっかく四日市まで行ったのだからと、そのあと27日午後から29日まではレンタカーを借り、足を伸ばして夫婦で伊勢・志摩方面を観光してきました。 気候のよい秋晴れ続きでした。 要するに今月はずいぶん遊んでしまったという事です。 思い返すと、昨年の今頃は老母が体調を崩し、手術、入院を繰り返していてその介護で落ち着きませんでしたが、お蔭さまで今年は両名健康でのんびり出来ました。


伊勢神宮の内宮にて 左は来週11月3日に渡り始めの行われる新築の宇治橋 右の真ん中奥の建物は内宮本殿の一番内部で天皇しか参拝できない所とか

9月度

 スコットランド旅行の時差ぼけがとれるのに、3週間もかかりました。 夜はいつまでも寝つけず昼間は眠い毎日でした。 時差ぼけに長いことかかるというのも、老化のしるしでしょう。 老化と言えば、今月上旬あたりから、数km歩くと左脚の外側がしびれたり、軽い痛みを覚えたりするようになり、医師に診断を仰いだら 「 脊柱管狭窄症 」 だと言われました。 ちょっとしたショックです。 幸い軽度なので、注意しながら歩けば、旧東海道も歩ききれるのでは・・・と考えています。

 昨年の5月に神戸の理化学研究所の一般公開を見学した際、頂いてきた 「 重イオンビームを照射してあるため2年目に違う色の花が咲く・・・とか聞いた ( うろ覚えです ) アサガオの種 」 ですが、さっそく庭で育てたところ、初年度の夏は特別変わったこともない花が咲きました。 2年目の今年は・・・と期待していましたが、1年目より色が濃くなったような気もしますが ( 昨年、写真を撮っておけばよかった ) 、やはりどれも赤紫一色でした。 でも、ろくに育て方も勉強していない私なのに、雨戸をあけると、たった2株なのに毎朝20輪ちかくも咲いている元気な花を見ると、心が癒されます。 3年目に注目しましょう。


 猛暑の時期は休み、涼しくなるのを待っていた旧東海道歩きを、27〜28の両日に再開しました。 今回は吉田宿 ( 現在の豊橋市 ) の先の 赤坂宿を起点に、藤川宿、岡崎宿 と進み、その先の知立の宿の少し手前まで、約28km歩きました。 あと1回、10月前半に1泊で2日歩くと、熱田神宮のそばの宮の宿に着くはずで、ここはもう名古屋の市内です。 ここから先、伊勢の桑名までは江戸時代は海上7里 ( 28km ) を舟で渡りましたが、このあたりは現在は埋め立てられて工業地帯になっています。 もちろん舟の便などないので、名古屋市内をぐるりと回って電車で桑名に行くしかありません。 桑名まで行くと、江戸−京の間の距離約500kmの4分の3を進んだことになります。

 仲間とのウォーキング、地域の防災訓練、老人会の一員としての勤労奉仕、愛車の5年目の車検、高校生の孫に対する数学の受験勉強の手伝いなどをしているうちに、1カ月がたちまち過ぎて行きました。 お彼岸の23日には、今年1月に亡くなった母の墓にお参りし、子や孫たちの近況を報告しました。 そうそう、当家も遅まきながら今月、ようやくアナログTVを地デジの薄型液晶TVに変えました。

8月度

 総選挙も終わりました。 私がささやかな協力を行っていた最高裁裁判官国民審査の投票に対する 「 一人一票実現国民会議 」 の活動は、所期の目的は達成できませんでしたが、ある程度の効果を収めることはできました。 ご協力いただいた皆さまには、この場を借りて ご報告 とともに厚くお礼申しあげます。

 医師の言いつけを守り、ゴルフは今月も止め、旧東海道歩きも8月は中断、月の前半は1日に横浜、2日に東京と演奏会を聴きに出かけたほかは、庭や家の前の道路の草取りや、高校生の孫に物理や化学を教える仕事などに追われていました。 ウォーキングも夕食後涼しくなった後にしました。

 後半に入って16日から25日まで、今年は某旅行会社のツアーでスコットランドに行ってきました。 カホルは、12年前にイタリアで心筋梗塞で倒れて以来、ハワイや台湾のような近い所は別として、欧米への海外旅行は躊躇していましたが、昨年に再治療も終えたので、思い切って、かねてから宿願だったこの国に出かけることにしたのでした。 なぜ宿願だったかと言うと、英会話の先生の中に以前、ここの出身の方がいて、「 風光明媚 」 のお国自慢を聞かされたからです。

 実際に行って見て、たしかに美しい自然や建造物はたくさんありました。 今回撮ってきた写真 をご覧いただければ幸いです。 やはり見なれた日本も含めた温帯の国々とは違った形や色の世界でした。 スコットランドという国の厳しい気候、歴史、自然が造りあげた景観には以下のような特性があるということなのでしょう。

(A) 一日の内で太陽の光が射す時間が少なく、毎日のように曇りか小雨の時間が多いのです。 霧も多いので遠景がどうしても霞んでしまいます。


スコットランド民謡でも知られているロッホ・ローモンド湖は大変静かで美しいのですが、墨絵のようにしか写りませんでした。

(B) 季節的な理由もあるかと思いますが、緯度が高い地域だからでしょう。 野の花、樹の花が概して小さく色も地味です。


スコットランドの荒野いっぱいに咲き誇るヘザー。 エリカとも呼ばれますが日本のそれとは似て非なるものです。 ヒースと言うのは荒野または
そこに群生する植物の総称であり、その代表がこのヘザーです。 ヒースが枯れて堆積し炭化した泥炭がウイスキー製造に欠かせないピートです。

(C) 大都会では豪壮で造形的にも美しい建物の多くが黒ずんでいました。 聞けばこれは産業革命以来最近までの産業用、家庭暖房用の石炭の大量使用に因る煤煙のためだそうです。 近年洗い落して綺麗になったものもありますが、まだ手が回り切っていない所もあります。

 

左は最大の都市グラスゴーの大聖堂、右は首都エディンバラ市内目抜き通りの教会

 途中、フィッシュ・&・チップスの食べすぎか、胃が疲れてしまい、スープとヨーグルトくらいしか食べられない日が数日続いたこともあって、9日間で2kgも痩せて帰ってきました。 それでも、同行の方々が下さった薬の効果もあってか、後半の方では胃の調子も回復し、最後の自由行動の日に、現地在住の親戚の者が連れて行ってくれた、エジンバラの港にある、あるシーフードレストランでは、素材と言い、味付けと言い、どれもこれも絶品の料理を堪能できました。 英国の料理は一般的に美味しくないと言われていますが、探す時間と機会があれば美味しい店が見つけられるということでしょう。

 本場のスコッチウィスキーの醸造、蒸留の施設の見学もしてきました。 この国の、ときには過酷なあの気候風土が、この酒を生んだのだということを体感できました。 そして、名前だけしか知らなかった 「 パブ 」 という酒場に入って苦い地ビールを飲んで来たのも、良い思い出です。 スコットランド特有の 「 ハギス 」 や 「 ブラックプディング 」、「 キッパース 」 など生まれて初めての料理もおいしく食べられました。

 

 7月の全英オープンのゴルフをTVで観た方は覚えていらっしゃるでしょう。 この国は8月と言っても朝夕は長袖やセーターの必要な気候なので、衣類の準備にもひと苦労しました。 信じられないでしょうが、夜間、屋外で、ミリタリー・タトゥー という有名なショウを観た時などは、幸い雨は降らなかったものの、ほぼ真冬用の服装を身に付けて出かけました。 幸い風邪をひいたりなどのトラブルもなく、多くの楽しい思い出を胸にして帰ってくることができました。 写真の一部は、ここでご覧ください

 
7月度

 医師には 「 ステント入りの高齢者は真夏は水を飲んで家で寝ていなさい。 おっと、念のため・・・酒は水じゃありませんよ 」 などと残酷なご忠告を頂くし、とは言え34〜35度もの日に外を歩いたりするなというのは確かにご尤もな仰せなので、ゴルフも7、8両月は2年前から止めています。 でも、ときどきは練習場には行きましたし、涼しい時間を見計らって毎日のように30分から1時間は速足で近所をウォーキングしてもいます・・・と言いたいのですが、こう毎日雨では、なかなかそうも行きません。

 ようやく衆議院が」解散になり、8月30日には総選挙が行われます。 総選挙とともに毎回行われる 最高裁の裁判官の国民審査の投票 ですが、地味で難しい話なので、どうしても話題になりにくいのはやむをえません。 しかし、これは非常に大事な投票です。 私が事務局長をしている 「 一票の格差を考える会 」 では、今回、他の同趣旨の活動をしている個人、団体の活動への協力も含め、微力ながら活動を行いました。 インタービュー新聞への意見広告掲載ホームページでのキャンペーン などです。 ことに3つ目のホームページの記事をご一読願えれば幸いです。 そして、次のサイトを開いて都市部に住むご自分の一票がいかに価値が低められているかをご確認の上、8月30日の国民審査の模擬投票 を行ってみたらいかがでしょうか。

 旧東海道歩きも、梅雨だから仕方ないとは言え、毎日のように雨ばかりで5、6月のように頻度多くはやれませんでしたが、それでも日傘とスポーツドリンクの助けを借りて愛知県の二川から豊橋 ( 江戸時代は吉田という名の町だった) を抜けて赤坂の宿場跡までの25kmほどを2日かけて前進してきました。 今回から、遂に日帰りが無理で、1泊2日の旅となりました。 カホルも御油の宿場から赤坂の宿場まで、江戸時代から残る天然記念物の松並木の道を2km余り歩きました。


 それ以外と言うと、子供や孫たちが集まって77歳のお祝いをしてくれたりもしましたが、他にはあまり目立ったことのない7月でした。 自宅の外塀の石垣の上の植え込みの中に一昨年あたりから1本の木が生えてきて、どんどん大きくなり2m近くになったので、中旬に植木屋が庭の手入れに来た際、抜いてもらいました。 何の木だと聞いたら 「 エノキ ( 榎 ) 」 だとの答え。 「 鳥の糞に混じった種子が落ちてきたのでしょう 」 と言います。 エノキと言えば旧東海道の一里塚に植えられた木です。 大きく育ち、遠くからでも目印になります。 私が旧東海道を歩き始めたころにこの種子が落ちてきて芽が出たというのも、何かの因縁でしょう。 でも、かわいそうですが邪魔なので抜かせてもらいました。

 月はじめにはここ神奈川県の 「 県花 」 のやまゆりが、近くの山裾でたくさん咲き誇っていましたが、それも月半ばにはしおれて散って行きました。 その頃がちょうどお盆で、そう言えば今年は母の新盆でした。 仏教とは関係なく去って行った母でしたが、霊前にいろいろ供えて拝みました。

 

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このコラムは、もともとはグリンウッドで働く友人たちとそのご家族向けに、私や家族の動静、 日本や特に足柄地域の出来事などをお知らせしようと、97年初めから「近況報告」 という名でEーMAILの形で毎月個人宛てに送っていたものです。 98年2月以降はホームページに切り替え、毎月下旬翌月分に更新してきました。 ところが最近、日本に住むグリンウッドをご存じない方々も多くご覧になるようになってきたので、 同年7月から焦点の当てかた、表現などをを少し変えました

この先です。