私と家族の近況
私と家族の近況

(ブラウザーの種類によっては、 上記のタイトルが私の意図通りに表現されないかも知れません)

*あしがらみち*

2001年 後半分:最新は12月度

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12月度(12. 31. 2001)

21世紀最初の1年も、今日で終りとなる。カホルも私も元気で健康に暮らせた。 カホルは、3年半ぶりに今年から 「 近い所なら・・・」 と空の旅をこわごわ再開し、 私と一緒にハワイ島 と八重山諸島に行って、元気に帰ってこられた。 ゴルフも春と秋には数回やり、秋には生まれて初めてのバーディを出して大喜びしていた。

12月上旬、数人の顔見知りの人たちの訪問を受けた。 この小都市には、 24人もの市会議員が居て、人口あたりでは県内で群を抜いて一番多い。 市民一人あたりの議会費の負担も当然ながらダントツである。 行財政改革のため、 これを18人に減らす市民直接請求の署名運動を来春始めるとの事で、彼等はその発起人たちだった。 私のかねてからの持論 と完全に一致するので、 喜んでお手伝いさせていただく事にした。

下旬になって、もう矢も盾もたまらず、新しい Windows XP 搭載の高級なパソコンを買った。 丁度5年前に買った今の Windows 95 のパソコンは、連日の酷使にも耐えて今も動いているが、 なにぶん、あちこちにガタが来ているし、最新のアプリケーションや新鋭の機器を受け入れる能力もない。 ハードウェアを自分で増強してやるほどの技術も根気もないので、本当に可哀相な気もするが、 手放すことにした。

というわけで、新しいパソコンの種々の設定、古い方から新しい方へのデータの移管のために、 年末の1週間、毎日数時間を費やした。 5年間の勉強の成果か、一人で全部実行できた。 マニュアル、参考書、雑誌も総計1,000ページほど熟読したが、こんな根気は、 5年後はもうないだろう。 ということは、これが私の最後のパソコンということだ。 毎日、坐り疲れると年末の大掃除をして体を動かした。 活用のための本も数冊買ってきたし、 来年からが楽しみだ。

とにかく、5年前買った古いもののちょうど半分の価額で、大きさと重さは3分の1ほど、 諸能力は十ないし数十倍なのだから、5年間の技術の進歩と企業努力には驚くばかりだ。 数え切れないほど多くの会社で、無数の若い社員たちが連日深夜まで苦闘した事だろうと、 気の毒に思う。 良く見ると、ハードウェアは日本、台湾、中国などで作られたものの寄せ集めだ。 この点にも5年間の変化が見られる。

25日には、自治会活動の一環として行われたしめ飾り制作講習会に参加して、 立派なものを材料費たった800円で作った。 街で買えば5千円はするだろう。 これを玄関に飾って、今年も終った。 皆さん、どうか良いお年を。 年賀の挨拶 もご覧下さい。

11月度(12. 1. 2001)

経済同友会から連絡が有り、同会の政治委員会は、 以前から一票の格差の存在を問題視していたが、 今回、これを是正するための政治運動を本格的に始めることになったとのこと。 その一環として、 この問題についてのホームページ を作ったので 「 一票の格差を考える会 」 と緊密に連携を取りたい。 ホームページ同士もリンクをはろうと申し入れてきました。

こういう有力な団体と連携できるのは、当方も望む所なので、 1日に先方に出掛けて話し合い、今後の連携を約してきました。 また30日午前にはさらに 「 一票の格差を是正する議員連盟 」 ( ここのホームページも年内にはオープンの予定 ) も加え、三者で、 衆議院議員会館で打ち合わせ、今後共同して具体策を実行して行くことが決まりました ( 面白い企画ですよ・・・来月種明かしをします )。

「 べんべん 」 というオンラインマガジンから 「 選挙制度は生活する人のために変遷してきたのか 」 という特集をを企画しているので、 インタービューして欲しいとの申し入れが有り、15日に、 東京まで出掛けていってこれに応じました。 その際先方に手渡した我々の回答内容を、 随想その42に掲載しました。どうか読んで下さい。

地元南足柄市に、今般 「 あしがら21未来会議 」 という会が発足しました。 全市民が市政の問題点や市政への要望を論じ合い、これをまとめて政策にまで仕上げて、 市当局に提言する事を目的とする会です。 いろいろの経緯があり、私がその代表に選ばれました。 関係者の多忙な準備作業の後、30日夜にはその発会の式典が行われ、 約千人の市民が市の文化会館に集まって、記念講演やパネル討論を行ないました。 私もパネルの一人になり、なかなか大変だったけれど、面白い体験でした。

というようなことで、他にも旧友たちとの私的なゴルフ、ウォーキング、 飲み会まどがほとんど連日連夜あり、とにかく今月は忙しい月でした。 幸い風邪も引かず・・・ どころか26日にはインフルエンザ予防ワクチンの接種までやり、 これで今年の冬への備えも出来ました。 ワクチンは本当に有効ですね。 私はこの5年間、 風邪を引いたのは一回だけで済んでいます ( その時は強引に一泊で二月堂にお水取りを拝観に行き、 なかば徹夜の荒行?でしたが、幸い悪化せずに済みました。今考えると、年齢も考えず、 愚かなことでした。 年寄りは風邪を引くのが一番良くないそうですね )。

ワクチンと言えば、11月20日過ぎには、w32.aliz.worm というワームが日本中で流行って、 大変でしたね。 皆さん大丈夫でしたか。 これは、罹っても、パソコンがダウンするわけでもないので、 ご当人はなかなか気づかないようですが、その人のパソコンからは、いつまでも、 友人たちにワーム入りのメールが送られ続けるという、厄介なものです。 私の所にも数人から計10通くらい来ましたが、 息子が誕生日の祝に買ってくれたアンチヴィールス・ソフトが的確に作動し、 第1発目を水際で食い止めることができました。 あとは全部門前払い。 こういうのは、本当に無差別テロです。 とにかく、 発信者が日本人なのに、いつもと違うローマ字の名前で、 英語の件名でメールが来たら、 開けずに直ちに削除することです。

12月1日になると、また違う種類の、同系統の新しいワームに侵入されました。 11月26日から流行し出したものだそうで、私は運良く27日に 「 ヴィールス 」 の定義を更新していたお陰で、これもタッチの差で撃退できました。 これは、上記のものより、 もう少し悪質なもののようですが、一人の日本人から7分間に5通も来たりするんですね。 私が友人に警告すると 「 私は外国人とはメールを交換してないから 」 とおっしゃるのですが、 これはとんだ認識違いで、私の所に届いた、悪疾に侵されたメールは、 すべて知己および未知の日本人からのものです。 皆様どうか御用心!

10月度(10. 31. 2001)

息子が何度か訪れて 「 とても素晴らしい所だったから、是非行ってきたら 」 と、 お金までくれたので、ありがたく頂戴してカホルと二人で八重山諸島に行くことにしました。 案内書を2冊買った上に、インターネットから幾らでも出てくる情報を熟読し、 いつものように自分で旅のプランを細部まで練り上げたのが、9月中旬でした。 幸い、数回の欧州旅行で貯めた日航のマイレージがあったので、 航空券はただで2人分手に入りました。

7日間の旅−−−とにかく良かったです。 季節外れでどこも空いていたこともあり、 こんな秘境がまだ日本と名の付く所に在ったとは! と驚く毎日でした。 大体、八重山諸島がどの辺りに在るかなんて、旅行する気になるまでは、全く知りませんでした。 台湾のすぐ東なんです。 だから10月でも泳げました。

色とりどりの熱帯魚の泳ぐ海の水は透明で真っ青。 何kmも先まで、 自分たちの他にはほとんど誰もいない、怖いほど静かな海岸。 入江にはマングローブの樹林、 道路わきや人家の庭には満開のブーゲンビリアやハイビスカスなどの美しい花々。 パイナップル、バナナその他の果物は完熟でとれたての美味。 そして昼は見たこともない美しい蝶たちの乱舞。 夜は何と蛍が・・・・・・。

石垣島、西表島、由布島、竹富島、小浜島と5つ回ってきました。 小浜島では、 運良く地元の秋祭りに遭遇し、神社の境内で午後いっぱい行われた、 チュラさんたちの美しい衣装の踊りと琉球の伝統的な旋律を鑑賞できました。

とにかく素敵な1週間でした。 このままこの辺に居着いたら、余りに浮世離れしてしまい、 現在の世界の危機、日本の政治の貧困など、すっかり忘れ去ってしまうことだろうと、 罪の意識?に時おり胸が痛むほどでした。

とは言え、たとえば384平方kmもあるのに人口は500人にも満たない西表島でさえ、 周囲には真新しい、幅の広い2車線の舗装道路がどこまでも走り、 何とその両側に!広い歩道があって、延々と立派な街路樹さえ植えられているのです。 もちろん、その歩道の両側は、どこまで行っても原生林か畑で、1軒の家すらありません。 時速70kmでレンタカーを飛ばしても、数分に1回くらいしかすれ違う車がないのです。

車道はともかく、両側の歩道や街路樹は、いったい誰が、何の為に、誰の為に作ったのでしょう。 これこそがあの悪名高き 「 地方交付税による無用の公共投資 」 の典型ではないでしょうか。 この道路ができたお陰で、天然記念物の山猫がしばしば轢き殺されているし、 工事で発生した赤土が流れ出して美しい海岸や珊瑚を傷つけているらしいのです。 それなのに、その日も更なる道路改良工事が、あちこちで熱心に続けられていました。

というわけで、こんな楽園にすら、日本の政治の矛盾を見た思いでした。

を考える会 で仕立てたラッピングバスの運行が、 帰ってからすぐに、11月10日から始まりました。 その関係で数日バタバタした後、 こんどは小学校と高校の同期会が立て続けにありました。 高校の方は、私も幹事の一人でしたので、 心身とも大分疲れましたが、幸い成功裡に終りました。 今回は卒業後50周年にあたるわけで、考えれば私も随分長いこと生きたものです。 同級生の22%が既に故人となりましたが、これは、厚生労働省の統計によると、 69歳の男子の平均的な%だそうです。 そして、あと10年するとそれは50%になるとのこと。

東京に住む91歳になる母が、突然脳梗塞で倒れ、入院したのは昨年の9月なかばのことでした。 約1カ月の入院の後、退院してきた時は、左半身がほとんど麻痺しており、 口も左半分が利かないので、言葉も聞き取りにくく、寝たきりの状態でした。 それが、周囲の私たちも感嘆するほど健気に自主的に連日リハビリに励んだ結果、 徐々に機能が回復し、今では家の中では杖もつかずに家事を何とかこなし、 手すりにすがって一人で階段の上り下りも出来、 杖をがあれば一人で外を散歩するほどに回復しました。 先日も弟に車に乗せてもらって日光に旅行してきたとか。 耳が遠い以外は頭も全くはっきりしており、その気力と丈夫さに感心するばかりです。

今年ももう、あと2カ月になりました。

9月度(9. 28. 2001)

ウォーキングを日課として始めたのは、米国から帰ってすぐの事だったから、 あれからもう5年になる。 新しいスニーカーを1足、穿きつぶした。 歩いた距離は5千Kmを優に超えている。 ふくらはぎは自分でもやや醜いと感じるほど太くなった。

ところが、5年前には何とも思わなかった勾配の急な林道を歩くたびに、 最近は、当時よりも疲れが早く来ることに気づくのだ。 5年前には 「 あと2Km歩こう 」 と思った辺りで 「 もう帰ろうかな 」 と思い始める。 当時64歳だった私も今は69歳・・・・。 この5年の差は残念ながら意外に大きい。 この調子だと、あと5年したらどうなることだろうか。

それでも、22日には、ウォーキングの仲間と一緒に、箱根の外輪山で約6時間、 20km近く、上り下りのとても激しい山道を歩き通すことができた。 前の晩降った初冠雪を頂いた富士が青空を背景に迫ってくる姿を、間近に仰ぐ事ができ、 本当に運がよかった。

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5年前、自宅近辺の林道はどこも本当に自然の美しさに満ちていて、ある米人夫妻を案内した時は 「 おまえはパラダイスに住んでいるんだね 」 と感嘆されたほどであった。

当時歩きなれた林道を5年ぶりに一人でウォーキングしようと考えた時、実は最初は怖かった。 それは上記の体力の問題からではない。 私の心を占めていたのは、 果樹園や梅林の間を縫ってどこまでも続くあの美しい林道が、 不法廃棄物だらけになっているのを見てしまうのではないかという恐れだった。 夜は誰もいないこの箱根の裏山の斜面一帯は、林道も農道も杉林も、 どこも格好のゴミ不法投棄場候補地なのだ。

でも良かった! そういう物を、一つも見ずに、5年ぶりに毎日歩くことができた。 斜の日差しに美しく輝くすすきのかやとを眺め、20種ほどの、 ほとんどが青か白の路傍の秋の花々を愛でながら 「 ああ良かった。 何も変っていない 」 と思う。

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とは言え、最近はっきりと変ってきたこともある。 毎年田植えの前後に、うるさくて夜安眠できないほどだった、家の裏の田んぼの蛙の声も、 今年の春はなぜか殆ど聞こえなかった。 何か新しい農薬が、この辺りで使われるようになったのだろうか・・・・ などと気になっているうちに、もう夏も過ぎようとしている。 そして、 田んぼから生まれるという赤とんぼが、今年はとても少ないことに気付く。

収穫も間近の田んぼのあぜに咲く 彼岸花 ( まんじゅしゃげ ) は、この土地でも、 その名のように正確な時計のように、決まって9月の20日過ぎに満開となるのだった。 それはもう、一昨年までは、何十年も、私にとっては季節の目覚まし時計のようなものだった。 所が、今年はもう9月の5日頃から咲き始め、12日頃に満開となり、 お彼岸の中日には、半分以上の花が茶色く枯れてしまった。 彼岸花は日照時間ではなく、気温を感じて咲く花らしいと理解できたものの、 地球の温暖化の現実を改めて感じる。 左の写真は一昨年のお彼岸に撮ったものだが、もう稲は刈られ干されているのがわかる。 今年はこの開花の状態のとき、稲はまだ刈られていなかった。

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急に旨い魚を食べたくなって、上旬のある日、妻と三浦三崎に出掛けていった。 妻が、かねてから憧れていた町だ。

予めインターネットで調べると、あるわあるわ、三崎にかぎらず、 食べ歩き体験談は日本中、今や花盛りだ。 書いている人たちは殆どが30歳前後の男性と推察される。 「 何とも平和な世の中だな、飽食の時代だな 」 と、びっくりしながら一応目を通した。 この人たちにとっては、この精力的なグルメ体験談を書き、連載し、アップデートし、 競い合うことが、多分、単なる趣味以上の 「 自己顕示欲充足の場 」 になっているのだろうと推測する。

さて、昼、夜、朝、昼と飽きもせずに一晩泊りで鮪を中心に各種の魚介類を食べ歩いた。 味の方はどうだったかと言うと、結論は 極めて平凡な二つの定理 を再確認しただけであった。

  • ある地域の中でくらべれば、旨さと値段はおおむね比例する。 美味に出会うためには、 やはり高い金を出す必要がある。

  • 高いくせにそれほど旨くない店はときどきあるが、安いけれども凄く旨い店はまずない。

妻も同意見で 「 想像した以上でも以下でもなかったから、一度行けばもう充分だ 」 と言っていた。インターネット上で 「 この店こそ旨くて安い!」と、 喧伝する人は多い。 あの 「 グルメレポーター 」 たちには、TV場組や雑誌の記事のような妙な宣伝や 「 えこひいき 」 の気持はないと思う。 彼等はまだ人生経験が短く、本当に上等な美味を味わった体験がないか、 それとも、若くて健康で空腹なので、つい評価が寛大になったかの、どちらかなのであろう。
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8月度(8. 28. 2001)

7月から、この地方小都市でも、NTTのフレッツISDNが利用できることになりました。 早速申込み、24日から、何もかも含めて月に¥6,550で 「 定額でつなぎっぱなし 」 の境地を味わえることになりました。 しかも、従来より、 なぜか月に¥1,200ほども安くなるのです。 業界の自由競争は、我々にとっては結構なことです。 これでも IT先進国の水準より倍くらい高いようですが、まあ、素直に喜ぶことにしましょう。

作曲家の すぎやまこういち氏 が主宰する 「 一票の格差を考える会 」 の事務局長を、私がやっていることについては、昨年書きました。 この会では、今年秋の超党派有志議員による 「 衆議院選挙区画定審議会設置法 」 改正のための議員立法の提案とその成立をめざす活動の一環として、 会の主張を車体の外側に大きく書いたラッピングバスを走らせる事になりました。 というわけで、8月は、広告会社との折衝などで、その準備に多少の時間を費やしました。

ラッピングバスというのは、大型バスの車体全体を、 広告を描いたプラスチックシートで包んだものです。 今都内を走っている広告を描いた都バスなどは、この方式で作られています。 国会の開催期間に合わせて10月10日から1カ月間、朝9時から夕方の5時まで、 都内を中心に走りますので、ご声援をお願いします。 どんなデザインのバスかご覧になりたい方は ここをクリックしてください。

今年の夏は、特別に暑かったですね。 7月のゴルフで、 同年代の仲間が熱中症で倒れたのを見て恐れをなし、歳を考えてゴルフのお誘いは ほとんど辞退しました。 お盆に皆さんが大挙旅行をなさるのに付き合うことも無かろうと、旅行も来月にまわしました。 というわけで、もっぱら家の中で読書とダンベルその他での筋力トレーニングに励んでいました。 イタリア旅行の印象深い思い出が頭から離れず、 図書館で塩野七生女史の著作を10冊ほど借りてきて、通読しました。

日課のウォーキングだけは、もちろん、欠かしませんでしたが、その途中、 冷房のある建物に休憩に入ると、束の間ですが生き返る思いでした。 ところで、どこが一番冷房が効いていたかというと、私の町では断然郵便局でした。 とにかく、半ズボンとTシャツなんていう格好で順番を待っていると、 このまま風邪を引いてしまうのではないかと、イライラしてしまうほどでした。

そこで、物好きにも、温度計をいつも携帯して、 用事で訪れるたびに建物内の温度を測っていました。

施設温度
スーパー1F食品売り場 25.5度
同 4F家庭用品売り場 27.6度
電気製品量販店 27.0度
市立図書館 27.5度
市役所 1F 27.5度
大型書店24.5度
郵便局 23.2度


やはり郵便局は断トツに冷房を効かせているのですね。あと4度高くても良いはずです。 利益や採算、経費や原価などを一切気にしなくて良い郵便局の体質が、 そのまま現れているように思えます。 TV報道によると、郵便局長には 「 渡切費 ( ワタシキリヒ )」 という金が渡され、 職員の飲食などに流用される悪習があるとか、郵政局は組織ぐるみで事業? として選挙活動をやっているとか、言われていますが、こういう事も含めて、 やはり 「 小泉首相の言うように、郵政は民営化すべきだ! 」 と考えたくなったこの夏でした。

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7月度(7. 30. 2001)

7月17日に、妻カホルの母が95歳7カ月の天寿をまっとうして、老衰で亡くなりました。 死に目に会えなかったのが、カホルの唯一の心残りだったようで、亡くなること自体は、 もう大分前から納得ずみだったようです。 明治から平成まで4代を、 戦争をはさんで苦労ばかりしながら生き、 ようやく少しばかり楽ができる時代になったと思ったら夫は死に、自分の体も弱ってきてしまい、 お気の毒だったなという気もします。

この歳になると、友人も兄弟姉妹もいとこたちも、近所の知り合いさえも皆死んでしまい、 葬儀は子、孫、曾孫たちだけ40名ほどが集まって、行なわれました。 菩提寺で葬儀は行いましたが、 喪主の意向で、どなたからも ( これらの子や孫からさえ ) 一切香典や献花を受けず、 彼女の残した貯金を使いきるようにして葬儀万端を行い、 最後は子、孫、曾孫たちに、大宴会でご馳走を食べさせてくれました。 これも一つの立派な人生の結末の付け方だと思いました。

この変った葬儀の体験に触発されて、新しい随想 「 米国で体験した冠婚葬祭 」 を書いて見ました。 ご興味が有ればご覧ください。
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「 一票の格差を考える会 」 の方は、参院選の関連では、特に何もしませんでしたが、 秋には、一票の格差是正を訴えるスローガンを車体に大きく書いたラッピングバスを、 国会付近を中心に、都内を走らせようという計画を立て、その準備のために7月は時間を使いました。
「 一票の格差 」 の是正をめざす議員連盟 が目指している議員立法による法改正解説記事をご参照)を、 この秋にはぜひ実現したいと考えるからです。 バス走行期間は10月10日から1カ月くらいと考えています。 皆様のご理解とご声援をお願いします。

なお、「 ラッピングバス 」 というのは、最近、東京都が歳入の増加の一助として、 都バスなどの車体に、広告を描いて走らせるようになりましたが、あれに使われているやり方です。 プラスチックシートに絵や文字を印刷し、それを車体を包み込むように貼り付ける方法です。

参院選における一票の格差は、参院選では衆院選より更に著しく、 議員定員一人当たりの有権者数は、東京都選挙区が島根県選挙区の5倍以上に達しています。 その島根県から立候補した自民党の橋本派の現職景山俊太郎候補(*)が、小泉首相の唱える改革に対し 「 首相発言は的を射ていない。政権に忠告する集団は必要だ 」 ( 毎日新聞 ) などとぬかしています。 もちろん彼は当選しましたので、これからは小泉改革の阻止の先頭に立つつもりでしょう。

(*):彼は現在の超不公平な定員配分による一票の格差の産みの親である、 故竹下元総理の秘書だった男です。

2001年前半の1−6月分はここをクリックしてください。

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ご感想、ご意見、ご質問などがあれば まで。

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このコラムは、もともとはグリンウッドで働く友人たちとそのご家族向けに、私や家族の動静、 日本や特に足柄地域の出来事などをお知らせしようと、97年初めから「近況報告」 という名でEーMAILの形で毎月個人宛てに送っていたものです。 98年2月以降はホームページに切り替え、毎月下旬翌月分に更新してきました。 ところが最近、日本に住むグリンウッドをご存じない方々も多くご覧になるようになってきたので、 同年7月から焦点の当てかた、表現などをを少し変えました

この先です。