私と家族の近況
私と家族の近況

*あしがらみち*

2006年 前半分:最新は6月度


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6月度(July 1, 2006)

 私たち夫婦が8年近くの米国生活を終えて日本に帰って来たのは1996年の6月23日のことでした。  10年後の今年の6月23日、家の近くのコースでゴルフをしていたとき、なぜかフッとそのことに気がついたのです。  家に帰ってそのことを話すと、カホルもそれをすっかり忘れていました。

 それくらい昔の話になってしまったのです。 あれからもう10年も経ったのか・・・あのときの私は、 慣れ親しんだ土地や米国の友人たちとの別れに、淋しい思いがつのる一方、 故国に戻って新しい生活に再出発できることへの期待と喜びに心が躍ってもいました。

 そして、40年以上も勤めた会社を辞めて、いきなり、給与生活者からまったくの自由人 ( 無職 ) になる日も、 数日後 ( 6月26日 ) に迫っていました。  このことについても、もちろん同様に、別離の淋しさ、未知の世界への期待、不安などが心の中で激しく混じり合っていました。  成田空港で入国審査を通過した瞬間の 「 もう私はアメリカに戻ることはないのだ 」 という、 何とも言えぬ 「 虚脱感 」 みたいなものを、今でもありありと思い出します。

 あの日までは、昼間はほとんど英語しか 「 聞き、話し、読み、書き 」 しないため、知らず知らず 「 常に 」 緊張を強いられていました。  しかし、それ以上に、1300人もの従業員を預かる化学工場では、いつなんどき、大災害が起きるかわからないので、 心配性で完璧主義?の私には、責任者として24時間 「 気の休まる 」 瞬間などほとんどなかったと言えます。

 それに加えて、目標、品質、納期、上役、部下、顧客などなどのもろもろのプレッシャーが次々に襲ってくるのです。  「 こういう状態から一刻も早く100%解放され自由になりたい! 」 というのが、 プレッシャーに強くない私の、長い間の夢でした。  「 生涯現役 」 という考えは、私には全くありませんでした。 私の神経はそれほど強靭ではないのです。

 あれからの10年、カホルに一時は死の影が忍び寄ったこともありましたが、二人とも、とにかく元気で生きてこられました。  二人目の孫にも恵まれましたし、世界中、日本中をあちこち訪ね歩くことも出来ました。

 40年以上も夢中で働いてきた会社の仕事から、ある日プッツリと100%離れてしまうこと・・・ そういう環境の中で人生に 「 ハリ 」 が保てるのだろうか・・・という上記の不安・・・は、幸いまったくの杞憂でした。  さきほど列挙したもろもろのプレッシャーが消滅することが、こんなにも幸せなことだったのだのか!・・・と今も感謝し続けています。

 毎日遅くまで一生懸命働いている子供たちには申し訳有りませんが、この10年間が、私にとっては、 自分の一生のうちで一番幸せな期間だったと確信できます。 諸々のプレッシャーにさいなまれ続け、 苦しみもがいてきた42年間の後ですから、素直にこの幸せを受け入れて、これからも、もう暫く生きたいと思います。  これからの次の10年は、今までの10年のような平坦な道ではないはずですけれど・・・

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 6月末にパソコンが急に具合が悪くなり、修理に出していたのですが、今日、7月1日に、無事もとの姿に治って戻ってきました。  バックアップは万全ですので、データを失う恐れはないのですが、新しいパソコンを買い求め、 一つ一つカスタマイズして行くことになるのかと、考えただけでも憂鬱でしたので、とにかくホッとしました。  そういうわけで、このページほか、書き終っていたものをアップロードできたのは、2日以降でした。

 上旬には、以前から行きたいと考えていた青森県の下北半島を、レンタカーで一周してきました。  この旅と、その時撮った写真は、ここをご覧下さい。 恐山の写真十数枚は、 ここにありますが、パソコンが Java に対応できていないと、ご覧になれません。  Javaを導入するには、このホームページが参考になります

5月度(May 31, 2006)


 涼しく日照の少ない5月だったせいで、近在の田の田植えもめっきり遅くなり、27日前後になってしまいました。  でも、この数年、農薬の影響かどうか知りませんが、数がめっきり減っていた蛙どもが、今年はどこからともなく沢山集まってきて、 夜には大合唱。 おかげでおちおち眠れないほどでした。 彼らを狙ってか鴨の夫婦も飛んできて田んぼを泳いでいます。  私の家の周りには自然がまだ残っています。

 しばらく休業状態だった 「 一票の格差を考える会 」 も、来年夏に予定されている参院選挙に向けて活動を再開しました。  というわけで事務局長の私も忙しくなり始めました。 30日には久しぶりに永田町の議員会館に行き、 有志の衆・参議員の方々へのお願いの内容につき協議してきました。

 8月には新聞紙上に、50名ほどの各党の衆・参有志議員たちの意見、 全国の一般有権者から公募した 「 ひと言 」 などを載せた意見広告を、数回にわたって掲載する予定です。

 少々古い2004年9月現在のデータですら、東京と鳥取では5.18倍もの 「 一票の格差 」 が存在しているのです。  衆院選挙での2.17倍 ( 2005年8月現在 ) の格差でさえ大問題になっているというのに、 参院選では何と5倍以上という、世界に類を見ないほど大きな格差がいまだに存在していることは、 国民の基本的な権利を侵害する大問題です。

 最近の最高裁の判決において、いわゆる 「 合憲派裁判官 」 のうちの4名さえもが、 「 次回の選挙でもこのような大きな格差のもとで行われるならば、 これは違憲と考える余地が十分ある 」 という趣旨の意見 を述べるまでに至ったということを、皆さんご記憶でしょうか? 参院選挙制度の改革はこのように 「 焦眉の急 」 なのですが、 残念ながら遅々として進んでいません。

 このままでは最高裁に違憲と断罪されるというので、去る5月17日、参議院では4増4減という、 ほんの雀の涙ほどのドロナワ的改正案を、賛成多数で可決しました。 栃木と群馬を4名から2名に減らし、 東京を8名から10名に、千葉を4名から6名にするという内容です。 でも、これでも格差はまだ4.84倍も残るのです。

 「 一票の格差 」 についての基本的な知識、情報をお知りになりたい方は、 私が以前書いた説明 をお読みいただければ幸いです。

 今まで弟や妹が在宅で手厚く介護していた母を、私の家の近くの介護つき有料老人ホームに入れるという、 母にとっては非常につらい生活環境の変化・・・が、5月9日に無事完了しました。  母は、自分がなぜここに入れられたのかを理解する力すらももうなく、「 帰りたい、帰りたい 」 と時には泣いて訴えるのですが、 私どもにはもうどうすることも出来ません。 幸い、施設の担当者たちは皆良い人たちで、一生懸命やってくださり、 その点は一安心しています。

   私の方はと言えば、恒例の年1回の人間ドックを12日に受診し、大きな問題は見つからず、年齢相応の結果を得ましたが、  実は、一昨年1年間節酒節食したら、体重が4.5kg減り、脂肪肝は消失し血糖値も下がったのです。  しかし、昨年それを止めてみたら、今年はまたぴったり元に戻ってしまったのです!  ですから、今後ふたたび食事や酒の量をおおいに減らして、より健康で長命な体に変えて行くべきか、 それともある程度は好きに飲み食いして、寿命が少々縮んでもよいから楽しく生きて人生を終えるべきかが、 私にとっては大いに悩ましい命題となっています。

 私にとって恒例の5月末からの長期イタリア旅行は、上記のように母の体調が気がかりなので、 今年は残念ながら計画をキャンセルしましたが、 私のイタリアへの 「 想い 」 は断ちがたく、それを綴って駄文を執筆中ですので、 近日それを載せる予定です。
 いつかは また必ずイタリアに行くぞ!!!

4月度(Apr. 30, 2006)

 
 先月も書きましたが、いくら健康で気丈でも 96歳を目前にしてはさすがに弱ってきた老母に、 介護つき有料老人ホームに入って貰う事になりました。 インターネット上でいろいろ勉強したり、あちこちの先輩に話を聞いたり、 既存の施設を見学に行ったりと、先月までとはすっかり違う忙しい毎日を過ごしたのが、この4月でした。  自由に好きに過ごしたと言えるのは、いつもの仲間たちと世田谷界隈の幾つもの公園を訪ねて、 満開の桜を愛でた一日だけでした ( 左の写真 )。 ゴルフすら一度も出来ませんでした。  ですから、こうして書いていても、自分もあまり面白くないし、読む人はもっとつまらなくお思いになることでしょう。

 「 面白くない 」 で思い出しましたが、多忙の中、暇を見て 「 ダ・ヴィンチ・コード 」 を読みました。 これは久しぶりの面白い読み物でした。 もともとはカホルが買ってきて 「 つまらない 」 と言って、少し読んで放り出した本です。  こういう、人の心の動きはほとんど描かず、事実と事件だけが次々に畳みかけてくるという構成は、 女性にとっては関心の湧きにくいものなのかもしれませんね。

   偶然でしょうが、この小説に出てくるフランスやイタリアやスペインの大小の町や建造物の殆どすべてを、 私が最近5年ほどの間に訪れていたことが、私の興味を倍加させたのかも知れませんし、まだ10代の青年の頃、 私はキリスト教の歴史について、沢山の書物を読んでいましたから・・・。

 話は戻りますが、ひと口に老人ホームと言っても、いろいろの種類のものがあることを初めて知りました。  そして同じ種類の中にも、良心的なもの、いい加減なものなど、ピンからキリまであるようです。  差し迫った自分の問題になるまでは、何ごとも真剣に知ろうとしないのが人間というもので、私もその1人でした。
 
 こういう一夜漬けと言われても仕方ないような経過でしたが、知識だけはある程度身につけた段階で、 幸い自宅の近くに良さそうな ( 本当に良いかどうかは入居してしばらくしないと分かりません ) 施設を見つけ、 契約に漕ぎつけたのは4月も末のことでした。

 契約書の身元引受人の欄に署名しながら、「 あと20年もしたら、次はこの私の名前が入居者の欄に書かれるのだろうか・・・。  いや、それまで自分は生きていられるかどうか・・・ 」 などと、冗談ではなく本気で考えていました。

 4年ほど使ったC社のプリンターが不調になってきて、修理を見積もらせたら約1万円との事。  「 本当に元通りに治るのだろうか? 4万円もするけれど最新型の新品を買った方が安全なのでは・・・ 」 と悩みましたが、 環境問題も考慮してもう一度 「 ご老体 」 に頑張ってもらおうと修理を選択しました。 結果は正解で、 購入当初よりむしろ綺麗ではないかと思える最高水準の絵が、安定に得られるようになりました。

 ということなので、4年使って切れ味の落ちてきたシェーバーも、 新品を買うのは止めて網刃と内刃をインターネットで購入して自分で交換したら、新品同様になりました。  人間の体もこうなら素敵なのですが・・・。

 カホルが大事に育てていたアマリリスが美しい花をつけました。  思いのほか花が長もちするのに感心しました ( 右の写真 )。



 
3月度(Mar. 31, 2006)

 
 中旬にカホルと4泊5日の台湾旅行をしてきました。 二人とも台湾は生まれて初めてです。  カホルが長時間は飛行機に乗れない体になってからは、仕方なく私は毎年独りで欧州に個人旅行してきました。  彼女が乗れる飛行距離はハワイが限度ということで、03年と04年にハワイに個人旅行しましたが、今回は更に近い台湾、 しかも、旅行社主催のツアーに参加ということにしました。  おかげで、10年ぶりの、すべてガイド任せの実に気楽な旅でした。

 写真は200枚ほど撮ってきましたが、既に行かれた方も多いでしょうから、 高雄の夜の街の、食い物屋ばかりが並ぶ露天の市場の光景だけを18枚ほど載せます。  それにしても、あの 「 臭豆腐 」 という食い物の悪臭は、物凄いですね。 「 くさや 」 とそっくりの匂いが、 50mくらい先まで強烈に漂ってきます。

 
 3月中旬の台湾は東京の5月くらいの気温という情報でしたが、当時日本にもやってきた異常な寒波のため、 日本の3月並みの気温で、高地では寒さに震えました。 長いこと憧れ続けてきた故宮博物院は、 さすがに素晴らしいものでしたが、ツアーで半日観たくらいで満足できるはずもなく、いつかまた3〜4日、 今度は個人旅行でこのためだけに来ようね・・・ということになりました。

 帰ってきたら、妹夫婦や弟夫婦の世話になりながら、それでも何とか元気に頑張って生きてきた95歳の母が、 さすがにこのところ急に弱ってきて、その対応を考えなくてはならない状態となり、月末は少々あわただしくなりました。  こればかりは殆どの人が一度は向き合わなくてはならぬ 「 家族のさだめ 」 です。  私などは今まで申し訳ないほどほとんど何もせずに済んでいました。

 2月から準備を始め手配中だった5月末からの欧州旅行はキャンセルすることになるでしょうし、 その先も、またいつ行けるようになるかわかりませんが、それはいたし方ありません。  人生最期の日々を生き抜こうとしている老いた母を少しでも多く世話することが何よりも大事です。

 最後に、台湾で書き留めた漢字の企業名を紹介します。 上の5つは発音だけに基くもの、 次の2つは発音だけでなく意味も備えた可口可楽 ( コカコーラ ) に類した訳語、最後のは、 熱狗 ( ホットドッグ ) と同様、全く意味だけに基く訳語ですね。 吉野家は、日本と同じそのままでした。

 
麦當勞 (麦当労)マクドナルド
労力士ローレックス
柯達快コダック
奇士美キスミー(化粧品)
普利司通ブリジストン
全録ゼロックス
養楽多ヤクルト
全家ファミリーマート

                                                                 
2月度(Feb. 28, 2006)

 
 当地では、例年、早咲きの梅の花は1月上旬にほころびはじめるのですが、今年は厳しい寒さが続いたため、 約1カ月遅れました。 家の庭の梅が咲き始めたのは、なんと2月15日のことでした。

 毎年2月に入るとすぐに、私は、初夏の欧州個人旅行のプランの具体化を開始します。  昨年来、暇を見て ( というか、しょっちゅう暇なので ) コツコツと集めておいた資料を基に、フライト、列車、ホテル、 現地企業のバスツアーなどを、EXCELのます目に具体的にはめこんで行きます。  時刻表をいくら調べても乗換えがうまく接続しない周遊コースが、 ためしに逆回りにして見たら順調に1日で回れるのが分かったりして、けっこう愉快です。

 出来上がった日程原案は、これまた探し貯めておいた現地や日本国内のいくつかの旅行業者に送り、 ブラインドの相見積りにかけます。 その時、旅行社側からの改善提案も要請します。  これに対し、海外の現地業者は、わりと積極的に 「 こう変えたら? 」 などと新規提案をしますが、  日本の業者はホテルの代案を出す程度で、ほとんど原案そのままをただ見積もるだけです。 国民性なのか商習慣なのか、 ただ面倒なだけなのか、その辺はよく分かりませんが・・・。

 何度かメール(*)でやり取りのあと、最終決定と発注は3月末くらいになります。 これくらい早めに始めないと、 ハイシーズンの評判のホテルなどはすぐに満杯になってしまうのです。

 話は飛びますが、インターネットで参考になりそうな資料を探していると、 若い女性が一人あるいは二人で、私のようにプランの詳細を決めておくような事もせずに出発し、 時には現地の案内所に飛び込んでホテルを探してもらい、生鮮市場で食料品を買って腹を満たし、 迷いながらも勇敢にバスや電車や船を探して乗り継ぎ、精力的に観光を続けてゆくというような旅行記に幾つも出会います。

 もしご関心があれば その一例をご覧ください 。  感心どころか、時には感動さえするし、その勇気と行動力とが、 なんとも羨ましく、ちょっぴり口惜しい・・・今の私にはもう到底そんな気力も体力もありません。  気楽でちょっぴり贅沢な旅をするための時間とお金が少々余計にあるだけです。 でも、70歳を過ぎた男が、 独りでリュックを背にバスや電車に乗り、南欧の田舎町をゆっくり歩き回る程度の気力と健康は残っているのだから、 まあいいとするか・・・。

 いつまで経ってもちっとも上達しないイタリア語も、今年こそは少しは実際に役に立てたいと考えています。  従来の 「 会話の教科書暗唱一辺倒 」 の学習法を改め、『 しっかり学ぶイタリア語・文法と練習問題 』 という本を買ってきて、 毎日1課を目標に開始した所までは良いのですが、 中学生の頃なら一遍でスラスラと頭に入ったであろう程度の動詞の不規則変化などが、 何度繰り返し覚えても、翌日には殆ど頭に残っていないのです。 本当に情けなくなります

(*):電話だと外国人とは意思疎通が不十分になりますし、お金も掛かります。 手紙の往復だと非常に時間と手間がかかります。  インターネットがなければ知りえなかった海外の業者と、電子メールがあってはじめて、 安価に容易に迅速に交渉ができるようになりました。

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 これも例年のことですが、2月になると 「 確定申告 」 を片付けないとなりません。 作成には非常に手間と時間がかかり憂鬱です。  それでも最終的にお金が戻ってくれば、まだ苦労のし甲斐もあるというものですが、 逆に追加納税などという結果になると、その理由はともかく、つらいばかりです

 少しでも作成の苦労が減ればと考え、昨年からは国税庁のホームページを使い、 パソコンで申告書を作成するようにしましたが、初回の昨年は不慣れもあり、 手で処理するのと大して違わないと思うほど、右往左往しました。

 ところが、2回目の今年は、呆気ないほど簡単に完成し 「 やっぱりパソコンとは便利! 」 と改めて感心しました ( プログラムが改良されたのかな? )。  予期以上に沢山還付されるという結果も出て、その日は終日ご機嫌でした。  そのまま郵送しても良かったのですが、間違いがあると呼び出されるので、 近くに用事があるついでに税務署に立ち寄り、チェックしてもらったところ、 昨年に続き無修正で合格 ( 署員のほうに勘違いがあり、最初は違うといわれましたが、 諦めずに再度確認してもらったところ、私の方に軍配が上がりました )。  来年からはもう、直接郵送で済みそうです。

 最近では、パソコンがあれば、書店、銀行、証券会社、旅行代理店、ホテルなどにわざわざ出かけて行ったり電話を掛けたりしなくても、 用件が80%から時には100%、在宅のまま済ませられます ( こういう時、若い人は 「 済ませれます 」 と言うのか? まさか )。  それどころか、こうして税務署にさえも行かずに済むというこの便利さ!!! 将来足腰が弱くなっても、頭脳と指先さえ健康なら、 何とか暮らして行けそうです。

 今年から、市立の図書館の蔵書の中に、自分が読みたい分野の本としてどのようなものがあるかも、 家にいながらパソコンで調べられるようになりました。 それらの本が現在貸し出されているかどうかも分かるし、 「 あとで借りに行くから貸し出さないでおいて下さい 」 と予約することも出来ます。

   とまあ、いろいろ申しましたが、こういうようなわけで、パソコンを使いこなせる老人とそれができない老人とでは、 これからは、享受できるQOL ( 生活の質 ) の点でますます大きな格差が生じてくるでしょう。  10年前にパソコンを買い、右も左も分からずに歩き出した ( 現在3台目 ) 事は、 今思うと本当に良かったと思います

1月度(Jan. 30, 2006)

 もう2月に入るというのに変なんですが、1月度分の冒頭なのでお許し願って、 明けましておめでとうございます。 このホームページを開設してから、 早いものでちょうど8年になります。 最初の頃のを読み返すと、成長したのか、それとも老化したのか知りませんが、とにかく、 書いている自分自身の頭の中身が多少変化していることがわかります。

 ともあれ、書きたいことは今も一杯あるのです。  ただ、それを書いて発表してしまってよいものかどうか迷うような微妙なテーマのものばかりなので、結局 「 未発表分 」 が溜まる一方です。  なお、ホームページの表紙の写真ですが、今までのものは2002年12月に撮ったものでした。  3年経ち、「 偽装 」 といわれても困るので、今年の1月に撮ったものに変更致しました。

  


 
 7日にはウォーキングの仲間と恒例の正月の七福神めぐり。  今年は浅草周辺でした。 観音様の境内で解散後、老 ( 若なし ) 男女多数で 『 駒形どぜう 』 に押しかけ、 「 どぜう鍋 」 で軽く一杯のつもりが二本、三本・・・。   60年前は東京の中野区でさえ、泥鰌 ( どじょう ) など、近所の小川でいくらでも捕れ、 泥んこになった私が家に持ち帰ると母が料理してくれたことを思い出します。 まさに 「 今は昔 」 です。  この神奈川の端っこの田舎の小都市の田んぼですら、泥鰌なんて、今ではほとんど見かけませんが、 50年位前は泥鰌どころか うなぎ だって沢山捕れ、親父どもが子供たちを前に庭でときどき蒲焼を作ってくれたのだそうです。
 
 今更という感じですが、中旬に伊豆半島を2泊で一回りドライブして来ました。  堂ヶ島では夕日が 凄〜〜〜く 綺麗だったので、たくさん写真に収めました。  ここをクリックすれば、約15分間に撮った数十枚のうちの13枚を時間順にご覧頂けます。  画面には沖の釣り船、ねぐらに帰るカラス、飛行機雲などが小さく写っているものもあります ( 画面を少し上にスクロールしていただくと、 ちょうど画面いっぱいに画が映ると思います )。 稲取では有名な 「 雛の吊るし飾り 」 を観てきました。  東北の酒田市と九州の柳川市にも、同様の吊るし雛の風習があると知りました。
 
 22日には中学生の孫を連れて、新宿の末広亭に行きました。  驚いたことに12時開演なのに、11時半に着いたら、もう100人以上の行列  私たちは幸い坐れたけれど開演前にもう満席なんです。 3年ほど前、妻と上野の鈴本に行った時などは、 広い会場に客が15人くらいしかいなくて、噺家たちが本当に可哀想だったのに・・・変われば変わるものです。

 若い客もだいぶ増えて来ています。  おかしくも何ともないギャグとドタバタ騒ぎだけの 『 お笑い 』 に走る若者ばかりではないことがわかり、ホッと一安心します。  13歳の彼も、数回寄席に行くうちに今は落語の大ファンになってくれました。 私としては、 何か一つささやかな仕事をしたような感じです。 そして、やはり正月に寄席に行くと私自身もそれらしい気分になります。  というわけで、この日も帰りがけに彼を話相手に船橋屋で天ぷらを肴に熱燗を一本また二本・・・。




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このコラムは、もともとはグリンウッドで働く友人たちとそのご家族向けに、私や家族の動静、 日本や特に足柄地域の出来事などをお知らせしようと、97年初めから「近況報告」 という名でEーMAILの形で毎月個人宛てに送っていたものです。 98年2月以降はホームページに切り替え、毎月下旬翌月分に更新してきました。 ところが最近、日本に住むグリンウッドをご存じない方々も多くご覧になるようになってきたので、 同年7月から焦点の当てかた、表現などをを少し変えました

この先です。