私と家族の近況



*あしがらみち*

2015年 前半分:最新は6月度


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6月度 (June 30, 2015)

 月半ばに静岡県の焼津に、行ってきました。 一泊旅行だけでしたらわざわざ焼津まで出かけて行く必要もないのですが、 久しぶりの休養のついでにやりたかった用事の一つが、日本でも最高の蔵元のひとつと言われている 「 磯自慢 」 に立ち寄って、 「 造りたて 」 の日本酒を買って帰ること ( 近隣の酒屋では入手できない銘柄なのです )、 二つ目は有名な 「 魚センター 」 に行って、安くて新鮮な旨い魚をあれこれと買いこむことです。

 幸い、梅雨の真っ最中にもかかわらず、雨に見舞われることもなく、二つの用事を無事果たせました。  隔月に行なっている前立腺と血糖値の定期検査も問題なく済み、今月は2回もあった旧友たちとの会合を楽しみ、 市の一斉美化デーの勤労奉仕をし・・・などしているうちに、なんと今年の前半がもう終わってしまいました。

 20年近く前、長い米国滞在の後、会社を辞めて日本に戻ってきたのは6月下旬の或る日のことでした。  毎年1月に1週間ほど帰国できるだけでしたから、初夏に日本の自宅に戻るのは8年ぶりだったでしょうか。  門をはいると、自宅の庭の一隅に 「 なつつばき 」 の白い花がたくさん咲いていたことが、今も強く印象に残っています。  その樹は今は当時の2倍近くの3m以上に成長し、今年も同じように咲き誇っています。 毎年この花を見るたびに私は、 つらく苦しいことも、楽しく幸せなことも、共にたくさんたくさんあったあの懐かしい米国での日々を思い出さずにはいられません。


 会社を辞めた直後は ( まだ64歳でした )、時たま講演の依頼が舞い込んでくる以外、仕事が突然一切なくなりました。  毎日何でも好きなことをやれるようになった時の解放感は、それは素晴らしいものでした。  当時の私にはやりたいことが山ほどありましたが、誰にも何にも束縛されずにそれを好きな時に好きなだけやれる 「 フリーマン 」 の境遇の快適さは、例えようもないほどのものでした。  当時、自分で作って使っていた名刺が、最近机の引き出しの奥から1枚出てきました。 (住所と電話番号は抹消させていただきました)


 このホームページには現在と将来のことだけを書き、過去の回顧談は書かないという約束でしたが、 久しぶりにまたそれを破ってしまいました。

 最後に、月末に自宅近くで撮ったジャカランダの花です。 中南米原産で、世界中にひろまったこの樹は、 最近は日本でもあちこちで見られるようになりました。


5月度 (June 2, 2015)

 本格的な春の到来とともに、我が家の春の年中行事である 「 スズメバチの巣造り 」 と 「 その駆除 」 が始りました。  5月上旬になると、毎日、日課のように、私は家の周囲を巡視します。  我が家は純和風の造りで、1,2階の長い 「 のき 」 の裏側は化粧軒裏 ( のきうら ) と言われる塗装してない板や角材が露出した構造です。

 家の周囲には成長して大きくなった庭木も多く、花もたくさん咲くので、彼らに好まれる環境らしいのです。   家の周囲には成長して大きくなった庭木も多く、花もたくさん咲くので彼らに好かれる環境らしいのです。  とくにナツハゼの花の蜜は彼らの大好物のようで、大小の蜂が一日中群れ飛んでいます。 毎年、いっそ伐り倒そうか、 いや枝ぶりも良いので残そうかと悩み、結果的には伐らずに残してしまうのです。

 4月下旬にキイロスズメバチが軒裏に巣造りを始めたのが2件。 今年は両方とも2階の軒裏でした。  まだ直径3cmほどの小さな巣に女王蜂1匹きりでしたので、 「マグナムジェット」一発で仕留める事が出来ました。  5月に入るとさらに同様の巣を1件、さらに近所のどこかから庭木の花に飛来したもっと大型のスズメバチを5匹駆除しました。  部屋の閉め切った網戸の網に小さな穴をあけ、そこから数m先の庭木の花にとまった蜂に薬液のジェット噴射を浴びせるという方法ですので、 ちっとも怖いことはありません。

 そうそう、スズメバチの話など、あと回しでよかったのです。 今月は何を措いても、 「 日本酒きき酒師 」 の資格認定試験に合格したことについて、先ず書かなくてはなりません。  受験の動機、試験の内容・結果、日本酒を取り巻く最近の情勢等の詳しいことは、ここを開いて是非ご覧になってください

左の免状はサイズが大きすぎてスキャナーで全面をカバーできませんでした。


 今月21日に、おかげさまでまずまず ( ますますではありません ) 健康で83歳になりましたが、 まさにその日に試験合格の知らせが郵便受けに届き、 頭脳も、鼻や舌も、まだ十分使える状態にある事を証明できて 「 欣快至極 」 というのが実感です。

 誕生日の前日には、現役時代に新商品開発チームの部下だった多くの男女の方々が集まって楽しい夕食会を催してくださいました。  翌週には大学の同じ学科卒の旧友たちが年1回集まる同期会が横浜で開催され、ここにも元気で出席できました。  また、亡父母の墓参を兼ねて、きょうだいとその配偶者たち計6人に私ども夫婦と娘を加えた計9人で、一泊の旅行を致しました。  充実感のある5月を過ごすことが出来、 有難い事でした。

 一方、7日の朝、3台のうち一番頼りにしていたパソコンのハードディスクが突然壊れ、メーカーに送って修理、 その後もろもろのインストールや個人的な設定、バックアップデータの復元などを行って以前と同様に使える状態になったのが15日。  年のせいか結構疲れました。  こういう仕事を一人でやりこなせるのはあと何年でしょう。 パソコンの操作とか車の運転とかは、 何歳になっても ( と言うか、年をとればとるほどますます ) 銀行振込、ネットショッピング、スーパーでの買い物等の際、 必要不可欠な作業なのですが、近い将来いつかはパソコンはできなくなるし、運転はやめなくてはならないのです。

4月度 (Apr. 30, 2015)

 いよいよ春本番になったので、9日から12日に掛けて、前から行きたかった岡山県西部の高梁 ( たかはし ) 市の吹屋 ( ふきや ) の集落を訪ね、一泊してきました。  そのあと、岡山県と広島県の間を走る第3セクターの井原鉄道というローカル電車沿いの、 江戸時代に旧山陽街道沿いに栄えた古い小さな町々を巡ってきました。 いい年をして、1日目の正午から2日目の16時までの間にレンタカーを230kmも走らせました。

 吹屋の町は、岡山駅からは車を飛ばしても2時間近くかかる、だいぶ離れた山間部に在ります。 江戸時代は天領で、金・銀・銅のほか、良質のベンガラ ( 酸化鉄系の赤い顔料 ) の生産地として名高く、明治時代までは幾人もの金満家の豪商も存在した非常に裕福な町だったようですが、 現在はすっかり過疎になった小さな静かな集落です。

 吹屋の小学校は、明治33年に建設され、 現役で使用されている日本最古の小学校校舎として有名でしたが、過疎化のため2012年度限りで廃校となりました。  耐震構造強化のために一旦解体され、元通りの外見に復元した上で重要文化財として保存される予定とのことです。


夜、ライトアップされた吹屋小学校校舎

 昔の豪商のやかた跡には、江戸時代に印刷出版された論語、孟子、貝原益軒の養生訓などの和綴本や、明治初期の福沢諭吉の 「 学問のすすめ 」 の初版本などが1000冊ほども残っており、 他にも色々と珍しい物を目にしました。

 そのあと、岡山市に住む息子一家を訪ね、孫たちと一緒にフェリーで小豆島に行き、一泊して帰ってきました。 とても楽しかったけれど、 この歳になると、やはり3泊4日の強行軍の後は疲れました。

 でも、これに懲りずに、今度は娘に同行してもらって、3人で月末に日帰りのバス旅行に行きました。 行く先は茨城県。 ひたち海浜公園、那珂湊、水戸の偕楽園などを巡って、 ネモフィラ *、チューリップ、つつじなどの美しい花を堪能しました。 二人とも80歳を越え、 早晩こんな短い国内旅行すら出来なくなるだろう・・・今のうちに・・・と精をだして飛び回ったひと月という感じです。

*:ネモフィラはギリシャ語で 「 小さな森を愛する 」 という意味で、森の茂みの中の明るい日だまりに自生することに由来するとか。  和名は瑠璃唐草 ( ルリカラクサ )、英語では Baby Blue Eyes ( 赤ちゃんの碧い瞳 ) だそうで、とにかく、 これだけ沢山群生させた景色は迫力がありました。



広い丘陵地に見渡す限り一面に咲くネモフィラ ( 国営ひたち海浜公園 )



一つ一つはこのように可憐な花でした。 真っ白い花のものもあります。


3月度 (Mar. 31, 2015)

 先月花のことをちょっと書いた時は、自宅の庭にはまだ水仙と梅の花くらいしか咲いていませんでしたが、 近くの山腹に咲く河津桜の花も中旬には満開となり、メジロその他の鳥たちもいっぱい集まってきます ( 写真右 )。  そして自宅の庭には色とりどりのヒヤシンスやツバキや・・・と、数えれば10種ほどの花々が咲き始め、月末には遂に数十本のチューリップまでが咲きそろいました。

 2011年の3月10日に、友人たちが訪ねて来て、約260本ほどが山の中腹に咲く満開の河津桜の花を堪能してお帰りになったのでしたが、その翌日に東北大震災が起きた事を、 今も良く覚えています。 まさにこの世は 「 一寸先は闇 」 です。 しかし先月書いたように、河津桜の花は、深刻な原発災害など全く知らぬかのように、 今年も4年前と何一つ変ることなく咲き誇っています。

 下旬には、交替で車を運転して、伊豆半島東岸の河津のすぐ先にある峰温泉にひと晩泊ってきましたが、勿論、この時期にはもう本場の河津桜は終っていて、かわりにソメイヨシノが、 低い 「 伊豆の山々 」 を背に5分咲きほどになっていました ( 写真下 )。

 そして月末、当家の周辺でも遂にソメイヨシノが満開に・・・まさに 「 年々歳々、花相い似たり 」 ということですね。 


 カホルは左ひざが時々痛くなり、私はまた左肩の痛みが時おり再発しています。 でも、それ以外は何とか無事に元気で暮らしています。  夫婦両名ともが、生活全般を自分だけで普通に処理できる程度に心身とも健康・・・毎日ウォーキングは出来るし、外に出かけては旧友たちとちょくちょく会ったりもする・・・ この80過ぎの年齢になってみると、ささやかなようでも本当に幸運なことだと理解できるのです。

 
2月度 (Feb. 28, 2015)

 「 年々歳々花相似  歳々年々人不同 」( 年々歳々、花相い似たり 歳々年々人同じからず ) という唐の時代に作られた長い漢詩の中の一節があります。  十代の少年のころ、学校で習いましたが、その当時はごく表面的にしか言葉の意味をとらえる事ができませんでした。  所が先日、濡れ縁に腰をおろして例年と全く変わらず咲き始めた庭の白梅や色とりどりの椿の花をじっと眺めている時、ふとこの一節を思い出した今の私は、 本当にこの詩を自分の事のように感じてしまいました。

 解説書には、これは一人の人生の栄枯盛衰、境遇の変化を詠ったように書いてありますが、 私には、古くからの親しい友人たちがつぎつぎに病に倒れ、またこの世を去って行った後に残された自分の心境が詠われているように思えてなりません。

 カホルが今月、満年齢で傘寿を迎えました。 私ども両名、老いはしましたが、今のところ、本当に有難いことに、 ひと様のお世話にならずに何とか毎日を生きる事が出来ています。

 私は3年前の5月に「 8020 ( ハチマルニイマル ) の達成 」 という文章を書きましたが ( 8020とは、 80歳になっても、自分の健康な歯が20本以上在るように努めるという運動です。 健康な自分の歯が20本あれば、なんとか満足な食生活が送れるのだそうです。  私は実際は8026でした )、 カホルは8020どころか8028で、いまだにほとんど虫歯のない28本すべての永久歯が健康な歯ぐきの上に揃っています。

 私ども夫婦は少なくとも最近20年ほど、歯も歯ぐきも痛くなったことなどなく、それでも毎年春には歯科医のところに定期点検と補修清掃 ( もし必要なら ) のために出かけてゆきます。 昨年は、まず私の歯と歯ぐきを調べた歯科医が 「 熊井さんの歯は死ぬまで全部このまま健在でしょう 」 と言いました。 彼が私が何歳まで生きると仮定してそう言ったのか、 聞き落としましたが。 次にカホルが診察してもらったら、歯科医は 「 奥さんの歯と歯ぐきは、ご主人のに輪をかけて立派ですね。  115歳になったら2本くらい抜けるかも知れませんね 」 と言いました。

 幸せなことです。 日頃の 「 適切な手入れ 」 の賜物です。  僅かなお金と強い意志と多少の時間さえあれば、すべての人とは申しませんが、多くの人がこの幸せを得られる筈です・・・でも、 そうなったら日本中で多くの歯科医たちが路頭に迷うかもしれません。

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 もう15年ほど前から、選ばれた上等の日本酒を毎回数種類賞味できる夕食会に、私は毎月1回通っているので、 そこで飲んだ日本酒だけでも、累計300種類ほどになります。 でも、つい2年前くらいまでは、何も考えずにただなんとなく飲んでおしゃべりして帰ってくるだけだったので、 今考えると随分無駄な勿体ない時間を過ごしてしまいました ( この会は、日本酒を味わうことが目的の会ではなかったので )。

 それが、2年ほど前から、急に興味が湧いてきて、自分で選んで買った日本酒を酒温や酒器や肴を変えながら* 毎晩じっくり味わうようになりました。  それまで永らく続けていた白ワイン漁りがバッタリ止みました。 以来、日本中の蔵元の中から 「 これは 」 という酒を種類を選んで買い求めるようになり、 この2年間に味わった日本酒はおよそ100種類くらいになります。

*:これらを変えるたびに、同じ酒なのに香りや味が驚くほど変わります。 毎晩2合ほど飲み続けていますが、幸い肝機能は正常です。

 日本酒は、最近急速に、日本国内でも諸外国でも静かなブームをひき起こしています。 ウィスキーに押されワインに煽られ焼酎に圧倒されて、1970年代前半をピークに、 生産、販売とも衰退の一路をたどってきた日本酒でしたが、最近十数年、先駆的な蔵元の若い意欲的な造り手たちによる製造技術の改善、品質の急速な向上、種類の多様化に伴って、 日本国内はもちろん、海外での和食ブームに乗って世界中の高級な和・洋レストランで食前酒、食中酒として広く供されるようになってきているということをご存知でしょうか。

 それどころか、アジア諸国や北米は勿論、欧州の一部の国々でも、日本の蔵元で修業したガイジンたちが、母国に戻って 「 本物の日本酒 」 を造り始め、 ビジネスを成功させつつあります。 NHKの朝ドラの 「 マッサン 」 みたいな人たちが世界のあちこちで生まれてきているのです。

 というような経緯の中、ふとしたことがきっかけで、今月、生まれて初めて 「 神奈川の酒を楽しむ夕べ 」 という日本酒の催しのために、 わざわざ横浜の大きなホテルまで顔を出すことになりました。 いい年して酔狂な ( 文字通り! )と言われそうですが・・・200人ほどの人が大きな部屋いっぱいに集まり盛会でした。


 感想 : 伝統的な古来の技法も学び直しつつ、上質な 「 本当の日本酒 」 を復活させようという全国的な機運は、本県内13の蔵元にもすでに漲っており、 一部の先駆的な蔵元に 「 続け! 」 とばかりに他の蔵元もそれぞれ真剣に取り組み出した最近の成果が実って、 どの蔵元でも 「 立派 」 な酒が造られるようになって来たと思います。  私の味覚能力が不十分なためでしょうし、各蔵元が皆 「 これぞ 」 という 「 純米吟醸 」 系の自信作ばかりを出品しているためでもありましょうが、本当に違いが分かりにくく、 皆レベルが高くて美味しい。 生意気を申してすみませんが、次は画然と個性の際立つ 「 新しい日本酒 」、この地域で創られる事を期待しています。

 
1月度 (Feb. 2, 2015)

 また新しい年が始まり、そして早くもひと月が終ってしまいました。 お正月には今年も子と孫全員が集まってくれ、私ども2人も何とか健康な様子を見せてやることができました。  私は新年早々、恐らくこれが生涯で最後と思われる 「 人間ドック 」 を受けました。 80歳を越えてもなお人間ドックを年に一回受ける必要があるのか ・・・もう平均寿命も過ぎたことだし、どうせあちこち少しずつ具合が悪いのだし、どこか悪くなったらその都度診てもらえばいい。  それで 「 手遅れ 」 が生じたらいさぎよく最期を迎えればいい・・・そう考えて今回で最後とすることに決めました。

 幸い、今回も大きな問題は見つからず、「 優良健康児 」 ならぬ 「 優良健康老人 」 のようでしたが、一番ショックだったのは身長でした。  65歳くらいまでは若いころと同じ171cmあったのが、その後毎年正確に0.3〜0.4cmずつ低くなってきて、今回遂に166cmほどになってしまったのです。  脊椎やひざが曲がってくる事の他に、脊椎の椎骨 ( 約30個 ) の間にある椎間板が老化に伴い少しずつ薄くなって来るのも理由だそうですが、 それらが積り積って5cmにもなってしまったとは、本当に悲しい現実です。 この調子で進むと、仮に100歳まで生きられたら ( そんなことないか )、 私の身長は160cm程になってしまうという計算になります。

 新しい年を迎えたのだから、何か新しい事に挑戦しようと考え、ある 「 資格 」 を取ろうと一念発起して、少々高い金を払って通信教育を受け始めました。  それが何であるかは、合格したら書きます。 規則的に毎日数時間、テキストを広げて調べ、答えを探して頭をひねる・・・これは久しぶりの新鮮な体験です。  多分、脳トレによるボケ防止が最大の目的という程度のことかもしれませんが、まあ頑張ってみます。

 1月は写真もあまり撮らなかったし、旅行にも行かなかったし、個人的な大きな出来事もなかったし、載せる材料があまりありませんので、これで終わりです。

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このコラムは、もともとはグリンウッドで働く友人たちとそのご家族向けに、私や家族の動静、 日本や特に足柄地域の出来事などをお知らせしようと、97年初めから「近況報告」 という名でEーMAILの形で毎月個人宛てに送っていたものです。 98年2月以降はホームページに切り替え、毎月下旬翌月分に更新してきました。 ところが最近、日本に住むグリンウッドをご存じない方々も多くご覧になるようになってきたので、 同年7月から焦点の当てかた、表現などをを少し変えました


この先です。