私と家族の近況



*あしがらみち*

2016年 後半分:最新は12月度


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12月度 (Dec. 31, 2016)

 いよいよ今年も終りになりますが、幸い、定期的に薬を貰いに行ったり、人間ドックに行ったり、予防注射をしてもらったりする以外は医者に診てもらうような病気をせず・・・ というか、今年は珍しく鼻風邪ひとつひかずに夫婦そろって健康な一年を過ごすことができました。 また、私どもと子たち、孫たちには、幾つかのささやかな幸せはありましたが、 とりたてての不幸はありませんでした。 本当に有難い一年だったと感謝しています。

 それにしても、齢を重ねるごとに一年の経つのがどんどん速くなるような気がしてなりません ( 今年1月に頂いた年賀状にも同じ意味のことを書いている同年代の方が多かった )。  という事で、この2016年も、身辺の整理などがちっともはかどらない中、バタバタと忽ちのうちに過ぎ去って行ってしまいました。

 そしてまた一つ、新しい年を迎えようとしています。 望むことはと言えば、この年もまた、一日一日をコツコツと、元気に健康に、 出来る限り今後もひと様のお世話にならずに暮らして行きたいということです。 今年が皆様にとっても、どうか良いお年でありますように。




今月のウォーキングは164,155歩/31日、平均5,295歩/日でした。 今年元日以降の総歩行距離は756.4kmです。
 先月の末日に宇都宮近辺まで到達した 「 奥州街道の旅 」 は、クリスマスの25日頃、終点の白河の関に着いてしまいました。
 一日5,000歩以上という目標を毎月達成し、今年1年間に、東京日本橋→( 東海道 )→京都三条大橋→( 中山道 )→東京
日本橋 →( 奥州街道 )→福島県白河と歩き、大晦日までには、その後更に20kmほど歩を進めた計算になります。

 江戸時代の奥州街道は、白河の宿で幕府の管轄だった部分は一応終わりなのですが、ここから先、更に、当時奥州諸藩の領主たちの参勤交代の際にも使われた 「 奥州街道 」 が伸びています。  白河⇒須賀川⇒郡山⇒福島⇒仙台⇒一関⇒花巻⇒盛岡⇒野辺地⇒青森と、ほぼ現在の国道4号線沿いに続いて、最後は津軽半島最北部の三厩 ( みんまや ) に達します。  三厩は米国から帰国後すぐ、20年近く前に、カホルと津軽半島一周⇒五能線沿線南下という長旅をしたときに乗ったJR津軽線の終点です。  ちょっぴり 「 最果て 」 という感じのする駅でした。 来年は、仮想の旅ですが、そこまで徒歩で行ってみようというわけです。

11月度 (Nov. 30, 2016)

 紅葉の時期にはタイミングを見計らって時々名所を訪ねていますが、今年はまず自宅からほど遠くない小涌谷の 「 蓬莱園 」 に、 二人で月半ばに車で行ってみました。 ところがなんと、ほとんど赤い色が目に入ってきません。 近くの人に聞いてみたら、最近3年ほどは赤くならないうちに、 どの木も茶色くなって落葉してしまうのだそうです。 温暖化のためか・・・でも、ごく近くの強羅美術館あたりは、TVの報道では美しく紅葉している・・・とすると、 蓬莱園は樹木の手入れが悪いのか、それとも樹々に寿命が来ているのでしょうか?

 そこで、最近知られるようになった奥三河の秘境?の山や滝など計6カ所をめぐる紅葉観光のバスツアーに参加してきました*。  カホルはバスの長旅は嫌だというので、娘を連れて ( 連れられて? ) 行きました。 行程のなかには急な階段の山道を20分程登り、また降りてくる所 ( 右の写真 ) などがあり、 落後して途中で戻って待っていた中高年者も何人もいましたが、最年長の私は何とか歩き切りました。 毎日のウォーキングで足腰を鍛錬していたお蔭でしょうか。  念の為、折り畳み式の杖を持参して本当によかったと思いました。 お目当ての紅葉はさすがに奇麗でした。

*:これはちょっと 「 マニアック 」 なツアーでした。 車がやっと通れるような細い道を行き止まりまで入って行くのです。  行く途中ですら、「 こんな所に集落があるとは・・・ 」 と驚くような所もある僻地です。  以前は旅行会社が 「 昔から有名な観光名所 」 をつないで 「 ・・・をめぐる旅 」 というようなのを組み募集すると、多くの客が集まってきたのだそうですが、 今はもうそれでは集まらない。 一方、物好きな個人が探索して見つけた無名の 「 穴場 」 がSNS等で公表され、話題になると、旅行会社がそのネタを頂戴してツアーに組む。  すると、客が沢山集まるのだそうで、今回のもその一つのようです。

 話は変わりますが、最近、毎日のように高齢者の運転ミスが原因の痛ましい交通事故が報じられています。 私ども夫婦は今年84歳と81歳ですが、 両名とも小型車 ( 3年前までは3,000ccの普通車でしたが、さすがに小型車に替えました ) を運転して、近くを毎日のように走っています。

 思いだすと、私達が70歳になるかならない頃、近所の80歳を超えた元気なご老人が軽自動車で毎日走り回っているのを見て、 「 危ないね。大丈夫なのかね 」 といつも心配していたものでした ( 現在はもう亡くなられている )。  ところが、自分たちがその年齢になってみると、自分では何の不安も感じずに運転しているのです。  周囲の人たちからは、今の私達も多分、「 危ないね。そろそろ免許証を返上したらどうなのかね 」 などと噂されていることでしょう。

 月半ばに大学の同期会があり出席したら、毎月のように海外旅行をしているという、仲間うちでは心身とも一番元気で健康だと思われている友人 ( 勿論私と同年齢 ) が、前日、 駐車場でアクセルとブレーキを踏み間違えて塀と看板に激突し、幸い自分にも同乗者にも全く怪我はなかったものの、車は大破したと話していました。  それを聞いたとたんに、「 矢張り自分も危ないのだ 」 と、はっきりと観念せざるを得ませんでした。

 と言っても都心に住んでいるのならともかく、こんな地方小都市の外れの方に住んでいたら、路線バスも1時間に1本あるかないかですし、タクシーの数も最近はメッキリ減ったし、 自家用車を持たなかったら、買い物帰りに重い荷物を持って坂道をのぼることも出来ません。 つまり、車なしには買い物ひとつ出来ないし、医者にも行けないのです。

 でも、ある日他人さまに危害を加えるような仕儀になったら・・・と思うと、これからどうしたらよいのだろうと悩むばかりです。 取りあえず、「 薄暮や夜間は運転しない 」、 「 朝夕の小学生の通学時間も運転を控える 」、「 車での買い物は午前10時から午後2時くらいの間に済ませる 」 ということにし、 外出時は可能な限り徒歩、バス、あるいはタクシーを利用することにしました。

今月は164,054歩/30日、平均5,468歩/日でした。 元日以降の歩行距離は1,143.5km。  先月の末日に
無事日本橋に戻ってきたので今月からは奥州街道を歩いた気になるつもりです。 この街道も江戸時代に整備された
五街道の一つで、 江戸日本橋を起点として千住から陸奥白川(福島県白河市)までの27宿です。 距離は320.5km
ですから来年1月中には白川に着くことでしょう。  今月30日には、宇都宮の少し手前あたりに到着した計算になります。


10月度 (Oct. 31, 2016)

 米国駐在時代に一緒に働いていたN氏から先日メールが届き、以前から探してくれと私が頼んでいた銀杏 ( イチョウ ) の樹が2本見つかったと、写真を添えて知らせてきました。  1990年ごろ、日本の工場の中央道路の両側の美しい銀杏並木の銀杏を、是非米国工場の敷地に育ててみたいと私は考え、許可なき植物の種子の持ち込みは本来違法なのですが、 秋に採れたギンナンの実を、日本への出張の帰途、こっそり米国に持ち帰りました。

 それを自宅の裏庭に埋めたのですが、たちまち沢山のリスが来て掘り返して全部食べられてしまい失敗。 ギンナンの実のあの臭気が彼らを呼び寄せたのでしょうか。  翌年は、植木鉢に埋めて、室内の窓際に置き、発芽後は夫婦で大事に育てました。 30cm位まで育った細い苗木を工場敷地に数本植えたのは1993年ころだったと思います。 それからもう20年以上も経って、このように大きくなっているのが今回ようやく見つかったのです 工場の増築などがあったので、 大分離れた所に移植されていていたようですが、秋になって葉が一部黄色くなったので、運よく見つかったそうです。

 私が米国を去った1996年にはせいぜい私の背の高さ程度だったのが、写真で見ると一方はもう恐らく6〜7mにはなっていて、カホルと共に、その成長ぶりに驚き、感激しました。

 狭いこの日本では、銀杏は、街路樹でも庭木でも、通行の邪魔にならぬよう、横に張り出した枝はすべて剪定され、多くは縦長の樹形となっています。  しかし、米国工場のこの広大な敷地 ( ゴルフ場3個分以上の広さ ) に植えられた銀杏は、他の樹に邪魔されることもなくのびのびと横にも枝を張り、 本来の自然な樹形に育っていることに気づきます。

 ついでながら、銀杏は英語で GINKGO と言います。 銀杏は中国安徽省原産だそうで、 イチョウ科の植物は中生代から新生代にかけて世界的に繁茂し、世界各地 ( 日本では山口県や北海道 ) で化石が出土していますが、  氷河期にほぼ絶滅し、現在のイチョウは唯一現存する種です。  イチョウが欧州では既に絶滅していたため、欧州から来た学者がこれを知らず、「 あれはなんという樹か 」 と訊ねました。 問われた日本人が銀杏をなぜかギンキョウと音よみして、 筆記体小文字で ginkyo と手で書いたころ、字が下手だったのか、筆記体の y の字が筆記体の g と読み間違えられたのが原因だろうというのが、私が中学生時代にある雑誌で読んだ説です。

 イチョウの木には雄と雌があります。 雄花から出て風媒により受粉した花粉は、雌花の胚珠端部の花粉室に数ヶ月保持され、その間に胚珠は直径約2cm程度に肥大し、 花粉内では数個の精子が作られます。 9〜10月頃、精子は放出され、花粉室から造卵器に泳いで入り、ここで受精が完了します。  1896年にこの事実を発見したのは日本人の学者平瀬作五郎氏でした。 以前、東京の小石川植物園で、そのゆかりの雌樹を見た記憶があります。  私が米国に植えたこの2本は、果たして雄雌各1本でしょうか。 一方しかないとギンナンが生りません。


                     

 主に若者たちに愛用されている LINE という、韓国発祥の無料のコミュニケーション・アプリがあります。 先日、この株式が日本で新規上場されるにあたり、 買わないかと誘われました。 結局買いませんでしたが、事業内容をいろいろと調査検討しているうちにLINEというものに興味がわき、 孫に手ほどきを受けて我々夫婦のスマホにこのアプリを導入してみました。

 その後、入門書を買ってきて勉強しながら、子供たちや孫たちとひとつの 「 グループ 」 を作り、ワイワイと遊んでみましたが、齢のせいでしょうが、 余り人に話しかける話題もない私にとっては、まあ 「 ほどほどの面白さ 」 という所です。 たった6人の、それも親子3代の仲間ですから、話の種もそう沢山あるわけでもなく、 従って通信頻度も少ないのですが、これがもし一日中頻繁に掛かって来るような状況で、いちいち見ては応答するとしたら、何も定職や勤務がない私でさえ、 落ち着いて仕事や考え事ができないことでしょう。 便利で安価な交流手段なのでしょうが、結局は 「 誰とどういう風に使うのか次第 」 という事でしょう。  でもまあ、面白い体験でした。

今月は164,946歩/31日、平均5,320歩/日でした。 元日以降の歩行距離は1,036.9km。 今月の模擬街道旅が
中山道伝いに群馬、埼玉を抜け、荒川を渡って都内に入り、志村、板橋、巣鴨、本郷を通って神田に到着となったのが30日。
 31日に午後歩き始めてすぐにめでたく日本橋に着いた勘定になります。 10月中に日本橋帰還という目標を辛くも達成です。
 元旦に旅に出て以来、ちょうど10カか月で江戸⇒(東海道)⇒京都⇒(中山道)⇒江戸とグルリ一周したことになります。
 さて、来月からはどこを歩こうか・・・


9月度 (Sept. 30, 2016)

 先月の中ごろに、訪ねてきた孫達と一緒に家の近くを散歩した時が、あちこちの田んぼで、丁度稲穂に花が咲き始めた頃でした。  所が、今年、当地方では、あの頃からずっと雨天が続いているようです。  この調子では、稲の実 ( つまり米粒 ) が太る大事な時期の日照が不足して、大変な不作になるのでは・・・と思い、 ネットで過去の天気の記録 ( 横浜市 ) を調べたら下の表のようで、今年が特に異常でもないようです。  この季節は台風シーズンでもあり、毎日が雨続きというのは、今年に限ったことではないようですね。 とは言うものの、当地では今年は9月11日から24日まで、 14日間連続で太陽が顔を見せなかったので、特に印象が強かったようです。 雨量が多かった各地で災害が頻発した今年、是非全国的な不作の年にだけはならないように。

横浜市  8/15〜31   9/1〜21 
晴〜薄曇  曇〜雨 晴〜薄曇  曇〜雨
2014年 9      8 8     13
2015年 5     12 5     16
2016年 4     13 7     14

上の表の日数で曇〜雨の中には、終日曇、曇時々雨、終日雨の他、ごく少数の雨のち晴、晴のち雨も含む。

 20年間使い続けた冷蔵庫の機能の一部が壊れたので、遂に買い替えました。 家庭用冷蔵庫は普通なら10年くらいの寿命なのに、よくもってくれました。  家電製品のうち、24時間×365日点けっぱなしで働き続けなのは、冷蔵庫だけですから、大したものです。

 これを機に、最近6年以内に新規購入した当家の電機・機械製品*の生産国はどこなのだろうと調べてみたら、結果は驚くべきものでした。  電子レンジとインクジェットプリンターがタイ製、FAX/電話機とブルーレイ/DVDレコーダーがマレーシア製、あとはトースター、パン焼き器、オーブントースター、冷蔵庫大小各1台、小型扇風機、洗濯機、 スマホ、ノートパソコン2台、充電式小型掃除機、ラジカセ、目覚まし時計、携帯用電子辞書、それとエアコン1台がすべて中国製!で、 ブランド、設計はみな日本の著名な会社ですが ( 例外:パソコンは台湾、スマホは米国、トースターはフランスの会社のブランド、設計・・・但しこれらも全て製造は中国 )、 製造国は日本ではありません

 小型乗用車、普通サイズ掃除機と スプリングドライブの腕時計の僅か3点だけが辛うじて日本製でした。 これでは7年前 ( 2009年 ) に中国が日本を追い越してGNP世界第2位になったのも当然です。  それにしても、日本人がこれほどまでに 「 物作りの現場 」 から離れてしまって良いものでしょうか?

*:20年前に米国から帰ってきた時、何もかもすべて一斉に買い揃えなくてはなりませんでした。 それが、10数〜20年くらい使った後、 寿命が来て次々に壊れだしたので、最近5〜6年はこんなに沢山、次から次へと買う破目になりました。

 私ども夫婦が米国で暮らしていた20数年前、米国の専門店、スーパーに並ぶ商品は、家電製品に限らず、衣類、日用雑貨に至るまで、( 食料品を除き ) 多くが日本を含むアジア諸国 ( 中、韓、ベトナム、フィリピンなど・・・その頃、中国はまだ多数派ではなく one of them でした ) で作られ輸入された品物であること、またその事を庶民たちが異常だとも困ったとも何とも思っていなかったことに、とても驚きました。  フォードの自動車工場を見学した時も、働いているロボットは全部日本製でした。 首都ワシントンでもアトランタでも、地下鉄の車両は既にすべて日本製でした。  一方、当時日本国内で売られ使われていた品物は、一部を除き殆どが日本製だったように思います。

 時代は変わって日本は今、20数年前の米国の状況に近づいてきています。 ただ、米国は当時から IT産業 ( Information Technology industry ) に力を入れていて、 この分野では当時も今も引き続き世界で覇を唱えています。 ところが、現在の日本はどうかというと、「 これこそは今後も日本でしか作れない。  日本品のシェアは断トツの世界一だ 」 という巨大産業、主要製品が次第に減ってきているのではないでしょうか。  しかも、それらの生産拠点の多くが日本から出て行ってしまっているのです。

 17日には、自宅の近くの演奏会場で開かれた音楽会で、H氏のピアノ演奏を聴きました。 私より5歳下の79歳ですが、ショパンの 「 アンダンテスピアナートと 華麗なる大ポロネーズ(op22)」 という15分もの難曲 * を、暗譜で堂々と華麗に弾きこなしたその頭脳、技量、情熱の若々しさ、体型も歩き方も話し方も全く老いを感じさせない様子に、 改めて感服しました。

 日頃の節制、研鑽、錬磨は恐らく尋常なものではないのでしょう。 もともと、音楽大学でピアのを専攻した人からさえ 「 敵わない 」 と言われたという噂もあるほどの腕前でしたし、 大学時代には交響楽団の指揮者もしていたそうですが、音楽家にはならず、京大工学部を出て富士フイルムで研究開発に従事し、役員にまでなった人です。  私だけでなく、同年代の老人聴衆たちを大いに鼓舞したと思います。

*:この曲は 「 全音ピアノピース 」 の分類によると、クラシックピアノ曲全体の中での演奏のF難度 ( 上級の上 ) に属するそうです ( 体操競技みたいですね )。  別の分類でも、28段階の27番目という最難度のクラスに入っています。

 今月は155,030歩/30日、平均5,168歩/日でした。 元日以降の延べ歩行距離は 929.69km
 私の模擬街道旅は京都で折り返した後、中山道づたいに、江戸に向かって歩くこと約435km、いよいよ
  関東平野に入り、高崎宿の次の 倉賀野宿のあたりです。 10月末にはお江戸日本橋に着けるかどうか。


8月度 (Aug. 31, 2016)

 毎年1回、夫婦で続けてきた 「 人間ドック 」 の受診・・・いつも、「 もう今回限りにしようね 」 と言いながら、終わるとまた来年のを申し込んでしまう・・・ というような状況を10年以上も続けてきました。

 幸い、2人共、過去に一度も大きな問題点が見つかることもなく30年以上も米国、その後は日本で、年1回人間ドックを受け続けてきましたが、 今度という今度こそは、もうこれを最後にしようと堅く申し合わせ、今月、「 人生最後の人間ドック 」 を受けました。

 今回もまた、両名とも何も異常は見つからなかったようでしたが、今後は、ドックを受けなかったがために発見が遅れて、それが原因で死ぬことになっても、「 もういいじゃないか。  夫婦そろって80年以上も元気に生きて来られたんだから・・・ 」 と考えようと、漸く決心出来たというわけです。  人間ドックなんて一度も受けたことがないという 「 のんびり派 」 の人たちが聞いたら、「 なんと大袈裟な・・・ 」 と仰ることでしょうが。

 主治医に 「 まだまだ先が長いよ 」 と毎回のようにからかわれるほど、2人とも、「 各部品の調子 」 や 「 測定数値 」 はどれもまずまず良好なのですが、それでも最近は 「 腰が痛い 」 、「 膝が痛い 」、 「 疲れた 」 などという言葉が毎日のように口から出て、「 数年前までは今では考えられないほど元気だったよねェ 」 と、 70歳代の頃の元気さが、他人事のように思い出されるのです。

 実際、昨年までは、夏には子や孫達に会いに遠方までこちらから出掛け、しかも訪ねる前に2日ほど、泊まりがけで近くの観光名所を2人でレンタカーで回るというほど元気だったのに、 今年はもうそんな体力・気力がなくなり、夏休みには子や孫たちを自宅に呼んで泊まらせることになりました。  でも、考えてみると、盆・正月はこのスタイルが世の中では一般的なんですね。

 日課のウォーキングの話ですが、「 暑さを避けてなるべく昼間は歩かず、夕食後夜道を歩くようにしている 」 と主治医に話したら、 不測の場合に備えて迷子札のようなものを携えて歩いたらどうかと言われて、成程この齢ではそう言われても・・・と思いつつも、そこまで心配されると少々ショックでした。  私にとって、ウォーキングはもう半分義務感みたいなもので、先の台風9号が関東を襲った時だって、傘をさしてウォーキングした程なのですが ( この地域 ( 関東の西端 ) は、風雨は東部よりずっと穏やかでしたから )。

 そこで苦肉の策として、暑い日や雨の日は昼間、車で近くのショッピングセンターやスーパーのような所に出掛け、広い構内の通路を数十分速足で歩きまわることにしました。  あまり大きな声で言える話ではありませんが、冷房が利いているので熱中症の心配は全くありません。  たまにですが 「 お仲間? 」 らしき人も見かけます。 申し訳に、いずれは買わなくてはならない小さな品をひとつ二つ買い、ご勘弁してもらいます。  お蔭?で、どこの店のどのあたりで何を売っているかという知識が、非常に豊かになりつつあります。

 今月は159,630歩/31日、平均5,149歩/日でした。 元日以降の延べ歩行距離は 828.82km
 私の模擬街道旅は京都で折り返した後、中山道づたいに、江戸に向かって歩くこと約335km、現在は
長野県も下諏訪をとっくに過ぎて、 佐久のあたりにさしかかり、あと一息で群馬県に入るという計算です。


7月度 (July 31, 2016)

 2016年も足早に半分が過ぎて、このホームページも半年ごとの改ページの作業を迎えました。 私は地域の夏祭りの会計 ( と購買 ) の役目を引き受けたので、 勘定してみたら、今月は月の半分の15日、長時間ではありませんが、なんらかの仕事で飛び回っていました。 その夏祭りも、その後始末 ( 決算書類の作成 ) も、 月末には無事終わり、熱射病にもならず、この84歳の男は元気で月末を迎えられました。

 話は変わりますが、10年近く使ってきたインクジェットプリンターが、壊れたというわけではありませんが、機能不全が幾つも現れてきて ( 何だか、後期高齢者の我が身のようです )、遂に買い替えの決心がつきました。 この種のプリンターの寿命は、通常3〜5年と言われています*ので、 よくぞもってくれたと感謝の気持ちです。

*:インクジェットプリンターのメーカーのサポート期限についての国の指導は、2004年以降の機種では生産終了後5年とされています。  これ以降はメーカーは修理部品を持たなくてよいことになっていますから、発売直後のモデルを購入したとしても、( 毎年ニューモデルが出されるので 1年後に生産中止 ) 約6年使ったら、 不具合が生じた場合にはもう買い換えるしかないという事です。 事実、私も今回お別れした機種を6年ほど使った頃、整備依頼をした際には 「 お断り 」 されました。

 致しかたなく、最新の機種を買いに量販店に行きましたが、今はあと数カ月でニューモデルが出る時期 ( 毎年9月ごろに改良型新機種が出される ) なので、 最新モデルが、なんと発売当時の半値近くに値下がりして売られていました。 こんな精密高品質でハイテクの最高級新鋭機が、たった1万数千円で買えてしまったのです!!  一瞬、毎日遅くまで夢中で働いている ( と思われる ) メーカーの技術者たちが気の毒に思えましたが、 消耗品のインクについては、原価のおそらく10倍以上で売ってボロ儲けしていると思われるので、プリンター事業全体としては十分何とかなっているのだろう・・・などと、 つい昔の職業の癖が出て、あれこれ考えた一日でした。

 それにしても、庭の花をスマホで撮った写真の画像情報を、その場から無線で2階にあるプリンターに飛ばすと、 部屋に戻った時には既に美しいプリントが出来あがっているという 「 技術の進歩 」 には驚きました。

 季節を迎えて庭は美しい花でいっぱいですが、今年は門の前にもサンパラソルを沢山咲かせてみました。 これから秋にかけて、長いこと通行人の眼を楽しませてくれる事でしょう。

                     

 今月は暑さが主因で昼間は歩けず、162,061歩/31日 平均5,227歩/日でした。 元日以降の延べ
歩行距離は 725.06km  中山道づたいに、江戸に向かって歩くこと約231km、 現在は岐阜県から長野県に入り、
妻籠(ツマゴ)の宿を過ぎて三留野(ミドノ)から野尻の宿場のあたりに差し掛かっている勘定です。 目下の所順調に進行中。


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このコラムは、もともとはグリンウッドで働く友人たちとそのご家族向けに、私や家族の動静、 日本や特に足柄地域の出来事などをお知らせしようと、97年初めから「近況報告」 という名でEーMAILの形で毎月個人宛てに送っていたものです。 98年2月以降はホームページに切り替え、毎月下旬翌月分に更新してきました。 ところが最近、日本に住むグリンウッドをご存じない方々も多くご覧になるようになってきたので、 同年7月から焦点の当てかた、表現などをを少し変えました


この先です。