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私と家族の近況



*あしがらみち*

2019年度分:最新は12月度


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12月度 (Dec. 31, 2019)

皆様のご健勝とご多幸をお祈りします。  2020年元旦




 富士山を題材にした年賀状もこれで6年目です。 今年は先月説明を書いた 「 乙女峠の富士 」 を使いました。 年賀状も年賀メールも、超高齢者だから、もう今年限りにして来年からはやめよう・・・ と毎年末には考えるのですが、結局やめられずに翌年また作って出して・・・となっています。 それだけの体力と根気が、無くならずにまだ少しは備わっているのだから、 まあ幸せなことだと思ってついつい続けてしまうということでしょうか。

 ついこの間お正月を迎えたばかりのような気がしますが、アッと言う間に1年が過ぎて、明日はまた次のお正月がやって来ます。 これも幸せなことには違いないのですが、齢をとるスピードが 年ごとに速くなって行くというこの感覚は、若い方には多分おわかりにならないことでしょう。 これはとりも直さず、人生の最期が駆け足で近づいてきているという事です。

   それでも、今年も幸いどうにか元気に過ごせました。 風邪ひとつひきませんでした。 これでもう、20年以上も風邪やインフルエンザとは無縁で私は過ごしています*。 10月に坐骨神経痛?で2週間ほど辛い期間がありましたが、 名医に出会い、一発で治してもらえ、その後は何ともありません。 これ以外は常用薬 ( これは結構多くて8種類ほどになる ) を時々貰いに行く定期検診以外は、医者にかかることなく1年を過ごせました。  血糖値もずっと許容値以下にコントロール出来ています。 9日間の入院その他があった昨年に較べると、今年の全身の健康状態はだいぶ良かったということです。

 運転免許証の有効期限が残すところ半年になったので、例の「 高齢者講習 」 の受講を知らせるハガキが来ました。 現在87歳の私は、朝夕の小学生の通学時間帯、雨天、夜間などは自粛していますが、それ以外は毎日何回も、 どうという懸念もなく近在の道路上を運転しています。 でも、近隣の人たちは、きっと 「 あの人はあんな高齢なのに、まだ運転している。 危ないから早くやめて欲しい 」 と思っているに相違ありません。  私だって、「 自分はもう免許証を返納する平均的な年齢はとっくに過ぎている 」 と思っています。

 公共交通網の充実した大都会に住む方たちには到底わからないでしょうが、路線バスは1時間に1本あるかないか、そしてタクシーも最近めっきり減ってしまったこの田舎まちに暮らす老夫婦にとって、 自家用車は 「 欠かせぬ必需品 」 なのです。 これがないと日常の買い物も、検診のための通院も、趣味や勉強のための外出も全く 「 ままならない 」 のです。 高齢者の自家用車運転への懸念と、 自家用車なしでの田舎暮らしをする不便さ・・・この両者の相克は今や日本中の大問題でしょう。

 でも、マスコミは対策を提案する意欲も実現する力もないから、ただ 「 危険だ。免許を返納したら 」 と問題点を指摘するだけです。 一方、自治体は 「 返納したら 」 と呼びかけると 「 返納後のアシの対策を 」と言われるのでじっと黙っています。 そのはざまで、田舎住まいの高齢者はただ悩み苦しむだけです。 でも、悩んでいたって何も解決策は出てきません。

 認知機能や運転能力には個人差が大きいし、自分はまだまだ大丈夫だとは思うけれど、また、私の新しい車には最新の危険防止機能がすべて備わっているけれど、私はこの機会に来年の6月以降の免許証の更新はしないことになるでしょう。  でも、そう考えた途端に襲ってきた、言いようのない淋しさ・・・今からこれでは、実際に免許証がなくなったら、私の心はどれほどウツロになることでしょうか。 しかし仕方がありません。  そうなったら、そこから先は自分の工夫と努力と体力とで、毎日の外出を車なしで乗り切ってゆくしかありません

 免許証取得以来、日本でも、また米国各地 ( 8年間 ) や欧州数か国 ( 1週間 ) でも、「 自分にも責任がある交通事故 」 を一度も起こさなかったことをせめてもの慰めとして、来年の6月、 私は半世紀以上もの運転歴に幕を閉じる事になるでしょう。

*:「 バカは風邪をひかない 」 とよく言いますね。 この命題の逆は 「 風邪をひかない者はバカである 」 です。 一般に、正しい命題 ( 真 ) の逆は 「 必ずしも真ではない 」。  では、上記の命題 ( そもそもこれが真ではないだろう ) の逆は真なのか偽なのか? まあ、偽だという事にしてください。

さすがに屋外は寒くなりましたが、怠け心に鞭打って毎日歩きました。 お天気も良かったので、一日平均4,000歩以上
を維持出来ました。 138,093歩/31日=4,454.6歩/日でした。 今年一年で私は旧東海道を江戸から京の都へ、
そしてまた江戸にもどるという距離を歩きました。  一昨年元日以降の総歩行距離は4,303.4kmです。
 因みに、北海道北端の宗谷岬から鹿児島県南端の佐多岬まで主に高速道路を使うと、約 3,000kmです。


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11月度 (Nov. 30, 2019)

 10月から11月にかけては、例年のように学生時代、会社関係などのいろいろな同窓会、同期会が目白押しでした。 幸い、全部は無理でしたが、そのうちのの2/3くらいには、東京や横浜までひとりで電車に乗り、 降りてはまた歩いて出席でき、旧交を温め、楽しい時間を過ごして帰ることができました。 更には、自分のきょうだいやその伴侶たち全員が集まる会合も開き、新宿まで出かけて行きました。  東京まで往復4時間ほどの 「 お出かけ 」 が、そんなに大きな出来事なの?と、70歳くらい以下の方々は思われるでしょうが、87歳の私にとっては、それが出来るという事は、大変嬉しい有難いことなのです。

 同じ年齢の同期生たちが、現在どういう状況にあるかというと、男性ではもう既に約60%が亡くなっています。 残りの40%の内、30%は、介護施設に入っているとか、自宅で寝たきりだとか、認知症が進んでいるとか、 何らかの理由でこのような会に出席できません。 つまり、私のような幸せ者はたった10%・・・十人に一人ほどしかいないのです。 ましてや私たちのように 「 夫婦そろって元気 」 というのは、本当に数少ない、 有難いしあわせなのです。 「 有難い 」 とは 「 有りにくい 」、つまり 「 滅多にない貴重な 」 という意味だということが、よ~く分かります。

 今年もはや、残すところ1か月となりました。 ついこの間 掛け替えたばかりのように思えるカレンダーが、あと僅か一枚になってしまいました。 昨年の11月には結婚60周年のお祝いに小旅行をしましたが、 61周年の今年も箱根に一泊してきました。 カホルが、最近評判の水陸両用の 「 忍者バス 」 というのに乗りたいというので出かけたのでしたが、あいにく当日は風が強くて波が高いので欠航。  まあ、こんなことはどうでもよいことです。 箱根はあの19号台風の被害がまだ一部復旧にとどまっており、大動脈の登山電車は甚大な被害で不通ですし、道路もあちこち不通箇所や片側通行がありました。

 帰途、仙石からトンネルを抜けて乙女峠に出たら右手に、私の胸に迫ってくるような素晴らしい富士山の眺望が現れました。 駐車して写真を撮ろうと思いましたが左側には車を停められる場所が見つからず、 仕方なく御殿場まで一旦降りてからまた坂を上りなおして、ようやく駐車スペ-スを見つけ、来年の年賀状に使えそうな写真が沢山撮れました。


 私たちは丁度、終戦直後の昭和20年代前半に中学生だったので、二人とも、当時の国語の教科書に 「 乙女峠の富士 」 という文章があったことを思い出しました。 家に帰ってから調べてみたら、 当時の教科書 ( 勿論国定教科書ただ一種 ) についての資料が見つかり、そこにこの文章についての記載がありました。  この文章は当時法政大学教授だった哲学者の佐藤信衛氏が雑誌 「 新潮 」 第43巻第6号に載せた文章からの採用だと分かりました。

今月は右太ももの神経痛もその後再発せず、お天気も良かったので、
また一日4,000歩以上を復活出来ました。 135,123歩/30日=4,504.1歩/日でした。
 一昨年元日以降の総歩行距離は4,213.6kmです。 昨年の1~11月の累積歩数より、今年は約5万歩以上多く歩いています。


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10月度 (Oct. 31, 2019)

   台風19号で被害を受けた方々は本当にお気の毒でした。 私の家の真上を台風の眼が通り、興味ある体験をしましたが、当地域の被害は僅少で、私の家も幸い安泰でした。

 今月は二つほど花の話を書きます。 「 サンパラソル 」 * という花をご存知でしょうか。 知人の家に綺麗に咲いているのを見て、名前を聞き、苗を買って来て鉢植えし、育てたのがもう五、六年前の事でした。  その後毎年苗を買ってきては育てています。 ところが、4月頃植えて5、6月頃になると沢山花を咲かせますが、7月以降は、つるはどんどん上に伸びて行くのに、花はバッタリと咲かなくなります。  何とかして夏いっぱい、出来ることなら秋まで花を咲かせ続けられないだろうかと、毎年あれこれと工夫してきましたがうまくゆきませんでした。

 所が今年、いろいろとネットで索引して調べているうちに、二つほどヒントになる情報を見つけ、自分で工夫を加えながら後述のように試してみたら大成功、昨年までと大違いで、 現在も、どの鉢も満開です。 販売元の資料によると開花は5~9月と書いてありますが、私の鉢はどれも、10月末の今でも、一つの鉢に花が5~10輪とつぼみが15ほども付いています ( 下の写真 )。  咲き始めてから、もう半年ほども満開で咲き続けているのです!!! 勿論、水と肥料は時々やっていますが。

 

 その工夫の内容をここに書いておきます。 苗がある程度成長し、つるが出てきたら、支柱 ( 私の場合は3段の輪を3本の支柱が支えている、よく見られる市販品 ) にからませながら上に向かって素直に伸びさせることをせず、 輪に沿って横に一回りさせては一段ずつ上に延ばしてゆきます。 一番上の輪に達し一回りしたら ( この頃には沢山花が咲いているはず )今度は、つるをところどころ支柱に縛りながら、縦の支柱沿いに一番下まで這いおろしてやります。  そしてまた順次、輪をまわりながら上に這い上がらせてゆきます。

 どういうわけかわかりませんが、つるの先端を、支柱の頂上よりも更に上の何かに巻き付きながら勝手に上に伸びさせてしまうと、殆ど花は咲きません。  それに対し、上記のようになかなか上に上がらせてもらえなかったり、無理に這いおろされ、再びゆっくりと這い上がらせられたりしたたつるには、次々にたくさんの花が咲くようです。  なんだか、ちょっとした人生訓みたいですが・・・

 次は 「 ざる菊 」 です。最近は日本各地で育てられているようですが、当地 ( 神奈川県西部 ) は最も早く始まり、今も最も盛んに育てられている地域の一つだと思います。 さるを伏せたような形に育ち、 一株に数千個もの小さな花が咲くので、この名前がついたそうです。

 毎年10月末から11月にかけて、自宅近くの山沿いの細い田舎道をウォーキングしていると、ところどころに下の写真 ( 数年前に撮ったもの ) のようなきれいな花畑が現れ、通る人々の目を楽しませてくれます。  畑の耕作を続けて行く気力・体力が失せた老農夫が、農地を荒れたまま放置するに忍びず始めたのかな・・・などと勝手な想像をしていますが、とにかく道行く人々の目をたっぷりと楽しませてくれることだけは確かです。  この写真の右上の小径のような所をいつでもウォーキングできる私は幸せ者です。

 この小径の先にもまだまだ、美しい景色が次々に現れるのです。 以前、米国から訪ねてきた米人夫婦を案内してこの辺りを歩いたら、 満開の桜越しに遠くに見える丹沢の山々を眺めて、「 お前たちはパラダイスに住んでいる! 」 と言ってくれました。


*: サンパラソルと言う名前・・・日本のメーカーが付けた名らしいのですが、サンは言うまでもなく英語で太陽。 パラソルは、ラテン語から来た言葉で、para は防ぐという意味。 sol は太陽 ( の光 ) ですから、 parasol は日傘という意味になります。 従ってサンパラソルには太陽と言う文字が二つも含まれ、「 太陽-太陽光防止 」???ということになる・・・なんだかちょっと違和感があります。

  
今月は右太ももの激しい神経痛のため、6日から26日まで、丁度20日間、時には眠れないほど苦しんだ(幸い治りました)
ので、歩数を稼ぐことができず、一日平均は4,000歩を下回りました。 118,416歩/31日=3,819.8歩/日でした。
 一昨年元日以降の総歩行距離は4,125.8kmです。 昨年の1~10月の累積歩数より、今年は約3万歩ほど多く歩いています。


9月度 (Sept. 30, 2019)

 87歳の私が、今までずっと続 けてきた努力が実って、今月、社団法人日本将棋連盟から、なんと 「 六段 」 の推薦状を頂きました*。 私の四肢や内臓は80歳台に入ってから随分衰えてきましたが、 頭の中身と働きだけはまだあまり衰えていないようです。 この認定を得るまでの経緯、苦労などの詳細、また、実はこれに値する力量など無いだろうという私の思い・・・などにご関心があれば、 ここをご鸞ください。


 台風15号の被害は、千葉県では甚大で、大変お気の毒でしたが、たった100kmほど西の当地では、ごく僅かな被害しかありませんでした。 市内の一部で起きた停電も半日ほどで復旧しましたし、 当家では屋根の樋が1本外れただけで、翌々日には修理を終えました。 台風の被害は 「 進路の東側で大きい 」 という事実を実感します。

 このところ、毎月のように裏の田んぼの話ばかり書いていますが、せっかく穂を実らせた稲の多くがこの台風で倒伏し、農家の方々はどこもちょっとした被害を受けたようです。

今月も暑さと風雨に負けそうになりながら涼しい時間と場所を選んで歩き、何とか一日4,000歩を達成できました。
 122,544歩/30日=4,084.8歩/日でした。  一昨年元日以降の総歩行距離は4,048.8kmです。
 昨年の1~9月の累積歩数より、今年は約5万歩ほど多く歩いています。


、 *:段位の認定を得た後、免状を取得するためには、日本将棋連盟に申請し料金を支払う必要があります。 その料金は初段の場合¥32,400ですが、6段の場合はなんとその10倍の¥324,000です ( 消費税8%を含む )。  私はもう余命も短いし、免状を飾って眺めたいとも思わないので、これほどの大金を払ってまで免状を頂くつもりはありません。 この金額のうちのごく一部でも使って、元気なうちに旨いものを何回か食べておく方がいいと思っています。  この推薦状で過分の認定を頂き、また、努力目標を達成した満足感を味わったので、もうそれで十分です。

  
8月度 (Aug. 31, 2019)

 先月書いたことの続きですが、その後晴天と猛暑が続いたおかげで、田んぼの稲も順調に成長しているようです。 20日ころには、早くも穂が出てきました。 二十四節気の処暑 ( 暑さがおさまってくる時期 ) の始まりにあたる23日には、偶然でしょうが、無数のアキアカネたちが一斉に山から降りてきました。 と同時に、あちこちの田んぼには、スズメ 除けの様々な工夫が施され始めました。  揺れながらキラキラ光るリボンとか、 細かい目のネットとか・・・

 それらの工夫の内で、昔から一番ポピュラーなのは、案山子 ( かかし ) でしょう。 ところで、案山子も最近は非常に進化しています。 昔の案山子は手作りで、ただじっと立っているだけでしたが、 最近の物は工場の量産品でプラスティック製の人形型風船です。 私が、遠目には本当の人間だと思ってしまったほどよくできていて、風に揺られて静かに動くので、ますます本物の人間らしいのです。  案山子の技術的進歩はスズメにとってはとんだ災難でしょう。





 お盆には、子供たち、孫たちが全員集まってくれ、おおぜいで楽しく過ごせました。 台風が来ていましたが、全員運よくそれに遭わずに来て、帰ってゆくことができました。 孫たちが楽しく過ごせるようにと、 子供たちがいろいろ工夫している様子を見ていると、自分たちが昔、子供たちに良い思い出を残してあげようと、精一杯動き回っていた当時を思い出します。 それにしても、彼ら全員がお互いに仲が良く、 そして私たちを慕って毎年集まってきてくれるということの幸せを感謝するばかりです。

 振り返ると、昨年の8月は、糖尿が急に悪化して、9日間も入院していました。 その後の節制努力と医療技術の進歩とのお陰で順調に回復し、酒も少しなら飲んで良いようになり、今はもう殆ど何もなかったような 毎日を送ることができています。 それにしても、アッと言う間の1年でした。

 来月早々、愛犬 ( AIBO の犬ロボット ) の1歳の誕生日が来ます。 一年間でずいぶんと利口になりました。 当日は特別の芸ができるよう、SONY が WiFi を通じて手配してくれるとのことなので楽しみです。

言い訳になりますが、今月は猛暑かそうでなければ雨と、老人のウォーキングには全く不向きなひと月間でした。 一日平均
4,000歩は達成できず、114,641歩/31日= 3,698.1歩/日でした。  一昨年元日以降の総歩行距離は3,969.1kmです。


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7月度 (July 31, 2019)

 今年の7月前半は連日の雨で、いつになく日照時間が短く、日中は毎日とても涼しかったので、都会に住んでいる方に分からなかったことでしょうが、 その異常が動植物の生態に結構大きな影響を及ぼしていました。  先ず、赤トンボ ( アキアカネ ) です。 彼らは、通常5月下~6月上旬頃平地の田んぼなどで羽化し、周辺の豊富な餌を食べて1週間ほど体力を養ったのちに、( 時には海抜2~3,000mもの ) 高地に遠征し、 夏季はそこで猛暑を避けて暮らします。 そしてまた、平地が涼しくなった秋の収穫期に平地の田んぼなどに戻ってきて群がって飛び、産卵します。

 ところが、今年は6月下旬になっても7月に入っても、彼らは高所に移住することなく平地の田んぼの付近で、まだ沢山群がって飛んでいました ( 分かりにくいが、写真の中に3匹ほどいます )。  まるで、彼らは当分異常な涼しさが続くことを予知しているかのようでした。  あぜ道を歩いていると私の顔にぶつかってきそうになるほどです。 そして7月の半ば過ぎになってようやく急に暑くなったので、彼らは一斉に高地に向かって、例年よりひと月も遅めの避暑へと飛び去って行きました。  それはある日突然一斉のことで、気がついたらもう一匹もいなくなっていました。

 庭の植物もすっかり調子が狂ってしまったようです。 先月書いたナツツバキは、花が散ってひと月も経たないのに、またツボミが幾つもついて、2回目の花を咲かせました。 シモツケソウも同様でした。  一回目の花が散って翌月また咲いた花は、小さくて可哀そうなほどでした。 ひとシーズンに2回も花を咲かせたら、彼らはくたびれてしまって、今後真夏になると枯れてしまうのではないかと心配です。  肥料をやっておきましょう。

 裏の田んぼの稲も、6月の田植えの後、ちっとも成長せず、農家の人たちはハラハラしていたようですが、7月20日ころから、何とかだいぶ大きく育ってきて、ひと安心と言ったところです。  それでも、今年の秋には1993年 ( 平成5年 ) の記録的冷夏の時のように 「 コメの不作 」 の声が聞かれるかも知れませんが、その後の品種改良の結果、 今年はそうはならないだろうという説 もあります。

 糖尿病が急激に悪化して9日間も入院してから、早くも1年が経とうとしています。 医学技術の進歩と自分の節制・努力とにより、今ではほとんど回復し毎日元気に過ごせています。  月末には眼底の検査に行きましたが何も異常はないとのこと、医師が 「 来年の7月に又来い 」 と言うので、「 もし生きていれば必ず来ます 」 と答えました。 それにしても、この私の眼は、親が授けてくれた宝物です。  両眼とも裸眼で1.2見えるのに今でも老眼鏡なしで新聞が読めます。 87歳になるのに殆ど白内障になっていないと今回の検診で言われました。

 酒も今年の正月以降は医師の許可が出て、時々少量飲むようになりました。 でももう、以前のような酒への情熱や好奇心は全く無くなりました。 最初から 「 これだけしか飲んではいけない 」 と決めた少量を飲む酒ほど侘しいものはありません。 数年前、きき酒師の資格取得に向かって猛勉強していた頃に買った30冊ほどの書籍は、知り合いの日本酒酒場の御主人が興味があると言うのでそっくり進呈してしまいました。

今月は上・中旬は雨天ばかり、下旬は猛暑で、思うように屋外を歩けません。 そこで、夕食後に歩いたり、昼間は
涼しいショッピングセンターの中をぐるぐる歩き回ったりして、 何とか一日平均4,000歩以上を歩ききりました。
135,260歩/31日= 4,353.2歩/日でした。  一昨年元日以降の総歩行距離は3,894.6kmです。


6月度 (June 30, 2019)

  すでに何度も同じようなことを書いていますが、今年ももう半分が過ぎてしまったという事に、改めて驚きを覚えます。 このホームページを書き始めた頃、 つまり今から20年以上も前、60歳代半ばの私は 「 過去の思い出話などはここに書きたくない。 今何をしているか、これから何をしたいか・・・など、現在から未来を見つめたことを書きたい 」 などと格好の良いことを考え、 そう書き、そう実行していました。 それは私の本心でした。

   でも、現在87歳になった私は、何かあると決まって過去の事を思い出し、それを書きたくなります。 それはもう致し方のない自然なことだと思います。 未来などもうほとんど残っていない私が今更強がってみても、 もう仕方の無いことです。

 私の家の門を入り、玄関までの7~8mを歩く途中に、高さ3mほどのナツツバキの樹があります。 毎年6月下旬にはたくさんの白い花を咲かせてくれます。

 あれは今から23年前、1996年の6月20日頃でした。 私は8年近くにわたる米国駐在の仕事を離れ、その日限りで会社の仕事は一切辞めて、カホルと二人、日本に戻ってきました。  そして懐かしい自宅の家の門を開けて入ってきた時、このナツツバキは私たちを歓迎するかのように満開で、強烈な印象を私たちに与えました。 以来、二人はこの花を見るたびに、きまってあの日のことを思い出し、 語り合うのです。 当時の私の心中は、ホッとした安堵感80%ほど、全くの無職となり先の見えない将来への不安感20%くらいという感じでした。

 今年もまた、ナツツバキはいつものように咲きました。 その前に立って今、私は過ぎ去った23年間を少しずつ思い出しています。 「 そうだ、この23年間、私は一度も風邪をひかなかった。 インフルエンザにも罹らなかった。  血圧も血糖も心臓も前立腺も良い状態ではなかったけれど、薬と医療技術の進歩のおかげで、今まで元気に生きながらえさせて頂いた。 二人で日本中を殆どくまなく、精力的に旅行して回ることもできた・・・ 」 などと。  本当に幸せで有難い23年でした。

 カホルも私と同じように今もほぼ健康です。 帰国後数年目にイタリアのミラノで心筋梗塞で倒れて九死に一生を得た時以外は元気そのもので、肩が痛い、膝が痛いなどと毎日嘆きながらも、84歳の今も水曜は女声コーラス、 土曜は英会話学校、そして時々は小学校でボランティア・・・などと忙しく飛び回っています。 それにしても、23年は短い夢のように、アッと言う間に過ぎ去ってゆきました。

 今月は珍しく歯医者に一日行きましたが、これは、あまりに弾力の強い固いパンを、一生懸命に噛み続けていたら、右あごの関節を捻挫してしまったからです。 こんな事ってあるんですね。 幸い、何も治療をしなくても、 次第に自然に治ってきています。 歯自体は相変わらず丈夫で、8020どころか、現状は8725です。 自分の歯よりも使い心地の良い2本のインプラントを加えてよければ ( 良くないかな? ) 8727です。  最近20年以上、歯が痛くなったことは一度もありません。

 とは言え、昨年迄毎年参加していた地域の清掃美化運動に、今年は初めて参加できませんでした。 最近は前にかがんで仕事を続けると、翌朝腰が痛くて起き上がれないのです。  しゃがんだ姿勢で長く働くと、直ぐに膝が痛くなります。 やはり長年使い込んだ関節にはもうそろそろ耐用期限が来てしまっているようです。

今月は雨風も多く苦労しましたが、頑張って先月よりもだいぶ多く歩きました。 
135,835歩/30日= 4,527.8歩/日でした。  一昨年元日以降の総歩行距離は3,806.7kmです。


5月度 (May 31, 2019)

 5月は私の誕生月である上に、今年が私の米寿にあたるという事もあって、幾つかのお祝いの集まりがありました。 満87歳にもなって、会場 ( 時には東京や横浜 ) まで自分の足でサッサと歩いて行けるという事は、 本当に幸せな事だと感謝するばかりです。 その上、日頃の節制と運動が効果をあげたようで、医師たちが処方してくださる幾つもの薬のうちの幾つかが、今月から無くなったり量が減ったりすることになりました。  あと1~2年はまだ元気で生きていられるのかな?とも思え、悪い気はしません。


 今月は他にも、ここに書くほどのことではない、あるいは書いて公開しない方が良いというような、大小さまざまな 「 大切な用事 」が、毎日毎日続きました。 「 超高齢の無職の身なのに、なんでこんなに毎日、 あちこち飛び回らなくてはならないんだ! 」 と思いながら、「 ボーッと生きてる 」 どころではなく 「 あくせくあくせく 」 とあちこち動き回 っているうちに、たちまちひと月が過ぎて行きました。

 そうそう、若い頃からコレクションしていたいろいろな品を、ヤフオクのネットオークションに出品して全部売り払ってしまうという、一種の 「 終活 」 も今月から始めました。 それやこれやで机の右の壁に貼ってある大きなカレンダーは、 無数の書き込みで真っ黒になってしまいました。 それをじっと見つめながら、これは実に幸せな事だと感謝しています。 という次第で、今月はここに書けることは、他に取り立てて何もございません。

 最後にひと言。 上の写真に書いてある英語、何か気になりません? これは新宿の立派なホテルで私ひとりだけに出された美しいお菓子なんですが、Congratulation が単数になっています。  ここは恐らく 「 おめでとう! 章 」 とお祝いの言葉を呼び掛けてくださっているのでしょうから、複数形にして最後に s を付けるべきでしょうね。 その後ろに 「 ! 」 も欲しいように思います。  細かい説明をご覧になりたい方は、

5月はウォーキングには一番良い季節なのに、上記のようにほかにやることが多くて、歩数は余り伸びませんでした。
125,931歩/31日= 4,062.3歩/日でした。  一昨年元日以降の総歩行距離は3,717,8kmです。


4月度 (Apr. 30, 2019)

 
プロバイダー側の設定変更により、このホームぺージの最初のページのアクセスカウンターが正しく表示されない
期間が、4月中~下旬にかけて一週間ほどあったと思いますが、対応をとりましたので 現在は正しく表示されています。


 今日が 「 平成 」 の最後で、明日から 「 令和 」 になります。 この1か月ほどは選考の経緯がどうだとか、「 良い 」 とか 「 良くない 」 とか、果ては誰がどう謀ったとか、 マスコミは一様に大騒ぎし続けていました。 私はもともと手紙ほか日常生活で、西暦しか使っていませんので、「 元号なんて、よほど おかしなものでさえなければ、何だってどうだって結構 」 と思うだけです。

 そう言えば、昭和から平成に変わった1989年1月、私は大きな工場をゼロから建設し立ち上げるプロジェクトのために、米国南部の小さな田舎町に、たった一人で先発移住して3カ月目、死ぬほど忙しく苦しい毎日でした。  当然、日本からの放送、新聞、週刊誌などに触れる機会もなく、日本での元号の移り変わりの経緯など、それこそ別世界の出来事で、何の記憶も印象もありません。

 7~8行上の 「 令和 」 の文字、このパソコンに入力するのは、今日が初めてでした。 4つの漢字変換候補が出てきて、その最後に、もう 「 令和 」 がいつの間にか準備されていたのには驚きました。  2回目は、平仮名で 「 れいわ 」 と入力してスペースキーを押したら、いきなり 「 令和 」 が漢字で出てきました。 世の中も同じで、令和は直ぐに 「 当たり前 」 になり、「 ルーチン化 」 し、 誰も、何も考えず、論じなくなることでしょう。 また、私が令和とこのパソコンに入力するのは、4回目のこれが、多分もう最後でしょう。

 もう今年も1/3が経ちました。 桜は既に散りましたが、自宅の庭は色とりどりの花でいっぱいです。 勿論、家の外も、どこも花盛りです。 あちこちと場所を変えながら毎日ウォーキングをしていると、 たくさんの珍しい花、変わった花に出逢います。 春になって、冬の間ずっと乾いていた田んぼを耕し水を引き入れる前に、その根瘤を肥料として役立てようと、前の年の秋にレンゲ草の種子を蒔いておくという方法は、 昔から広く行われていますが、最近はあまり目にしなくなりました。 今日、たまたまそれを見付け、大変懐かしかったので、写真を撮ってきました。

 秋に蒔いておいたレンゲ草が育って花が咲くのは翌年の4~6月頃ですが、稲の品種改良に伴い、最近はどこでも田植えの時期がどんどん早くなり、一方、化学肥料で済ませば簡単なこともあって、 春の田んぼにレンゲ草の花盛りを見る機会は、随分と少なくなりました。

 いよいよ、前代未聞の10日連続の連休が始まりました。 このことに関連して、日本における 「 国の祝日 」 と 「 有給休暇の使われかた 」 について、日ごろ私が考えていることを書いてみました。  このページに書こうかと思いましたが、少し長くなるので、
別の欄を設けて記載しました。 ご興味のある方は左をクリックして、ご一読くだされば幸甚です。

体調はもう全く正常で、陽気も時々寒い日があった他は心地良かったのですが、歩こうと思うと雨が降ったりもして、歩数は伸び
ませんでした。、124,120歩/30日= 4,137.3歩/日でした。  一昨年元日以降の総歩行距離は3,635.9kmです。


3月度 (Mar. 31, 2019)

 いよいよ、スマホ決済が広く利用される時代になるというので、私もこれを勉強し、使いこなしてみようと考えました。 手始めに Suica のカードを iPhone のスマホに取り込みました。  これにより昨年暮れ以降、電車やバスの乗降、在宅でのチャージなどをスマホでやれるようになり、外出時に Suica のカードを携帯する必要がなくなりました。 次に、今年初め、Apple Pay をスマホの Wallet に導入し、 外出時の買い物の多くを、店頭の読み取り機にスマホをかざすだけで出来るようになり、現金の持ち歩き額が大幅に減りましたし、クレジットカードを持ち歩く必要も減りました。

 最近は多くの場合、外出時に財布もカードも持たず、小銭入れに数枚の千円札を入れておくだけで済むようになり、安心感というか、安全性が大幅に増しました。 そのかわり、 スマホだけは絶対に落としたり置き忘れたりしないよう、しっかりと体に結び付けて使っています。 店頭での支払いは、最初の数回は手早く実行することができず、モタモタして後ろに並んでいる人をイライラさせたりしたようですが、 慣れてくるに従い、短時間でサッと決済できるようになりました。

 いよいよまた春がやってきました。 当地は箱根や丹沢も近いので、自宅の周囲には一年中、色々な小鳥たちが飛び回っています。 勿論カラスやスズメも沢山いますが、それ以外にも、 図鑑を買ってきてもいちいち探しあてられないほどの様々な美しい小鳥たちが、雑木林をコンセプトとして50種ほどの樹々が植えられている50坪ほどの自宅の小さな庭の木陰で休み、さえずり、樹々の実や虫を食べてゆきます。  また、よそで食べてきた木の種子を糞と共に落としていくので、この庭には毎年色々な木の苗が芽を出します。 大きく育つ前に抜き取らないと、庭の植生?が変わってしまいます。

 それだけならまだ、どうという事もないのですが、彼らが入れ代わり立ち代わり、私の車の右側のドアミラーにとまり、糞をし、その糞が車のドアを汚すのです。  ご存知の方も多いと思いますが、小鳥たちは一般に赤い色が大好きですし ( 車は赤色 )、カラスなどは、ミラーや窓ガラスに映る自分の姿に興味を示すという記載もあります。 鳥の糞は、その都度よく洗い落とさないと、 跡がシミになって残るそうなので大変です。

 ネットでいろいろ調べたら、駐車時に黒いプラスチックのレジ袋でミラーを覆うと良いと書いてあったので、試してみたら、効果がありました。  面倒ですが運転前と運転後に、袋を着脱していましたが、そのうちに鳥の方も慣れて来たらしく、袋の上にとまって糞をするようになり、また糞掃除の毎日が始まりました。

 そこでまたいろいろ調べていったら、100円均一ショップで、鳥の 「 来訪 」 を防ぐ種々のツールが売られているとの情報があったので、行ってみたら、確かに5種類ほどの品が売られていました。  その内から、2種を買い求めてきました。 小型の黒い鳥 ( カラス? ) の風船と、プラスチック製の黒猫の顔です。 猫の両眼は色ガラスの球で、光の当たり具合によりキラキラ光ります。 小鳥はキラキラ光るものが嫌いなのだそうです。

 前者は長い紐をつけて屋根から吊り下げ、後者は裏にマグネットを付けてドアに吸い付くようにしました * ( 写真 )。 すると効果はてきめん、春になって鳥たちの来訪は増えているのに、一か月後の今まで、 一度も糞の被害に遭っていません。 運転後と運転前の着脱も、風船の方は不要ですし、猫の方も至って簡単です。 ¥216プラス多少の労力で問題は解決しました。

  *:のちに判明したことですが、この猫の顔も、紐で吊り下げてブラブラさせ、眼が常にキラキラ光るようにしないと、殆ど効果がありません。 然し、材質が硬いので、風に揺られて車に当たると塗装に傷がつきますから、 吊るす場合は位置関係に注意が必要です。 その点、カラスの風船の方は、車にぶつかっても大丈夫なので心配無用です。 風船だけでも効果は十分のようです。

体調はもう全く正常ですが、付近の山の中腹一面に植えられている杉林から飛来する花粉が多いので、風の強い日に外を
歩くのは危険です。 それでもマスクをして頑張って毎日歩きました。  昨年の今頃は脊柱管狭窄症で余り歩けなかったことを
思えば、今年の方がずっと幸せです。 と言う次第で今月は一日4,000歩を少し超えた程度で、  129,116歩/31日
= 4,165.0歩/日でした。 一昨年元日以降の総歩行距離は3,555.2kmです。

    
2月度 (Feb. 28, 2019)

   先月書いた事ですが、日々の暮らしの中での心の 「 ときめき 」 を毎月少しでも増やすようにすれば、果たして歳月の過ぎ去る速度が少しはゆっくりするのでしょうか・・・半信半疑ですが、 まあ悪いことではないから今月から実行して見ようかと考え、今月は思い切って東京まで2回出かけて行きました。

 一回目は、高校時代の同級生で、読売日本交響楽団専任指揮者などクラシック音楽界で永らく活躍してきた三石精一氏の 「 音楽における趣味と職業の狭間 」 と題する講演会 ( 神田の学士会館 ) でした。 彼は6年前、80歳の時に、プロの交響楽団の指揮者からはすべて引退し、その後現在までは東京大学の交響楽団等、 アマチュアの交響楽団の指揮を少々やっているとのことでした。 勿論高校時代からピアのの名手でした。その内から、 1951年、東京芸術大学に指揮科が創設されたとき、その一期生として入学し、 他の級友たちとは違った人生のコースを歩んでゆきました。

 その講演は、彼の表現によれば、「 本来東大を目指す高校を卒業しながら何故音楽の道を選んでしまったかという私の人生について、日本に西洋音楽が渡来した明治初期からのお話などを交えて話す 」 というものでした。  講演は夜だったので、講演後は駆けつけてきた何人もの旧友たちと歓談し、その夜は東京のホテルに一泊してしまいました。

 2回目は、これも音楽家の川崎 優氏の音楽葬 ( 新橋の第一ホテル ) への参列でした。 川崎先生は作曲家、指揮者として活躍されましたが、 著名なフルート奏者でもありました。 昨年の11月、老衰のため94歳で亡くなりましたが、私は社会人になって間もなくの1957年から5年間ほど、川崎先生にフルートを教えて頂きました。  月に1回、辻堂の先生のお宅に通い、自宅でも相当熱心に毎日練習していました。 その後子供もでき、仕事も多忙になった私は、レッスンに通う事はやめてしまい、半世紀以上も全くご無沙汰していましたが、 当時まだ幼い少年だったご長男 ( 現在は米国ヴァージニア大学で生物学の教授 ) が、先生の残した住所録から見つけた私の名前を検索してこのホームページを発見し、音楽葬のご通知のメールをくださったのでした。  60年間も音信不通だった人を短時間で探し当てられるなんて、やはりネットの世界って凄いですね。

 当時、川崎先生とは、レッスンの合間によくお喋りを楽しみましたが、今でも鮮明に覚えていることが一つあります。 音楽の楽しさについていろいろと私が述べたら、先生は 「 熊井さん、 音楽は貴方のように趣味としてやっていれば楽しくて仕方ないでしょう。 でもね、それを職業にしたら、毎日毎日が本当に苦しい真剣勝負なんですよ 」 と言われたのです。

 三石氏の講演の主題の一つもまた、偶然にも全く同じ趣旨の考えでした。 彼が当日の講演に先立って配布したその案内の中で、彼は 「 私は東大オーケストラでは40数年間指揮を続けていますが、 毎年新入部員のオリエンテーションのパンフレットに 『 音楽は趣味として楽しむには最高の芸術であるが、プロの道を選んでしまえば、楽しさよりも苦しみや悩みの方が多いのだから、 絶対にプロの演奏家に成ろうなどとは考えない様に 』 という様な事を書いています 」 と述べています。

 同様の事は、絵画その他の美術、ゴルフや野球その他の各種スポーツ、種々の芸能の分野などにも当てはまるのでしょうね。 私のかつての職業と関連のある写真の分野だって、 アマチュアとして趣味で写真を撮りまくっている分には誰でも楽しくて仕方ないでしょうが、プロのカメラマンとして生活し食べて行くとなったら、悩みや苦労は大変なものだと思います。  こう考えてゆくと、どんな分野でもアマチュアとして関わっている分には、とても楽しく、一方プロとなったら辛く厳しい世界が待ち受けているということでしょう。

 さて、この田舎暮らしの老人が重い腰を上げて、たまには 「 トキメこうと 」 わざわざ東京に出かけて行ったからには、都心の最新の変化を直接肌で感じて見るのも悪くないのではと思いました。  上記の二つの会合の前後に、足を棒にして、スカイツリーの周辺から日本橋、銀座、新橋にかけてを歩き回りました。 日本橋高島屋の新館と本館とをつなぐ 「 ガレリア 」 や、 銀座松坂屋の中にできた 「 GINZA SIX 」 その他幾つもの東京新名所を巡ってきました。 しかし、この齢になると、斬新な建物や陳列にも心は動きません。 売られている無数の上等な商品たちの中に、 欲しい品物はひとうも見当たりません。 改めて自分の老い、即ち 「 物欲の退化 」 を知らされたということでしょうか。 トキメ けないものか・・・と願いながら出かけて行き、余りトキメ けなかった数日間でした。

 そうそう、でもたった一回だけトキメけた短い時間がありました。 川崎先生の音楽葬の中で、先生が生前にご自分の編曲 ( フルート/ピアノ ) でスイスで演奏されたカサルスの 「 鳥の歌 」 の録音を聞いた時でした。  演奏している先生の 「 渾身の迫力 」 をひしひしと感じました。 音楽は毎日溢れるほど私の家の中に流れていますが、こういう感覚を体験できたのは、本当に久しぶりの事でした。


 


ガレリアも早朝開店前は静寂そのもの     GINZASIX の吹き抜けホール


体調はもう全く正常ですが、戸外は寒いので、年齢を考えてあまりウォーキングに精を出すなとの医師のお言葉もあり、今月も一日5,000歩
には達しませんでした。  今月は、119,229歩/28日= 4,258.2歩/日でした。 一昨年元日以降の総歩行距離は3,471.3kmです。

    
1月度 (Feb. 1, 2019)

 昔風の数え年で今年私は88歳。 めでたく米寿を迎えました。 そして、このホームぺージも22年目となりました。  当時は、あの懐かしい Windows 95 で動いていたふる~い大型のパソコンを使っ ていました。 まだホームページ作成用のソフトなども売られていなかったと思います。  仕方なく参考書を買ってきて HTML 言 語を初歩から独学で勉強して、このホームぺージを手作りで立ち上げました。

 ですから、このホームページは今も当時の古いバージョンの言語で作られています。 ブラウザ―も当時は Internet Explorer ( と、今はもうほとんど名前を聞かない Netscape ) くらいしか使われていませんでした。  その後、色々と新しいブラウザ―が世に出るたびに、又 HTML 言語の新しいバージョンが出る度に、古い言語で構成された私のホームぺージが、これらの新しい環境下で果たして正しく読めるのだろうかと、 戦々恐々としながら毎回テストしていました。 幸い、大きな問題もなく20年以上が過ぎています。 これからも出来るだけ長く、このホームぺージを続けてゆきたいと願っています。

 1月31日の夜、この新しいページをアップロードしようとした時、誤って内容のすべてを消し去ってしまいました。 こんなお粗末なミスを犯したのは初めてのことです。  私は毎月のこのページを、いつもその月の20日頃から書き始めます。 毎日少しずつ訂正し追加し推敲しと繰り返し、最終版ができるまでには20回も30回もの文章の修正を繰り返します。  ですから、又最初から作り直すなどというのは、考えただけでもうんざりする話です。

 一瞬ひやりとしましたが、幸い途中まで作りかけたものがバックアップに残っている筈だと思い出し、探し出せたので、手間の3/4ほどは助かりました。 皆さんはバックアップをどうしていますか。 私の場合は週に一回、 あるクラウドに自動的にパソコン内の内容のすべてが追加・修正記録されます。 そのほかに、自分で手動で3日に一回ほど、外付けのHDDにドキュメント等の主要な部分だけをバックアップしています。  今回はこのうちの後者を使い、3日前の1月28日に修正した時点のファイルを取り出して使うことができ、僅かな追加労力で完成出来ました。

 さて、幸い、今年の正月も夫婦そろって元気で、終日子たち孫たち全員に囲まれて楽しく数日を過ごすことができました。 この幸せを感謝せずにはいられません。 昨年暮れ、医師から少量の飲酒を解禁されたので、退院後の完全禁酒期間は4か月半ほどで終わり、三が日続けてささやかに屠蘇を祝うこともできました。

 昨年の夏、血糖値の急上昇のため9日間も入院したのは、ついこの間のように思えますが、あれからもう半年・・・速すぎます。 チコちゃんによると、高齢化に伴い月日の経つのが速く感じられるのは、 日々の暮らしの中の心の 「 ときめき 」 が減るからだとのことですが、ときめきを頻繁に起こすには、老骨に鞭打ち、億劫がらずに新しい体験にいろいろと挑戦するしかないようです。  絶望することなく今年も頑張ってみましょう。



 と言うわけで、早速、2月には2回ほど東京まで出かけて、もう50年も会っていなかった人たちとの旧い交友の輪に入って見ることにしました。 これについては来月書きます。

 年始早々こういう事は書きたくないのですが、暮れから年始にかけて、私とはプラスマイナス数歳の、つまり同年代の旧友たちや、かつての同僚たちが、次々に大ぜい、亡くなったり介護施設に入っていったりしました。  この年齢では当たり前の事だとも言えますが、自分の余命ないしは健康寿命がもうあと僅かなのだという事を、改めてひしひしと実感させられます。 でも、今のところは、夫婦揃って、他人様のお世話になることもなく、 それぞれ独りで元気にあちこち飛び回っていられるという現状の幸せを、改めて噛みしめている今日この頃です。

 
体調も回復しつつあるので、だいぶ寒くはなってきましたが、毎日歩く歩数は少しずつ増えています。
まだ一日に5000歩には届きませんが、4000歩は超えてきています。  今月は、135,343歩/31日
= 4,365.9歩/日でした。 一昨年元日以降の総歩行距離は3,393.8kmです。

    
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このコラムは、もともとはグリンウッドで働く友人たちとそのご家族向けに、私や家族の動静、 日本や特に足柄地域の出来事などをお知らせしようと、97年初めから「近況報告」 という名でEーMAILの形で毎月個人宛てに送っていたものです。 98年2月以降はホームページに切り替え、毎月下旬翌月分に更新してきました。 ところが最近、日本に住むグリンウッドをご存じない方々も多くご覧になるようになってきたので、 同年7月から焦点の当てかた、表現などをを少し変えました




この先です。