私と家族の近況
私と家族の近況

*あしがらみち*

2010年 前半分:最新は6月度



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6月度

 上旬から中旬にかけて、カホルがまだ行った事がないという山陰地方に、10泊11日の長い旅行してきました。 そのうち8日間は小さな車を借り、2人で計800kmあまりを走らせました。 松江 ( 3日滞在 ) を起点に、松江市内、宍道湖周辺、伯耆大山中腹、足立美術館とっとり花回廊、出雲大社とその周辺などを観光し、その後、温泉津 ( ゆのつ ) 温泉、石見銀山、津和野、萩、さらに 青海島 ( おおみじま )、角島 ( つのしま ) をまわって下関に着き、最後は海峡を越えて小倉に出てから帰ってきました。 主な写真は ここをクリック して頂くとご覧になれます。

 

左:宍道湖畔の 「 松江フォーゲルパーク 」 にて  右:伯耆大山に近い 「 とっとり花回廊 」 にて

 運の良い事に関東は雨が多かったこの期間、半日を除きすべて晴または曇でした。 上記のどの町でもみな 「 旧き良き美 」 がしっかり残されており、「 新たな美 」 も立派に創られていて、ゆったりした豊かな時間を享受できました。 足立美術館は、かねてから是非行きたかった所ですが、その収蔵品の数と質に改めて驚嘆しました。 裸一貫から身をおこし一代で成した財でこれらを蒐め、美術館を創設した上に、世界一とも言われる素晴らしい 日本庭園 まで作ってしまった 足立全康 なるお方については、ただただ 「 不思議な人 」 としか形容しようがありません。

 唯一残念でならなかったのは、打ち上げられた無数の漂着ゴミのため美しい海岸線がどこでも醜く汚れている事でした。 これはこの地方に限らず日本各地に見られる問題で、時々掃除してもまた次々に漂着してくるのでしょう。

 夫婦2人に共通して大変印象的だったのは、この地方では11日間、山陰のどの町でも 「 飼い犬を全く目にしなかった! 」 という意外な事実でした。 例外として遠方から車で来た観光客が犬を車に載せていたのを一、二度見ましたが、朝夕町を散歩しても、街なかの 「 犬の散歩 」 という光景には全く出会わなかったのです。 その理由はなんとも推測できません* が、当然ながら私の自宅の付近とは異なり 「 犬の糞を路上に見る事が全くなく 」、街なかでも郊外の遊歩道でも、「 犬の糞が落ちてないかが気にならないため、景観に集中して歩けた 」 のは、予想もしなかった爽快な体験でした。


本州西北端の角島燈台 ( 明治9年点灯:日本海側最古 ) にのぼる

 せっかくの旅ですからふとる事は覚悟の上で毎日その土地の 「 旨いもの 」 を食べたいだけ食べ、地酒は飲みたいだけ呑んだので、3kg近く体重が増え、これをもとに戻すために、帰宅後は大変な減食を強いられましたが、1週間ほどで月末には何とかなりました。

 下旬には、3年前に旧東海道歩きを一緒に始めた友人たちが私のために完遂のお祝いの会を催してくださいました。 時節がら庭の草むしりと花壇の手入れも忙しく、あっという間に1カ月が過ぎ、今年もちょうど半分が終ってしまいました。

*: 人口密度は島根県は神奈川県の35分の1ですが、松江市と私の住む神奈川県のM市とではほとんど同じです。 それなのに3日間滞在し歩きまわった松江市で私たちは1匹の犬も見ませんでした! このM市では朝夕に30分散歩したら少なくとも10匹の犬の散歩に出会います。

5月度

 4日には昨年暮れに生まれた孫の初節句を祝いました。 その元気な顔を見ていると、もう少しだけ健康でこの世に居たいという気持ちが強く湧いてきます ( 写真下左 )。

 今月の6、7の両日、草津宿から終着点の京都の三条大橋まで の30km弱の区間を歩き、途中5カ月の中断を挟んで、ぴったり3年かけて 「 旧東海道歩き 」 を完了する事が出来ました。 最後の1.5kmはカホルも一緒に雨の中を歩いてくれ、有意義な終り方で締めくくる事が出来ました。 21日には78歳の誕生日を迎えますので、その日を前にした完了を素直に喜んでいます。 最後ですのでカホルと共にもう一晩大津に泊り、お祝いの夕食を食べました ( 写真下右 )。 3年間の五十三次の旅全体についての感想は ここに記しました


  翌8日には大津在住の高校時代の旧友のK氏が、三井寺、疏水、そして坂本の辺りの美しい旧い街並み ( 写真下左 ) を案内して下さった上に、午後からはご夫妻で京都の音戸山の高級な料亭でお祝いの宴を開いて下さいました ( 写真下右 )。 仁和寺の五重塔や東山の大文字 ( 下右の写真では小さくて殆ど見えません ) を正面に見渡せる素晴らしい場所での4人での語らいは、末永く記憶に残る事でしょう。


 9日には母の一周忌を兄弟たちだけで済ませた後、13日には毎年恒例の人間ドックを受け、幸い何事もなく済みました。 17日と22日の2日間は、昨年から続けている矢倉沢往還 ( 足柄古道 ) 探索の一環として、足柄峠から竹之下 ( JR御殿場線足柄駅 ) までを異なる2つのルートで歩いてみました。 記録はここに 自作の地図も添えてくわしく掲載しました。

 去年同様、今年もスズメ蜂が我が家の軒下に巣を、それも2つも作りました。 昨年の知識と経験と薬剤の残りがありましたし、今年は女王蜂1匹だけで働き蜂がまだ生まれていない小さな巣のうちに見つける事が出来たので、防護服もなしで駆除してしまいました。 我が家の周囲ではミツバチもスズメも減っているというのに、スズメ蜂だけが増えているのは困った事です。 そして・・・21日には、遂に78歳の誕生日を迎えてしまいました。

 
4月度

 いや〜本当に驚きました。 今年の天候の不順さには・・・ 3月末の寒波と雪で、庭の梅の木の小さな実はすべて凍死し、柿の木の新緑の新芽もすべて茶色になってしまったばかりだとう言うのに、4月14日には再び箱根一帯に大雪が降り、真冬の寒さが何日も続きました。 そのため、中旬に「今度こそ!」と計画していた矢倉沢往還の足柄古道歩きも、積雪のため再び断念を余儀なくされました。 この調子ではいつになったら歩けるのか、見当もつきません。

 カホルが昨年から連日精魂こめて練習に励んでいたコーラスの発表会も11日に無事済みました。 私の方はというと、15日と22日に、夫々大学の前期と後期の同期会があって、両方とも幹事長みたいな役割を引き受けているので、それらが無事終ってこれまたホッとしている所です。 3月中ごろから体じゅうに湿疹が出来て、医者に通ってもなかなか治らず毎晩痒みに苦しんでいるほかは、後半ようやく気楽な毎日が戻ってきました。 そこで1年4カ月ぶりにゴルフを再開したら、スコアはまずまずでしたが昼から雨になってしまい、年齢も考えて無理をすることもないと半ラウンドで打ち止めとなりました。

 旧東海道歩きの方は、あと1回になりましたが、4月はそういう状態で忙しかったので、5月の連休直後の6〜7日にに仕上げることにします。 コースの下調べなどの準備はほぼ完了しています。

3月度

 今年の3月はいつになく雨や雪や突風の日が多く、寒かったのですが、それでも3月の声を聞くと、やはりじっとしていられなくなります。 天気の良い日を狙って、1日と3日には矢倉沢往還のうち 地蔵堂から足柄峠迄 の区間の マップ 作りのための往復、11〜12日はカホルと房総半島の先端の洲の崎に一泊し翌日は鴨川のシーワールド、18日と19日は旧東海道歩きの最終段階の 水口宿〜石部宿〜草津宿の区間、と飛び回り、21日には生後3カ月になった新しい孫の顔を拝みに横浜まで行ってきました。


 続いて30日には足柄峠から静岡県の竹之下迄の区間を調査のため、孫と歩くつもりでいたら、なんと前日に大雪。 小田原平野の平地でもみぞれが降っていました。 桜もすでに3分咲きの3月末ですよ! 箱根の積雪は20cm、足柄峠でも10cm以上のようです。 上の写真をご覧ください。 従って計画は急きょ中止で4月に延期としました。

 出歩いた先で見聞した事、興味を感じた話などはすべて上記のリンク先のページに書きました。 それ以上は余り書く事がありませんので、撮って来た写真を何枚も並べて勘弁していただく事にします。


広い自動車道路の脇に、もう殆ど人が通らない、国土地理院の1/25,000の地図にも載っていない、はるか昔からの古道がひっそりと残っています。 そのマップを作りました。


左: アクアラインから東京湾越しに富士山、横浜みなとみらい21、丹沢山塊など  右: 房総半島の先端の洲の崎から見た伊豆半島に沈む夕日


順に今回歩いた旧東海道の宿場: 水口、石部、草津にて

 
2月度


 自宅周辺でも早咲きの種類の河津桜がもう満開です。 梅とほとんど開花時期が変らないのです。 メジロ ( 写真左 ) 以外にも多くの小鳥たちが来ています。 右のはコジュケイか?

 旧東海道歩き については、残り僅かの地域 ( 滋賀県 ) の降雪が多いので、今月も休むことにし、代わりに先月から今月にかけては 「 矢倉沢往還 」 という自宅の近くの古道の資料調査と探索歩きに時間を費やしました。 この古道は旧東海道の裏街道の一部です。 調べ出すと面白いし、歩いてみると更に面白くて、時には4日連続で出歩いたりしました。 残念なことに、月の後半はいつになく多い降雪のため、予定していた足柄峠付近の山間部の古道はすべて歩けなくなり、これまた3月以降に延期です。 それでも低地部についてはある程度の実績が上がり、中間報告みたいなページ を書くことができました。


50歳ごろ師・俵屋宗達の 『 風神雷神図屏風 』 を模写して圧倒された尾形光琳は、師に胸を張って 「 これが光琳だ 」 と言える作品を残そうと
決意し、晩年にあの 『 紅白梅図 』 を描きました。 彼にあの最高傑作の構図のヒントを与えたのがこの場所だと言われています。
( 後半はウソ )

 その古道の静かなたたずまいを 別に写真でご紹介しておきます

 確定申告も済ませ、昨年暮れ生まれた孫のお宮参りも済み、大きな孫たちの受験を見守り・・・などバタバタしているうちに28日間が過ぎてしまいました。

1月度

 この5年ほどの間に庭に自生した数十本の万両に、今年もきれいな赤い実が沢山ついて、冬の到来を告げてくれましたが、山から降りて来た沢山の小鳥たちに、数日の間にすっかり食べ尽くされてしまいました ( 白い実のも1本だけあります。 野鳥は視覚的に赤い物が好みらしく、白い実は全く食い荒されません )。 下の写真は他の木のかげに僅かに残っていた食べ残しの実です。 インターネットで調べると、庭に多数自生したと言っても、もともとは鳥の糞に混じって種子が蒔かれたためらしいので、小鳥たちに文句を言うつもりは有りません。


 昨年1月に母を亡くしましたので、しきたりに従って、ここでも新年のお祝いのご挨拶は遠慮させて頂きます。 私の母が亡くなって、早くも1年が過ぎましたが、母の場合はもう98歳半ばでしたし、介護も子・孫全員で叶う限りの事をしました中で眠るがごとく老衰で去って行きましたので、不思議なほど悲しみが少なかったのでした。 それがまた、母の私たちへの最後の愛情というか心遣いだったのかという気がしてなりません。


墓参の帰途、雑木林越しに真冬の富士 : 静岡県小山町の富士霊園にて

 家族の中だって、去って行く人がいれば、新たに入って来る人もいるという事でしょうか。 昨年12月には息子に息子が生まれました。 つまり、私たちの孫です。 娘にはすでに2人の息子がいますので、これで3人目の孫です。 何故か3人とも男です。 18日にひと月ぶりで対面したら、顔つきも体重も、驚くほど成長していました。

 一方、一番上の孫はもう高校生で、大学入試も近づいたので、、家庭教師みたいな役回りの私も、急に慌ただしくなりました。 暮も正月も、元日と2日を除き連日4時間ほど、数学、物理、化学を教えていました。 教えるとなれば、予習・準備が必要で、これにも同じくらいの時間がかかりますから、このところ毎日、他の事はほとんどやっている暇がありませんでした。 お蔭で私の学力もおおいに向上し、難しい問題もスラスラ解けるようになってきたので、77歳にしてどこかの難関大学を受験してみたいという気分になってきました。 今年は無理としても、来年の今頃は、老骨に鞭打ち夢中で受験勉強をしています・・・という初夢を見てしまいました。

 旧東海道歩き は、冬の寒い時期を避けて、1、2月は休むつもりです。 3月になったら再開します。 3月に2回歩けば、終着地の京の三条大橋に着くことでしょう。 それに備えて、足腰の鍛錬だけは、毎日怠りなく続けています。

 というわけで遠くを歩けないので、昨年12月から今年の1月にかけては、家の近くの足柄古道 ( 矢倉沢往還 ) の跡を探して歩きました。 この古道は旧東海道よりさらに歴史が古く、律令時代から、畿内と東国とを結ぶ重要な街道でした。 現在の地名で大まかに言いますと、沼津のあたりで旧東海道と別れ、おおむねJR御殿場線沿いに小山町まで来て、そこから足柄峠に登り、南足柄市に降りて、松田町、大井町篠窪を通り、秦野市渋沢に抜けたあと、ほぼ現在の国道246号線に沿って渋谷から赤坂辺りまで通じる道です。 足柄峠越えは箱根越えよりもだいぶ楽ですから、古い時代からこのルートが愛用されたのは当然のことと思えます。

 旧東海道のようなほぼ1本の道ではなく、時代の変遷とともに経路が大きく変化している区域もありますし、近年の都市化と乱開発により、神奈川県西部に限っても、古道の多くの部分が無残に消失してしまっています。 インターネットで調べられる資料の数も旧東海道ほど多くはなく、しかも資料ごとにいろいろ違う説が紹介されていたりして、読む人を惑わせます。 そんな状況の中で、これだけは本物の古道だと思える部分だけを拾い出して歩いたわけです。 その内にまとめてご紹介したいと思っています。

 自宅の庭の白梅もほころんできたので、近くの梅の名所を連日のように訪ねて歩きました。 小田原市の城址公園、辻村農園、フラワーセンター、南足柄市の池の窪梅林などでは、下旬には早咲き種はほぼ満開、他も2〜3分咲きくらいでした。 2月に入れば見ごろを迎える事でしょう。 松田山の河津桜もほころび始め、南足柄市のはるめき桜ももう一息です。 春はもうすぐそこまで来ています。

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このコラムは、もともとはグリンウッドで働く友人たちとそのご家族向けに、私や家族の動静、 日本や特に足柄地域の出来事などをお知らせしようと、97年初めから「近況報告」 という名でEーMAILの形で毎月個人宛てに送っていたものです。 98年2月以降はホームページに切り替え、毎月下旬翌月分に更新してきました。 ところが最近、日本に住むグリンウッドをご存じない方々も多くご覧になるようになってきたので、 同年7月から焦点の当てかた、表現などをを少し変えました

この先です。