資料

1 論考
2 韓国独立後の返還
3 日本の植民地時代
4 国際法
5 欧米の返還政策


1 論考

森本和男「ドイツがベニン青銅器を返還 -「パンドラの箱が開いた」-」(2023年7月)

五十嵐 彰「文化財を返すとは、どういうことか?」『中国文化財の返還 ― 私たちの責務』中国文化財返還運動を進める会(2022年8月1日)

森本和男「フランスがアフリカに文化財を返還 -各国で確実に進む返還の準備-」(2022年6月)

森本和男「ブラック・ライヴズ・マターとモニュメント・文化財 -加速する脱植民地化の動き-」(2021年11月)

森本和男「フランスの文化財返還レポートから1年 -欧米の脱植民地化の流れと文化財-」(2020年4月27日)

森本和男「フランスのアフリカ文化財返還政策とその波紋」『韓国・朝鮮文化財返還問題連絡会議年報2019』No. 8(2019年5月1日)

慧門(ヘムン)「「不都合な真実」に再照射を -韓国文化財返還問題-」『東京新聞』2015年2月25日

荒井信一「文化財返還と植民地主義の清算」特別講演ソウル(2014年12月18日)

李 洋秀「日韓会談文書全面公開をめぐる裁判-2014.7.25東京高裁「判決文」の内容考察」2014年8月5日

森本和男「文化財の返還について -対馬の仏像問題解決に向けて- 」『考古学研究』第60巻第3号通巻239号(2013年12月)

オピニオン:観音菩薩坐像盗難事件『東亜日報』 2013年5月14日

早瀬晋三「『コロニアリズムと文化財-近代日本と朝鮮から考える』荒井信一(岩波新書)」KINOKUNIA書評空間、2012年11月6日

荒井信一「書評: 慧門著・李素玲訳『儀軌―取り戻した宝物』」『図書新聞』3075号、2012年8月18日

菊池勇次「【韓国】在外文化財に関する法案の審議動向」『外国の立法』2012.1

中内康夫「日韓間の文化財引渡しの経緯と日韓図書協定の成立」『立法と調査』No. 319(2011年8月)

阿部健太郎「『朝鮮王朝儀軌』と韓国の国外所在韓国文化財調査」『アジア情報室通報』第9巻第1号(2011年7月)

「特集 略奪文化財返還問題」『季刊 戦争責任研究』第72号(2011年6月)

五十嵐彰、森本和男「文化財返還問題の経緯・現状・課題」『日本考古学協会第77回総会 研究発表要旨』(2011年5月)

森本和男「文化財返還問題・日韓共同シンポジウム参加記」『考古学研究』第57巻第4号通巻228号(2011年4月)

中内康夫「日韓図書協定の作成経緯と主な内容」『立法と調査』No. 314(2011年3月)

千惠鳳「河合文庫 韓国典籍」『泰東古典研究』第10集、(1993年12月)



2 韓国独立後の返還

 日本政府が韓国に文化財を返還、もしくは返還を仲介した5つの事例

5) 2011年に図書150部1,205冊を返還
図書に関する日本国政府と大韓民国政府との聞の協定(日韓図書協定、2010年11月14日調印)
 日本の菅直人首相と韓国の李明博大統領との首脳会談で、朝鮮半島由来の図書が日本から韓国に引き渡されることが合意された。両首脳の立ち会いで、前原誠司外相と金星煥(キム・ソンファン)外交通商相が日韓図書協定に署名した。返還の対象となったのは、宮内庁書陵部所蔵の朝鮮王室儀軌167冊、大典会通巻三1冊、増補文献備考99冊、奎章閣から持ち出された図書938冊、合計1,205冊である。
 日韓図書協定は、翌年の2011年に国会で批准が決議された。
第177回国会、衆議院外務委員会議事録、第9号(2011年4月27日)
第177回国会、参議院外務防衛委員会議事録、第11号(2011年5月26日)

朝鮮王室儀軌の返還運動


4) 2005年に政府の仲介で靖国神社にあった北関大捷碑を韓国に返還
 北関大捷碑(ほっかんたいしょうひ)は、豊臣秀吉の朝鮮侵略の時に加藤清正の軍を朝鮮の義勇軍が撃退したことを記した碑で、日露戦争中に日本軍が北朝鮮の咸鏡道臨溟駅から持ち出した。1999年に韓国側から返還要請が靖国神社に提出された。2005年の日韓外相会談でも取り上げられた結果、政府の仲介で靖国神社から韓国へ返還された。2006年に北朝鮮へ移送され、元の場所へもどされた。


3) 1991年に故李方子の服飾や装身具等227点を返還
故李方子女史(英親王妃)に由来する服飾等の譲渡に関する日本国政府と大韓民国政府との間の協定(1991年4月15日調印、5月24日発効)
 李方子(イ・パンジャ、旧梨本宮家の長女、昭和天皇皇后の従姉妹)は、旧日本帝国と李王朝との宥和政策の一環として、1920年4月に李王朝最後の皇太子、李垠(イ・ウン)に嫁いだ。利方子は1989年4月にソウルで死去。協定で対象となった服飾類は、利方子の婚礼衣装や装身具など227点で、1956年に利方子が東京国立博物館に寄贈した。1990年に韓国側から返還を要請され、海部俊樹首相と盧泰愚大統領との会談で、返還が決まった。
第120回国会、衆議院外務委員会議事録、第11号(1991年4月24日)
第120回国会、参議院外務委員会議事録、第7号(1991年4月25日)


2) 1965年に日韓関係正常化・国交回復にともない文化財359件1,321点(陶磁器97点、考古資料334件、石造美術品3点、図書163部852冊、逓信関係品35点)を返還
文化財及び文化協力に関する日本国と大韓民国との間の協定(1965年6月22日調印)
 日韓基本条約(1965年署名・批准)に付随する文化財関連の協定で、南朝鮮から日本へ移出された文化財の返還を定めた。
日韓基本条約の関係諸協定,文化財及び文化協力に関する日本国と大韓民国との間の協定,合意議事録(1965年6月22日)
 日本で私有されている韓国由来文化財の韓国側への寄贈を、日本政府は勧奨すると述べた。

参考:李 洋秀「日韓会談文書全面公開をめぐる裁判-2014.7.25東京高裁「判決文」の内容考察」2014年8月5日


1) 1958年に慶尚南道昌寧郡昌寧面の校洞古墳出土品106点を返還
 日韓会談で日本政府は、当時の李承晩政権との交渉で、李承晩ラインで拿捕された漁民たち送還の交換として文化財に関心をしめし、慶尚南道昌寧郡校洞古墳の出土品を極秘裏に韓国側に引き渡した。
 返還されたのは、1918年に朝鮮総督府によって調査された新羅古墳の出土遺物で、東京国立博物館に所蔵されていた。純金の耳飾一対のほか、鉄製刀子残欠5点、陶製蓋24点、陶製高坏50点などだった。
 なお現在東京国立博物館東洋館に展示されている重要文化財の透彫冠帽(すかしぼりかんぼう)、鳥翼形冠飾(ちょうよくがたかんしょく)、透彫飾履(すかしぼりしょくり)も昌寧郡古墳群から出土した盗掘品で、小倉コレクションにふくまれていた。昌寧郡古墳群では盗掘が大規模に横行し、総督府当局も憂慮していた。

校洞古墳第31号古墳、『古蹟調査報告』大正7年度(1918年度)第1冊、1922年
第28回国会、参議院外務委員会、閉会後第1号(1958年5月31日)
第46回国会、衆議院文教委員会、第13号(1964年3月25日)
浅野豊美、吉澤文寿、李東俊編『日韓国交正常化問題資料』基礎資料編第1巻、現代史料出版、2010年。279頁。


 民間の公的機関が返還した3つの事例

3) 2006年に東京大学が『朝鮮王朝実録』47冊をソウル大学に返還
 『朝鮮王朝実録』は李氏朝鮮王朝の初代太祖から第25代哲宗にいたるまで、25代472年間(1392~1863)の日々の歴史的事実を記録した実録で1,893巻888冊からなる。ユネスコの世界記録遺産に登録されている。豊臣秀吉の朝鮮侵略後に、鼎足山、太白山、赤裳山、五台山の4ヶ所の史庫に20世紀初頭まで分散、保管されていた。
 五台山史庫本は初代朝鮮総督寺内正毅によって持ち出され東京帝国大学に寄贈された。1923年の関東大震災でほとんどが焼失し、奇跡的に47冊だけ残った。


2) 1996年に北海道大学が東学農民軍指導者の頭骨を返還
 遺骨問題はつねに文化財返還と並列して論じられる。1995年に文学部古河講堂の研究室から、古新聞にくるまれた6体の頭骨のはいった段ボール箱が発見された。1体は全羅南道の珍道(チンド)から持ち出された「東学党」指導者の頭骨、3体はサハリンのウイルタ人の頭骨、残る2体の頭骨は不明とされた。翌年韓国で東学農民革命軍指導者遺骸奉還委員会が組織され、北海道大学から奉還委員会へ遺骨が返還された。
 珍道の頭骨は、日清戦争の時1895年に日本軍によって殲滅された農民軍指導者の遺骨であり、その後1906年に近くの木浦(モッポ)にいた札幌農学校卒業生で統監府所属の農業技師が持ち出したとされる。

北海道大学文学部古河講堂「旧標本庫」人骨問題調査委員会『古河講堂「旧標本庫」人骨問題報告書』1997年。
井上勝生『明治日本の植民地支配』岩波現代全書011、2013年。


1) 1996年に山口県立山口女子大学が桜圃寺内文庫から書画類98点135冊を慶南大学に返還
 1994年に韓国の国史編纂委員会委員長が大学を訪問して返還を申し入れ、その後韓国の国会議員らも返還を申し入れた。大学は韓国の大学と交流を希望し、山口県と姉妹提携を結んでいる慶尚南道の大学との学術交流を前提に、寄贈することにした。
 寺内文庫の朝鮮資料は、寺内正毅が私財で購入したのであり奪ったものではないとして、大学は寄贈を強調した。対して韓国内では、初代朝鮮総督の強奪した典籍が返還されると、大学側の主張を否定する報道がなされて交渉はとん挫しそうになった。日本と韓国の国会議員が大学に来て、寄贈はあくまでも学術交流を前提としており、返還ではないことの共通認識を確認して、かろうじて交渉が成立した。
 なお文庫敷地内にかつて建っていた朝鮮館は、景福宮の東宮エリアから移築された宮殿建築で、太平洋戦争後に倒壊・撤去された。

熊本守雄「寺内文庫旧蔵「韓国関係(簡牘/法帖類)資料」について」『山口県立大学学術情報』第15号(「基盤教育紀要」第2号)、2022年。


参考 2018年から京都大学所蔵河合文庫の資料をデジタル公開
 河合文庫は、朝鮮財政史を研究した河合弘民が収集した朝鮮文書類と典籍である。1907年に東洋協会専門学校京城(ソウル)分校に教頭として赴任してから、収集が開始された。河合は1918年に他界し、翌年京都大学が旧蔵書793部2,160冊を購入した。
 1908年12月29日に江華島の鼎足山にあった史庫に日本の憲兵らが押し入り、21冊の書物を強奪した。東洋協会専門学校京城分校の河合弘民が、憲兵を動員して起こした事件だった。史庫の開錠を拒否されたので、斧で錠前を壊して史庫に入ったという。河合文庫のうち、どれが江華島の史庫にあったものかわからない。歴史資料である土地売買文書の多くは江華島をふくむ京畿道関連である。
 2015年に京都大学と高麗大学が協定を締結して河合文庫の調査と電子化がはじまり、2018年から順次デジタル資料が公開されている。

千惠鳳「河合文庫 韓国典籍」『泰東古典研究』第10集、(1993年12月)
李 亀烈(南 永昌訳)『失われた朝鮮文化』新泉社。1993年。148~9頁。
荒井信一『コロニアリズムと文化財』岩波新書1376、2012年。9~10頁。



3 日本の植民地時代

黄壽永(ファン・スヨン)編『日帝期文化財被害資料』韓国美術史学会刊、1973年刊行
 本書は、日本の植民地時代に朝鮮半島から持ち出された文化財の状況を広範に収集、詳細に記録した資料集。編著者の黄壽永氏は仏教美術の専門家で、韓国国立博物館館長、東国大学教授、同大学総長などを歴任。日韓会談では、韓国側の文化財返還交渉の実務代表者として活躍した。
 2014年に増補改訂版が日本と韓国で出版された。
 黃壽永:編、国外所在文化財財団:企画、李洋秀・李素玲:日本語訳
 『韓国の失われた文化財 増補 日帝期文化財被害資料』三一書房、2014年。


朝鮮総督府古蹟名勝天然記念物保存会編『朝鮮宝物古跡図録』朝鮮総督府(1938・1940年)
第一「仏国寺と石窟庵」(1938年)
 慶州市南部の吐含山(トハムサン)山麓にある仏教寺院の写真図版。新羅の旧都に建立され、建造物や仏像などは新羅美術の代表と評されている。1995年に韓国で最初の世界遺産に登録された。
第二「慶州南山の仏跡」(1940年)
 古都慶州の南方、金鰲山(クモサン)を主体とする南山一帯の仏教遺跡の調査報告書。


『古蹟調査報告』朝鮮古蹟研究会編(1934~40年)
 1931年8月に、総督府の外郭団体として朝鮮古蹟研究会が設立された。岩崎小弥太、細川護立などの民間の寄付金と、日本学術振興会、宮内庁、李王家の補助金ないしは下賜金などで運営された半官半民的な研究組織だった。
 調査の重点は、平壌や集安の高句麗遺跡におかれた。1933年に平壌府立博物館新館が開館すると、そこに朝鮮古蹟研究会平壌研究所が付設された。


朝鮮宝物古跡名勝天然記念物保存令(1933年8月9日勅令
 旧日本帝国政府は、1930年から海外植民地で文化財保存を制度化していった。1930年に台湾で、日本国内の史跡名勝天然記念物保存法(1919年)が勅令で施行された。1931年には樺太(サハリン)で、史跡名勝天然記念物保存規程が公布された。1933年には朝鮮で宝物古跡名勝天然記念物保存令が公布され、同年に「満州国」でも古跡保存法が公布された。


『古蹟調査特別報告』全6冊、朝鮮総督府(1919~1930年)
 朝鮮総督府から刊行された朝鮮半島の遺跡、および東シベリアの人類学調査の報告書。


利川五重石塔の移送経緯(1918年)
 東京虎ノ門ホテル・オークラの前にある大倉集古館に、朝鮮半島中西部京畿道利川から移送された石塔がある。現在、韓国利川市の住民たちは、本来あった場所に文化財を戻して欲しいと返還運動を行なっている。


『古蹟調査報告』朝鮮総督府編(1917~37年)
 古蹟調査委員会を中心とした調査活動の成果。調査委員会は毎年度調査計画を作成した。委員の調査には、調査する物件、所在地、調査方法、日時などが、管轄する道長官および警務部長に通知され、現地調査では地方庁および警察署と協議して、なるべく憲兵または警察官の立ち会いを求めた。委員は詳細な報告書を作成して委員長に提出、委員長はこれを朝鮮総督に報告した。


古蹟及び遺物保存規則(1916年7月4日)】
 1910年の韓国併合によって朝鮮総督府が設置された。1916年には遺跡・遺物を保存する法令が発出され、同時に古蹟調査委員会が設置された。朝鮮各地の文化財調査が展開されて、遺跡・遺物台帳が作成された。
 韓国併合に前後して、古墳の盗掘や乱掘、石塔・仏像の盗難が横行し、多くの文化財が市場に出回った。総督府としても等閑視できなくなり、保存制度が策定されたと考えられる。
 なお日露戦争後に日本の植民地となった中国遼東半島の関東州でも、同年(1916年)12月2日に「古蹟保存規則」が関東都督府から公布された。1919年に日本で史跡名勝天然記念物保存法が制定されたことを考慮すると、遺跡・遺物の保存法制の確立は、内地よりも外地の植民地で少し早かった。


『朝鮮古蹟図譜』全15冊、朝鮮総督府(1915~35年)
 1909年に韓国統監府統治下の韓国政府度支部建設所で、建築物の調査を東京帝国大学関野貞に依頼した。韓国併合後は総督府の事業として継続され、建築物以外にも様々な文化財調査が実施された。その成果として、朝鮮半島の遺跡(宮殿建築・古墳・廃寺・仏寺・石塔・石造物)、文化財(陶磁器・絵画・工芸品)の図譜(写真集)が総督府から刊行された。

『朝鮮古蹟調査略報告』朝鮮総督府(1914年)
1911年9月~11月と、12年9月~12月の2回に分け、関野貞、谷井濟一、栗山俊一によって実施された調査の報告。保存する古建築、遺跡、石塔、仏像などを一覧表にまとめ、価値を、甲、乙、丙、丁の4段階に設定した。
「古蹟調査略報告 大正三年度」
「大正元年朝鮮古蹟調査略報告」


北関大捷碑の持ち出し(1904~1905年)
 日露戦争中に朝鮮半島から日本軍によって石碑が持ち出された。碑文には、豊臣秀吉の朝鮮出兵の際、加藤清正の軍勢を撃退したことが記されていた。日本へ移送されてから100年後に、韓国を経由して北朝鮮に返還された。



4 国際法

文化財の原産国返還に関する国連決議
Return or restitution of cultural property to the countries of origin : resolution / adopted by the General Assembly
 文化価値の保存と将来的発展のため、文化財保護と返還に関する決議が、1972年12月18日に国連総会で採択された。それ以後、文化財を原産国へ返還する決議が国連総会で採択されている。


ユニドロワ条約(UNIDROIT)
盗取され又は不法に輸出された文化財に関する


文化財の不法な輸入、輸出及び所有権移転を禁止し及び防止する手段に関する条約(1970年)
(略称 文化財不法輸出入等禁止条約)
 1970年にパリで採択され2年後に効力が発生したが、日本は長らく条約に加盟しなかった。
 2001年3月にアフガニスタンのバーミヤン石仏がイスラム原理主義組織タリバーンによって破壊された。また同年9月11日に同時多発テロ事件が起き、アメリカを主力とする有志連合諸国がアフガンを侵攻、アフガニスタンは戦場となった。
 その結果、バーミヤン石仏や壁画の残骸、その他多くの文化財が国外へ流出した。事態を憂慮した平山郁夫らが文化財保護を広く訴え、ようやく日本政府も文化財の不法輸出入等禁止条約に加盟した。


考古学的発掘に適用される国際原則の勧告(1956年)
 ユネスコ総会で採択された発掘に関する国際原則。1937年の国際発掘会議の最終決議を土台にしている。新たにギリシャの提案で戦時占領地における発掘を控えるよう規定された。軍事占領地での発掘禁止は、1999年の第2議定書でも規定された。


武力紛争の際の文化財の保護に関する条約(1954年)
武力紛争の際の文化財の保護に関する議定書(1954年)
 第2次世界大戦で大量の文化財が略奪・破壊されたことを契機に、戦後ハーグで締結された戦時文化財保護の条約。
 日本は長らく加盟せず、2007年に加盟した。アメリカは2009年、イギリスは2017年に加盟して、現在135ヶ国が加盟。
武力紛争の際の文化財の保護に関する議定書(第2議定書、1999年)
 その後ユーゴスラビア紛争など、新しく変化した国際情勢を踏まえて1999年に第2議定書が作成され、2004年に発効。日本は2007年に承認した。


国際発掘会議の最終決議(1937年)
 盗掘や考古学的遺物の密輸を防ぐため国際連盟で採択された発掘に関する最初の国際原則。発掘を国内法で規定して当局による許可制とし、無許可の発掘を取り締まって盗掘や密輸を違法化した。国際協力や文化財交流も重視された。大戦間における国際連盟(国際知的協力委員会)の民族自決や国際主義の思想がうかがえる。


芸術・学術機関と歴史的モニュメント保護に関する条約(レーリヒ条約、1935年)
 ロシア人芸術家ニコライ・レーリヒが提唱した条約で、武力紛争における文化財保護に特化した最初の国際条約。1935年にワシントンで米州連合(Pan American Union)のすべての加盟国が調印した。1954年に採択されたユネスコの戦時文化財保護条約は、1899年と1907年のハーグ条約と、1935年のレーリヒ条約を継承している。


ハーグ国際平和会議
陸戦法規慣例ニ関スル条約(1899年、1907年)
 戦争中に不必要な犠牲を避けるため、戦時国際法の条約が2回締結された。歴史記念物への砲撃回避が明記され、歴史記念物・美術品・文化財の押収や破壊の禁止、違反者への訴追が規定された。2回目は、より厳格となった。


リーバー規約(1863年)
 アメリカの南北戦争中に北軍に発令された戦争規則。その後の戦時国際法の基礎となった。芸術品、図書館、学術資料の攻撃回避、包囲地域での文化財保護が規定された。



5 欧米の返還政策

2022年の動向
森本和男「ドイツがベニン青銅器を返還 -「パンドラの箱が開いた」-」(2023年7月)
2021年の動向
森本和男「フランスがアフリカに文化財を返還 -各国で確実に進む返還の準備-」(2022年6月)
2020年の動向
森本和男「ブラック・ライヴズ・マターとモニュメント・文化財 -加速する脱植民地化の動き-」(2021年11月)
2019年の動向
森本和男「フランスの文化財返還レポートから1年 -欧米の脱植民地化の流れと文化財- 」(2020年4月27日)
2018年の動向
森本和男「フランスのアフリカ文化財返還政策とその波紋」『韓国・朝鮮文化財返還問題連絡会議年報2019』No. 8(2019年5月1日)


フランス
フランスのマクロン大統領に提出されたアフリカ文化財返還政策
Felwine Sarr and Bénédicte Savoy,
『アフリカ文化遺産の返還 新しい倫理関係に向けて』2018年11月23日
The Restitution of African Cultural Heritage. Toward a New Relational Ethics (英語版)
Rapport sur la restitution du patrimoine culturel africain (仏語版)
レポート作成までの新聞記事


ドイツ
デジタル・ベニン
1897年にナイジェリアのベニン王国からイギリス軍によって略奪された文化財5,246点の世界的データベース
Digital Benin

ドイツ外務省 Federal Foreign Office
ドイツの博物館と施設にあるベニン青銅器の取り扱いに関する声明(2021年4月30日)
Statement on the handling of the Benin Bronzes in German museums and institutions(英語版)
Erklärung zum Umgang mit den in deutschen Museen und Einrichtungen befindlichen Benin-Bronzen(独語版)

ドイツ博物館協会(Deutscher Museumsbund)
『植民地的状況で得られた文化財の取扱いガイドライン』(3版)2021年2月
Guidelines for German Museums. Care of Collections from Colonial Contexts(英語版)
Leitfaden zum Umgang mit Sammlungsgut aus kolonialen Kontexten(独語版)
Guide consacré aux collections muséales issues de contextes coloniaux(仏語版)
出版案内:Guidelines on Dealing with Collections from Colonial Contexts


オランダ
政府声明/教育文化科学省:文化遺産を原産国に返還して不正を是正する(2021年1月29日)
文化審議会の返還勧告を承認
Redressing an injustice by returning cultural heritage objects to their country of origin

文化審議会の植民地コレクション政策審議委員会の返還勧告
the Advisory Committee on the National Policy Framework for Colonial Collections
(the Council for Culture)
『植民地コレクションと不正認識に関する勧告』2020年10月7日
英文要旨
Colonial Collection and a Recognition of Injustice(英語版)
Advies Koloniale Collecties en Erkenning van Onrecht(蘭語版)
文化審議会の声明
Summary of report Advisory Committee on the National Policy Framework for Colonial Collections(英語版)
Toon bereidheid tot teruggave koloniale roofkunst(蘭語版)

ヨス・ファンビュールデン『信頼された手のもとにある財宝:植民地文化財の未来を交渉する』
博士論文、アムステルダム自由大学、2016年11月30日受理
van Beurden, J.M. ,Treasures in Trusted Hand: Negotiating the future of colonial cultural objects, PhD, Vrije Universiteit Amsterdam, 2016.


ベルギー
ベルギーの博物館学芸員や研究者たちのレポート
『ベルギーにある植民地コレクションの取り扱いと返還のための倫理原則』(2021年6月1日)
Ethical Principles for the Management and Restitution of Colonial Collections in Belgium(英語版)
Principes éthiques pour la gestion et la restitution des collections coloniales en Belgique(仏語版)
Ethische richtlijnen voor het beheer en de restitutie van koloniale collecties(蘭語版)


アメリカ
スミソニアン博物館の倫理的返還政策(2022年4月29日)
Values and Principles Statement


多国間
ベニン対話グループの声明(2018年10月19日)
Statement from the Benin Dialogue Group
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