文化財返還と植民地主義の清算 特別講演・ソウル 2014/12/18 
荒井信一

 今日は私の著書の韓国語版の刊行を記念する会を開いていただき、李泰鎮先生をはじめ関係された皆様に心からの感謝を申しあげます。

 このような席で私的なことを申し上げるのは心苦しいのですが、日本で『コロニアリズムと文化財』が出版された直後に、それを待っていたかのように妻が亡くなりました。60年以上前に同じ学問をめざすものとして結婚して以来、妻は歴史研究の仲間としていつも私を支えてくれました。それだけに韓国の皆さんがこの本を高く評価して、立派な韓国語版を作ってくださったことに亡き妻とともに厚くお礼を申し上げます。

 この本の内容を紹介しなければいけないのですが、執筆者として紹介するとどうしても細かくなりがちです。そこでいわば客観的な評価として友人の手紙で述べられた感想や新聞等での紹介など、その一部をお伝えしてそれに替えようと思います。

 同じ現代史研究専攻の友人は、次のような感想を寄せてくれました。
 「江華島事件当時の文化財の略奪から「学術調査」の名の下の文化財の収集・持ち出しなどの事例のほとんどは初めて知ることばかりで、その徹底ぶりには驚くばかりでした。私は早稲田大学の出身ですので、現在もしばしば利用する図書館の裏の入口の左右に、羊の石造一対が並んでいることを思い出しました。李氏朝鮮時代の王陵の守護として置かれていたということで、G婦人が「収集」して早稲田大学に寄贈したそうです。図書館の館報などには寄贈の経緯などについては触れられていますが、「収集」の経緯は説明されていませんし、これまでコロニアリズムの観点から議論の対象にもなっていないようです」。

 新聞は全国紙のほとんどが書評・紹介を掲載しました。その一部の抜粋です。
 「現在、世界中に未決の文化財返還問題が無数に存在するが、この問題に対処するとき、私たち日本人の求められるのは、まさに本書の副題にある「近代日本と朝鮮から考える」ことである。このことから目を背けることはできない」(日本経済薪聞2012・8・12付け)。

 「長く戦争責任問題を研究してきた筆者だけあって、植民地主義の政治や軍事が文化財問題といかに深く連動しているかについての分析も鋭い」(読売新聞2012・9・2付)。

 「文化財を人類全体の遺産として位置づけ、近代日本と朝鮮を軸に、植民地主義の歴史的清算という観点から考える」(東京新聞2012・9・16付)。
全体として好意的なものでした。

 本書の執筆を思い立ったのは、韓国併合一〇〇年についての菅直人首相の談話(2010年8月10日)です。首相は、併合条約の無効理由となる強制性について間接的な表現ですが「その意に反して行われた植民地支配」として認めました。そして日本にある「『王室儀軌』等朝鮮半島由来の貴重な図書」の問題を取り上げ、近くこれを「お渡し」したいと約束しました。

 21世紀に入る頃から、韓国では植民地時代に日本に搬出された文化財の返還問題の速やかな解決が重要課題として浮上してきました。韓国の市民団体が還収委員会をつくり貴重図書の返還などを要求するようになり、その結果、2006年には東京大学が所蔵する『朝鮮王朝実録』がソウル大学に寄贈されました。民間でも韓国の利川市民の大倉集古館所蔵の石塔の返還要求が本格化しました。1965年日韓条約締結の際にも文化財問題の解決が問題となりましたが、植民地支配の有効、無効をめぐる対立が障害となり根本的な解決はできませんでした。そのことは改めて植民地主義の克服と文化財問題の解決とが密接に関連することを示唆したと思います。

 すでに1970年代には、ギリシャ、エジプト、イラクなどがヨーロッパに持ち去られた文化財の返還を要求し、ユネスコもコロニアリズムの清算とかかわらせてとりあげ、新しい動きを見せました。韓国でも李亀烈の日本の文化財略奪に関する新聞連載が大きな反応をひきおこすなどがあり、文化財問題が市民運動のひとっの目標となったかに思えました。2008年にはユネスコが文化財に関する専門家会議をソウルで開き、文化財返還間題はグローバル化してきました。とくに今世紀に入りアメリカの大学、美術館からの原産国への文化財返還が大きな話題となりました。

 日本では、70年代から民間における私有文化財返還の動きが個別におこるようになりましたが、コロニアリズム清算と関連する問題として政治的にも強く意識されるのはここ数年のことといえます。そのため韓国からの文化財搬出問題について、日本には本格的な研究は極めて少ないといってよい状況でした。個々の文化財の搬出経過についての調査報告が大部分であるといっても良い状態でした。特に植民地主義の清算の重要な一環として、文化財返還問題を取り上げたものは皆無といってよい状況でした。『王朝儀軌』にしても、2001年に情報公開法が施行されて初めて、韓国の海外典籍研究会の調査が可能となり、日本の宮内庁に所蔵されていることがわかりました。韓国で儀軌返還運動が本格化し、2010年2月には韓国国会が返還要求決議を採択しました。過去の歴史の反省と未来志向的な両国関係のために返還を要求したものです。

 私と一緒にこの出版記念会に参加している皆さんと相談して「韓国・朝鮮文化財返還問題を考える」公開シンポジュウムを開いたのは、この年の6月です。わたくしは基調報告をすることになり、恥ずかしい話ですが、ほとんどにわか勉強で何とか日本近代における文化財問題の経緯をまとめて報告しました。このシンポジュームを機会に在日の人々とともに「韓国・朝鮮文化財返還問題連絡会議」を結成し持続的に運動を展開することになりました。

 報告の作成を通じて私が痛感したのは、文化財の略奪・搬出問題の背景を日韓関係史のそのときどきの構造のなかで明らかにし、文化財問題の解決の方途を客観的に考える手がかりにしたいということでした。文化財問題の歴史というよりも、コロニアリズムという世界史的枠組みの中で文化財返還問題をとらえてみたいという思いにかられたといってもよいのです。

 管首相談話が出たのはちょうどのような時です。それにもとづき「お渡し」のための日韓図書協定の原案が確定したのは、同年11月のことでした。政府間協定による文化財返還には先例がありました。1992年の「李方子(英親王妃)服飾譲渡協定」がそれです。また同じ11月には、韓国とフランスの間にも「図書貸出協定」が成立し、翌年には外奎章閣図書が事実上返還されました。しかし日韓図書協定については2011年4月になってようやく国会の審議が始まりました。私は衆議院での審議の際、外務委員会に参考人として呼ばれて意見を述べました。次はこの時の意見陳述の一部ですが、本書執筆の直接の契機になりました。

 『王室儀軌』は、文字と絵画で記した宮廷資料として世界でも稀れなもので、歴史的にも文化的にも優れた朝鮮王朝文化を視覚的にも体感できる宮廷記録です。私は儀軌が日本の宮内庁に秘蔵されるまでの経過を述べ「その返還は、植民地支配の清算に通じるものとして、韓国との和解と友好関係を一層増進させることになります」と返還の歴史的正当性を主張し、さらに次のように述べました。

 「歴史資料の返還一般として考えてみますと、王室儀軌は五百年以上続いた朝鮮王朝研究の基本的資料であります。その史跡や歴史遺物は朝鮮半島の全域に存在して、大事にされています。そして、朝鮮の人々の国や地域への誇りや帰属意識、そういうもののよりどころになっておるわけであります。つまり、歴史資料などの文化財は、その成立した環境、背景に置くことによってその真価が理解できるので、原産国に置くことが望ましいということであります」。

 「現在、文化財について、国際的な動き、非常にいろいろな動きがあります。簡単に言えぱ、文化財というのは艮族または地域に固有のものでありますが、同時に、それが国際的に認知されることによって普遍的な価値を持つことができます。つまり、グローバル化の中で普遍的な価値を有する文化財、これは、観光資源としての国際性、それから経済的にも非常に重要なものに現在なりつつあります、世界的に。そのためには、基本的に公開して、観客とそれから研究者、これが自由にアクセスできる、自由な研究ができるというふうにしないといけない。所有権の移動にもかかわらず、返還された遺物等を、例えば、共同で巡回展示をやるとか、博物館を共同で管理することが必要です」。

 「あるいは、最近のアメリカの例でいいますと、インカ帝国の秘宝をイエール大学が一九一二年に取得しております。これが、今年、協定ができてイエール大学がペルーのクスコ大学に返還したわけですけれども、これは、イエール大学とクスコ大学との協定で、例えばイエールの学生がクスコへ行ってフィールドワークをやるとか、あるいはクスコの、ベルーの研究者がイエール大学に来て研究をするとか、あるいは大事なものは複製をつくってイエール大学に置くとか、いろいろな工夫をやっているわけであります。そういう意味で、王室儀軌の返還というものが、歴史資料の公開、それからアクセス、研究の自由の保障、こういうことに積極的に役立っていく、これは絶好の機会だというふうに私は考えております」。

 この意見陳述が本書執筆の直接の契機となりました。日記を調べてみると2カ月後の6月には企画書ができ出版のための交渉を始めています。私の本のできるまでの経過と問題点の紹介は以上のとおりです。

 最後にお渡しした「朝鮮鐘の資料について説明します。最近、対馬での仏像盗難事件が話題を呼んでいます。私が扱ったのは近代以降の問題ですが、近代的な国際社会、国際法の成立は、通説では17世紀です。日本や韓国が国際社会の一員となり、当局者が国際法を意識するようになるのは19世紀後半といえましょう。したがってそれ以前の歴史時代に直接、近代の国際法や法理を適用することには困難があります。

 そこで重要になるのは、文化財の移動に関する歴史的経緯の解明です。その基礎となるのは、文化財の政策や移動に関する歴史的事実の確定であります。私はその点について「朝鮮鐘」が多くを語ってくれると思っています。無記銘の鐘も少なくありませんが、多くの鐘には制作の時点や、かけられていた仏寺の名前を刻んだ原銘があります。また日本へ渡来後につけられた追銘によって年台や所有者を確認できる鐘もたくさんあります。金属に刻まれた文字資料として第1級の資料であり、数も多いのでそれをもとに朝鮮原産の文化財の日本への搬出、日本での移動などを系統的に理解できます。資料では一覧表の次にそれぞれの歴史時代における趨勢を書いておきましたので、前近代の文化財問題をどう考えたらよいのか、皆さんと一緒に考える材料にしていただければと思っております。

 ご清聴ありがとうございました。