朝鮮半島から持ち出された王室文書

 朝鮮王室儀軌とは、朝鮮王室の主要儀礼を華麗な絵図とともに詳細に記録した文書である。なかでも日本の謀略で暗殺された閔妃の葬儀を描いた明成皇后国葬都監儀軌が、新聞などで紹介された。これらの儀軌は王の閲覧用と、関連官署および地方の史庫に保管する分上用に分けられ、奎章閣と京外史庫に分散保管されていた。

 宮廷文書館であった五台山文庫から、日本の植民地統治下に朝鮮総督府によって81部167冊が持ち出され、1922年5月に宮内庁へ寄贈され た。

 朝鮮王室儀軌の返還要求は、一人の僧侶である慧門氏を中心とする市民運動として出発した。2004年に来日し た彼は、東京大学に「朝鮮王朝実録」が所蔵されていることを知り、還収委員会を組織して返還運動を開始した。

 2006年に王朝実録が東京大学からソウル大学に返還されると、次に朝鮮王室儀軌の還収委員会が組織された。仏教界、日韓の国会議員、ユネスコなどへの働きかけが功を奏し、2006年12月に韓国国会の返還促進決議、2007年6月にユネスコ世界記録遺産に登録、2008年8月に南北返還推進共同合意書作成、2010年2月に韓国国会で再度の返還促進決議がなされた。こうした韓国側の動きに対応して、日本の国会議員および政府への陳情が繰り返された。

 2010 年8月10日に菅直人首相が日韓併合に関する談話を発表し、その中で韓国へ文化財の「引き渡し」を表明してから、にわかに文化財返還が日韓両国で注目されるようになった。11月に横浜で開かれたAPECに出席するため李明博大統領が来日し、14日に日韓首脳会談も設けられた。その会談で、朝鮮半島由来の図書が日本から韓国に引き渡されることが正式に合意され、両首脳の立ち会いで、前原誠司外相と金星煥(キム・ソンファン)外交通商相が引き渡しに関する日韓図書協定に署名した。

日韓図書協定の署名(外務省、2010年11月14日)

 日韓図書協定で返還の対象となったのは、宮内庁書陵部所蔵の「朝鮮王室儀軌」167冊、「大典会通」巻三1冊、「増補文献備考」99冊、奎章閣から持ち出された図書938冊、合計1,205冊である。これらの書物すべてに、「朝鮮総督府寄贈」の印が押されてあるという。

協定文・附属書テキスト:日本語(pdf)

中内康夫「日韓図書協定の作成経緯と主な内容」『立法と調査』No. 314(2011年3月)

 同年秋の日本の第176回臨時国会に、図書協定の批准採決を求めて提出されたが、審議されなかった。翌年の2011年第177回通常国会で、日韓図書協定の批准が決議された。

第177回国会、衆議院外務委員会議事録、第9号(2011年4月27日)
第177回国会、参議院外務防衛委員会議事録、第11号(2011年5月26日)

中内康夫「日韓間の文化財引渡しの経緯と日韓図書協定の成立」『立法と調査』No. 319(2011年8月)

 2011年10月19日にソウルを公式訪問した野田佳彦首相は、李明博(イ・ミョンバク)大統領と首脳会談を行ない、その席で朝鮮王室儀軌のうち「正廟御製」2冊、「大礼儀軌」、「王世子嘉礼都監儀軌」2冊、計5冊を返還した。

 2011年12月6日に成田空港から仁川空港に1,200冊が空輸され、韓国政府へ引き渡された。

慧門(ヘムン)著・李素玲(イー・ソリョン)訳『儀軌―取り戻した朝鮮の宝物』東国大学校出版部、2012年。


王室儀軌還収委活動主要経過

2004年
2004年8月:慧門(へムン)スニム、京都で「東京大学朝鮮王朝実録所蔵事実」確認

2006年
2006年3月3日:朝鮮王朝実録還収委公式出帆
2006年5月30日:東京大学、朝鮮王朝実録を原産国返還決定発表
2006年7月7日:朝鮮王朝実録ソウル大に到着
2006年8月11日:朝鮮王朝実録帰還国民歓迎式、江原道月精寺で開催
2006年8月8日:「慧門スニム」日本福岡の「櫛田」神社訪問、明成皇后を殺害した刀「肥前刀」確認
2006年9月14日:「朝鮮王室儀軌還収委」結成式、日本大使館に「返還要請書」公式伝達
2006年10月5日:朝鮮仏教徒連盟支持書簡発表
2006年10月6日:日本宮内庁訪問、儀軌閲覧
2006年11月7日:ユネスコ本部訪問(フランス)、儀軌返還問題採択
2006年12月8日:大韓民国国会「朝鮮王室儀軌返還促求決議案」採択

2007年
2007年3月23日:儀軌還収南北共同推進合意(金剛山)
2007年5月8日:ソウル中央地法に「朝鮮王室儀軌返還」調停申請書受付
2007年7月17日:緒方靖夫議員、日本外務省訪問及び面談
2007年8月13日:緒方議員、笠井議員等日本宮内庁で儀軌閲覧
2007年8月19日:緒方議員、笠井議員ほか日本共産党国際局幹部訪韓、金元雄(キムウォンウン)、李華泳(イフアヨン)、孫鳳淑(ソンボンスク)と面談(20日)、五台山史庫訪問(21日)
2007年9月3日:韓日議員連盟社会文化分科「朝鮮王室儀軌返還関連案件採択」
2007年10月16日:第2次外務省との面談、和田首席事務官、平沢衆議院外務委員長、中山太郎前外務大臣、阿部知子(社民党)議員等と会い協議した。
2007年11月21日:日本外務省と3次面談、木村仁外務副大臣と会う。「未来志向的な韓日関係のため努力する」
2007年11月28日:日本市民団体日朝協会が福田総理に陳情書提出

2008年
2008年1月16日:外交部訪問及び面談(笠井議員、岡田副委員長同席)。韓日次官戦略会議に「朝鮮王室儀軌の返還」問題が公式上程を確認
2008年2月21日:南側朝鮮王室儀軌還収委、北側朝鮮仏教徒連盟共同声明。<日本政府は民族文化財を即刻返還しろ>
2008年2月22日:福田総理、韓国特派員と記者会見。<朝鮮王室儀軌返還慎重に検討する>
2008年3月22日:韓日議員連盟会長 文喜相(ムンヒサン)議員、日本会長森前総理に「朝鮮王室儀軌返還要請」書簡発送
2008年4月1日:福田総理に陳情書提出(官房長官室経由)、参議院院長(江田五月訪問)
2008年4月4日:韓日外交部長官会談で「儀軌返還問題」論議
2008年5月7日:在日本居留民団、参議院院長(江田五月)訪問、陳情書提出
2008年5月9日:在日本居留民団、衆議院院長(河野洋平)訪問、陳情書提出
2008年8月5日:平壌訪問(5日〜9日)。朝鮮王室儀軌返還促求南北共同合意書作成
2008年9月4日:日本首相官邸訪問、南北共同合意書提出(日本首相への陳情書形体)
2008年10月31日:ソウル市議会朝鮮王朝儀軌返還促求決議文発意

2009年
2009年5月18日:朝鮮王室儀軌還収委第2次平壌訪問。ソウル市文化財探し市民委員会共同返還要請書作成。儀軌返還共同合意書作成、声明書採択
2009年7月2日:九里市議会(代表発意 権奉洙(クオンボンス)議員)、日本宮内庁所蔵 東九陵関連記録物返還促求決議文採択
2009年9月9日:朝鮮王室儀軌還収委、曹渓宗中央信徒会、海外略奪文化財還収基金つくり展示会
2009年9月12日:慧門スニム、『朝鮮を殺す』出版記念会(明成皇后殺害関連記録)
2009年10月21日:慧門スニム外務省訪問、「朝鮮王室儀軌返還陳情書」提出、崔鳳泰(チェボンテ)弁護士、李容洙(イヨンス)ハルモニ(従軍慰安婦)儀軌閲覧、朝日新聞 儀軌返還問題報道

2010年
2010年1月31日:朝日新聞 儀軌返還問題大々的に報道(韓国特派員)
2010年2月11日:柳明桓長官、日本外務大臣に「朝鮮王室儀軌返還問題」言及
2010年2月25日:18代国会「日本宮内庁所蔵朝鮮王室儀軌返還促求決議案」満場一致採択
2010年2月28日:慧門スニムKBS韓国の文化遺産放映「朝鮮王室儀軌返還」
2010年3月24日:中央日報、朝鮮王室儀軌問題1面記事で特集報道、ハンナラ党代弁人論評発表、ハンナラ党事務総長 鄭柄国(チェンビョングッ)議員 特委提案
2010年4月6日:朝鮮王室儀軌還収委日本訪問、韓日国会議員午餐懇談会、韓国議員5名、日本議員3名参席
2010年4月8日:慧門スニム、金宜正(キムウィジョン)曹渓宗中央信徒会長 外務省訪問、朝鮮王室儀軌5種追加確認
2010年4月9日:文化財庁 エジプト・カイロ会議で「朝鮮王室儀軌」返還要請、文化財に登録
2010年4月15日:ハンナラ党 鄭夢準(チョンモンジュン)代表 東京慶応大学で演説、朝鮮王室儀軌返還促求
2010年7月1日:慧門スニム、朝日新聞中野記者、NHK若槻記者、元喜龍(ウヲンヒヨン)統一外交通商委員長訪問
2010年7月13日:仙谷日本官房長官、文化財返還問題に言及、「日本政府は戦後処理に不十分な部分がある」
2010年7月20日:慧門スニム日本訪問。返還運動まとめ目的
2010年7月21日:朝鮮日報「儀軌返還可能性」1面トップ記事で報道
2010年7月23日:日本内閣府訪問、陳情書提出
2010年7月28日:朝日新聞特集記事「朝鮮王室儀軌返還動く」報道
2010年8月3日:李海鳳(イヘボン)議員、金宜正(キムウィジョン)会長、慧門スニム、日本議員との面談始める。駐日大使 権哲賢(クオンチョルヒョン) 面談
2010年8月10日:日本総理 菅直人「朝鮮王室儀軌」韓国へ引渡 発表
2010年11月14日:前原誠司外相と金星煥(キム・ソンファン)外交通商相による日韓図書協定の署名。
2010年11月16日:第176回臨時国会に、図書協定の批准採決を求めて提出。

2011年
2011年2月:第177回通常国会に、日韓図書協定の批准採決を求めて提出。
2011年4月27日:衆議院外務委員会で図書協定を可決。
2011年4月28日:衆議院本会議で図書協定を可決。
2011年5月26日:参議院外交防衛委員会で図書協定を可決。
2011年5月27日:参議院本会議で図書協定を可決。
2011年6月10日:日韓図書協定を閣議決定。
2011年10月19日:日韓首脳会議で、野田首相が朝鮮王朝儀軌のうち5冊を返還した。
2011年12月6日:成田空港から仁川空港に1,200冊が空輸され、韓国政府へ引き渡された。


(*スニムとは僧に対する敬称)