文化財を返すとは、どういうことか?

五十嵐 彰

「文化財自体が野蛮から自由ではないように、文化財が人の手から手へ次々と渡ってきた伝達の過程も、野蛮から自由ではない。」
( ヴァルター・ベンヤミン1940「歴史哲学テーゼⅦ」)

1.文化財返還は傷の修復作業
2.見えない傷を見る歴史認識
3.略奪から収奪へ
4.不当な時代を正していく世界
5.そして瑕疵文化財へ
6.奪った側と奪われた側
7.大切なことは何か



1.文化財返還は傷の修復作業

問:文化財を返すとは、どういうことですか?
答:傷を修復することです。

問:その傷とは、どのような傷ですか?
答:ただの傷では、ありません。目に見えない傷です。

問:目に見えない傷を、修復することができるでしょうか?
答:できます。そのためにはまず目に見えない傷を見ることが必要です。

問:目に見えない傷を見るには、どうしたらいいですか?
答:<もの>が今ある<場>にもたらされた経緯を知ることです。

問:どのような<もの>に、そうした傷が残されていますか?
答:文化財、それも華やかで素晴らしい外国由来の文化財にそうした傷が残されています。

問:どのようにして、そうした傷を修復することができますか?
答:唯一の修復方法は、傷を負った<もの>を本来あるべき<場>へ戻すことです。

問:どうして外国由来の文化財に、こうした傷が残されているのですか?
答:私たちの<もの>に対する欲望、物欲のせいです。

問:そうした物欲は、どのようにして<もの>に傷を与えるのですか?
答:戦争や植民地支配といった時代状況で、国威発揚といった国家主義と結びつくことで、こうした野蛮な行為が引き起こされるのです。


2.見えない傷を見る歴史認識

 文化財返還とは、<もの>に生じた「傷」を修復することです。その「傷」は、表面的には目に見えません。しかしその<もの>がその<場>にもたらされた経緯を知ることによって明らかにされます。

 こうした「傷」は、現在「先進国」と呼ばれている国々が、植民地帝国として植民地を支配する過程で生じました。植民地を収奪することによって自らの近代化を果たし、自らが近代化することによって植民地支配を強化していったのです。その中で様々な<もの>が収奪されて植民地や占領地から帝国本国に運ばれました。<もの>だけではありません。<人>も<土地>も収奪されました。

 現在は、脱・植民地(ディ・コロナイズ)の時代です。過去の不正義を一つずつ正していく過程にあります。こうした事柄に対する対応は、その人の「歴史認識」によって大きく異なります。すなわち過去になされた植民地支配を不正義と考えるか、それともそうは考えないかで大きく立場が異なるのです。過去の栄光をただ賛美する人たちにとって、収奪した文化財を返還することは、自虐的な行為としか考えられないでしょう。要求されている文化財を一つ返せば、次々と要求されてきりがない。返せと言われている<もの>の中には、合法的な手段で入手した<もの>も多いのだ。返せ・返せとばかり言われるが、そっちが盗んでいった<もの>もあるじゃないか。まずそれを返すのが先だ。

 よく目にする反応です。共通しているのは、はじめに結論があるのです。すなわち「返したくない」のです。そして「返さない」ための理屈や言い訳が並べられています。悪いことばかりした訳ではない。いいこともしたんだ。自分たちだけじゃない。当時はそうしたことが当たり前だったのだ。返すべき<もの>と返さなくていい<もの>との間にある<もの>はどうするんだ。

 大筋を認めたくないので、細部に拘泥しているのです。要は、自らの罪を認めることができないのです。自らの罪を認めることができなければ、自らが犯した行為に対する責任意識が生じるはずもありません。戦争責任あるいは植民地責任を認識できなければ、害を被った人たちと害を加えた人たちとの間で真の和解が生まれることもありません。「未来志向」などと言っても、空虚なものにならざるを得ません。常に自らの責任をどれだけ軽減できるか、隠し通すことができるかに腐心している限り、未来への前向きな姿勢を示すことにはつながらないでしょう。

 1945年8月に主な官公庁の庭では終日関連する書類を焼却する煙が立ち上っていたと言われます。確かにあるはずの重要な公文書の多くが、存在していません。

 皇居には日本の対外戦争ごとに奪ってきた戦利品を納める「御府」と呼ばれる倉庫群がありました。戦地や占領地で入手した最も素晴らしい価値の高い戦利品が天皇に献上されて「天覧」に供されました。ポツダム宣言受諾後に天皇に戦争責任が及ぶことを避けるため1946年5月から6月にかけてGHQ(連合国総司令部)の将校が御府の所蔵品を検分した上で、7月にすべてが溶解処分とされました。自らに責任が及ぶことを危惧して証拠隠滅を図る前に、奪ってきた国々に返すことが考えられて然るべきでしょう。1948年から1952年までの期間には、賠償物件の引き渡しに携わる「賠償庁」という専門の役所が設置されていたにも関わらず、文化財については対象から除外されました。日露戦争の戦利品として運び込まれた歴史的な巨石は、現在もまだ皇居内に存在しています(第4章参照)。

 日本学術会議は、1973年4月の第63回総会において「中国占領期間中に日本人が正当な手続きによらずして入手、持帰った研究資料(文物、図書等)について速やかに調査し、これを返還する手続きを講じられるよう申し入れる」という「戦時中に中国等から持帰った研究資料の返還について(申入れ)」を当時の内閣総理大臣あてに提出しました。しかしこうした勧告を受け止めた具体的な動きは一切なされませんでした。


3.略奪から収奪へ

 「略奪文化財」の「略奪」には、暴力的に無理やり他者の<もの>を奪い取ることという意味が込められています。かつては「掠奪」という表記も用いられていましたが、現在はもっぱら「略奪」が用いられています。「流出文化財」という人もいますが、それらの<もの>は、津波で流されて今ある<場>にもたらされた訳ではありません。ある<ひと>がある意図をもって本来の所有者の意思に反して、今ある<場>にもたらしたのです。

 「略奪」には暴力的に無理やりというニュアンスがあり、「強制連行」の「強制」に通じるものがあります。合法的ではない、すなわち「不法」に奪うという意味があります。ですから「略奪文化財」の返還に反対する人たちは、これらは決して無理やりに奪ったものではない、当時の法律にも反していない、「合法」的に入手した<もの>と主張しています。「正当」に入手したというのです。しかしたとえ「合法」であったとしても、「正当」ではなく「不当」であるということがあるのです。従来の「略奪文化財」という概念を拡張して「合法」であっても「不当」に入手した文化財を含めた「収奪文化財」という用語を用いるべきです。

 合法的であるが不当に入手した「収奪文化財」の中に不法に入手した「略奪文化財」が含まれています。植民地支配あるいは戦時期の占領地という当時の不当な政治支配体制のもとで入手した不当な「収奪文化財」には、当時の支配者に有利な当時の支配者が制定した法律においてすら「不法」な「略奪文化財」が含まれています。当時の植民地支配という社会的・経済的・軍事的な構造のもとで、不当に入手した文化財は、すべて「収奪文化財」であり返還対象の候補となります。


4.不当な時代を正していく世界

 私たちは、不法(illegal)と不当(unfair)の違いについて考えなければなりません。不法なのか合法なのかについては、明確な一線が引かれます。それが裁判所の下す判決です。しかし本当の意味で、問題が解決するためには、不法か合法かという法律上の議論からさらに踏み込む必要があります。所蔵者自らが、現在の所有には道義的な問題があり、自分たちが所有していることが不当であると納得することが必要です。もちろん何が不当で何が正当なのかは、法律のように明確な一線を引くことはできないでしょう。しかし、法律論を支える道徳論がなければ本当の解決には至らないのです。法律論と道徳論のどちらが優先するのかという二者択一ではなく、双方がそれぞれ補いながらあるべきあり方を目指すべきです。

 不法ではなくても不当であるという道徳上の罪については、法律上の時効概念とは正反対に、長く不当な状態が継続すればするほど、その罪は消失するどころか逆に増大していきます。それは、不当であると認定する道徳的な価値観や倫理概念そして人権思想が、時代の推移と共により強化されていくからです。

 ドイツは、2019年に「植民地由来の収蔵物の取扱いに関する原則的な枠組み」を制定しました。ベルリン国立博物館が所蔵するアフリカ・ベニン王国のブロンズ像など植民地由来の収蔵物について、道徳的に許されないとしています。2021年6月に返還のための法案を可決しました。オランダも2020年に「旧植民地住民の同意を得ずに文化財を持ち出した行為は、歴史的不正義である」という勧告書を政府の諮問委員会が出しました。フランスも2021年11月にパリのケ・ブランリ博物館が所蔵していた西アフリカ・ベナンの美術品26点を返還しました。1892年にフランス軍が、ダホメ王国から奪った文化財です。世界の趨勢は、自らの犯した過ちを認めて、過ちの結果としてもたらされた文化財を元の場所に戻す動き(リドレス:修正運動)が着実に積み重ねられています。


5.そして瑕疵文化財へ

 「略奪文化財」も「収奪文化財」も、どのようにしてそれらの<もの>を入手したのかという入手の経緯に基づく名付けです。これらについて、<もの>自体の性格に基づいて「瑕疵文化財」という名称を提案します。「瑕疵」とは、「傷」を意味する言葉です。「瑕疵物件」とは、不動産取引において何らかの問題を有する「訳アリ物件」です。「瑕疵文化財」とは、当該文化財を入手する経緯において、何らかの不具合・欠陥・欠点すなわち不法ないしは不当な手段で入手した文化財であり、盗掘品・盗難品・戦利品であることを示します。

 盗品としての金銀錯狩猟紋鏡(永青文庫)・菩薩仏像頭部(根津美術館)あるいは戦利品としての石獅子(靖国神社・山県有朋記念館)・鴻臚井碑(宮内庁)の扱いについて考えなければなりません。

 中国・北京の軍事博物館には日本軍の兵器類が多数展示されていますが、攻め込んできた敵国が残していった兵器と隣国に攻め込んで敵国の兵器を戦利品として自国に持ち帰った場合の意味の違いを弁え知らなければなりません。

 「瑕疵」という言葉を用いる理由は、不動産業界で流通している瑕疵物件(事故物件)には、所有者に「告知義務」および「重要事項の説明責任」があるからです。すなわち瑕疵があることを知りながら告知あるいは説明を怠った場合には、宅地建物取引業法第35条・47条違反として罰則規定があるのです。同じように瑕疵文化財についても、それが瑕疵ある文化財であることを、所蔵者は観覧者に告知する義務があり説明責任があるはずです。その義務を果たさない所蔵者に対しては、罰則を科されるべきです。


 不当な状況で入手した倫理的に問題のある「瑕疵文化財」を所有している組織は、「瑕疵組織」です。盗掘品あるいは盗品を所有していることは決して褒められたことではない、むしろ非難されるべきであるという人間として当たり前の感覚を取り戻すことが必要です。


6.奪った側と奪われた側

 すべての<もの>には、それらが作られた<場>があり、ある場合には使われていた<場>がありました。しかしある<もの>は、本来存在していた<場>から持ち出されて(搬出)、新たな<場>に持ち込まれました(搬入)。他国に持ち運ばれたすべての外国由来の<もの>が問題となるわけではありません。注意すべきは、<もの>が持ち運ばれた移動の動機、何を目的として搬出入したのかということです。1886年にフランスからアメリカへ友好の証しとして「自由の女神像」が贈られました。しかしフランスがアメリカに、「自由の女神像」の返還を求めたなどということは聞いたことがありません。1836年にエジプトからフランスに帝国の証しとして「オベリスク」が運ばれました。エジプトの人たちは、フランスに対して、「オベリスク」を元の場所に戻すように求めています。

 元の<場>である占領地や植民地から植民地宗主国・帝国本国に運ばれた収奪文化財は、元の<場>に戻されない限り、その瑕疵である傷が消失することはありません。元の<場>に戻されることによって、初めてその<もの>本来の価値が取り戻されます。しかし元の<場>に戻されるにあたって、その<もの>がもたらされた時と同様に、暴力的あるいは不法・不当に戻されるのならば、それは決してその<もの>本来の価値が取り戻されることにはならないでしょう。むしろ収奪されることによって瑕疵文化財となった<もの>が、再び収奪されることによって二重の瑕疵が上書きされてしまう、言わば「重瑕疵文化財」となってしまうのです。獲った人・収奪した人は、獲られた人・収奪された人の気持ちを理解することが、大変困難です。文化財を奪った人は、奪われた人の気持ちを理解することが容易ではありません。「対馬仏像問題」は、そうした難しさを示しています。かつて獲られた人たちですら、いま獲られた人たちの気持ちを理解することが難しいのです。

 相手の身になって考える、そうしたことを示すために「ロゼッタ・ストーン・ヘンジ」という言葉を提案します。「ロゼッタ・ストーン」は、ロンドンにあるよりもエジプトにあるほうがふさわしいし、「ストーン・ヘンジ」もカイロ郊外の砂漠にあるよりもソールズベリー平原にあるほうがふさわしいからです。文化財とされる<もの>の価値は、その存在の正当性を担保しうる<場>にあって初めて発揮されるのです。

 今まではある特定の<もの>に対して、素晴らしいとかたぐいまれといった賛辞を贈ることばかりがなされてきました。しかし実はこうした<もの>、特に外国の文化財自体に私たちの欲望という「野蛮さ」が表れているのです。それらがある国から持ち出される、それも植民地帝国の人たちが植民地となった土地の文化財を持ち出すということに、私たちの<もの>に対する欲望、独りよがりな「野蛮さ」が表出しています。


7.大切なことは何か

 こうした瑕疵文化財の返還については、ある意味で返すも返さないも現在の所蔵者側の判断次第と考えられています。しかし不当に持ち出された文化財を不当に所有している組織は、いずれ必ずや返さざるを得なくなるでしょう。なぜなら現在の所有者が考えている所有権は偽りの権利であり、本当の所有権はその文化財が由来する地に住む人たち、返還を求めている人たちが有しているからです。

 サン・テグジュペリは「大切なことは、目に見えない」と述べました。また「心で見なければ、よく見えない」とも述べました。異国からもたらされた文化財について、外見的な評価だけではなく、その<もの>が今ある<場>にもたらされた経緯、目に見えない傷を見ることが大切です。

 神社や美術館の庭園に置かれている石像物から、博物館のガラスケースの中に置かれている工芸品に至るまで、<もの>の表面的な外見からは知ることのできない「傷」を見る力を加味した総合的で深みのある文化財評価システムが必要とされています。<もの>を見るとはどういうことなのか、<もの>をどのように評価するのか、こうしたことの捉え直しが<もの>の見えない傷を癒すことになります。私たちが<もの>を見る際により深みのある眼差しを備える一歩となります。

 不当に持ち出された瑕疵文化財を保有することで得ている利益は、不当な利益です。不当に持ち出されたことによって被っている被害は、不当な被害です。不当に得た利益は償われなければならないし、不当に被った被害は贖われなければなりません。

 かつて植民地を支配したことによってもたらされた特権を享受している日本に暮らす者として、あるべき<もの>をあるべき<場>に戻す。そのことによって私たちを取り巻く瑕疵文化財の見えない傷を修復して、文化財本来の価値を取り戻す。文化財返還運動は、目に見えない<もの>を見ることができるようになるための私たちの心の修復運動です。

(いがらし・あきら/慶応義塾大学非常勤講師)

『中国文化財の返還 ― 私たちの責務』中国文化財返還運動を進める会、2022年8月1日。5~13頁。