「不都合な真実」に再照射を −韓国文化財返還問題− 
『東京新聞』2015年2月25日 

慧門(ヘムン)

 2010年8月10日、韓国併合百年に関する菅首相談話が発表された。韓国併合について、「その意に反して行われた植民地支配」との指摘がなされた。そして、文化財返還問題については注目すべき発言があった。日本の統治期間に「朝鮮総督府を経由してもたらされ、日本政府が保管している朝鮮王朝儀軌等の朝鮮半島由来の貴重な図書」の問題を取り上げ、これを近く「お渡し」したいと述べ、その後、返還が実現した。

 文化財返還の問題は、第2次世界大戦後にコロニアリズムの清算、脱植民地化の一環として国際社会で大きく浮上した。東アジアでも1965年、韓日基本条約が締結され、国交が正常化した。同蒔に韓国との文化財・文化協力協定が結ばれた。しかし、日本政府のその後の対応は、文化財間題は「すでに法的には決着済み」との態度で、韓国の返還要求に応じていない。また、2002年9月の小泉首相訪朝による「平壌宣言」と、日朝国交正常化交渉で文化財返還問題も議題に上ったが、現在交渉は中断している。われわれはこのころから北の仏教界とも連携を深め、民間レベルで南北が協力して文化財の還収(取り戻す)問題題に取り組むようになった。

 植民地時代、貴重な文化財の破壊、散逸、流出などが広く見られた。朝鮮王朝実録や朝鮮王朝儀軌もそうした文化遺産の一つだ。それらが東京大学や宮内庁に保管されている事実を知って、私は胸が締め付けられる思いだった。

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 「朝鮮総督府の寄贈」という形で日本に渡った民族の宝物は、一般には公開されず、奥まったところで、あたかも戦利品の豊とくひそかに隠されてきた。

 「還収」を口にすると人々は冷笑した。東京大学や宮内庁−いわば天皇家の所有物の返還は難しいだろう、まるで「卵で岩を打つようなものだ」と。ひとつひとつの事実関係を確認した私は、文化財閻題とは「朝鮮近代史の隠された裏面」に近づくことだと思い至った。

 文化財返還問題は、単純に「持ち去られたから、取り戻す」という問題ではない。帝国主義の侵略と被害を受けた国が、何を失い、何を取り戻すべきかを明らかにすることであった。ある国が主権を奪われ、植民地に転落することは想像以上の傷痕を残す。見たくない過去を直視し、間違いを正すことは誰にとっても「不都合な真実」である。

 そのまま、永遠に埋めておけばいいかもしれない事実を再照射することに、とまどいや抵抗があることも承知している。しかし、あえてそこにチャレンジしたのは、朝鮮半島と日本に真の和解をもたらし、時代の正義と真実を引き寄せることになると確信したからである。

 私は2月9日、「小倉コレクション保存会」から東京国立博物館(以下、東博)に寄贈された文化財のうち、34四点の所蔵を取りやめるよう東博に求める訴えを、東京地方裁判所に起こした。韓国国内にもなく、断じて贈与は売買の対象になりえない、王室伝来の甲冑や王権のシンボルである翼善冠が、なぜ日本に、なぜ東博にあるのか?

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 小倉コレクションは、朝鮮半島で財をなした実業家小倉武之助(1870〜1964年)が植民地時代に収集した。遺族が1982年に1,018点を東博に寄贈した。「東京国立博物館所蔵朝鮮産土器・緑紬陶器の収集過程」には、「特に東洋館の朝鮮考古展示において主要部分を占めたとされるほど逸品ぞろいであった」(荒井信一著『コロニアリズムと文化財』岩波新書)と記されている。

 2014年4月23日、文化庁と独立行政法人・国立文化財機構役員らが記者会見した時、小倉コレクション保存会が寄贈した朝鮮大元帥の甲胃についてただした。文化財が強奪や違法な方法で日本に流出した可能性があるからである。役員らは「遺族から寄贈される前の経緯は、認知していない」と答えた。

 東博が盗掘品や盗難品の疑いを解明もせず、保存会から寄贈を受け、所蔵していることは決して看過できない。「不法に持ち出された文化財は原産国に無条件で返還する」のが、世界の趨勢である。勇気を持って「不都合な真実」と向き合う時ではないだろうか。


(ヘムン=韓国仏教の最大会派、曹渓宗の僧侶。朝鮮王朝儀軌還収委員会事務局長、現在、文化財還収委員会=チェジャリ・チャッキ=代表。著書に『民族文化財を探し求めて』など)