山の雑記帳 15

 今度は本当に阿弥陀岳  1999.06.02 記

 雨はご勘弁  1999.06.20 記

 山 の 名 水  1999.06.29 記

 登山はやはり良い  1999.07.12 記


今度は本当に阿弥陀岳  1999.06.02 記

先々週の5月22日 土曜日は、 山に登ろうと計画していたものの寝坊してしまい、 結局山に行くことをあきらめて秋葉原まで行き、 不要となったパソコンパーツを売却する という行為に取って代わってしまったのであるが、 その時行こうとしていた山、 八ヶ岳の阿弥陀岳にこの日曜日に登ってきた。
一度は行こうとした山であるから そう簡単には引き下がる訳にはいかず、 天候と自分の都合を睨みつつ行く機会を待っていたところ、 あっさりとこの日曜日に登れる状況となり、 喜び勇んで車にて出かけたのであった。

一応 3,000m級に近い山に登るのであるから、それなりの装備 (特に登山靴) が必要だと考え、登山靴として 6本爪の軽アイゼンが装着できる ZAMBERLAN の イサルコと、 私の所有する軽アイゼンの中では 4本爪のものしか装着できない RAICHLE のマウンテントレッカーの 2つを用意して持っていった (こういう時 車は本当に便利である)

というのは、先々週に登ろうとした際に 残雪の状況が心配だったことから、茅野市役所商工観光課 (TEL:0266 - 72 - 2101) に電話を入れて尋ねたところ、 行者小屋より上は雪が多く 軽アイゼンが必要かもしれない と言われたためである。

車が中央高速道須玉IC近くになると八ヶ岳の姿が右手にハッキリ見えるようになり、左手に見える南アルプスの山々が 残雪でまだかなり白い状況であるのに比べて、 八ヶ岳の方はほとんど雪がないように見えたことから、 結局 登山口である美濃戸口からは マウンテントレッカーを履いて出発したのであった。
そして結果は軽い靴にして大正解であった。

ただ結果としては正解ではあったが、実際に行者小屋より上に行ってみるまでは不安で、行者小屋へ向かう途中 下山で擦れ違う人達の靴を見て、殆どの人が 軽登山靴であったのに大いに安心したのであった (擦れ違う人に残雪の状況を尋ねれば良いものを・・・)

実際の雪の状況は 行者小屋近くの樹林帯にわずかと、行者小屋から阿弥陀岳へ登る途中のシラビソ林の中や 北側の斜面に大量に残っていたのと、 赤岳から下山する際に使った 地蔵尾根の樹林帯の中に少々大量に見られただけであり、 一部歩きにくい箇所はあったものの、 いずれも軽アイゼンは不要という状況であった。

私が歩いたのは 行者小屋 − 中岳のコル − 阿弥陀岳 − 中岳のコル − 中岳 − 赤岳 − (地蔵尾根) − 行者小屋 というルートであったが、 このルートは一部の樹林帯における残雪を除けば もう夏山とほとんど変わらない状況で、 特に尾根に辿り着いてからの 阿弥陀岳、中岳、赤岳の稜線歩きは 夏山そのものと言っても良い位であった (天候に恵まれたのが大きい)

そして天候が良かったこともあり、阿弥陀岳、赤岳両方山頂とも展望に恵まれ、特に過去 2回 その頂上に立ったものの ガスが出たりして展望に恵まれなかった赤岳では こ ここ こ をクリック) 今回は 360度の展望を味わうことができ、 初めて野辺山高原側の景色を眼下に見ることができたのであった。

また、行者小屋から阿弥陀岳へと進み、最後に阿弥陀岳山腹を巻くようにして 阿弥陀岳直下の中岳のコルに飛び出した時に 目に飛び込んできた景色は 大変素晴らしいものであった。
そこには 行者小屋とは反対側の景色が拡がっていて、 左側の赤岳からキレットへと下り、 再び権現岳、三ツ頭へと盛り上がる尾根の向こうには 甲府盆地の拡がりが見え、 その盆地の行き着く先に富士山の姿をとらえることができたのであった。
しかし、 時刻は既に 9時半を回っており 太陽はかなり高くまで登っていたため、 甲府盆地や富士山方面はモヤがかかり始めており、 あと 2時間ほど早ければと悔やむことしきりであった。

ところで、 阿弥陀岳や中岳の頂上から赤岳、横岳、硫黄岳へと続く山並みを眺めていると、 この八ヶ岳が相当年をとってきている ということを感じざるを得ない。
古い火山地帯だからかもしれないが、 山肌全体が風化しているような印象を受け、 以前登った大山とまでは行かないものの、 荒れた山肌は 老化に加速がかかっていることを示している と感じずにはいられないのである。
それでも 真夏になれば荒れた山肌を草木の緑が覆い、 冬は厚い雪化粧を施されて 八ヶ岳は見る者を魅了するが、 実体は皺 (しわ) が目立つ老人といったところであろうか。 眺めていて もの悲しさを覚えた というのが正直な気持ちである。

さて 話は変わり、 今回のこの時期としては結構多くの人たちと擦れ違ったが、 若い人たちも多かった反面、 やはり私も含めて中高年の方々も多く、 先般の浅間山の事故があっただけに 少々心配になってしまった。

と言うのは、登山靴の件を初めとして 私はこの時期に 3,000m近い山に登ることに結構 勇気と決断 を要し、 結果としては全て杞憂に終わったのであるが、 他の登山者はこの時期に このような高山に登ることに何の躊躇い (ためらい) も感じなかったのだろうか ということである。

事前に山の情報を良く収集してから山に入ったのであるのなら大変申し訳ないのだが、結構軽装で (中にはランニング & 短パン姿の中年の方もおられた) またかなり老齢の方も当然のようにして登っておられたものだから、 これはこの山を良く知った上での行動か、 あるいは山を知らぬが故の結果オーライということなのか と若干の危惧を抱いたのである。
以前に 6月の武尊山に登ってその残雪の多さに大変驚かされたことがあり、 またゴールデンウィークに四阿山に登ろうとして 凍った残雪に敗退を余儀なくされた経験があるから、 私は少々ナーバスになっているのかもしれないのだが、 私より年輩の男女が当たり前のように軽装で登っているのを見て、 この時期の八ヶ岳の状況に対する自分の認識不足を恥じるとともに、 本当に彼らは 状況を十分把握した上での登山なのか とビックリしたのである。

あまりうるさいことをいっても仕方がないが、もしかして結果オーライの登山の方が多かったとしたら、先般の浅間山の事故も 起こるべくして起きた という気がする。
と、 まああまり余計なことを言い過ぎると皆さんの顰蹙 (ひんしゅく) を買いそうであるが、 それこそ私の考え過ぎ、 杞憂 ということになってもらいたいものである。


先程も述べたように今回の登山は天候に恵まれ、大変素晴らしいものであり、初夏の山を大いに満喫したのであった。
そして、 太陽の日差しもかなり強かったものだから かなり日焼けしてしまい、 首筋と腕は真っ赤になってしまった次第である。 登った時の服装が長袖のラグビーシャツだったことから、 腕まくりした肘関節下 5cmより前の部分だけが 真っ赤になっており、 裸になると結構みっともない。
二の腕部分も焼いて バランスがとれるよう次回の山行では帳尻合わせをしたいと思う。

しかし、 この時期にこんな高山に登ってしまい アルペンムードを満喫してしまうと、 これから冬までの間、 登る山選びが大変である。
別に 2,000m以下の山をどうのこうのと言うつもりは全くないが、 やはり低い山に登るのは冬がメインで、 それまでは 2,500m以上の山に大いに登るべし と強く感じた今回の山行であった。


雨はご勘弁  1999.06.20 記

梅雨に入ったというのに先週、先々週の土日とも良い天気となり、山に行くには申し分のない状況であったにもかかわらず、 私は山に行けなかった。
このところ仕事が忙しかったため、 身体が睡眠を強烈に欲していたからであるが、 お陰で身体から汗が抜け出ないままの状態がズッと続いており、 従って毎日の通勤が苦痛である。

ここは一度塩が吹き出るくらい汗をかいてスカッとし、体の調子を整えたい気持ちなのだが、あいにく今度の土日は雨模様のようで、 今月は またまた山行のピンチかもしれない。

ただ、雨の日に山に行ってはいけないというルールはないのだから、ここは体調を整えるという目的でどこか近間の山に登ってくる手はある と思い、 色々考えたものの、 結局は今回も自宅待機という結果になりそうである。

山に行ったら 結果として雨に降られたということはあっても、雨が完全に降ると分かっていながら山に行くことや 雨が降っているにもかかわらず山に向かうというようなことは、 登山を始めた頃には何回かあったものの、 だんだん体力・気力が衰えてきた今では 避けたい心境である。
やはり初めて登る山 (この頃は極力初めての山、 初めてのルートを取ることを心懸けている) ならば、 天気の良い日に登りたいし、 山頂からの展望も できるだけ得られた方が良いに決まっているからである。

雨が強く降っていれば途中での食事にも困る訳で、甲斐駒ヶ岳では片手に傘をさして、もう一方の手に握り飯を持って 登りながら食べた覚えがあるし、 安達多良山では 結局宿で作ってもらった握り飯を食べないまま 下山してしまったのであった。

また、雨の日の登山は下山後の手入れも結構大変で、泥だらけのレインスーツなどの処置が大変面倒だし、登山靴なども 放っておくとカビが生えたり、 皮が固くなってしまうこともあるので、 無精な私にとっては この上なく苦痛である。

従って雨の日は絶対避けたい心境なのであるが、登山の日程が先に決まっていて切符や宿の手配をしてしまっているために、 雨と分かっていても 出かけなければならない時や、 現地で雨に遭遇してしまうといった時があり、 こういう場合は泣きたい気分である。

しかし、一旦雨の中を登る覚悟をしてしまえば、それはそれで楽しみがある訳であり、例えば 周囲の景色に心を奪われるチャンスも少ないことから、 黙々と歩き、 色々な事柄について 頭の中を整理する良いチャンスにもなるのである。

しかし、最初からそのように黙々と歩くことを喜びとして山に登るわけではないのだから、やはり雨は極力避けたい訳で、 従って 以前にも述べたように 私は天気予報を事前に良く聞いて、 天候が良さそうだったら山に行くことを決め、 それから登る山を選ぶ場合の方が多いのである。

このため、天候の急変でもない限り雨に降られることはないということになり、こうした天気の良い日の山登りという状況が ずっと続いているため、 雨に対する嫌悪感がますます増してくるということになるのである。

それでは過去どの位雨に降られたのであろうか。
百名山を例にとってみると、 雨に降られた山というのは 14ほどで、 雨との遭遇確率は 18%。
事前に天気予報を調べている割には 結構高いパーセンテージのような気がする。

もっともこれら雨に降られた山の多くは、事前に山行の日が確定していたためのものが多く、仕方がないといえば仕方がない。
しかし、 今下表のようにまとめてみると、 雨でもそれなりに楽しんだ気がする。
『雨の山もまた楽し』 ということになろうが、 やはり雨は気が進まない。

これから梅雨明けまでの間、どう雨を避けて山に登るかが課題である。
でも、 例えば山梨県では雨でも他の地域が晴れているのなら、 その晴れている場所へ行けば良い訳で、 車をフルに使って 機動力ある登山目指すことで 何とか凌いでいきたいと思っている。

山 名状                         況
丹 沢 山最初の単独山行。ゴアのレインウェアではなかったこともあって、レインウェアの下はビショビショ。
途中から日が射す。
金 峰 山途中で雷も鳴り出す。金峰山小屋に入ってから大雨。
翌日の山頂では素晴らしいご来光を拝む。
瑞 牆 山下山してから大雨に遭う。瑞牆山荘から増富鉱泉までの車道歩きは大雨の中。
下山後の増富鉱泉入浴が極楽。
鳳 凰 山北御室小屋跡付近で雨となる。鳳凰小屋に入った途端、大雨。
翌日の地蔵岳登頂時は晴れ。
甲斐駒ヶ岳竹宇駒ヶ岳神社から七丈小屋まで雨の中を登る。
有り難いことに、翌日は快晴の中の登頂となる。
安達多良山道に迷って時間をロスしているうちに雨。従って頂上での記念写真撮れず。
ロスった時間が大変悔やまれる。
黒部五郎岳五郎のカールから肩までの登りは嵐の中。強い風雨の中、先が見えないため不安を抱えながら登る。
奇跡的に頂上では雨が止む。
宮之浦岳朝からずっと雨。やはり屋久島は 『1ヶ月に35日雨が降る』。
岩 手 山焼走り登山道の途中からずっと雨。頂上はガスで全く視界がきかず、火口を一周するも、
現在地が分からなくなり一瞬パニックに。
剣 山朝から雨。残雪の中を進む。頂上では奇跡的に雨が止む。
登りから下りまで1回も人に会わず。
美 ヶ 原傘だけで済む程度の雨。頂上近くに来て雨が上がる。
大台ヶ原大台ヶ原駐車場から日出ヶ岳、桃ノ木山の家までずっと雨。
翌日は晴れたので、日出ヶ岳に登り返す。
仙 丈 岳登山口から馬ノ背ヒュッテまで雨。雨は晴れたものの、頂上はガスで展望得られず。
タイミングの悪いことに、小仙丈岳に着く頃には快晴に。
光 岳天候不順。途中からずっと雨。テントを張る時と、光岳頂上に行った時だけは雨が止んでくれた。聖岳への縦走あきらめる。
翌日も雨の中を下山。
ここに掲げたのは、登っている途中に降られた山であって、小屋などに入ってから降られた山は除いております。
また、何回も登っている山については、第1回目の状況を書いています。

山 の 名 水  1999.06.29 記

このところ毎日仕事が忙しいため、家に帰ってからホームページの更新をする気力・余裕がなく、週末に辛うじて更新する日々が 続いている。
おまけに 山の方は梅雨たけなわ ? であることから 週末の天候に恵まれず、 6月はとうとう 4月に次いで山行 "ゼロ" の月となってしまい、 従って この山の雑記帳に書く題材に事欠く状態がなっている。

本当の山好きならば雨も厭わず出かけていくのであろうが、この頃は山を始めた頃のガムシャラさがなくなってしまい、 山行に対する注文 条件が多くなっている。

しかし、前に述べたように、月 1回ほどしか山に登っていないのであるから、このペースで行くと生涯に登れる山の数は多寡がしれている訳で、 それならば良いコンディションの時に登りたい と思うのは当然の心理でもある。
しかしそうは言っても、 月 1回山に登るということが基本なのであり、 このペースを狂わせてしまう位なら、 やはり雨の中でも山に行くべきだ とも思ってしまう。
などと、 色々な考えが頭の中でグルグル回っていたりするのだが、 結局はこのところ 家でゴロゴロするという楽な方を選んでしまっている のが実状である。

一旦山に行き出すと、テンションも上がってドンドン山行への意欲も増してくるようになるのだが、一度沈滞ムードに陥ると なかなかそこから抜け出すのが難しいということもあり、 現在は悪い方に回転している状況と言えよう。
これを打破するには、 やはり梅雨の晴れ間をねらって 早く山に行くことが一番良い訳で、 是非とも次週に期待したい。


さて、 こうなってくると山の話題もほとんどないので、 他愛もない話を少し。

だんだん暑くなってくると水を飲む量も増えてくるのだが、現在は私は市販の天然水 (ナチュラル ミネラル ウォーター) を飲んでいる。
宮崎に単身赴任する前までは、 水道の水に 例えばミネラル麦茶のような麦茶のパックを入れて冷やし、 それを好んで飲んでいたのだが、 宮崎では 1DKとは言え 4階建てのマンションに住んでいたものだから、 一旦屋上に水を貯め そこから供給しているシステムに何となく抵抗感があり (カビなどが心配) 市販の水を飲むようになったのである。

以来、水道水は飲む気がしなくなって、好んで市販の天然水を飲むようになっているのだが、ただし横浜の水道水であるならば、 先に述べた麦茶にしておくことによってカルキも飛び、 決して飲めない訳ではないことを付け加えておく。

現在手元にある天然水は、コマーシャルでお馴染みの 『南アルプスの天然水 (甲斐駒ヶ岳・白州) であり、値段も安いこともあって、 宮崎時代に良く飲んでいた 『六甲のおいしい水』 と双璧をなす 私のお気に入りである。

ただ、私に産地による水の味の違いなど分かるはずもないから、私の大好きな 甲斐駒ヶ岳 近辺が産地であることが 気に入っている理由 というのが本当のところであろう。

そういえば、雨水が大地にしみ込み、何年も経ってから湧き出てきた水が天然水として売られていることから、天然水には 結構山の麓で採取したものが多く、 従って山の名をブランド名に冠したものが多い。
六甲然り、 甲斐駒ヶ岳然り、 他に正式名称は忘れたものの 立山産の天然水や、 富士山の地下水もあるし、 大清水なども有名である。

そういえば宮崎では霧島の水というのもあったような気がするし、阿蘇白川水源の水もあった記憶があり、全国にご当地水 ? が結構売られていると思われる。
地酒ならぬ地水ということになろうが、 酒ほど味に優位さがある訳でもないから、 全国の水を集める といったマニアもいるとは思えない。 せいぜいペットボトルについている ラベルだけを集める といったところかもしれない (余談でした)

さて、実際に山に登った時、その途中に湧き出る水に喉を潤し、その冷たさと甘露なる味に幸せを感じる時が結構多いが、 この山中で飲んだ水の評価は 少々割り引いて考えなくてはならないかもしれない。
山で飲んだ時は喉が極端に乾いていたり、 体が堪らなく水分を欲している時なので、 感覚が少し鈍くなり、 水なら何でも美味しいと思う可能性も強いからである。

その証拠に、私のマルキルの 1.5リットルの水筒に詰めた横浜の水道水でさえ (山に行く場合は天然水ではなく、 やむなく水道水を使うことが多い) 山中では大変美味に感じることが多いのである。

しかし、そうは言ってもやはり山の湧き水の美味さはそこに含まれるミネラルなどによって SOMETHING ELSE があるに違いなく、特に沸かしてお茶などを入れた場合に、 喉にピリピリこないまろやかさには 大いに感心させられるところである。


人間は水無しには生きていけないのだから、 水に対する愛着も一際強い訳で、 さらに日本人の "百" 好きもあって、 この自然に湧き出る水の世界にも 『百名水』 がある。

知っているだけでも環境庁が選定した 『名水百選』 や、写真家 南 正時氏が選定した 『名水の旅 100選』、そして山岳写真家 山下 喜一郎氏の選定した 『山の百名水』 があり、 中でも山好きの私にとっては 『山の百名水』 は隠れたる愛読書である。

この本には作者が足かけ 3年に亘って全国を歩き回り実際に目で確かめ選んだ名水が掲載されており、その選定基準は 『その場で飲めて、 見た目に美しい』 ということだそうである。
美味しいという要素が含まれていないが、 山の水は全て美味ということなのかもしれない。 もしそうならちょっと異論がある。
例えば、 甲斐駒ヶ岳の七丈小屋では流水を飲料水にしているが、 この水は何となく苦くあまり美味に思えなかった記憶があるからである。 しかしまあ、 あまり細かいことを言うのはヌキにしよう。

この 『山の百名水』 は、利尻山の甘露泉水に始まって最後は屋久島のウィルソン清水で終わっているのだが、残念ながら 私はそのリストに載っている名水御当地の山には登っても、 実際にその名水を見たり飲んだりしたものは結構数が少ない。

しかし、中には自分の印象に残っている水場が掲載されていて嬉しく思うものもあり、その代表格は甲武信岳の笛吹川源流である。 この水は、 登山での喉の乾きによるハロー効果 ? を割り引いても、 冷たくて美味しく、大変印象に残っている。
甲武信岳に登った 2回ともこの水場を訪れているが、 『山の百名水』 の作者も書いているように、 この源流に辿り着くには結構山を下っていく必要があり、 その分登り返す辛さはかなりのものがある (名水は簡単には手に入らないということか・・・)

この 『山の百名水』 は見ていて楽しく、 山岳写真家だけあって 掲載されている水の写真の迫力に圧倒される思いである。
しかし、 一方で私自身が名水を選ぶなら、 味や見た目ということよりも 山中でホッとさせてくれた水場を選んでみたい と思っている。

喉が乾き、体が疲れて休憩を欲している時に、目の前に現れた水場は、名が知られたものではなくても、その時の自分にとっては 大変素晴らしい名水なのである。

そういった意味ですぐに頭に浮かぶのは、乾徳山の錦晶水、茅ヶ岳の女岩、苗場山の雷清水、空木岳池山小屋の水場、磐梯山弘法清水、 笠ヶ岳笠新道下り途中の水場、 高妻山一杯清水、八甲田山八甲田清水、 恵那山山頂手前の水場、大峰山行者還岳直下の水場、 悪沢岳・千枚岳清水平 といったところであろうか (湧き水だけではなく、流水も含んでいます)

これらは 『百名水』 には選ばれずとも、その時の私のとっては何よりの御馳走、名水だったのである。
そういえば、 丹沢でも不動ノ峰直下の崖下に水場があったが、 今はどうなっているであろうか。
暑い夏、 大倉から檜洞丸まで縦走した時、 この崖下まで降りて飲んだ水の美味かったこと。
これも私のとっては名水である。


良く読むと今回の文章は支離滅裂である。時間のない中、急いで書いたのでご容赦下さい。
     m(_ _)m

登山はやはり良い  1999.07.12 記

5月30日の阿弥陀岳・赤岳登山から約 1ヶ月半ぶり、 ようやくこの土曜日 山に登ってくることができた。

この間、天候から言えば梅雨に入ってしまったとは言うものの、山に行くに相応しい天気は何度もあった訳で、偏に自分の怠惰を責めるしかない。

登ってきた山は上越の平標山 (たいらっぴょうやま)、登山口は国道 17号線沿いにある元橋から登ったのであるから、 一般向けコース といったところであろうか。

実はこの土曜日も関東地方は雨の予想であり、今回も山行はヤメかなと思っていたのだが、さすがに 1ヶ月半も山から遠ざかっていると 何となく焦りを覚え、 何でもいいから雨を避けられる地域はないか とインターネット上の 天気予報に目を凝らしたのであった。
すると、 この土曜日はありがたいことに山梨県や長野県、 そして新潟県が晴れの予報となっていた訳で、 これを逃す手はないと、 急遽金曜日の夕方に 翌日の山行を決めたのであった。

従って、例の如く行き先に若干迷いがでてしまった次第で、当初は張り切って南アルプス鳳凰三山の一つである 地蔵岳を日帰りピストン登山しよう などといった無謀なことまで考えたのであるが、 このところ 仕事が忙しかったりして夜更かしが続いていることや、 1ヶ月半の間に ほとんど運動らしい運動をしていなかった自分の体力を考え、 少々物足りないかなと思いつつ、 この平標山に決めたのであった。

無論平標山は急に思いついた山ではなく、10年ほど前に谷川岳に登るために購入した 山と渓谷社のアルペンガイド 『谷川岳、上越の山』 を当時何回も読んでいるうちに (当時はガイドブックを読みながら 登山コースなどを考えるのが大変楽しみだった) 登ってみたい山の一つに数え上げていた山だったのである。

ただ、登山口として紹介されていた元橋に行くには新幹線を使って越後湯沢まで行かねばならず、そこまでの交通費を考えると 日本百名山というような大義名分がない限り 馬鹿高い費用を出す気になれず、 二の足を踏まざるを得なかったのである。

しかし、車を使えばこの平標山へのアプローチも容易になるわけで (金銭的にも物理的にも)、横浜から往復 400キロ、 そこまで長くても行く という動機付けをもたらすには 少々パワーが足りない山ではあるが、 今回は山への飢餓感の方が勝ち、 明るい太陽の下での登山を求めて 思い切って行くことにしたのである。

こうなるとなるべく早く家を出たい訳で、朝の 3時半に目覚ましをかけていたのであるが (それも 2つ)、前の日は寝たのが 12時過ぎ、 しかもその週はずっと寝るのが遅かったこともあったから 体が疲れていたのであろう、 ハッと目が覚めたら 4時半であった。

目覚ましが鳴ったという記憶は全くなかったのであるが、しっかり目覚ましのアラームスイッチが切られていたことから 無意識のうちに自分で切っていたものと思う。 やはり体が疲れているようである。

1時間も起きるのが遅れたため、これからの交通路、特に環状 8号線が混んでしまうのではと思い、一瞬他の山に変えようか という考えも頭に過ぎったのであるが、 それもまた情けない気がして、 少しぐらい現地到着が遅くなったとしても登ろうと思い直し、 慌てて身支度を始めたのだった。

家を出発したのが 5時10分、東名高速に乗って用賀ICで降り、そこから環状 8号線を北上し、谷原交差点経由で関越自動車道 練馬ICに入った。
ありがたいことに道は比較的空いており 順調に進んだのであったが、 1時間寝坊した差は大きく、 月夜野ICで高速を降りて国道 17号線に入り、 三国峠を越えて元橋にある平標山登山口に着いたのは すでに 7時50分過ぎであった。

この時間になると平標山登山口の広い駐車場はすでに多くの車で埋め尽くされており、舗装駐車場や砂利を敷いた駐車場は全て塞がっていて、 仕方なくデコボコで土むき出しの第二 ? 駐車場に止めた次第である。 やはり寝坊はイカン。

コースはこの登山口から 2つ出ており、一方は途中 松手山を越えていくやや登りがきついコース、もう 1つは林道をずっと進んで 平元新道に取り付き 平標山ノ家経由で登る 比較的楽と言われているコースである。

寝不足が続きちょっと気だるい感じがしていたので、体力的に楽なコースを選んでも良かったのであるが、そこは腐っても何とやら、 自分の心が許さず 松手山コースの方を選んだのは言うまでもない。

松手山のコースはやや登りがきついというから、登る人は少ないかと思ったらとんでも無いことで、コース上に多くの人がいるのには 大変びっくりさせられた。
登山記録の詳細は近日中にアップするが、 いやはや今回の登山では 本当に人が多かったので参ってしまった。

まず、登山口にある駐車場の埋まり具合は先ほど述べた通りであるが、その駐車場も登山口専用の駐車場としては並のものではなく、 その広さにびっくりさせられたのであり、 そこがほぼ埋まっているのだから この山の人気の高さを思い知らされた次第である。

そして尾根道も、先に述べた通り、松手山コースは登る人が少ないかな などと淡い期待を抱いたのは間違いで、 かなりの混雑であった。
平標山の頂上もこれまたかなりの混雑で、 これ程混雑している山に登ったのは 早池峰山以来のような気がする。

平標山からさらに足を伸ばして登った仙ノ倉山頂上も 狭い所に多くの人がひしめき合っており、久々の登山であった私は、 その人の余りの多さに若干失望させられたのであった。

しかし、山自体は 2,000m前後の高さしかないとはいえ、なかなか起伏に富んでいて素晴らしく、気持ちの良い草原を行く という風情は近くの巻機山にも通ずるものがあり、 また途中にいくつか見られた ヨツバシオガマなどの高山植物も 大いに私を楽しませてくれたのであった。

従って、人が多くて失望したなどというのは私の我が儘である訳で、山は誰のものでもないのだから混んでいる山もまた その山の姿なのであり、 皆登山の対象としてこの山を楽しんでいるのだから 文句を言ったら罰が当たるのである。 でも、これほど良い山であるからこそ 1人で尾根を歩いてみたかった という気が強くする。 季節は晩秋の方が良かったかもしれない。

さて、山の行程自体は世間の評価通り 一般向けコース といったところであるが、この日の私にとっては結構きついものがあった。
例の如く急遽決めた山なので、 良くした調べもしていなかったこともあって、 何回も目の前に見えるピークが 目的の平標山だと見誤り、 残っているエネルギーを出し切って登り着くと そこは単なるピークの 1つでさらに先に山がある というパターンを繰り返し、 さらに身体が鈍っていたことから ややバテ気味の山頂到着であった。

毎日の不摂生が登山でもろに響いていることを実感させられる一方で、頂上へと続く尾根の形の良さや地形の素晴らしさ、 美しい植物、 疲れた身体を癒してくれる心地よい風、 振り返れば自分の登ってきた高さを実感できる達成感など 様々な山の持つ魅力、 あるいは 登山という行為が持つ魅力を思い出させてくれたのであった。

平標山、仙ノ倉山の両山頂ではガスに囲まれ、展望を得られなかったのは残念であるが、久々に登ったこの山のお陰で、 また登山への意欲が湧いてきた気がする。 ヨカッタヨカッタ。

ところで、下山は平標山から平標山ノ家を経由して平元新道を下り、林道を歩いて駐車場まで戻ったのであるが、このコースは 林道歩きが長くてウンザリさせられるし、 また平標山ノ家から平標山までのおよそ 4、50分 (登り) の間を 全て木道や階段を使わねばならず、 コースとしては登る距離が短く楽なのかもしれないが、 登山を楽しむには些かお勧めできない気がする。
特に階段登りの苦手な私にとっては、 松手山コースをとって良かった と心から思った次第である。

それにしても久々の登山は良かった。 日差しは結構強く、 お陰で腕は前回の阿弥陀岳登山の日焼けが消えかかっていたのを またしっかり焼き直してくれた訳で、 今でも腕や首がヒリヒリする。
やはり山登りは天気が良いに越したことはない。


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