八ヶ岳( 赤岳:2,899m ) 1998.7.18 登山


 硫黄岳直下から赤岳を望む( 1998.7.18 )

【八ヶ岳再登山記録】

【八ヶ岳再登山データ】

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初回登山


八ヶ岳再登山記録

8年ぶりの 八ヶ岳である。
前回は新宿を夜の 12時前に出発する夜行を利用したのだが、今回は自由度を求めて車を使ってのアプローチを試みた。

横浜の自宅を朝の 4時半に出発し、 八王子ICから中央自動車道に乗って小淵沢ICで降り、そのまま八ヶ岳有料道路を進んで美濃戸口まで一気に飛ばし、 大勢の人々でごった返す美濃戸口の駐車場に着いたのが 7時少し前であった。
ガイドブックにはさらに先の美濃戸まで車で行けると書いてあったのだが、美濃戸口の駐車場の混雑を見るととてもこれより先に駐車スペースが残っているとは思えず、 また駐車場の人が 「車道兼登山道を歩く人が大勢いるのでここで車を止めた方がよい」 とアドバイスしてくれたこともあり、 前回と同じように美濃戸口から出発することにする。

前回は、茅野駅に降りたのが真夜中で、タクシーにて美濃戸口まで行って暫く時間を潰した後、 まだ夜が明けない中、懐中電灯を頭につけての登山であったが、今回は太陽が既にかなり高くまで昇っており、 青い空の下、心弾む出発であった。
美濃戸までの車道は車 1台が通れる位の幅しかなく、また駐車場の人が言ったように大勢の登山者が歩いていたことから、 美濃戸口で車を止めたのは正解のようであった。
それでも、6、7台の車が私を追い越していったが、現金なもので、当初自分が美濃戸に車を止めようとしたことを棚に上げ、 車が通る度に一々道路脇に避けねばならないことに腹を立てて悪態をついている自分に気づき、赤面した次第である。

やがて美濃戸に近づくと、目の前に 阿弥陀岳の姿が見え始め、 前回ガスで全く展望を得られなかっただけに、今回は 「ついているぞ」 という思いが強くなり、 歩みも自然に早くなる。
美濃戸からは前回と同じように右の柳川南沢沿いの道をとって樹林の中を進んだが、多くの中高年のグループが道を塞ぐように前を歩いていたため、 抜かせて貰うのにかなり苦労する。
しかし、それも樹林を抜け、荒れ果てた白河原を歩く頃には、ほとんど前後に人が見えなくなる。
目の前には逆光の中、八ヶ岳の荒々しい稜線の凸凹が見え始めている。
そして、再び樹林帯に入った後、また荒れ果てた白河原に出ると、 やがてすぐに行者小屋の前に飛び出すことになった (午前9時00分着)

行者小屋の前からは、赤岳よりはむしろ 阿弥陀岳の方が魅力的に見え、一瞬コースを変えようかという浮気心さえ出たが、阿弥陀岳>とは反対側にハッキリ見える大同心や硫黄岳の姿も捨て難く、 結局 完全に前回と同じルートを辿ることにする。
行者小屋から文三郎道に入り、前回の記憶通りの急な登りを喘ぎながら登っていくと、右後ろには阿弥陀岳が益々立派に聳えて見え、 反対側では横岳、硫黄岳へと続く稜線がこれまた魅力的な姿を見せており、青い空の下、登山はやはり晴天に限ると強く認識させられたのだった。

ところがである、前回はなかったような気がする丈夫な金網で作られた階段の道を登って行くと、 徐々に下からガスが昇って来始め、稜線上に見える赤岳・阿弥陀岳分岐の標識がすぐそこに近づいた頃には、 またもや 8年前と同じ状況になってしまったのである。
そして、稜線に飛び出してから岩場、鎖場を登っての 赤岳の頂上まではほとんどガスの中となり、 おまけに狭い岩の間の道を上から降りてくる中学生の団体に塞がれて進むことができず、イライラが募るばかりであった。
6、70人の団体が降りてくるのをずっと待っていなくてはならないというのは耐え難く、終いには大声で 「登り優先」 と怒鳴って先に進ませて貰ったが、 決してこの中学生達に悪気があるのではないことは分かっているし、また皆 挨拶をしてくれたので好感さえ抱いたのだけれど、 団体を統率する先生はもっとマナーを考え、指導力を発揮して欲しいものである。

さて、こうして着いた 赤岳頂上 (10時25分着) は、 前回と同じ様にガスの中であったが、暫くウロウロしていると、美濃戸側のガスが晴れ始め、やがて中岳、阿弥陀岳へと続く稜線、 そして先ほど休憩した行者小屋の姿がよく見えるようになり、やや溜飲が下がった思いであった。
20分ほどいた 赤岳頂上を後に、頂上小屋の前を通り、赤岳天望荘 (旧赤岳石室)へと下ったが、 ここの急坂はなかなか厳しく、しかも鎖が付けられている所はオバサン達に占領されて渋滞していたので、そのやや左側を下ることにした。
しかし、ここの岩は脆く崩れやすく、自分が滑らないように、そして岩を落とさないようにと、注意を払いながら慎重に下ったので、 この日 一番神経を使ったような気がする。

赤岳天望荘で一息入れて 赤岳を振り返ってみると、 やはりガスの中で姿が見えず、ようやく地蔵尾根の下り口付近でガスの中にボンヤリとした姿を見ることができただけであった。
地蔵尾根の分岐からはいよいよ横岳、そして硫黄岳への縦走路の始まりである。
前回は事前に読んだガイドブックに散々脅かされて大変な難所と思い込み緊張して臨んだものの、意外に呆気なかったという記憶があるが、 今回もどうかと思っていたら、やはりそれ程難しい所はなく、慎重さ持ち合わせていれば全く問題ないことを再認識した次第であった。
もっとも、前回よりも道が整備され、鎖や梯子などの設備も充実していたようにも思えるが、それにしても小学生低学年の女の子も平気で通っていたのだから、 レベルは推して知るべしである。

順調に足を進めていくと、嬉しいことに三叉峰を過ぎ、横岳を通過する頃には、ガスもすっかりなくなり、 振り返ると今までなかなかその全体の姿を見せなかった 赤岳がようやく姿を見せ始め、 またこれから進む方向のガスも晴れ始めて、ズングリとした硫黄岳の姿が見えるようになる (その向こうには 蓼科山も見えた)
そしてガスの中、ヘリコプターの爆音がうるさく響いていたのが気になっていたのだが、ガスが晴れると進行方向右手下方の山腹にホバリングしているヘリの姿が見えるようになり、 「山岳事故があったのかな」 と思っていたところ、翌日の新聞でグライダーの墜落事故現場であることを知ったのであった。
このように事故の現場が目と鼻の先であったということを思うとゾッとするが、一方で登山においても自分が事故に遭わないようにしなくてはと心を引き締めた次第である。
事故で亡くなられた方のご冥福を心よりお祈り致します。

横岳を過ぎてからは、明るい太陽の下、展望もすっかり開けて気持ち良く歩くことができるようになる。
そして周辺にはコマクサも見られ、なかなかのアルペンムードを満喫する。
硫黄岳山荘にて少々休憩した後、硫黄岳への登りにかかったが、前回は全く展望がきかずにガスの中にボーッと現れる大きなケルンを目印に登ったことを考えると、 今回は、振り向けば阿弥陀岳、中岳、赤岳、横岳といった 八ヶ岳の主要な山々の姿を見ることができ、 大いに満足を覚えたのであった。
なだらかな傾斜を登って着いた硫黄岳の頂上は、まるでピクニック場のように人でごった返している。
そして、今回初めて目にした火口跡の凄まじさとともに大いに驚かされたのであった。

下山は、前回は火口に沿って下り、夏沢峠から本沢温泉、ミドリ池を経て稲子湯にて汗を流し、 バスにて小海線の松原湖まで行ったのだが、今回は車で来たこともあり、まず赤岳鉱泉に下ってから、 登りに使った柳川南沢沿いの道とは反対となる柳川北沢沿いの道に入り、美濃戸へと向かう。
この下山路では、「山の雑記帳:夏休み前のプレ登山」 にも書いたように、午後も遅く、 2時、3時となっても次から次へと多くの人が登ってくるのに驚かされるとともに、その度に道を譲らねばならないため些か辟易とさせられたのだった。
そして、樹林帯を抜けて北沢沿いの林道に入ってからは、その林道の長さに本当にウンザリさせられ、 よくもまあ皆さん南沢ではなくてこちら側の道を選ぶものだと半ば呆れてしまった次第である。

そして、午後3時50分、無事に美濃戸口の駐車場に戻ることができたが、 天候に恵まれた中、久々の 3,000m級に近い山にバテることなく登ることができて、 夏休みの南アルプス縦走を前に体力に自信をつけることができた素晴らしい 1日であった。

しかしそれにしても、赤岳鉱泉前より見た大同心は、まるで達磨大師が座禅を組んでいるように見えてビックリさせられたし、 また稜線上での 赤岳や阿弥陀岳の姿、硫黄岳の火口跡、 下り斜面から見た硫黄岳の美しさなど、今回は素晴らしい風景に出会った山旅であった。
こういった素晴らしいものを目に入れずして 八ヶ岳に登ったと自負していた自分の愚かさを恥じ入った山旅でもあった。


八ヶ岳再登山データ

上記登山のデータ登山日:1998.7.18 天候:晴(時々ガス)単独行日帰り
登山路:美濃戸口−美濃戸−行者小屋−赤岳−横岳−硫黄岳−赤岳鉱泉− 美濃戸−美濃戸口
交通往路:瀬谷−八王子IC−(中央自動車道)−小淵沢IC−美濃戸口(車にて)
交通復路:美濃戸口−小淵沢IC−(中央自動車道)−八王子IC−瀬谷(車にて)


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