登山NO.0050 大  山( 大山:1,729m ) 1994.9.3登山


 剣ヶ峰から見た大山(弥山)( 1994.9.3 )

【大山登山記録】

【大山登山データ】

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NO.50 大山登山記録

百名山も49を登り、節目となる50番目の山をどこにしようかと考えたが、単身赴任地宮崎からは行ける山も限られており、 結局中国、 四国地方の中から大山を選ぶことにした。

年休を取得して登っても良かったのだが、9月初めは少々仕事が忙しかったため、年休をとらずに土日だけで登ることを前提に、 どういう行程をとるべきか頭を捻った (こういうプラン段階も楽しいものである)

結局、金曜日の業務終了後に宮崎空港から伊丹空港まで行き、そこから大阪へ出て、その後夜行列車で米子に行くのが一番良いであろう という結論に達したが、 帰りも飛行機を使うのは金がもったいない気がしたので、 帰りは夜行バスで九州小倉まで行って、 そこから日豊本線で南宮崎まで戻る計画を立てた。

このような予約 (飛行機、夜行列車、夜行バス) を必要とする山行がつらいのは、天候によって臨機応変に対処することが難しく、 雨でも無理をしなければならないことである。

心配していた通り、出発の日が近づくにつれて天気予報は芳しい報告をしてくれず、やきもきしながら飛行機に飛び乗った。

夜、大阪駅を出発した時には晴れていたのだが、夜が明け列車が米子に近づいたところで目を覚ますと、 雨がかなり降っており、 我が身の不幸を嘆くハメになった。
しかし、 雨は降っているものの手元の気圧計 (腕時計に装備) の値はぐんぐん上がっており、 ひょっとするとと思ったら、 嬉しいことに米子駅でバスを待つ間に雨は止んでくれたのであった。

米子駅から1間強バスに揺られ、終点の観光会館前から旅館、土産物店が立ち並ぶ中を進んで途中で右折し、 橋を渡って暫く進むと、 左手に登山口の指導標があった。

登山口から暫くは石の階段が続いており、1合目の標識を見た後はいわゆる山道となったが、途中で登山道右手の 阿弥陀堂に立ち寄るなどして、 体に調子が出てくるまでは ゆっくり進んでいった。

朝までの雨で少々滑りやすくなっているところはあるものの、登山道はよく踏まれており、ブナの林の中を進んでいくのは なかなか気持ちが良かったのだが、 一つ気になるのは 山の上の方にガスがかかっていたことであった。

ブナの根が露出した道を黙々と登っていくと、緩やかだった登りも徐々にキツくなり、五合目からは岩の道に変わって、 岩石流出防止用ネットが設置されている上を歩くことになった。

やがて視界が開けるようになって避難小屋のある六合目に着いたが、そこから見える北壁は上部がガスの中に隠れていて その全貌を見ることは出来なかったものの、 緑の草木の間に見える灰色の岩肌が その崩壊の進んでいる状況を物語っていた。

六合目から八合目までは傾斜もかなりキツくなり、足場も岩石が露出してスリップしやすく、少し登っては後ろを振り向いて 登ってきた道筋を確認するといったことを繰り返して、 休み休みしながら登るようになってしまった。

しかしそれも長く続かず、八合目からはなだらかな木道となり、ダイセンキャラボクの純林が広がる中、 ノンビリと歩くことができるようになった。

木道が終わると暫く先に茶色の屋根をした頂上小屋が見えてきたが、そこは昔、噴火口であったのだろうか、 半円形の丘の麓になっており、 またその丘の一番高い所には、 大山頂上と書かれたプレートがはめ込まれたコンクリートの碑が置かれていた。
ガスが時々立ちこめてきてはいたものの、 そこからは剣ヶ峰方面をよく見ることができた。

弥山の三角点は、そのコンクリート碑の横に張られたロープを越えて暫くいった所にあり、その先には大山最高点である 剣ヶ峰への縦走路が続いていた。

その三角点のある場所からは、霞んではいるものの日本海も見ることができ、なかなかの好展望であったが、何といっても 剣ヶ峰へ登っていく人たちの観察場所でもあることを 書き落としてはならないだろう。

剣ヶ峰へ続く難路を登っていく人たちの姿を眺め、あの人は早いとか遅いとか、停滞しているとかの言葉を述べ、 まるで アイガー北壁に登るクライマーを眺めるホテルのテラス のような感じであった (そのホテルに行ったことはないのだが・・・)

私も少々迷ったものの、意を決して剣ヶ峰へと向かったのだが、確かに途中両側がスッパリと切れ落ちている所があり、 少しでもバランスを崩せば谷底へ真っ逆様なので、 少々緊張させられた。

この登山道は崩壊が激しく、私が歩いている時も谷底へコロコロと小さな石や土が少しずつ崩れ落ちていくのが認められ、 大山の崩壊は現在進行形であることが実感できた。

意外と早く到達できた剣ヶ峰の頂上には、弥山と同じような剣ヶ峰頂上と書かれたプレートをはめ込んだ大きなコンクリートの碑があり、 振り返れば、 なかなか立派な形をした弥山や、 その右側の三角点に集う人たちの姿を見ることが出来た。

剣ヶ峰から更に進むと天狗ヶ峰で、そこからは道を左にとってユートピア小屋の方へと進んだ。
途中見える南壁は崩壊もすさまじく、 草木が生える余裕などない程に山肌が崩れ、 その角度もかなり鋭利になっており、 暫く立てば崩れ去って跡形もなくなってしまうような感を抱かせるものであった。

一方、ユートピアへの縦走路の方は、山肌に草木が生えており、山の角度も緩やかで、何かホッとしたものを感じさせてくれた。

縦走路途中に象ヶ鼻の岩場があり、そこの上を通れば普通は前方にユートピア小屋を見ることができ、 その記憶によって 問題なくユートピア小屋へと進めるはずなのであるが、 私はどういう訳か途中から岩の下側を歩いてしまったため、 ユートピア小屋の方角を確認できず、 そのまま誤って振子山方面に下り始めてしまったのである。

途中、何かおかしいと感じて戻り、無事ユートピア小屋へは行くことができたものの、実は象ヶ鼻とユートピア小屋の間には 草で道が隠れている所があって分かりにくくなっており、 むしろ振子山方面へ下る方が正規の道のように見えるのである。 是非、象ヶ鼻を下りた所に分岐点の標識を付けるべき と思った次第である。

ユートピア小屋からは三鈷峰の分岐まで進み、三鈷峰を往復してから下山した。
三鈷峰の頂上には標識は見あたらなかったものの、 多くのケルンが積み上げられていて 賽の河原といった雰囲気であり、 誰もいない中、 少々薄気味悪いものを感じた。

下山路は、上宝珠越から砂スベリと呼ばれるコースに入ったが、ここはその名の通り砂の上を滑っていかねばならない所で、 一度下ったらその傾斜の凄さからもとの所へは絶対戻れず (従って下山専用らしい) アリ地獄という雰囲気で少々不安になる。

さらに、途中に標識が全くないため、本当にここが正しい道なのか、途中で見落としはなかったのか、 と不安が倍加するのである。

やがてその砂すべりも終わり、若干の不安を抱きつつ大きな大屏風岩の下を通って河原らしき所を進むと、 正面に元谷小屋への標識が現れたので、 その時は正直言ってホッとさせられた。

元谷小屋を過ぎてからは林道を横切り、また樹林帯に入ってやがて大神神社の境内の裏へと出ることになり、後は、 大神神社の立派な山門をくぐり抜け、 石畳の道を進み、 人々で賑わう大山寺の前に出た。

バスで米子に戻り、夜行バスまでの時間がかなりあるので、そこからまたバスで皆生温泉まで行って山の汗を流し、 その後は境港まで行って時間を潰した。

なかなか面白い山行であったが、 一つ残念なのは山は終始霞んでおり、 大山の全体の姿を捉えることができなかったことである。


大 山 登 山 デ ー タ

上記登山のデータ登山日:1994.9.3 天候:晴れ単独行前夜車中泊
登山路:大山寺−阿弥陀堂−六合目小屋−九合目−大山(弥山) −三角点−剣ヶ峰−天狗ヶ峰−象ヶ鼻−ユートピア小屋−三鈷峰分岐−三鈷峰−三鈷峰分岐−元谷(砂すべり) −元谷小屋−大神山神社−大山寺
交通往路:宮崎空港−(飛行機)−伊丹空港−(バス)−大阪− (山陰本線)−米子−(バス)−大山寺
交通復路:大山寺−(バス)−米子−(バス)−皆生温泉− (バス)−米子−(バス:車中泊)−小倉−(日豊本線)−南宮崎
温 泉:皆生温泉
その他:9月2日夜行にて出発。翌3日大山登山。3日は夜行バスにて帰宅。


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