登山NO.0067 立  山( 大汝山:3,015m ) 1996.8.31登山


 剱岳山頂から見た立山( 1996.9.1 )
【立山登山記録】

【立山登山データ】

フォト

再登山


NO.67 立山登山記録

私が今、家のカギや会社のロッカー、机のカギを束ねているキーホルダーは、 登山に全く興味の無かった 20年ほど前に、会社の同僚と黒部ダムに行った時に記念に買ったものである。
買ってから長い間使っていなかったのであるが、7年前に机を整理していて偶然見つけ、それから使うようになって今日に至っている。
メダル型の部分のオモテには、黒部ダムの文字と黒部ダムの絵、そして雷鳥とコマクサが描かれており、 ウラには黒部ダムを中心とした方位と、ダムから見えると言う意味であろう、方位の周りに山の印とその山名が書かれている。
山は、北北東の白馬岳から始まり、 五竜岳鹿島槍ヶ岳、爺岳、針ノ木岳、烏帽子岳、野口五郎岳と続き、 南に槍ヶ岳、それから三俣蓮華岳、 黒部五郎岳薬師岳とまた続いて、最後に立山、剱岳で一周している。
このうち、百名山は 8山あって、私がまだ登っていないのは立山と剱岳であった。

いつも持ち歩いているだけに、登っていない百名山がそこに書かれているのが気になっていたのだが、 実は立山、剱岳を室堂から登ることにやや抵抗があり (つまらないこだわり)、 できたら馬場島から早月尾根を登って剱岳頂上に立ちたいと考えていたので、なかなか登ることができないでいたのである。
しかしこの夏、恒例の家族との旅行で、黒部アルペンルートを使って室堂へ行き、浄土山や雄山など山々に囲まれた室堂の様子を知ってからはすっかり気が変わってしまい、 早速夏の終わりに新宿発室堂行きの夜行バスを使って立山、剱岳登山を行うに至ったのである。

登山前日、夜行バスが新宿を出発してからすぐに雨が降り出したので翌日が心配であったのだが、 弥陀ヶ原付近で目が覚めた時には道路は濡れていたものの雨は降っておらず、 代わりに室堂に近づくにつれてガスがわき出てくる状態であった。
そして、室堂に着いた時は完全にガスの中で、浄土山の登りも全く展望を得られない中での登山となってしまったのである。
室堂山荘前から右に道を折れて石畳のような道を進むと、暫くして大きな岩が両側に現れ始め、やがて標識があって浄土山への道を知らせてくれる。
標識に従って岩の上の道を進むと、両側に草の生えた、岩の間を掘った溝のような道に変わり、 そこをジグザグに息を切らしながら登っていくと、やがて再び岩の上を印に従って登るような道に変わり、 やがて浄土山の一角に出ることができた。

相変わらずガスは濃く、左手に大きな岩のようなものがボンヤリと見えたのだが、 そこは道から外れていたので無視してそのまま進んでいくと、いつの間にか富山大学立山施設と書かれた緑の建物の前に出てしまった。
よく考えると先ほど見えた岩のようなものは、浄土山頂上の祠であったに違いないことが想像できたのだが、何となく戻る気になれず、 富山大施設前にある浄土山と書かれた標識をバックに、記念写真を撮ってそのまま一ノ越へと向かってしまった (後から、 なぜ戻らなかったかと悔やむことしきり)

一ノ越までの下りもガスの中で、ほとんど展望を得られず、 せめてもの慰めは途中の路肩で雷鳥を見たことであった。
一ノ越山荘前に着く頃に、ようやくガスも引き始め、左下に室堂や雷鳥沢を見ることができるようになって喜んだのも束の間、 今度は室堂から直接登ってきた人々の混雑の中に入り込むことになってしまった。
一ノ越から、ガラガラした岩の多い道をジグザグに登り、何人もの人 (登山者ばかりでなく、観光者も多い) を追い抜いていくと、 やがて左上に雄山神社社務所が見え始め、立派なレリーフが置かれた雄山の一等三角点前に着くことができた。

左には、お守りなどを購入する人々で賑わう社務所、そして正面右上には鳥居を隔てて雄山神社本殿が岩場の頂上に見え、 観光客混じりの人混みの中ではあったが、やはり登頂した喜びを感じずにはいられなかった。
少々気が引けたものの折角来たのだからと思い、社務所で申し込んでお祓いを受けることにし、作り替えたばかりで綺麗な本殿の前に座って神主さんの話を聞きながらお祓いを待っていると、 これまであまり展望を得られなかった状態から、急に青い空がのぞいて日が射すようになり、 眼下には黒部ダムが、そして本殿の後ろには最高峰の大汝山が見えるようになった。
これも御利益の一つだったのだろうか。

御神酒を頂いてお祓いを受けた後はすぐに大汝山へと向かったが、 この立山最高峰の大汝山はうっかりすると通り過ぎてしまいそうな地味な山で、 標識も個人が置いていったものしかなく、立山の最高峰にしては冷たい扱いを受けていると感じてしまった。
頂上からは真下に黒部湖が見えるだけで、また沸きだしたガスによって雄山さえも見えなくなってしまったのは残念である。
大汝山から緩やかに下るとすぐに富士ノ折立で、そこから左へと道は下っていき、右に雪渓を残した内蔵助カールを見て、 また再び緩やかに登り返した所が、ズングリとした山容の真砂岳であった。
真砂岳頂上ではこれまでのガスが突然引いて、別山の上に剱岳の頭が見えるようになり、 初めて見るその姿に心ときめく思いがしたが、その興奮も 1、2分程で、その姿は再び沸いてきたガスに消されてしまったのであった。

真砂岳から道を左に折れ、山腹を巻きながら鞍部まで下りると、道が 2つに分かれていたので、 別山に直登する道を選んだ。
これまであまりハードな登りがなかったため、少々物足りなさを覚えていたが、ここは道も結構急で、 おまけにすぐ落石を起こしそうな道であったので、やっと手応えある登りに出会えた感じがして大変嬉しくなってしまった。
別山頂上は、ガイドブックには祠があると書かれていたものの、祠は見つからず、少々朽ちかけた標識があるだけであった。
ここでも完全にガスの中で、谷を隔てて目の前に見えるはずの剱岳は全く見ることができなかった。今日はその全容を見ることができないのであろうか。

別山標識の少し先に池があったのでこれが硯ヶ池と思っていたら、 頂上奥の方に標識が立っている場所よりも高く見える場所があり、そこへ行く途中に草に囲まれた静かな池が見えたので、 どうやらこっちが本物の硯ヶ池らしい。
剱岳の姿を求めて別山頂上で昼食も含めて 1時間程粘ったが、結局ガスは晴れず、仕方なく別山乗越に向かうことにした。
別山乗越から剱御前小屋の前を通り剣山荘へと向かうと、ありがたいことに徐々にガスが消え始めて、 途中の雪渓手前の小高い岩場からは完全に剱岳全体の姿を見ることができるようになったのであった。
剱岳は剣沢の緑の絨毯の上にどっかりと座り込んで灰色の山肌を見せており、これまでの立山の山々とは一線を画すような力強い、 男性的な魅力を放っており、明日の登山が本当に楽しみになった。
魅力ある姿はいつまでも眺めていても飽きることがなく、岩場の上で 1時間近く眺めた後、 眼下にある剣山荘を目指した。

以下、剱 岳の項に続く。


立 山 登 山 デ ー タ

上記登山のデータ 登山日:1996.8.31 天候:曇り時々晴れ 単独行 前夜車中泊
登山路:室堂−室堂山荘−室堂山分岐−浄土山−富山大立山研究所− 一ノ越−三ノ越−雄山−大汝山−富士ノ折立−真砂岳−別山−別山乗越−剣沢源頭−剣山荘(
交通往路:瀬谷−(相鉄線)−横浜−(東海道本線)−品川−(山手線)−新宿−(バス:車中泊)−室堂。
交通復路剱岳の項参照。
その他:8月30日に夜行バスにて出発。翌31日に立山登山。
31日は剣山荘泊。
その他の
立山登山
黒部平−東一ノ越−一ノ越山荘−雄山−大汝山−雄山−一ノ越山荘−浄土山−室堂 (立山室堂山荘泊) ( 2016.10.14:快晴 )
    ここをクリック

山のメインページに戻る   ホームページに戻る