私と家族の近況
私と家族の近況

*あしがらみち*

2007年 後半分:最新は12月度


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12月度

 いよいよ今年も終りになります。 今月は97歳の老母が体調を崩して入・退院したりで例年以上にバタバタした年末でした。 幸い母は回復し、無事に年を越そうとしています。

 今年は当地でも紅葉が遅かったのですが、12月に入って急に寒くなったとたん、西丹沢一帯の低い丘や山々は、まさに 「 錦繍 」 の世界に一変し、全山美しい紅葉に包まれました。 今年は、文字通り大器晩成というか、11月は 「 今年は木々は紅葉というものを忘れてしまったのか? 」 と思うほどだったのに、 12月に入ったら突如、例年にない美しさへと一変です。 写真は他にも9枚ほどありますので、ご興味のある方はここをご覧ください


 先月30日の心臓カテーテル検査で、やはり1カ所の狭窄部分にはステントを入れないと・・・と診断され、18日に 「 経皮的冠動脈形成術 」 という治療を受けました。 幸い無事に済み、これでまた当分、心臓に関しては安心して生きられます。 退院の翌々日、近くの低い丘に登りましたが、いつもと違って胸元が苦しくならず、 ただ単に脈拍と呼吸数が増えただけでした。 自分ではっきりと効果を自覚できました。

 祖父も父も77歳で心臓の発作で急死しました * が、もし今回検査をせずに過ごしていたら、私もちょうど77歳 ( あと2年 ) で心筋梗塞で死ぬことになる確率が非常に高かったように思われます。  何か因縁めいたものを感じるとともに、医術の進歩のおかげで孫の私はこの不吉な 「 血統のジンクス 」 から解放されたように思います。 先月書いた Caymus の Cabernet Sauvignon Special Selection 2004 で、お正月には乾杯!です

 今月は12年ぶりに歯を1本失いました。 左上顎の第一大臼歯の、3本ある歯根が、数年前から1本、また1本と割れ落ちて行き、ついに1本足でグラグラになったので、歯科医に頼んで抜いてもらいました。 これで、自分の歯は、28本中3本無くなって、25本となりました ( 失った3本中2本は、すでにインプラントで補充済 )。 80−20、すなわち、80歳で自分の歯を20本以上保つよう努力するという運動がありますが、 これを目指して、もうこれ以上1本も失わないよう、毎食後の歯のメンテナンスに一層の努力を続けるつもりです。 抜かれた、縦に二つに割れた黒ずんだ黄褐色の歯根の残骸 ( 汚い表現ですみません ) を見つめていたら、「 60年以上、よく頑張ってくれた 」 という感謝の気持で一杯になりました。

 東海道のウォーキングも、今月の8回目で、ついに箱根の登り口の三枚橋に到着しました。 JRの国府津の駅から、時々細い旧道に入りながらも、ほぼ1号線沿いに勝手知ったる小田原の市内を抜け、箱根湯本の三枚橋までの13km余り ( 寄り道を加えて15km ) を、3時間20分、約22,000歩で歩きました。  いよいよ来年からは 「 天下の険 」 箱根の山道が待ち受けています。 現在の自動車道 「 箱根新道 」 は 「 つづら折り 」 しながら登って行くので、あまり急勾配と感じませんが、 旧東海道は箱根新道と何度も交差しながら、斜面に直角にグングンと登ってゆきます。 ですから、見たことのない方には想像できないほどの急勾配が次々に現れます。 冠動脈の狭窄もなくなったことだし、来月以降、安心してじっくりと挑戦してみます。

 ところで、今回小休止をした小田原市内のあるお寺の門に、右のような訓戒の文章が掲示されていました。 自分のことを言われているようで面白かったのでご紹介します。

 12月24日の未明、西の丘陵の向う側にまさに沈もうとする一瞬の満月の写真を撮りました。 また、その日の夕方、今度は東の空に昇ってきた満月も撮りました。 明け方は月の左上にあった明かるい星 ( たぶん木星 ) をどうしても写せなかったのですが、夕方は右上に写し込むことに成功しました。 この二つの写真をお見せします。 それにしても日本で電線が画面に入ってこない場所を見つけることは至難の業です。

 

   最後になりますが、最近特に努力を続けている体重減少の成果です。 最も多かった昨年5月よりも4.5kg、また今年の6月に比べても3.1kg減らすことができました。  あと3.5kg落とすことができれば、目標達成です。 来年もがんばります。 減量のための方策は 人それぞれ でしょうから、特にご披露は致しません。

*: 祖父は 「 心臓麻痺 」、父は 「 心不全 」 という、極めて曖昧な病名でした。 現在では 「 虚血性心疾患 」 とか 「 心筋梗塞 」 とか、死に至る機構までを具体的に表す命名です。 四者とも内容は似たようなものだと思いますが、病名にまで時代の流れを感じます。 父は祖父が喜寿の祝いの直後に死んだので、喜寿の祝いを断って、やらずにいたのに、やはり77歳で死にました。

   
11月度

 カホルの2回目の心臓治療も無事に終了し、次は来月に私が治療を受ける番です。 というわけで、このページも29日に書きあげてアップロードを済ませておく事になりました。 ハワイ島に住む友人の Chambers ご夫妻が、自宅のご自慢のワインセラーから選んで パーカーポイント が、 なんと96点!の Caymus 社の Cabernet Sauvignon Special Selection 2004 ( 日本に10本前後しか輸入されないというこの種の NAPA のウルトラ プレミアム ワインたちにご興味のある方は、 このリスト をご覧ください。 37番目あたりに上記のワインがあります ) を、来訪のお土産にと1本持ってきて下さったので、これをじっくり賞味するためにも、私は無事に退院してくる必要があります。 何しろ、このカリフォルニアワインは、フランスの最高級ワインに勝るとも劣らない絶品なのですから・・・

 今月は小学校と高校と大学と、3つも同期会があり、旧職場の仲間たちとの夕食会もあったし、紅葉を求めて東北地方の山に写真撮影の旅をしたり ( 両側の写真 )、東海道ウォーキングの7回目 ( 平塚宿から国府津駅まで ) をいつもの仲間たち歩いたりと、結構忙しい月でした。

”おんりーゆー”

 そんな中、友人の桜井孝一氏が箱根外輪山のふもと、大雄山最乗寺の近くに温泉を掘り当て、そこに、静かで 極めて上質なやすらぎの施設 「 おんりーゆー 」 を建てたということで、そのオープン披露の式典に呼ばれ、祝辞を述べたりもしました。 場所はちょっと不便で、車で山道を上って行くか、バスを降りてから20分ほどのウォーキングをする必要があります *1 が、 それだけに、携帯電話も通じないほどの山奥は静寂そのもので、贅沢な露天風呂からの美しい自然林や渓流の眺めは抜群です。

 ここで半日のんびり過ごしたら、首都圏内 ( 神奈川県内だからと言ってこの言葉が適切かどうか? ) だというのに、平素とは全く違う世界に心身をゆだねるという不思議な体験 ができると思います。 「 おんりーゆー 」 とは、「 たった一つの湯 」 であると同時に、半世紀前の THE PLATTERS のヒット曲 「 オンリー・ユー 」 から採られた名でもあるそうです。*2

 ところで、8月に買った新しい Windows Vista のパソコン、ようやく落ち着いてきましたし、私の側も使い慣れてきました。 このOSは 神経は繊細だが肉体的には頑健だなというのが、現在の私の印象です。 ハードの仕様を 「 おごった 」 ので動作は実にキビキビとしています。 私もこのパソコンのようにありたいものです。 今年もあと1カ月ですが皆様もどうぞお元気で。

*1: 未確認ですが、送迎のためのシャトルバスができるという話も。 一応電話でお聞きになるとよいでしょう ( 12月14日 )。

*2: 年配者にとっては懐かしい響きですね。 1955年のこのヒット曲にご興味のある方は、このリストの上から3つ目 から試聴できます。

  
10月度

 カホルがミラノで心筋梗塞で倒れて九死に一生を得たのが1997年の10月でした。 あれからちょうど10年目の今月、どうも最近何となく違和感があるというので、近くの病院で検査をしてもらいました。 すると、心電図に異常があると診断されてしまい、東京の専門病院に行ってカテーテル検査をしたところ、明日すぐにでも処置をすべきだということで、そのまま入院しました。 幸い、主要部分は順調に治療され、4日目には退院出来、自宅に戻って体力回復に努めています。 残りの部分を2週間後に行えば、完了です。  こんなこともあって、月末に行くはずだった愛媛県の佐田岬への3泊の旅行はキャンセルし、来年に延期となりました。

 私の祖父と父が心不全で亡くなったのが共に77歳・・・自分もそろそろその年齢に近いので、この病院に見舞いに通っている 「 ついでに 」 という軽い気持ちで私も心臓を診てもらいました。 最新式の 64列マルチスライスCTという設備 で調べてもらったら、3本ある冠動脈のうち、1本 ( 左廻旋枝 ) に、一カ所狭くなってきている部分があるということが判明し 「 近いうちに処置した方がよいでしょう 」 と言われました。 11月下旬にやってもらう予定です。 早期に未然に発見できてよかったと思います。 この数年、急坂を登ると息が苦しくなるようになったのを、年齢のせいだと軽く考えていましたが、さてはこのせいだったのですね。

 坂を登るとき以外は、ゴルフやウォーキングの際も、全く異常なく元気いっぱいなのですが、知らずにこのまま放っておいたら、1〜2年先には倒れることになったかも知れません。 それにしても、最近の医療機器の進歩はすごいものですね。 ほんの10分か15分で、体に何も傷を付けずに 心臓と冠動脈の3次元精密立体画像 が得られるのです ( この写真は私の心臓ではありません・・・念のため。 私の心臓の写真はこれより更に精細でした )。

 心臓がそんな状態とはつゆ知らず、その3日前には 東海道の6回目を歩きました。 今回は藤沢宿から平塚宿まで平地を16kmほどでしたが、4時間で歩ききり、順に辻堂、茅ケ崎、馬入という3つの一里塚を通過しました。 暑からず寒からずの秋の好天でしたので汗もほとんどかかず、終着点平塚駅のビルのレストランでは中ジョッキ1杯で済みました。

 
 

(左) 相当古いお店ですね。 藤沢市内でまだ営業しています。 (右) 国道一号線の交差点にこの茅ケ崎一里塚が残っているのは素晴らしいことです。


9月度

 自宅の裏の田んぼの稲刈りが始まりました。 農夫は二人とも80歳を越えていると思われる老夫婦です。 夫が、やっとの思いで重い ( と言っても小型の手押しの ) 「 刈取り兼脱穀機 」 をあぜ道から田に運び込み、エンジンを点火し、よろよろと運転し始めると、ほとんど直角に腰の曲がった妻が鎌を手に ( 右の写真 ) 後を追って歩き、刈り残しを手で刈り取ります。 彼女はまた、脱穀後に束ねられて出てきた稲わらを田のあちこちに片付けます。 最後にこの稲わら ( の一部 ) をシュレッダーにかけて、来年のための肥料にするため、田んぼ一面に散布します。*1

 初日、朝から夕方までかかって、1反歩 ( 10アール ) の田の半分も終りませんでした。 若い農夫2人なら1日で終るところを、彼らは翌日も翌々日も懸命に働き、まる2日半かけて見事にやり遂げました。 この光景を2階の窓から時々目にするたびに、私は自分の身の程も忘れ、つい手伝ってあげたい気持に襲われました。

 刈り取った稲は、本当は田んぼで逆さに吊って天日で10日ほど干してから脱穀すれば、より美味しいお米になるのですが、この 「 ハゼ掛け 」 の作業だけは機械化できず、今も大変な人手と労力を必要とします。 良いとわかっていてもそれは出来ないから、彼らは刈ったばかりの稲をその場で脱穀し、あとでどこかで籾を乾燥機にかけて乾かし、精米するのでしょう。 この地域でも、子供や友人が田植えや刈入れを手伝うケースもある一方、このように子どもたちが諸般の理由で手伝えず、老夫婦のみで頑張っているケースも少なくありません。 若い子供たちが農家を継いでいるケースなど、皆無に近いと思います。 日本の農業の末路を、目の当たりに見る思いです

 月末に愛車の車検がありました。 ということは、この車を買ってからちょうど3年になったということです。 ある日 「 アリストが来月で製造中止になる 」 と聞き、それまで思いを寄せ、試乗まで済ませていたプジョー406クーペ *2 の購入を断念して、最後の製造月度に生産された1台を駆け込むように買い込んだのでした。

 購入数日後には、早速単身長野県まで走らせ、一面のカラマツの黄色い葉が美しいヴィーナスラインその他の 「 くねった山道 」 を2日間飛ばしまくっていました ( 昔の車には慣らし運転などというものがあり、こんな無茶はできませんでした )。 あれからもう3年? あのドライブはついこの間のことのようです。 時間の経つのが早すぎます。 それにしても、この車、私の熱い期待に反して実におとなしく、この3年、ただ地味に忠実に、スルスルと走り回るだけでした。 幸か不幸か、3年間、私を一度も興奮させてくれませんでした。*3

 とは言え、環境を大切にしようという世の中の趨勢や私の年齢が 「 もうそんな興奮や快感を求める時ではない 」 と声を大にして警告しています。 その通りです。 私はもう高齢者なのです。 だから、この9月中旬のある日、老人会の一員として地域の神社の境内の草むしりの勤労奉仕に参加しましたし、その後の 「 懇親昼食会 」 にも出席したのでした。 そうかと思えば、敬老の日には息子と共に老母を施設に見舞っていたわり、敬老したものの、私自身は結局誰からも全く 「 敬老 」 してもらえず ( して欲しくもありませんが )、この点では、まだのんびり老人になどなってはいられない身の上です。  敬老の日とは 「 老人が超老人を敬老する日 」 のことでした。

 
右の元禄8年 ( 1695年 ) 建立の青面金剛 ( しょうめんこんごう )の立像にご興味のある方は、ここをクリックし、ページの最後の注をご参照ください

 当地は6日の夜半、台風9号に直撃されましたが、幸い当家には何の被害もありません。 「 暑さ寒さも彼岸まで 」 というから、それならいくらか涼しいのではと、24日に東海道五十三次の5回目の 「 東戸塚から藤沢まで 」 を歩いてきました。 本当に先人の知恵は確かで、前週までの厳しい残暑は嘘のよう、ほとんど汗もかかずに仲間全員が無事14kmほどを歩き通しました。 あと3回歩けば天下の険の入口、箱根湯本に着くことでしょう。

 旧職場の、私より一回り以上年下の、団塊世代の後輩たちが、今次々に定年を迎えています。 彼らのご苦労をねぎらう会が、9月にも一泊2日で行なわれ、これに参加して皆から元気を頂いてきました。 生徒たちの同窓会に招かれた老教師は、たぶんこんな心境なのでしょう。 毎年あちこちのグループから招いていただけるのは、本当に嬉しいことです。

 当時は職場の99%が正社員でした。 現在のような半分、あるいはそれ以上もが派遣社員というような職場環境からは、退職後10年経っても20年経っても、親密さが末長くこのように持続するという状況が生まれることは、もはやあり得ないでしょう。 日本はこの点でも、米国と同じような国になってしまいました。

*1: もしこの小型のコンバイン ( や、田植えのための種々の農機 ) がこの世になかったら、この田んぼに今頃は稲が存在していないことでしょう。 「 農機とは、老いた農夫が米作りを諦める時期を10年ほど先延ばしにするための機械 」 なのかも知れません。

*2: あの車はピニンファリーナのオリジナルデザインで、従って一見フェラーリ風のラインで、外観・内装ともすごく上品かつセクシーでした。 フランス車なのにイタリアのピニンファリーナの工場で生産されていました。 現在はクーペ407にモデルチェンジされ、 406とは大きく変わった車になりました。 あの406クーペという車は、エンジンブレーキの効き具合が他車とは全く違う、しっかりとした感触で、箱根下りなどでは何とも言えない安心感がありました。 一方、アリストですが、昔の147型はG.ジュジアーロのデザインで、スラリとした洗練された容姿でしたが、私のは次の160型ですから日本人のデザインで、スタイル的には私の好みではありません。

*3: リンカーン・コンチネンタルはもちろん、カホルが10年以上前に運転していた真っ赤なジープ・グランドチェロキーも、いや、中級車のポンティアック・ボネヴィルでさえ、もっとずっと猛々しい車でした。 軽くアクセルを踏み込むだけで、私の背中はシートにギュッと押し付けられました。 妙な改造でもしない限り、日本車からは、あの身の引き締まる様な加速の快感は得られないものなのでしょうか? 狭くて見通しの悪い日本の道路であのような快感を求めたらたちまち悲劇が起きるから・・・という設計思想なのでしょうか?

8月度

 東海道五十三次のウォーキングも、今月は猛暑の中、「 中1日 」 で2回をこなすという、年齢を考えたらちょっと無茶なことをやりました。 幸い、熱中症で倒れることもなく、無事に歩きとおすことができました。 詳細はこことその次の第4日に書いておきました。 また、カホルも私も、人間ドックでひっかかった点の精密検査が問題ないとわかり、まだもう少しは生き延びさせてもらえるようです。

 生き延びるといえば、今月も若いころからの友人の訃報がいくつかありました。 申し訳ないのですが、不思議なことに、彼らの死が昔ほど強い悲しみ、ショックではないのですね。 ということは、私自身も、もういつ死んでも不思議ではない年齢だという自覚の反映のようです。 一方では、もうすぐ97歳の老母は、幸い、施設のきめ細かな介護と完璧な空調のおかげで、この暑い夏にも耐えて元気に生きながらえています。 医学の進歩や食事の改善だけでなく、エアコンや冬季の加湿器の普及もまた、日本の長寿化の主因の一つではないかという気がします。

 先月書いた新しいパソコンですが、月初めに入手し、古いパソコンからのデータの移行、細部を自分好みのスタイルに変える 「 カスタマイズ 」、周辺機器を動かす新しいドライバーのインストールなど、すべてが済んだのが20日過ぎでした。 途中でパソコンの調子が悪くなり、直したりしたので長時間を要しましたが、頭も指先も連日フル回転だったので、たぶん老化防止の一助になったのではと考えています。

 新しい技術の進歩は凄いもので、文字も画像もひときわ鮮明、作動はキビキビとして迅速、快適です ( 若い人たちはこれを 「 サクサク動く 」 と形容するらしい )。 残念なのは、たった3〜5年ほど前に購入した周辺機器、ソフトなどのいくつかに、この新しい Vista のパソコンには適合しないケースがあり、撤去し中古品として売るはずだった従来のXPのパソコンには、別室でもうしばらく、時々働いてもらわなくてはならないと判明したことです。* 次々に新しい機器や最新版のソフトを買わせようという、メーカーの魂胆が透けて見えるように思いますがどうでしょうか。 ともあれ、このホームページも今月の分からは、新しいパソコンで書き、そこからアップロードしています。

 上の写真: 「昼なお暗き杉の並木・・・」と歌われる箱根の街道筋にて。 設定にもよりますが、ここを開き、一番上の行の 「 演奏 」 をクリックすれば曲が聴けるかも

 下の写真: 保土ヶ谷宿に残る古い旅籠屋の入り口。 よくぞここまでキレイに保存してくださったという感じ

*: どうせ使うならということで、さらに古い Windows 95のパソコンで動かしていた MIDI 音源や MIDI キーボードを、まとめてこのXPパソコンで動かすことにし、最も古いこの95のパソコンをお払い箱にすることにしました。 そこで、また新型の MIDI インターフェイスや新 version の楽曲制作ソフトウェアなど 「 オタッキーな品々 」 を買いこまなくてはならぬ羽目になりました。

 
7月度

 7月は何に一番時間を使ったかというと 「 最新のパソコンの各部品の機能、動作特性についての勉強 」 でした。 今使っているソニーのパソコンは、過去3回の 「 入院手術 」 を受けながらも良く働き、もう6歳を過ぎ、平均寿命をだいぶ超えて?頑張っているのですが、寄る年波には勝てず、最近時々ヨタヨタするのです。 日ごろ、怠りなく重要なデータのバックアップは行なっていますが、それでも、突然のご臨終の前に新しいものに買い変えておきたい・・・そこで、次のパソコン選びが始まったわけです。

 1980年代の前半に買ったNECの9801に始まり、今まで5台のパソコンを買い換えては使ってきましたが、もしかすると、今度買う品物が、私の生涯にとって最後のパソコンとなるかも知れません。 そこで、従来のようなメーカー物 ( いわば既製服 ) ではなく、ダイレクトパソコンという、オーダーメイドのYシャツのようなタイプを買おうと考えたわけです。 自分の欲しい機能は、すべて十分備えているが、要らない物はなに一つついていないというパソコンです。

 そうなると、ハードディスクやメモリーはもちろんのこと、CPU、 チップセット、グラフィックスカード、入出力端子、接続ケーブル、モニター ( 別のメーカーから買う ) などすべてについて、部品のメーカーや銘柄ごとの性能、規格の細かな差異まで調べ、理解する必要があります。 過不足なく正しく選択し指定するためには、時には理論的な勉強も必要ですし、自分の目で現物の作動状況を確かめる必要もあります。 一方、それぞれのパソコンメーカーの信頼度やアフターサービスの誠実さ、強みや弱点などもよく調べないとなりません (*1) し、最後は腹をくくって決断する必要もあります (*2)。

 そういうわけで、数冊の分厚い本や20ほどの雑誌の記事を読み、インターネットの検索を連日3時間ほど続け、そして、各メーカーへのFAX、電話、メールでの質問を、のべ20回くらい行ないました。 東京まで出かけて行き、メーカーのショウルームを幾つも訪ね、係の人に質問を浴びせたりもしました。 そうこうしている内に、だんだん自信が付いてきて、マザーボードや部品を買ってきて、パソコンを自作したいという欲望に駆られてきましたが、さすがに、それは止めておきました ( パソコン自作のための指導書も2冊読みましたが、やはり私のレベルではリスクが大きすぎます )。

 という次第でしたが、この過程での最大の収穫は 「 自分の脳と気力はまだあまり衰えていない 」 という自信でした。 ともかくも、すべては決まり、ある程度贅沢な最新型のオーダーメイドのパソコンが、8月中には手に入り、動き出すことでしょう。 その後、現在のパソコンのデータを移転します。 そして、不要になったパソコン上のデータを完全に消してから処分すると、すべてが終わります。 現在のパソコンは、しかるべき所に引き取らせ、解体、資源化してもらうものかと考えていましたが、インターネットでいろいろと調べると、私のパソコンは約¥2万で中古品として売れるらしいということが分かりました。 これも、億劫がらずに一人でやり遂げてみようと思っています。

 先月の成人病検診の結果は、要再検査項目が一つありましたが、それ以外は無事でした。 東海道五十三次のウォーキングも 3回目をこなして神奈川宿まで到達しました。 母も幸い元気でいたので、カホルと二人で電車に乗って、わざわざ三島までうなぎを食いに行くなどという酔狂なこともしました。 こんな具合で、お蔭様で今月も夫婦揃って元気に暮らしました。

 この巨大なうな丼は、食べてゆくと、ご飯の下からまた蒲焼が現れます。 これでは医師から 「 メタボですね 」 と言われるのも無理からぬ仕儀です。

*1:各メーカーのサービス部門への、曜日や時間ごとの電話のつながり具合や、応対のレベルまですべてチェックしました。

*2:パソコンメーカーも、部品メーカーや部品供給業者も、他社製の部品との組み合わせにおける適合性 ( 互換性 ) については 「 99%大丈夫でしょうが、100%の保証は出来かねます 」 と、判で捺したように言います。 万一にもうまくつながらなかった時、インターネットのクチコミあたりでコテンパンに攻撃されるのが怖いのでしょう。 いい加減に保証されるのも困りますが、ここまで慎重になられるのも、顧客側としては難儀な話です。
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このコラムは、もともとはグリンウッドで働く友人たちとそのご家族向けに、私や家族の動静、 日本や特に足柄地域の出来事などをお知らせしようと、97年初めから「近況報告」 という名でEーMAILの形で毎月個人宛てに送っていたものです。 98年2月以降はホームページに切り替え、毎月下旬翌月分に更新してきました。 ところが最近、日本に住むグリンウッドをご存じない方々も多くご覧になるようになってきたので、 同年7月から焦点の当てかた、表現などをを少し変えました

この先です。