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歌合戦の出場歌手が発表されるのは11月中旬から12月初旬。
歌唱曲の発表はだいたい12月中旬で、まれに下旬にずれこむこともあります。
歌合戦は歌手にとって晴れ舞台ということで、歌合戦用に衣装を新調する歌手もたくさんいます。
和田アキ子は「曲が決まってから衣装を決めるので時間がない。
小林幸子みたいな大型装置を作っている時間なんてない。」と時々こぼしていました。
和田アキ子の場合、ヒット曲がない年に何を歌うことになるかわからないので、曲が決まってからの衣装制作は非常にタイトなスケジュールとなりますが、ほとんどの歌手は曲が決まる前から衣装制作に入っています。 早い人だと出場歌手発表前。 だから、歌合戦出場を確信して衣装を新調していたら選ばれなかったとか、選ばれたけど予定していた衣装じゃダメだったというケースもあります。
いくつか思い出される話があります。
いきなりの出場決定
第37回(1986年、昭和61年)の12月29日に代打で出場が決まった角川博は「吊るしの一張羅を着ます」と言っていました。
第40回(1989年、平成元年)に「昭和の紅白」の目玉の一つとして歌手復帰した都はるみも、「衣装は用意していないし、これから作っている時間もない」と言っていたので(彼女の場合、歌合戦ではいつも総絞りの着物を着るため、数か月前から準備しないとダメらしいです)、既にあった着物を選んだと思われます。
時勢に配慮して変更
小林幸子は衣装が巨大装置となって以来、半年くらい前から制作を開始するという話でした。
出場歌手発表前なので、落選したら当然歌合戦では使われませんが、そこは覚悟の上。
第45回(1994年、平成6年)は「雨の屋台酒」という曲を発売したので、水を使った装置を製作していましたが、この年は水不足が問題になった年だったため、水が表に出てこない別の装置で登場しました。
水は出てこなくても、ドライアイスの煙が大量に出るので、裏では水が使われていたんですけど。。。※
彼女の場合、第55回(2004年、平成16年)も大型装置を用意していましたが、出身地である新潟で発生した大地震からの復興を願う意味で「雪椿」を歌唱曲として依頼されたため、着物での登場となりました。
その代わり、彼女にとって今のところ唯一の大トリを務めています。
※「雨の屋台酒」の最初の装置は、私の知る限りその後のNHKの歌番組や彼女のリサイタルで披露されたことはないため、本当に「別の装置」だったのかは自信がありません。
ただし、歌合戦前のスポーツ紙では「今年は水芸」みたいな記事が出たり(だから「水不足で苦労している地方もあるのに」と非難されたわけで)、彼女は「本当は水を使いたかったけど、水不足の年だったので変更した」という発言をしていることから、修正が加えられていることは間違いないと考えています。
ま、たいていの歌手は当たり障りのない上品な衣装か、逆にぶっ飛んだ衣装なので、どんな曲になっても問題ない感じですけど。
時々、衣装を新調していないように見える方々もいます。 「それ、ツアーで着ていた衣装でしょ?」みたいな。
個人的には、歌合戦用の衣装を用意してほしいな、という思いがあります。
ギャラが衣装代に全然見合っていないという話も聞きますが。
そして、研ナオコやいしだあゆみみたいに、シックなドレスを着こなすのももちろんかっこいいのですが、お祭り状態の変な衣装も大好きです。
第42回(1991年、平成3年)のKANのモーツアルトみたいな衣装(かつら込み)や、第44回(1993年、平成5年)の久宝留理子の「アイドルじゃないのに早がわり?」という衣装を見るとうれしくなります。