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歌合戦の舞台というのは、
でも、泣かないでというのが私の意見。
例えば、昭和56年。
初出場した石川ひとみが1コーラスの途中から泣き出し、ぼろぼろになってしまいました。
初出場ということで、昭和53年のデビューから初出場を果たしたこの日までの様々な記憶が頭をよぎったのかもしれません。
紅組司会だった黒柳徹子の曲紹介もそこらへんに少し触れていましたから。
でもこの時歌った「まちぶせ」は、一見普通に見える女の子が、実は意中の人を振り向かせるためにいろいろと策をめぐらせているという歌なので、泣かれてしまうと曲の魅力が半減してしまうと思うのです。
あくまで「どこにでもいる、普通の女の子よー」という淡々とした歌唱で、歌詞をよく聞くと「え?そんなことを考えているの?」と思わせると、曲の魅力が増大されるというか。
泣いたことによって、彼女の持ち味であるきれいな高音が活かされなかったことも残念でした(ここ、石川ひとみは「泣いちゃいけないと思って歌いきった」と後日語っています。
あくまで、私の個人的な感想ということで)。
1980年代だったか、NHK京都放送局のアナウンサーがラジオ番組で「スポーツや音楽賞レースで涙を流すのは人生経験が浅いから」という発言をしていまして、それを聞いた当時は「何言ってるんだこのおっさん」と腹立たしく思ったのですが、それなりに年を重ねた現在、少しはその言葉の意味が分かるような気がします。
同じ年、岩崎宏美も「すみれ色の涙」を歌っている最中、2コーラス目に入った途端に涙声になり、歌が不安定になりました。 正確な音程を取ってなんぼの彼女が音程を外すのですから、コーラス重視のグループのハーモニーが合わないようなもの、踊りが得意な歌手がバランスを崩して尻餅をつくようなものです。 彼女の場合は、2コーラスのサビに入るあたりでなんとか持ち直しました。 曲のラストには、「そして一粒すみれ色の涙」と歌う部分で本当に右目から涙がこぼれるというおまけまでつきました。 これは泣いちゃったけど、結果的によかったね、という例か。
トリというのもまた「これで歌合戦の頂点に立った!」と思える瞬間なので、感極まる人が多いですが、石川さゆりや坂本冬美のように、歌い終わりあたりで「今まで我慢してきたけどもうだめぇ」と顔をくしゃくしゃにしながら泣くのはオッケーです。
でも昭和60年の森昌子みたいに歌う前から泣きっぱなしだとちょっと…、と思ってしまうのです。
歌合戦の舞台ではありませんでしたが、美空ひばりが後年「悲しい酒」を歌うときは、1コーラスが終わってセリフを言うあたりで必ず涙を流していました。 鼻水をすする音や息継ぎがやや大きくなることはありましたが、歌には影響がありませんでした。
泣いてもいいんですが、プロなんだからそれによって歌がぶちこわしになるようなことだけは避けて欲しいのです。 後年、その部分をビデオで見返したときに見ている方が辛いので。
厚化粧、変な衣装でも辛いけどね。