歌合戦:戯言「歌詞」


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 最近(2010年以降)はあまりないですが、昔の歌合戦では、歌詞を変更して歌うことがよくありました。

紅組対白組の対戦をあおる

 過去にこれで何曲歌詞を変えたか数えるのも嫌になるくらいあります。 一例をちらっと挙げますと、

「男(女)」を「白(紅)」に変えたり、歌詞の一部を「紅組(白組)の勝ち」と変えるといったところが定番でした。

NHK内部規則対応?

 以前は都市伝説として、NHKでは商品名のような登録商標を出せないため、歌合戦でも山口百恵が第29回(1978年、昭和53年)に歌った「プレイバックPart2」に出てくる「ポルシェ」を「クルマ」と変えて歌ったと言われていましたが、歌合戦ではちゃんと「ポルシェ」と歌っています(歌合戦より前に放送されたNHKの歌番組では「クルマ」だったそうです)。
 でも、歌詞に登録商標があると歌えない(規則に抵触するみたい)というのは歌合戦以外のNHKの歌番組では確実にありまして(2016年現在どうなっているのかは把握していません)、1973年に大ヒットしたかぐや姫の「神田川」も、2番の歌詞に登場する「クレパス」が登録商標のため、当時のNHKでは放送できなかったそうです(後年南こうせつかぐや姫が歌合戦に登場した際には、ちゃんと「クレパス」と歌っています)。
 第46回(1995年、平成7年)に初出場した小沢健二は、その年最も売れた曲が「カローラⅡにのって」。 タイトル、歌詞にもろに登録商標が入ってます。 初出場歌手を集めた記者会見の場で、小沢健二が「(『カローラⅡにのって』を)歌っちゃだめですか?」と記者会見の司会をしていたNHKのアナウンサーに尋ねたところ、速攻で「だめです」と言われたそうです。 結局、この年の歌合戦で歌ったのは、1994年11月に発売した別のヒット曲「ラブリー」でした。
 オザケンは、歌合戦では歌っていませんが、「痛快ウキウキ通り」という1995年に発売した別のシングルでも、冒頭に「プラダの靴がほしいの」とブランド名が出てくるため、NHKの歌番組で歌う際は「きれいな靴が」と歌詞を変更していました(本当は「きれいな靴がほしいの」という歌詞に変更されたのでしょうが、「きれいな靴がウォー!」とまともに歌わずに遊んでいました)。
 特例っぽいのが、第51回(2000年、平成12年)に初出場したaikoが歌った「ボーイフレンド」に登場する「テトラポット」。 波消しブロックの商品名のひとつ「テトラポッド」のことですが、「曲を聴いて個人が買うようなものではないから」みたいな気の利いたコメントをNHKが出して、歌詞の変更なしで歌われました。

 登録商標としてNHK的にNGではないのか、と時々言われるのが「歌手名などの個人名・グループ名」。 松本伊代のデビューヒット「センチメンタル・ジャーニー」には、「伊代はまだ16だから」という歌詞がありますが、NHKの歌番組では「わたしまだ16だから」と歌詞を変えていました。 ただ、松本伊代は歌合戦に出場していませんので、歌合戦に限って見てみます。
 第31回(1980年、昭和55年)に高田みづえが歌った「私はピアノ」は、1ハーフのテレビバージョンの2回目のサビにビリー・ジョエルと歌手名が出てきますが、この部分は歌合戦ではまるまるカットされています(2回目のサビが短くなっています)。 でも、1回目のサビに登場するギタリストのラリー・カールトンはカットされていません。
 第44回(1993年、平成5年)にDreams Come Trueが歌った「go for it!」にも、モンティ・パイソン(コメディ・グループ)、カラックス(映画監督・脚本家のレオス・カラックス?)、ジェリー・アンダースン(映像プロデューサーのGerry Anderson?)とグループ名、人名が登場しますが、カットなしです。
 第48回(1997年、平成9年)にT.M.Revolutionが歌った「WHITE BREATH」の2番の歌詞には、「タランティーノ」と映画監督(クエンティン・タランティーノ)の名前が出てきますが、これは歌合戦のみ「タランティーノ」を含む部分がカットされ、2番が短くなっています。
 第47回(1996年、平成8年)に杏里が、第54回(2003年、平成15年)に後藤真希が歌った「オリビアを聴きながら」のオリビアは、歌手のオリビア・ニュートン・ジョンのことで、タイトルにも歌詞にも「オリビア」が登場しますが、歌合戦で歌詞が変更されたということはありません。
 もういっちょ、第55回(2004年、平成16年)に松平健が歌った「マツケンサンバⅡ」のマツケンは松平健のことですが、これも曲名や歌詞に登場しても変更なし。
 「私はピアノ」は曲前にピアノの連弾で高田みづえの別のヒット曲「潮騒のメロディー」が演奏され、「WHITE BREATH」はステージの上からT.M.Revolutionがワイヤーに捕まって降りてくるという演出があったため、その分歌唱時間が削られて、たまたま名前が入った歌詞がカットされたのかな、と思います。
 思い返してみると、もっと昔の第24回(1973年、昭和48年)に由紀さおりが歌った「恋文」も、しょっぱなから「アズナヴール流しながら」とフランスの歌手であるシャルル・アズナヴールの名前が出てきますが、そのまま歌っています。 個人名、グループ名は問題なさそうですね。

 登録商標以外で歌詞変更の対象となるのが、自主規制している用語や言い回し。 第63回(2012年、平成24年)に初出場した美輪明宏の「ヨイトマケの唄」は、「ヨイトマケ」が差別用語であるとして、民放では長いこと放送禁止だったそうですが、一般に民放より自主規制が厳しそうなNHKでは規制対象ではなく、普通に歌っていたとか。 ヒット当時に歌合戦に出場しなかったのは、歌唱時間の問題(フルコーラス歌うと、当時の歌合戦では長過ぎるので、フルコーラス歌えないなら、と美輪明宏が辞退したという話)。
 民放では歌えたのに、NHKでは歌詞が問題となって歌えなかった曲の例が、1969年(昭和44年)に大ヒットした奥村チヨの「恋の奴隷」。 ご本人がテレビで話していたのは、「悪いときはどうぞぶってね」がNHK的にアウトで、「ぶってね」を「言ってね」に変更したら歌ってもいいと言われたけど、断ったということで、同年の第20回歌合戦では別のヒット曲「恋泥棒」を歌いました。 「恋の奴隷」が歌えないことをカバーするためか、この年の紅組司会だった伊東ゆかりは、曲紹介の際に「あなた好みの奥村チヨさん」と言っています。 これは、「恋の奴隷」の中に「あなた好みの女になりたい」という歌詞があるところから。
 翌1970年(昭和45年)に大ヒットした辺見マリの「経験」もNHK的にアウトで、第21回歌合戦では、「経験」の次にヒットした「私生活」を歌っています。 ご本人は息遣いが当時としては色っぽ過ぎたのでは、と言っていますが、それなら「私生活」も変わらないという意見もあり(NHKでこの話題が出た際、司会のアナウンサーが「『私生活』も十分色っぽいですよ」と言っていました)、歌詞がアウトだったのか、歌い方がアウトだったのか、よくわかっていません。

 内部規制に引っかかった別の事例は、第47回(1996年、平成8年)に初出場したウルフルズの「ガッツだぜ!!」。 2番の歌詞に出てくる「ハメたい」がアウトで、「ホレたい」に変更されました。 当時の民放の歌番組で歌っている映像が手元にないので、NHKだけではなかったのかもしれませんが、ものまね芸人が五木ひろしの「よこはま・たそがれ」を「よこはめ・たてはめ」と歌詞を変えて歌っていたものを民放では放送していますので、個人的にはNHK独自の規制だったのではないかと思います。

歌手の声が重なる部分の対応

 これはNHKや歌合戦独自ではないものも多くあります。 歌手の声が重なるような歌、例えば第66回(2015年、平成27年)の大トリを務めた松田聖子の「赤いスイートピー」は、2番のサビの最後「赤いスイートピー」にかぶさるように「好きよ今日まで逢った誰より」とサビが繰り返されます。 歌合戦では、2番のサビの「スイートピー」の部分はコーラスの人が歌っていました。
 伴奏がカラオケの場合、レコーディングした際の自分の声をそのまま使う場合もありますし、生演奏の場合はバックコーラスや別のメンバーが歌うこともあります。
 時々あるのが、「一人で生歌唱でなんとかする」というケース。 歌合戦でパッと思いつくのは、第42回(1991年、平成3年)の沢田知可子が歌った「会いたい」です。 オリジナル音源では、最後のサビの繰り返し部分で、「私のそばで生きていて」の「いて」の部分で「今年も海へ行くって」とサビが重なります。 沢田知可子がテレビで歌うときは、歌合戦も含めて「私のそばで生きて 今年も海へ行くって」と歌っていました。 「生きていて」が「生きて」になっています。 微妙に歌詞のニュアンスが変わらないかな、と思いました(後年は、アレンジを変えて、「生きていて」とちゃんと歌った後に、「今年も海へ行くって」と歌うようなこともありました)。
 もちろん、テレビバージョンになっている時点で歌詞が削られているので、それによるストーリー性の欠落に比べたら、微々たるものなのでしょうけど。

歌合戦のためだけの(?)歌詞

 第43回(1992年、平成4年)に出場した光GENJIが歌った「リラの咲くころバルセロナへ」は、サビから始まる1ハーフでしたが、最初のサビの後の1番の歌詞が普段のテレビバージョンではありませんでした。 ウィキペディアによれば、「New エールバージョン」と呼ばれる歌詞で、歌合戦で歌った当時はシングルやアルバムにも収録されておらず、他の歌番組でもあまり歌われていなかったバージョンだそうです(オリジナルのシングルバージョンがもともと1ハーフのため、後にオリジナルの歌詞を1番、「New エールバージョン」の歌詞を2番としたフルバージョンとして、後にベストアルバムに収録されたとか)。 聞きなじみのない歌詞でしたが、歌合戦のためだけの歌詞ではなかったということ。 なんで、歌合戦でオリジナルバージョンではなく、こちらのバージョンを歌ったのか、は私の勝手な推測ですが、「New エールバージョン」の方が歌詞が短い(パフォーマンス時間も短くなる)からかと。 1988年に一世を風靡し、当時の初出場歌手としては長い4分近い歌唱時間でメドレーを披露した光GENJIですが、だいぶ人気も落ち着いた1992年に普通のテレビバージョン(3分45秒)を歌うのは厳しく、New エールバージョン(それでも3分30秒で、光GENJIとしては全6回の出場の中で3番目に長いですし、当時の歌合戦でこれだけの時間を割り当てられていたアイドルグループはごく一部でした)になったのかなー、なんて。
 同じく第43回に出場した嘉門達夫は「替え歌メドレー~紅白バージョン~」とタイトルからしてそれっぽいですが、「替え歌メドレー」はシングルとして発売されただけでもバージョンがいくつもあることから、歌合戦になじみのある歌手に関するものを抜き出してつなげただけかもしれません。 また、途中で「歌が変わるシリーズ」と題して、2曲の歌詞とメロディーをつなげるパート(このパートは歌詞の変更なし)を挟んでいることから、これをもって紅白バージョンとしているのかもしれません。 情報が不正確ですみません。
 第46回(1995年、平成7年)に出場したEAST END×YURIは、当時としては珍しかったラップのミリオンセラー「DA・YO・NE」を披露しました。 ラップになじみのない視聴者層に配慮してか、2番は「サブちゃんいたね」「私吉幾三さん大好き」など、歌合戦オリジナルの歌詞になりました。
 第49回(1998年、平成10年)に出場した海援隊は、選出理由そのものが、武田鉄矢の母親の死を受けてのものだったので、「母に捧げるバラード」の語りの部分を変更しました。
 第42回(1991年、平成3年)に出場したライマ・バイクレ(Laima Vaikule)は同年ソビエト連邦から独立したバルト3国のひとつ、ラトビア出身ということで、「VERNISAGE~ELIZABET~」を、母国の独立を祝う特別な歌詞で歌ったそうですが、そもそもオリジナルの歌詞を知らないので、どこがどう変わったのか不明です。

母国語やウチナーグチ

 第53回(2002年、平成14年)に初出場した夏川りみは、大ヒットとなった「涙そうそう」の2番の歌詞をウチナーグチで歌いました。 第44回(1993年、平成5年)に初出場したTHE BOOMも、大ヒットとなった「島唄」を全編ウチナーグチで歌いましたが、こちらはもともとシングルでウチナーグチ・バージョンとオリジナル・バージョンを出していたので、歌合戦のためにウチナーグチの歌詞を用意したわけではありません。 こう書くと、「涙そうそう」は歌合戦のためにわざわざウチナーグチの歌詞を作ったと思われてしまいますが、こちらも、少なくとも1回は歌合戦より前にNHKの歌番組で披露されています。 シングルには収録されてないみたいよ、ということで。
 第40回(1989年、平成元年)には、韓国からキム・ヨンジャパティー・キムチョー・ヨンピル、香港からアラン・タムが出場し、母国語と日本語を交えて歌いました。 アラン・タムの「愛念(ゴイニム)」はサビ以外は広東語、サビのみ日本語。 キム・ヨンジャの「朝の国から」は、1コーラス目はハングルの1番、2コーラス目は日本語版の1番の歌詞。 チョー・ヨンピルの「Q」は、1コーラス目はハングルの1番、2コーラス目は日本語版の歌詞の2番のようです(ちょっと自信ありません)。 パティー・キムの「離別(イビョル)」は1番はハングル、それ以降(サビとAメロ)は日本語詞ですが、もともとハングルの歌詞も1番以降のサビとAメロの歌詞は1番と同じなので、1番のハングルの歌詞を日本語に訳したものと同じです。
 日本人の歌手が外国語の曲を歌唱する際も、1番の歌詞を日本語で歌って、2コーラス目(もしくはサビ)は英語(母国語)とか、その逆がよくありました。 歌合戦用に歌詞を変更といっても言語間の変換なので、意味はなるべく同じように、というたぐいの歌詞変更です。

歌合戦特有の歌詞ぶった切り

 CDに収録されている曲はほとんどが4分以上。 でも、テレビ番組で割り当てられる時間は短いため、多くの歌手はテレビで歌うために2番をカットしたり、1番と2番だけ歌ったり、最悪1番だけ歌ったりと歌唱時間を短くします。 歌合戦では、さらに歌唱時間を短くされることも少なくありません。
 普段は2コーラスだった歌が1ハーフになったり、2コーラス以上歌っていたものが2コーラスになったり、とわかりやすいものもありますが、もともと1ハーフなのに、もっとカットしろと求められると、かなり無茶なカット具合になってないかな、と思うものもあります。
 第52回(2001年、平成13年)に初出場したCHEMISTRYが歌った「You Go Your Way」は、彼らの曲の中で私が好きな曲の一つです。 シングルCDにはRadio Editと称して1ハーフのバージョンも収録されており、これの長いアウトロをカットしたバージョン(アウトロカットしたら3分30秒くらいかな)が歌合戦で歌われたのかな、と思っていました。 でも、歌唱時間をはかってみると約3分で、カットされたのはアウトロだけではないっぽい。 しかもこの曲、イントロなし、ワンハーフだと間奏もないので、歌詞を削るしかありません。 改めて見直すと、1番のサビが大変なことに。

想いは想いのままで 熱を失うだけ
あなたは帰る あの日の場所へ 僕は僕の道へ
さよなら漂う日々よ 忘れるわけもないさ

愛したことを忘れる人を愛したわけじゃない
ん? 「愛したことを忘れる人」の前振りとなる歌詞がなくなってない?
 「You Go Your Way」の場合、テレビバージョンの最後の歌詞も、最初からこんな風にカットされていたみたいですけど・・・。
想いは想いのままで 消え去る理由もないさ
ただ懐かしく思える頃には 会えたらいいね
だから今は涙をふきなよ いつもの笑顔で
 この曲、私は勝手に「それぞれの道を歩むことにした二人が、でも今までのこともいい思い出として忘れずに、それぞれの胸にしまって前向きに別れる」という歌だと解釈していたのに、歌合戦の歌詞では、付き合ってきたこと自体が間違いだった可能性もあるし、とりあえず人前で泣くと目立つからやめとけ、的な別れる女性を適当にあしらう男の歌のようにも思えて、曲の魅力半減だなと思ってしまったのでした(個人の感想です)。

 色々事情はあるのでしょうが、曲の意味が変わってしまうような歌詞の変更(カットを含む)はやめていただきたいなと思う今日この頃です。

 最近、1番だけ歌って終わる歌手が時々いるのも、変に歌詞をカットして意味合いが変わるくらいなら、1番だけ歌って「続きはCDで聴いてください」と割り切っているのかな、という気がしないでもなく。

最終更新 2017年7月22日