歌合戦:戯言「外国語」


トップページへ戻る


[ 歌合戦の歴史 ] [ 過去の出場歌手 ] [ 司会者 ] [ 審査員 ] [ 記録 ] [ できごと ] [ 思い出の紅白歌合戦 ] [ 雑記 ] [ リンク ]


雑記
歌合戦感想 | 出場しなかった歌手 | 出場歌手に関する雑文 | 戯言 | 出場歌手希望

戯言
ビデオテープ | 失礼 | 掲示板 | 泣かないで | なつメロ | 初出場歌手 | 歌唱時間 | タイアップ | 衣装 | リハーサル | どなたか教えてください | ミュージカルナンバー | 歌詞 | テンポ | もっと歌唱時間を | アニメソング | 演歌に思うこと | 外国語 | 歌は2コーラス | 第68回観戦記

 紅白歌合戦は日本人向けの番組ですので、ほとんどの曲は日本語で歌われます。 でも歴史のある歌合戦なので、日本語以外の言葉で歌われた曲もあります。
 以下に、歌合戦で歌われた日本語以外の言葉を挙げていますが、英語でも訛りが強いと聞き取れない程度の語学力なので、間違いもあるかと思います。 「結構いろんな国の言葉で歌われてるんだ」くらいの軽い気持ちで読んでもらえればと思います。

英語
 世界の標準語と言われていますから、当然のように英語で歌われた歌はたくさんあります。 第41回(平成2年)と第42回(平成3年)は、アリスン・ウィリアムズ久保田利伸とのデュエット)、シンディー・ローパーポール・サイモンサラ・ブライトマンアンディ・ウィリアムスと、アメリカやイギリス出身の歌手が多数出場し、英語で歌いました。
 もちろん、日本人歌手がアメリカやイギリスでヒットした曲を英語詞のまま歌ったり、日本人作詞家による歌詞であっても一部に英語を織り交ぜることは多々あります。

韓国語
 1980年代から2000年代初頭にかけて、チョー・ヨンピルパティ・キムキム・ヨンジャRyuが出場して、韓国語で何回か歌っています。 同じ頃もしくは少し後に出場したケイ・ウンスクBoAイ・ジョンヒョン東方神起KARA少女時代TWICEは韓国語はなかったような。
 1980年代後半は、NHKの歌謡番組にも韓国の歌手が出演し、韓国語のまま歌を歌っていたので、この頃のNHKとしてはアジアの音楽を日本に紹介するという方針があったのかもしれません。

中国語
 第40回(平成元年)に出場したアラン・タムは中国語と日本語を混ぜて歌いました。
 中国出身の歌手は他にも欧陽菲菲アグネス・チャンジュディ・オングテレサ・テンなど出場していますが、日本でヒットさせた日本語の曲を歌っていました。

ロシア語
 第14回(昭和38年)にダーク・ダックスが歌った「カリンカ」はロシアの曲。 サビというか、"Калинка, калинка, калинка моя!"というところはロシア語で歌っていました。 第18回(昭和42年)にアイ・ジョージが歌った「カチューシャ」もロシア民謡で、ロシア語で歌っています。 こちらは「カリンカ」よりは多めに、1番の歌詞をロシア語で歌っています。 1番がとても短い曲なので、1番の歌詞を2回、日本語歌詞を2回、もう1回ロシア語で1番の歌詞を歌うという構成でした。
 第41回に出場したアレクサンドル・グラツキーは崩壊前のソビエト連邦出身ということで、ロシア語で「ソング」という曲を歌いました。

イタリア語
 1960年代までは、日本にはヨーロッパといってもイギリス以外の国からも様々な曲が紹介され、ヒットしていました。 歌合戦に出場した歌手としては、第12回(昭和36年)にペギー葉山がイタリア民謡の「ブリア」の後半の歌詞を、第15回(昭和39年)は芦野宏がその年のイタリアのヒット曲「ほゝにかゝる涙」の2番を、立川澄人もイタリア民謡の「オー・ソレ・ミオ」の後半のサビをイタリア語で歌いました。
 伊東ゆかりがイタリアのサンレモ音楽祭に出場するなどイタリアとのつながりが強く、第16回(昭和41年)や第17回(昭和41年)にイタリア語を含んだ歌詞で歌っています。 同じく岸洋子もイタリアン・ポップスを何曲も歌っていますが、イタリアン・ポップスに日本語詞をつけ、日本語だけで歌っていることも多く、イタリア語が入っているのは、第19回(昭和43年)の「今宵あなたが聞く歌は」くらいでしょうか。
 少し時代が離れて、1980年代後半や2000年代前半の、幅広い層からの出場歌手選考をした時期にも、クラシック歌手によるオペラの歌唱があります。 第38回(昭和62年)に出場した佐藤しのぶ「オンブラ・マイ・フ」を、第53回(平成14年)に出場した鈴木慶江「私のお父さん」を全てイタリア語で歌っています。

フランス語
 歌合戦には、フランスの曲を歌う、いわゆるシャンソン歌手も何名も出場しています。 ただし、ほとんどが映像が残っていない1960年代半ばまでの出場なので、フランス語で歌っていたかどうかは不明です。
 今のところわかっているのは、第12回(昭和36年)に出場した石井好子の「鐘よ鳴れ」の1番、第13回(昭和37年)に出場した中原美紗緒の「フル・フル」の後半がフランス語っぽいです。

スペイン語
 1950年代後半から1960年代前半に出場した藤沢嵐子は「タンゴの女王」と呼ばれていたこともあり、歌唱曲はアルゼンチン・タンゴがメインです(ひょっとしたら出場5回で歌った4曲全部かも)。 初出場した第8回(昭和32年)に歌った「さらば草原よ」は日本語とスペイン語、第10回(昭和34年)に歌った「べサメ・ムーチョ」は全編スペイン語でした。 アイ・ジョージも初出場した第11回(昭和35年)に歌った「ラ・マラゲーニヤ」と第13回(昭和37年)に歌った「ク・ク・ル・ク・ク・パロマ」は全編スペイン語でした。 「ク・ク・ル・ク・ク・パロマ」は第20回(昭和44年)にも歌っており、その時はスペイン語に日本語も交えていました。
 イタリア語とフランス語で登場した芦野宏は、歌合戦でスペイン語も披露。 第13回(昭和37年)に歌ったタンゴ「カニミート」の後半はスペイン語です。 1960年代前半から中盤にかけて出場した坂本スミ子はラテンの曲を何曲か(ひょっとしたら全部かもしれません)歌っています。 第13回の「エル・クンバンチェロ」、第14回の「テ・キエロ・ディヒステ」、第15回「マラゲーニァ」、第16回の「グラナダ」は、全編スペイン語でした。
 タンゴを中心とした広いレパートリーを持つ菅原洋一も第31回(昭和55年)と第39回(昭和63年)に歌った「ラ・クンパルシータ」と、第38回に歌った「ラ・バンバ」は全編スペイン語でした。

ドイツ語
 第39回(昭和63年)に佐藤しのぶが歌った(シューベルトの)「アヴェ・マリア」は前半がドイツ語、後半が日本語でした。

トルコ語
 第5回(昭和29年)に江利チエミが歌った「ウスクダラ」はトルコ語と日本語を交えた歌詞だったそうです。

ラトビア語?
 第42回に出場したライマ・バイクレはロシアから独立したばかりのラトビア出身ということで、おそらくロシア語ではなくラトビア語で歌ったと思われます(聞いたところ、ロシア語ではないような気がしたので。違っていたらすみません)。 ライマ・バイクレの前に「祖国」という曲を歌ったラトビアの皆さんも。

フィリピン語?
 第42回に出場したスモーキー・マウンテンが歌った「TO YONA!」は英語で"COME ON!"という意味。 英語も混じっていたように聞こえましたが、メインはおそらくフィリピン語と思われます。
 フィリピン出身としては、第41回(平成2年)に出場したガリー・バレンシアーノもいますが、彼は当時すでに欧米をターゲットにした活動も行っていたため、英語による歌唱でした。

最終更新 2021年10月31日