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その昔、歌合戦で歌われる歌は最新のヒット曲ではなく、皆様おなじみの曲でした。 その後、「原則としてその年発表した、あるいはヒットした持ち歌」を歌うことが通例となりました。 「原則として」と書いたのは、中にはその年新曲を発表しなかった歌手や新曲を出したもののヒットしなかった歌手が過去のヒット曲を歌う特例も存在したからです。
1989年(平成元年)、歌合戦が40回目だったことを記念して番組を、ニュースを挟む2部構成に拡大し、第1部で「昭和の紅白」と銘打ってなつメロを集めたところ、思いのほか好評でした。 そして、翌年の1990年(平成2年)から、正式に「21世紀に歌い継ぎたい歌」つまりはなつメロも歌唱曲に加わりました。
第41回(1990年、平成2年)といえば、その年に御自身のヒット曲をメドレーにした「スーダラ伝説」がヒットした植木等をはじめ、青江三奈が第37回(1966年、昭和41年)に初出場した際に歌った「恍惚のブルース」を、尾崎紀世彦が第22回(1971年、昭和46年)に初出場した際に歌った「また逢う日まで」(昭和46年発売)を、大津美子が歌合戦初歌唱となった1956年(昭和31年)発売の「ここに幸あり」を、布施明が第26回(1975年、昭和50年)に歌った「シクラメンのかほり」を歌って一回限りの復活を果たしました。 第40回にも出場していたピンク・レディーに至っては当時現役だったWinkをさしおいて出場し、2年連続でヒットメドレーを披露していました。
その後も第42回(1991年、平成3年)では日本でも人気のあった元サイモン&ガーファンクルのポール・サイモンが1970年(昭和45年)に日本でもヒットした「明日に架ける橋」を、アンディ・ウィリアムスが1962年(昭和37年)に発表された映画「ティファニーで朝食を」の主題歌「ムーン・リバー」を歌ったりと、ワールド・ワイドな選曲は批判の声もありましたが、私は好きでした。
洋楽のヒット曲をオリジナル歌手が歌うのはもちろん歌合戦では異例ですし、邦楽であっても、それまで歌合戦では歌われていなかった歌が数々歌われました。 欧陽菲菲は1984年(昭和59年)にチャート1位となった「ラヴ・イズ・オーヴァー」、堀内孝雄は1986(昭和61年)に発売され、歌合戦の裏番組として最高視聴率をあげたドラマ主題歌「愛しき日々」(翌年にTOP10入りするヒットとなりました)などがあります。 これらは、名曲を改めてお茶の間に届ける良い機会だと思います。
でも最近はなに?
特定の演歌歌手が特定の曲ばかり歌うのはどういうこと?
しかも石川さゆりのような大物歌手が「津軽海峡・冬景色」と「天城越え」を交互に歌わされています。
彼女の場合、おそらく視聴者へのアンケート調査の結果と裏腹にヒットから遠ざかっていることから、なつメロとなってしまうのは、ある程度理解できますが、決して「津軽海峡・冬景色」と「天城越え」2曲だけの歌手ではありません。
たしかに、過去の名曲に比べれば、最近の曲なんて屁も同然かもしれません。 でも「屁も同然」かどうかを決めるのはNHKではなくて、お茶の間の皆様で良いはずです。 NHKが第一次審査を行うべきことではないと思うのです。 歌合戦で歌われなかったことで、もしかしたら将来ヒットし、後世に歌い継がれたかもしれない曲がそのまま埋もれてしまうかもしれません。
例えば、「後世に歌い継がれる歌か?」という点では疑問がありますが、第34回(1983年、昭和58年)の歌合戦で小柳ルミ子が「お久しぶりね」を歌いました。
この曲が大きなヒットとなり、ベストテン形式の番組にランクインするまでになるのは歌合戦で歌唱をしてから(つまりは翌年)のことです。
歌合戦で歌う前から、彼女としては久々のヒットとなっていたので、歌合戦で歌ったことが大ヒットに結びついた、という主張はかなり辛いのですが…。
これを、「ヒット曲がないから今年は『瀬戸の花嫁』でも歌って下さい」とNHKが要請していたら、「ダンシング・ルミ子」「早がわりのルミ子」「ハイレグ(!)のルミ子」のイメージはいつまでもつかず、「格子戸を開ける清純なルミ子」のままだったかもしれません(30代で清純派か、という突っ込みはなしで)。
百歩譲って、歌手側が「今年はなつメロを歌いたい」と申し出たとしましょう。
そのなつメロが今まで歌合戦で一度も歌われたことがない歌であるとか、その年、特にその曲を歌いたいという思いがあるのなら、その思いを理解するべきでしょう。
そうでない限りはその年に力を込めて売り歩いた曲を歌うよう説得するべきだと思います。
「歌合戦で歌うほどのヒット曲がなかった」とおっしゃる歌手がいらっしゃるなら、その年は出場をご遠慮願い、歌合戦で歌えるヒット曲が出た年に、再度ご登場頂けばよいだけのこと。
1990年代から2000年代にかけて歌合戦によく出場していた歌手に中村美律子がいましたが、何度も「河内おとこ節」を歌っていました。 彼女の持ち味はこの曲のような明るい曲調だけではなく、しんみりした曲調でも活かされるはず。 語りが入る曲だと時間が長くなる、花柳木糸之社中が踊れない、など演出側の意向もあるでしょうが、彼女が歌合戦でこの曲ばかり歌っていたことは、結局プラスではなくマイナスに働いていたように感じます。
一年の活動の総決算が歌合戦であるなら、その舞台で歌う曲がなつメロであった場合、その年の活動を否定されたも同然ではないでしょうか。
第28回(1977年、昭和52年)のちあきなおみのように、ヒット曲がなくてもその圧倒的な歌唱力から歌合戦に出場して、「夜へ急ぐ人」のパフォーマンスで白組司会者に「気持ち悪い」と言わしめたくらい、新曲に力を入れて欲しいのです。