本名=矢沢 宰(やざわ・おさむ)
昭和19年5月7日—昭和41年3月11日
享年21歳
新潟県見附市河野町 上北谷小学校脇の共同墓地
詩人。中華民国江蘇省生。新潟県立栃尾高等学校。小学校2年生のとき腎結核発症、右腎を摘出し入退院を繰り返す。14歳の秋頃から詩や日記綴りはじめた。昭和38年県立栃尾高等学校入学後は順調な学校生活を送るが、高校2年生の2月腎結核が再発。21歳の若さで没した。遺稿集に『それでも』『光る砂漠』などがある。

1
ふるさとは
ただ静かにその懐に
わたしを連れこんだ
雲でもなく幻でもなく
生きた目と心を持って
わたしははいっていった
青いにおいがむせかえって
ことばもなく
遠い日の記憶が
足からよみがえった
2
水は白い壁と天井と共に
命の中にあり
ふるさとの山にあった
苔むした岩肌をたたき
その響きは命の中にも流れていた
手をさし入れて
静寂の中で二つの水が混ったとき
まぶしい輝きを覚え
「山に水を返した」と思った
(ふるさと)
父の勤務先中国大陸の江蘇省東海県海州新大街五号『海洲鉱業開発』の社宅で生まれ、父の郷里である新潟県古志郡上北谷村(現・見附市河野町)で生育した少年矢沢宰、人生の大半は腎結核という病魔との戦いの連続であったが、昭和33年、新潟県立三条結核病院小児科へ入院した時に立川ユキ看護婦にもらった詩集によって詩作に目覚めた。
懐かしい山や田畑、信濃川の支流、刈谷田川にかかる小橋に腰かけて少年は夢を見る。〈光る砂漠 影をだいて 少年は魚をつる 青い目 ふるえる指先 少年は早く 魚をつりたい〉、わずか21年と10か月の哀しい道、魂の宿る清らかな眸を閉じて昭和41年3月11日午前2時15分、劇症肝炎を併発して〈生命の詩人〉矢沢宰は永遠の旅路についた。
夏の朝、少年が魚を釣った川、少年が渡った橋で、少年が腰かけた橋で、私もまた腰掛けてふるさとの風を待っている。一本の道、緑の田畑、わずかな集落と小さな膨らみをもった山々、高圧鉄塔の向こうには白い校舎が見えるのに少年はもういない。少年のふるさと、少年の愛、微かな風、青い空に浮かぶ白い雲、思い出は遠く、悔恨は儚く消えていく
。少年のたくさんの詩額が掲げられた母校上北谷小学校脇の共同墓地、「先祖代々墓」に〈小さな真実を どっこいしょ!と背負って〉旅に出た少年は一寸ばかり疲れてしまって眠っているのだ。自筆ノートの字体を刻んだ詩碑が後方に、〈あなたのふるさとの風が 橋にこしかけ あなたのくる日を待っている〉。
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