八木義徳 やぎ・よしのり(1911—1999)


 

本名=八木義徳(やぎ・よしのり)
明治44年10月21日—平成11年11月9日 
享年88歳(景雲院随心義徳居士)❖風祭忌 
東京都中野区上高田1丁目27–3 松源寺(臨済宗)



小説家。北海道生。早稲田大学卒。横光利一に師事。昭和12年『海豹』を発表。応召中に『劉広福』で19年度芥川賞受賞。『風祭』で読売文学賞を受賞。ほかに『私のソーニャ』『遠い地平』『母子鎮魂』『摩周湖』『漂雲』などがある。






  

 私自身、文学に志したのは「鬼」となるためではなく、まず「虫」の方からはじまった。
 一寸の虫にも五分の魂、というあれである。つまり、われもまたこの世に生きた、ということの証し、存在の自己証明のためにである。したがって文学とは、私にあっては、あくまでも「わが事」であって「他人事」ではなかった。それはどこまでも「われ」にかかずらい、われに執着し、われに集中するものであった。
 なによりもまず私は私自身を知りたかった。知るばかりでなく、私は私自身を形成したかつた。あのぶよぶよとした曖昧で不安定で不透明なゼラチソ状のごときものから、明確な輸郭と確乎たる質量をもった一個のいのちある物体となるために。
作品はいわば自己逆証の手段にすぎなかつた。この意味で、私はいうところの芸術至上主義の徒ではない。
 しかし、私は文学がそれ自身の内にもつあの「芸の掟」をこよなく愛する。いや畏怖する。そして、その前に私は慴伏する。
                                                          
(文学の鬼を志望す)



 

 故郷室蘭の測量山、〈この二百メートルほどの高さをもった小さな山の頂上〉は八木義徳の〈もの思う場所〉であった。〈私の文学は血と土と、そして海の風から生まれる〉という言葉の原風景だ。
 八木は、芭蕉の〈無芸無才ただこの一筋に繋がる〉、嘉村礒多の〈私は宗教によってよりも芸術への思慕そのものによって救われたい〉、上林暁の〈常に不遇でありたい。そして常に開運の願いをもちたい〉という三つの言葉を護符としていた。
 求道の作家は、平成11年10月21日、起立性低血圧の発作のため入院中の多摩丘陵病院で米寿を迎える。しかし『われは蝸牛に似て』校了直後の昏睡状態から抜け出すこと叶わず、11月9日に遠く冥界に旅立った。その日の空気は冷たかったが、生地室蘭の空は爽やかに晴れわたっていた。



 

 中野区上高田1丁目、この一帯は早稲田通りに面して、数多くの小さな寺が連なって一筋の寺町を形成している。
 その中の一寺にさる寺として親しまれている松源寺はあり、本堂裏の段落にいくつかの墓群を納めた墓地が静まっていた。狭い塋域の奥筋にひと際大きな赤松と桜木が見える。参り道は石垣沿いに導き、黄ばんだ薄葉が、生気を失った枝木から今しも舞い落ちようとしている。
 三回忌を10日ばかり過ぎた昼下がり、「八木家之墓」は冬のとば口にあった。真新しい板塔婆が六、七本、陽は霞み、風は止まっている。墓参を終えて石段をのぼろうとしたとき、微かなざわめきを覚え、今一度振り返ってみた。そこには緩やかな冷気を閉じ込めた殺風景が、哀しくも沈んであった。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

編集後記


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