矢野龍渓 やの・りゅうけい(1851—1931)


 

本名=矢野文雄(やの・ふみお)
嘉永3年12月1日(新暦1月2日)—昭和6年6月18日 
享年80歳 
東京都府中市多磨町4–628 多磨霊園6区1種8側25番
 



政治家・小説家。佐伯藩(大分県)生。慶應義塾(現・慶應義塾大学)卒。明治9年郵便報知新聞副主筆。11年大蔵省に仕官するが14年の政変で大隈重信と共に下野。以後大隈のブレーンとして立憲改進党に尽力。16年『経国美談』を発表。大評判になる。『人権新説駁論』『浮城物語』『新社会』などがある。






  

 其の大なる者より之を見る、天地、則ち小なり、其小なる者より之を見る、拳石、則ち大なり、進で而て止まらざれば、千里則ち近し、止て而て動かざれば、咫尺亦た遠し、物窮まれば必ず變ず、、變じて而て復た窮まる、誰か其の極を知らん、孟爾の「優都美」は遂に是に至るに由なし、我が新社會は遂に是に達するの日なき乎、昔し喇撒爾其言の實行を五百年の後に期す、世勢の變、或は百年を待たざらんとす、萬岳、河に歸し、百川、海に入る、静に萬物の化を観、深く人事の歸を察す、亦た讀書人の一樂たらずんばあらず
                               
(新社会・自序)



 

 〈政治家の如く、文学者の如く、哲学者の如く、志士の如く、隠者の如く、苦労人の如く、人をしてその所属を定むるに迷はしむる。〉、あるいは政治学者丸山真男に評された〈文学、政治、教育どのカテゴリーにも属さないルネサンス的人間類型として「普遍人」と名付くべき人物〉というほどの思想と行動、多彩で広い世界を持った矢野龍渓。昭和6年6月18日、東京・豊多摩郡千駄ヶ谷町(現・渋谷区千駄ヶ谷)の自宅で尿閉症のために死去した。
 ベストセラーとなった『浮城物語』を巡る論争において擁護側にもなった森鴎外はその人となりを〈龍渓先生は行ふ人なり。思ふ人にあらず。世或はその一朝思量を事とするを怪むならん。然れどもショペンハウエル曰く。思ふも亦行ふなり。〉と見ている。



 

 矢野龍渓のふるさとは豊後国佐伯藩(現・大分県佐伯市)である。ふるさとをこよなく愛した龍渓の号は豊後大野市と佐伯市本匠の境付近にある三国峠に発し、急峻で屈曲の多い渓谷を流下、山間部を抜けて、ゆるやかに蛇行して佐伯市に至り、佐伯湾に注ぐ番匠川流域の「流渓清冽、神龍の家する所」からとっている。
 久しぶりに訪れたこの霊園のゆったりとした参り道を歩いていると、朝靄もようやく吹っ切れて、あちらこちらに人の気配がぽっぽっと浮かび上がってくる。徳富蘇峰氏墓域にほど近く、朝の緊張感からも解き放たれて、和らぎ始めた霜柱のたつ苔庭に「矢野文雄/妻劣子墓」があった。啓蒙学者矢野龍渓はここに眠っている。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

編集後記


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