山口 瞳 やまぐち・ひとみ(1926—1995)


 

本名=山口 瞳(やまぐち・ひとみ)
大正15年1月19日(戸籍上は11月3日)—平成7年8月30日 
享年68歳(文光院法国日瞳居士)
神奈川県横須賀市東浦賀2丁目1–1 顕正寺(日蓮宗)



小説家・随筆家。東京府生。旧制第一早稲田高等学院(現・早稲田大学高等学院)中退。寿屋(現サントリー)でPR誌『洋酒天国』の編集に当たる。『江分利満氏の優雅な生活』で昭和37年度直木賞を受賞。死去まで『週刊新潮』に連載したコラム『男性自身』は記録的長寿となった。『血族』で菊池寛賞。『居酒屋兆治』『湖沼学入門』などがある。






  

 こういうことを含めて、私の諸性格は、すべて出生のためであり、血のせいだと思っているのではない。私における欠落感は、廃人同様の豊太郎の孫であるためだとは思っていない。
泣き虫で、小心翼々としていて、臆病で、万事につけて退嬰的で、安穏な生活だけを願っているといったことの全てが、遊廓で生まれ育った母の子のためだと思っているわけではない。少年時代に、あまりにもひどい貧乏を経験したためだとも思っていない。冷血動物でありゲジゲジだと言われた、自分ではあまり気のついていなかった性情を、出生と環境のせいにしてしまうつもりもない。しかし、それが、私の血と全く無関係であるとはどうしても考えられないのである。私は、あきらかに、容貌だけでなく、その性情において、丑太郎や勇太郎に似ているのである。すなわち、引込み思案で依頼心が強く、地位を得たときに威張りだすようなところがあるのである。私は、丑太郎や勇太郎に似て、芝居っ気の強いところがある。つくづくと、もし、少年時代に苦労するところがなかったら、もっともっと厭味な人間になっていたろうと思う。お前のような人間は引込んでいろと自分に向って言うことがある。私の息子は正業についていない。妹の子供、弟の子供も同様である。これも血のせいだと思うようなことはないのだけれど、あるとき、突然、出生のことを思い、慄然とするような思いにとらえられることがあるのである。いまになって、母の最大の教育は、隠していたことにあったと思うことがある。
                                                           
(血 族)



 

 夏の終わりの窓辺、陽はらんらんと最後の力を振り絞って輝きはじめていた。朝顔の色鮮やかに、淡紅色の花弁を付けた百日紅、満開のコスモス、向日葵もまだまだ東を向く術を心得ていたのだったが、急速に悪化していった症状に山口瞳はもう立ち上がる気力さえ持ち合わせていなかった。平成7年8月30日午前9時55分、武蔵小金井・聖ヨハネ会桜町病院ホスピス棟にて肺がんのため死去する。翌31日発売の『週刊新潮』に、31年9か月続いた『男性自身』最終回の〈仔像を連れて〉が掲載された。
 〈どうやって死んでいったらいいのだろうか。そればかり考えている。唸って唸って(あれを断末魔というのだろうか)カクンと別の世界に入ってゆくのだろうか〉。



 

 〈私は、大正十五年一月十九日に、東京都荏原郡入新井町大字不入斗八百三十六番地で生まれた。しかし、私の誕生日は同年十一月三日である。母が私にそう言ったのである〉。『血族』最終章、わずか二行に記された因縁の人々が眠る「山口家墓」がここにある。この墓は昭和13年、父正雄が建てた。三浦半島の東端、岬の付け根にあるこの菩提寺は母につながる寺である。
 観音崎に至る谷筋、浦賀水道からの海が深く切れ込み、山あいに漂っていた潮の香は、時おりの風に紛れて微かにまとわりついてくる。ミンミン蝉やつくつく法師の鳴き声は心なしか優しく聞こえる。岬の夏もおわりはじめたようだ。「もうすぐ七回忌になります」。案内を願った住職がぽつりと言った。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

編集後記


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